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チルチルチルリット  作者: けろぽん
<番外編>恋になるかもしれなかった
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17

「お義姉さま、今日はお天気がいいので、お外でお茶でもご一緒しません?」


 ターシャが誘って来たのは三日後の昼下がりのことだった。

 結局荷物までまとめていたのに、なにも言われないことをいいことにそのまま生家に居座っている。エンリは何も言わないが、あの日ウリウスとエンリとの間で話し合いがもたれたのではないかと確信している。エンリはエミリアよりも遅い時間に屋敷に戻ってきたから。

 

 お茶会気分では全くなかったが、何をするわけでもなく部屋に閉じこもりがちの自分を見かねてそう申し出てくれたのだろうということは理解していたので、一緒に庭でテーブルを囲むことにした。


 イアンもいたが、テーブルのお菓子を少しだけかじると庭の隅に行き何が面白いのか一生懸命穴を掘っている。

 その様子をリリイの淹れてくれた香茶を飲みながら眺める。


「めっきり寒くなってきたのでもうこうやって外でお茶を飲めるのも今年は最後かもしれないですね」

「そうね」


 ぼんやりと相槌を打つエミリアに、ターシャが明るい声を上げる。


「そうだ、このケーキ、わたしが焼いたんです。お義母さまに教わって。久しぶりだからどうかなって思ったんですけど、結構上手に焼けましたの。少し、どうですか?」

「まあ、そうなの。折角だから少しだけいただこうかしら?」


 テーブルの中央に置かれていたケーキは確かに素人の作ったような無骨なケーキだったが、ターシャの気持ちが嬉しくて、切り分けてもらったケーキを、一口口に入れる。


「…………」

「え、あら、もしかしてお口に合いませんでしたか?」


 懐かしい味がした。

 幸福だった子供時代の。

 ぽろりと涙がこぼれる。


「いえ、とても……懐かしくて。それに、シオン……息子のことを思い出して」


 この幸福の味はいつかチルリットが焼いてくれた不格好なケーキによく似ていた。あの時、懐かしい味がしたのは自分も母と一緒に焼いたことのあるものだったから。エミリアもこのケーキの作り方は知っている。幼い頃、母とよく一緒に焼いていたから。それなのにウリウスにもシオンにも焼いたことはないし、焼こうともしなかった。周りにいつも綺麗でおいしいお菓子があったから。


 人前で泣くことなんて滅多になかったはずなのに、あの日以来どこか涙腺がおかしくなってしまったらしい。何でもないことに涙がこぼれる。

 そんなエミリアの涙に気付かないふりで、イアンの様子を眺めているターシャ。


「ターシャの子供たちは幸せだわ。こんなおいしいケーキが食べられて」

「それは褒めすぎですよ。でも本当に、わたしの夢だったんです。素敵なお庭でゆっくりお茶をいただくの。お義姉さまのおかげで思いがけずに叶えていただいて……ありがとうございます」


 幸福そうなふっくらとした頬に柔らかい笑みを浮かべながらあらためてお礼を述べられて、小さな罪悪感が生まれる。


「いえ、そんなこと、本当に、いいの。……本当のことを言いますと、わたくしの都合でお庭に手を入れたのですから」

「え?」

「あの隅の方にクランの花があったでしょう?わたくしあの花が大嫌いで。そのためだけに口を出させていただいたの。だから、全然お礼なんか言われることじゃありませんの」

「クランの花?ああ、そういえばずっと昔からありましたね。お嫌いなんですか?」

「ええ。昔はそうではありませんでしたけれど」


 少し逡巡してから、口を開く。


「恥ずかしい話……ウリウスの浮気相手のイメージが、あの花なんです。もちろんわたくしの勝手な思い込みなんですけど。それからなんだかあの花が受け付けられなくなって。あの花を見るたびに腹立たしくて、自分でもくだらない、花に罪はないってわかってはいるんです。でも……」


 キョトンとした表情でターシャはエミリアの顔を凝視した後で、小さく吹き出した後、慌てて真面目な表情を作る。


「ご、ごめんなさい。なんだかちょっと……お義姉さまって、可愛らしい方だったんですね。ウリウスさまは素敵な方だしそういった心配の種は尽きないでしょう?でもお義姉さまはあんまりそういうことに感情を乱されない方だと思い込んでたんですね、きっと。まあそりゃあそうですよね、自分の夫に女がいると知っていて嫉妬しない妻はいないですよね」

「嫉妬?わたくしが?」

「ええ、そうですよ。男の方って、どうしてなんでしょうねえ。でも花に八つ当たりするくらい可愛いものじゃないですか?わたしの場合、相手の家に乗り込みましたから」

「ええ?」

「まあそれはそれは大変な修羅場でしたよ」

「エンリが?浮気を?したの?」


 はじめて聞く話にエミリアは目を丸くする。あのエンリが他所に女を作ったなんて。身贔屓をしているわけではないが、幼い頃のエンリを知っているからこそ、浮気をするような男だとは思っても見なかった。


「はい。イアンがまだ生まれて半年くらいのころに」

「それで、どうなさったの?」

 

 ぶしつけな質問だと思ったが、大きく興味を惹かれて話の続きをせがむ。


「さっきもいった通り、相手の家に乗り込みました。まだ若い娘で、なんてことない村娘だったんですけどね。こっちは出産して半年でイアンは夜泣きがひどいし、いつも寝不足で肌もボロボロで、つるりとした相手の肌を見てたらそれがまた腹立たしくて」

「それは……どうしてその人の家に乗り込んだのかしら?」

「どうして?そうですねえ……エンリと言い争いになって、頭に血が上って。本当言うと、相手の女を殺しに行こうと思ってたんです」


 あまりに物騒な言葉に、エミリアはまじまじとターシャを見つめる。ターシャは天気の話をするように、あっけらかんとした表情だ。


「やっぱりどこかおかしくなってたんでしょうね、わたしも。家にあったナイフを持って行ったんですけど、結局何もせずに帰っちゃいました。相手の女には旦那に手を出すなら死ぬ気で来なさいって、啖呵きって。でも帰ってきてみたら、持って行ったナイフはケーキカット用のナイフだったんです。よっぽど頭に血が上って気付かなかったんですねえ」


 楽しそうにカラカラ笑うターシャ。目の前に置かれているケーキカットナイフを見下ろし、「これはあの時のものじゃあないですよ?」と幾分おどけて言った。


「すごいのね。ターシャは」

「いいえ。わたしのやったことが正しかったとは思いません。結果、エンリは戻ってきて、今はそんなことなかったかのようによき夫、よき父親をやってますけど。もしかしたら愛想を尽かされて出て行かれたかもしれませんし。でも、わたしは、戦わなくちゃと思ったんです。愛する夫と、子供を取り戻すために」

「…………」


 戦う……。

 そんな言葉はエミリアの人生には無縁だと思っていた。

 自分はいつも戦わない選択をしてきた。嫌なことがあってもやり過ごしていればそれは何とかなってきた。嫌な人には会わないように、嫌なことには遭遇しないように。でもそれはたぶん周りがそういう環境を整えてくれていたのだと今になって気付く。幼いころは両親が守ってくれ、大人になってからは、ウリウスが。


「あら、誰かいらしたわ」


 ぼんやりと物思いにふけっていたエミリアがターシャの声に顔を上げる。

 門から入ってきたのは長い間見慣れた黒の制服。

 エミリアに気付くと深々と頭を下げた。


「シーラ、どうしてここに?」

「御館様が、エミリア様が何か不自由な思いをしているのではないかと……わたくし、ソーフヒートでエミリア様付きの使用人をしておりますシーラと申します」


 ターシャにも深々と頭を下げるシーラ。

 

「まあ、ソーフヒートからわざわざ?お疲れになったでしょう?一緒にお茶でもいかが?」

「いいえ、とんでございません。わたくしにも何かお手伝いが出来ればとこちらに来たのですから。近くに宿も取ってありますのでわたくしのことはお構いなく。屋敷の方たちにもご挨拶を……」

「ウリウスに、言われて?」


 シーラの言葉を遮るエミリア。


「あ、はい、そうです」

「そう…………」


 ウリウスが、自分のためにわざわざ。


「シーラさん、今はここの当主は仕事に出ているのですけど、屋敷のものたちに紹介しますわ。こちらへいらして?」

「手を煩わせてしまい申し訳ございません」


 エミリアに一礼し、シーラはターシャと共に屋敷に向かう。


「おばちゃん、どうしたの?」

 

 いつの間にかイアンが傍にいてエミリアを覗きこんでいる。


「痛いの?御病気?」


 舌ったらずの口調のイアンを思わず抱き上げ抱きしめる。


「いいえ、大丈夫」


 ただ、苦しい。胸が重く、苦しい。目の前には後悔しかない。これから一生、自分はこの重苦しい思いを抱えて生きて行かなくてはいけないかと思うと、命を絶ってしまったほうがよっぽど楽になれると思うくらいに。

 でも、まだ。

 まだやっていないことがある。


 イアンの身体を解放し、小さな手をとって一緒に屋敷に向かう。


「シーラ」


屋敷でリリイと挨拶を交わしているシーラに声をかける。


「来たばかりで申し訳ないのですが、馬車を呼んでもらえるかしら」

「かしこまりました。どちらにむかわれますか?」


 シーラの言葉に決意を込めて顔を上げる。


「ソーフヒートに。屋敷に戻ります」

 




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