切り捨て―――従姉の決断
あくまでも従姉視点なので、つじつまが合わなかったりするかもですが、スルーでお願いします。
「まじありえねぇんだって!」
お前の方がありえない、と思いつつも眼鏡の少女は緩い笑みを浮かべて適当に相槌を打った。
眼鏡をかけた少女、木之下 美秀は対面に座る従弟である少年の愚痴を、延々と聞いている。
ちなみに、愚痴は少年の物ではない。
美秀は、柔らかな表情を浮かべていなければ、冷徹な印象を受ける整った容貌をしている。
勉強や研究が大好きな為、小学校に入る前からかけている眼鏡の存在も、容姿の印象を和らげるのに一役買っていた。
大人すら舌を巻くほどの頭脳を持ち、子供らしさなど一欠片もない様子で貪欲に知識を取り込もうとする美秀は、明らかに変人だった。
当然、友達なんてできなかった。従弟と幼馴染以外は。
適度に構い、同級生の輪に入れ、人付き合いの手本を見せてくれた従弟には心から感謝している。
だが、それとこれは別だ、と深い感謝をどぶに捨てる勢いで、美秀は怒っている。
一昨日、美秀は大切な友人の一人を失いかけた。
今朝、連絡があったのは奇跡だと思っている。
連絡先を教えるのに条件を付けられていたが、一も二もなく頷いた。
バカと友人、どちらを取るかなんてわかりきっている。
美秀が友人、公美を認識したのは、小学校も半ばを過ぎた頃。従弟と同じクラスになったのがきっかけ。
表情の動きがぎこちない子だな、というのが美秀の第一印象。次に、どこか追い詰められて影があるな、というもの。
従弟の動きが無ければ、きっと友人にはならなかっただろうな、と美秀は思っている。
今は、友人になれてよかった、と心底思ってもいるが。
家に遊びに行きたいという美秀を、やんわりと拒み続ける公美に、何かあるかも、と思ってこっそり庭に入り込み中の様子を伺ったことがあった。
当然、声は聞こえない。だが、幼い子供でも罵倒されているのだろうな、と分かるほどに怒りの形相で何やら叱っているらしい母親と公美を見て、美秀は両親や近所の大人が言うように立派な一家じゃない、ということを察した。
たまたま叱責されるようなことをやってしまったのだろう、と考えるには普段の公美の表情から消えない影が、美秀は気になった。
注意深く観察していた美秀は、公美の家の異常に早々に気付いた。もとより、少ない情報から結果を導き出すのが美秀はとてもうまかった。ちなみに、将棋などの手を先読みするのも上手い。
公美への厳しさだけが異常であると、そう気付いてから美秀は積極的に公美を家に誘った。
幼少期は娘の変人さに戸惑っていた美秀の両親は、礼儀正しく謙虚で何より普通な公美を友人として紹介されて歓喜した。少年は身内、幼馴染も近い扱いなので、ノーカンだった。
頭脳明晰で知られる美秀の家に行く、というのは公美の両親にとって喜ばしい事であったらしく、進んで送り出してくれたらしい。
美秀の家に来る、ということは自然と従弟と幼馴染と一緒になる事が多い、ということ。
距離が近づいていくのを、美秀は第三者の客観的視点で見続けた。
あぁ、これは、と美秀が思ったのと同じ頃、従弟から恋の相談を受けた。
相手は思った通りに公美だった。
公美に積極的にアピールするように勧めるも、家庭環境の影響でネガティブな公美が気付くことなく、美秀は随分じれったい思いをした。
それとなく公美から想いを聞き出して、何度も焚き付けて、ようやく告白して、公美と従弟が付き合って、あぁこれで、と美秀は深く安堵した。
基本、美秀は傍観者であることを望む性質だ。公美の家庭環境については、精神的に壊れかねないと思ったから関わっていったが。
人に対して恋愛感情を抱いたことが無い、つまり、初恋がまだな美秀は、恋愛沙汰に初心者がかかわったところでこじれて悲惨な事になりかねない、と理解していた。玄人ですら最悪の結果を招くこともあるのだから。
それなのに、何故積極的に関わったのか。
幼馴染の、従弟への依存が不安だった為だ。
人見知りの気があり、幼い頃に両親を事故で失い、姉は病死し、と複雑な環境下にある幼馴染を気にかけているのは従弟家族も美秀家族も同じだった。だから、積極的に絡む従弟に対して、距離がより近いのは仕方ないと、美秀は思っていた。
だが、何があっても同性の美秀や公美ではなく、従弟の方に行き、美秀や公美と二人になる時があれば割って入るようになった。美秀がそれとなく恋愛感情の有無を聞いても、家族としか見ていない、という幼馴染の言葉を、どうしても信用しきれなかった。
無意識、無自覚程怖いものはない。
だから、美秀は公美と従弟をくっつけて、距離を置かせようと思った。
余計なお世話で、こじれさせかねないという危惧はあったが、最初は従弟自身が公美を優先するそぶりを見せたことで安心した。それに不満を言うでもない幼馴染の姿を見たからなおさら。
美秀が自分の考えの甘さと人間としての幼さを見せつけられたのは、公美と従弟が付き合い始めて3ヶ月経つかどうかという頃。
いつもなら事前に予定を聞いてくる公美に誘われて、図書館に行く道程で美秀は反対側の道を歩く従弟と幼馴染を見た。
思わず足を止めた美秀と同じく、公美も足を止めて二人を見ていた。二人は美秀達の視線に気付かず、遠くなっていく。その手は繋がれ、笑顔を浮かべていた。
一見、仲の良い恋人同士にしか見えないだろう。
はっとした美秀が公美を振り返ると、悲しそうに微笑んで美秀を促して歩き出した。
今まで以上に公美を、従弟を、幼馴染を見ていて、美秀はそう間を置かずに愕然とした。
そして、思い浮かんだ言葉。
釣った魚に餌をやらない。
恋愛において、そう表現される現象を目の当たりにするとは思っていなかった美秀だが、ややしてそれ以上に悪いと判断した。
公美から何を聞いたわけでもない。だが、見ていれば分かることはたくさんあった。
結局、自分がしたことは公美を悲しませるだけだった、と美秀が後悔するのは早かった。
まさに、大きなお世話だ。
恋愛沙汰を相談するのに、美秀は自分の母親を選んだ。
だが、返って来たのは…。
「まぁそうなの、でもしょうがないわよ。公美ちゃんが我慢しないと」
お前ならどうなんだ、と怒鳴り返さなかったことを美秀は自画自賛したほどに、酷い発言だった。
それから間もなく、従弟の母親、美秀にとっては伯母が不安げな表情で美秀に相談したのは…。
「あの公美って子、どうにかならない? この間も電話をかけて来たのよ。あの子の居場所を聞きに」
お前の息子が約束をすっぽかしてるからだ、と突っ返さなかったことを美秀は以下略。
その後、幼馴染にそれとなく聞きに行った。付き合い始めた当初、従弟と幼馴染が付き合っている、という噂で不安にさせたことを謝っていたから、言えば分かってくれるのでは、と美秀は考えた。
考えてしまった。
「あたし達の間に後から入ってきたんだから、公美が我慢するのが当然でしょ? あたしを優先してるのは、公美が自分を優先してもらえるように努力してないからじゃない。悪いのは公美よ」
最早、美秀は何も言う気になれなかった。
公美の家庭を異常だ、と美秀は判断した。
だが、異常なのはそれだけではなく、この町の人間が異常なのではないか、と美秀は思った。
9割の異常に中で、1割の常識は、間違いなく異端だった。
その1割が公美と自分なのだ、と美秀が気付いたのは高校生活1年目が終わる頃だった。
天才、明晰、才色兼備、と称賛されながら、所詮はこの程度か、と美秀は自嘲するしかなかった。
どうにか軌道修正できないのか、自分達が公美を蔑ろに、いや、いっそ虐げていると言って良いほどの扱いをしているのだということを少しで良いから自覚してほしい、と美秀は思った。
元々、人間関係を築くことは得意ではない美秀なりに頑張った。自分がしたことの結果くらい、きちんと後始末をしたかった。
幼馴染を優先することを許容できない公美を従弟が切り捨てるにしろ、我慢の限界を迎えた公美が従弟を切り捨てるにしろ、何かしらの後始末を。
結果は、余計悪化させただけ。
自己嫌悪に陥り、いっそ引きこもってしまいそうな美秀を支えてくれたのは、辛いだろう公美だった。
気にかけ、何とかしようと努力した美秀に、公美は感謝しているのだとはにかんだように笑ったのは、高校3年の秋の終わり。
受験も終わり、自由登校になった2月の中頃。
公美に誘われ、家からも学校からも離れた小さな人気のない公園で、そっと美秀は打ち明けられた。
妊娠した、ということを。
こっそり、祖母からもらったお年玉貯金を崩して、家族の目を盗んで遠くの産婦人科にかかったと聞き、それが確かであることを知った美秀は、しばしの空白の後、従弟への怒りが湧き上がった。
従弟がそれを知っている様な素振りはなく、ついこの間も幼馴染の家に入り浸っていた。だから、きっと知らないのだろうと結論付けた美秀だが、一応、公美に問いかけた。
従弟には知らせたのか、と。
公美は力ない微笑みを浮かべただけだったが、それが何よりの答えだった。
自分で言う、その為に会う約束を取り付けたいから協力してほしい、と言われて美秀が拒否するはずもない。
これは、これだけは、けして自分は口をはさんではいけないのだ、と美秀は自制した。
従弟を、幼馴染を、母親を、伯母を、殴り倒してやりたい思いに駆られても、それを行動に移してはいけない。何より、それをする権利があるのは自分ではなく公美なのだ、と美秀は自分に言い聞かせた。
それを最後の賭けにする、と言って、ありがとう、と去っていった公美の決意を、美秀は正しく理解した。
自分が何の力もない子供であることを、酷く悔やんだ日だった、と美秀は回想から戻る。
「おい、聞いてんのかっ」
「一般的なリビングの中で怒鳴られれば嫌でも聞こえるよ。で、何? 私に何をしろっての? あの子をもてあそんだっていう大学生を痛めつけろって? 運動音痴で半引きこもりの私にはハードル高すぎ。一人でやって」
「んなこと言ってねぇだろ。でも、何かしらしてやりてぇじゃん」
「それはどっちに? あの子? 大学生?」
「…あの野郎に一泡吹かせてやりてぇけど、家も知らねぇし、あいつが知ってるアドレスはもう変わってたし、どうしようもねぇから。だから、あいつを元気づけてやろうと思って。春休みももう残り少ないし、どっか行かねぇ? 三人で。あ、公美も一緒でもいいぞ」
微笑ましそうに美秀達を見ていた母親達(美秀と従弟双方)が、公美の名前を聞くと嫌そうに顔を歪ませたのを視界に収め、美秀は鼻で笑った。
そもそも、元気づけてやろう、といった従弟は、公美をほったらかして幼馴染の所に二泊した後、ここにいるのだ。それで十分じゃないのか。どんな元気づけ方なのかは、あえて美秀は言及しない。殺したくなりそうだから。
パンッ。
空気の破裂音に似た音をたてて、美秀が読んでいた本(ハードカバーの学術書)を閉じる。
「あんた、スマホは?」
「へ?」
唐突な問いかけに、従弟が間抜け面になったのを美秀が睨みつけ、本を傍らに置いていた少々大きなカバンに突っ込む。
「スマホ、どうしたの」
「え、あぁ、あれさぁ、一昨日の夜に電源落として、今日の朝、トイレで電源入れようとしたら便器に落としてぶっ壊した」
「ばっかじゃないの」
「ぐっ…」
思い切り鼻で笑ってやれば、苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
テーブルで従兄の母親が額を押さえているのを視界に収め、美秀は内心でなるほどと頷く。
(つまり、公美のメッセージは見てないわけね。てことは、こいつの中では公美と別れてないってこと? それはちょっと…)
少し、渋い顔をした美秀は、なぁなぁの態度で接していた態度を改めて、従弟を真正面から見る。
「じゃぁ、一昨日、公美が話したかったこと、聞いてないわけね。メッセージを入れた、って聞いてるんだけど」
「…なんだよ、それ」
「言う前に、聞きたいんだけどさ。あんたにとって、公美って何?」
「何って……彼女だけど」
「ここ2ヶ月、まともに顔も見てないのに?」
言い淀んだ従弟に、美秀はほんのりと笑みを浮かべる。
「デートに行けば、2回に1回はあの子がやって来て、あんたはあの子を構って、公美を放置しているのに? 昼休みには公美じゃなくてあの子のとこに行って、私が公美と居たら「なんでいるんだ」って言うのに? 街であんた達を見かけた女子は、公美はあの子の盾の役目なんだ、って笑ってたの知ってる? 私達のクラスの女子があんたのこと冷めた目で見て、男子も思い切り引いてたの知ってる? ねぇ、これを見て、聞いて、公美があんたの彼女だって思う奴、いると思うの?」
公美にとって、周囲は味方ではなかった。
小学生にとって、世界は学校と家の周囲だけだ。だから、視野は狭く世間は手の届く範囲の物だと思い込む。中学生になれば、多くの物に意識が向き、少しばかり世界は広がるがそれでも当然のごとく狭い。
結果として、同級生達は従弟と幼馴染を中心に置いたまま学年を上げ、進学してもなお、平凡で気弱に見える受動的な公美が一緒に居る事に難色を示す者が多かった。実際、公美は十分に優秀な部類だが、容姿でも勉強でも運動でも、比較対象となった相手(美秀達三人)が悪かったとしか言えない。
高校生になれば、それらは変わる。まず、学区という区切りが無くなったことで、公美に対する周囲にこそ難色を示す者が現れる。関係ない、と知らぬふりをする者は多かったが、苦言を呈する者もわずかだがいたのだ。
その数人を、美秀は知っている。美秀の交友関係はそこに集約されている。
言われて気付き、改めるようであればまだ良い。許してやる気もなければ、仲良くしようという気は欠片も美秀にはなかったが。
公美が美秀以外に味方はいない、と思っていたのは気付きながらも変えようとしなかった周囲の所為だろう。今更、と気まずい思いをしていたのが大半であったし、仲良くしたところで、と利害を気にしたのもいた。
公美に好意的だったのは、他学年や学校外の近所から離れた人達だった為、周囲の所為で萎縮気味だった公美には察することが出来なかった。それは公美が悪いわけではない。
「フリーになったんだし、あの子と付き合いなよ。それが一番でしょ。誰も傷つかないし」
カバンを肩にかけて立ち上がる美秀は、意味が分からないと言いたげな従弟や母親達の顔に嘲笑を向ける。
「公美は、もう無理、って思ったの。あんたの恋人で居る事が、苦痛だって思ったの。だから、別れましょう、って言おうとしたの。せめて、顔を見てしっかり言いたいって。この町を離れる前に」
「…なんだ、それ。どういうことだよっ!」
公美がいなくなった、ということを理解して焦燥を浮かべた従弟に怒りがわいたが、一度深呼吸することでなんとか飲み込む。
「慌てるくらいだったら、ちゃんと接しておけばよかったんだよ。好きだったんなら、ちゃんと言わなきゃいけなかったし、行動で示さなきゃいけなかった。それを怠ったんだから、全てはあんたの自業自得よ。追いたきゃ追えばいい。その気があるんなら、ね」
追いすがり声を上げる従弟を無視して玄関の扉を開ける美秀は、従弟の後ろにいる母親達を冷徹な眼差しで射抜いた。
「人間失格者共と関わりたくないの。私も公美も。だから、これでさようなら。今までどうもありがとう」
酷い言いざまだ、と美秀は自嘲して、さっさと玄関を出る。
美秀の言葉を、きっと従弟達が理解することはないだろう。
家の外まで追ってくる様子が無いのに、美秀の足取りは軽くなる。
公美の実家に行けば、簡単に行き先は分かる。学生の懐でも出せない金額ではない距離だ。
行動に移すかどうかは従弟次第だが、美秀にはそうしないだろうという確信があった。
従弟も幼馴染も、似た者同士の主人公体質だから。
そう美秀が思っている事も、判断して距離を置いたことも、二人はきっと知らない。知ろうとすらしない。
追わないなら追わないままで良い。
そうすれば、公美は穏やかなまま先に進めるのだから。
最寄り駅のホームで、電車が来るのを待ちながら美秀は冊子を開く。
進学する大学は県をまたいだ先にあり、特待生入学の美秀は優先的に寮に入ることが出来る。ただし、入寮時期が決まっている。
期限まではまだ日にちはあるが、従弟達と同じ空間にいることが苦痛になってきたのだから仕方ない。
楽しげに読み込む冊子の表紙には、『慧瑛学園大学入学案内』と印字されていた。
風が、美秀の髪を揺らす。
傲った過去の自分に終わりを告げて、新しい自分を始めるために、選んだ道。
最早、振り返らず、戻らないと決めた過去を置き去りに。
最愛の友が笑顔で出迎えてくれる未来に踏み出す。
電車がホームに滑り込む。
反省と決意を抱いた美秀は、後悔しない未来のために、今、新しい始まりへ旅立つ。
振り返らない後ろのことなど、知ったことかと放り捨てて。
その先が、良いことになるかどうかは、美秀の努力次第。
コメントにて、『ひなたの存在を知らない』ということに疑問があった方がいらっしゃいましたが、凄く間抜けでどうでも良い理由でした。美秀が言わなかったのはわざと。
丸一日、確認もせず気にもしていなかった方が悪い、ということで。
ちなみに、公美の暮らす街にあるのは慧瑛学園の高等部までで、大学は別の市にキャンパスがあります。
文系キャンパス(聡哉)は隣の市、理系キャンパス(美秀)はさらに隣の市。




