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顔に笑みを張り付けて来客ににこやかに愛想を振りまく。
パーティが開かれたその日は天候に恵まれ、雲ひとつない快晴だった。何台もの馬車が屋敷に横付けされ、入れ替わり立ち替わりそれなりの装いに身を包んだ貴族たちがエンリの元を訪れ、そのままエミリアのところにやってくる。
男たちは口々にエミリアを褒め称え、群がり、なかなか離れて行ってはくれない。脂ぎった中年の男、やたら自信に充ち溢れている恰幅のいい男、こけた頬の貧相な小男。一通り自己紹介を済ませたあとはどうでもいい話に相槌を打つ。男たちが連れてきた妻は別のテーブルでターシャや子供たちと談笑している。
こういったパーティは貴族社会にはつきもので、結婚当初ウリウスもエミリアを伴い夜会に参加していたが、シオンを産んでから体調不良を理由に何度も欠席しているうちに声もかけられなくなった。ウリウスが一人で出ていたのだろうが、やはり妻帯者なのに妻を連れてこないのは珍しいようだ。
「本日このようなところでお目にかかれるとは恐悦至極ですな。しばらくこちらに滞在されるのですかな?」
「ええ、少しこちらでのんびりさせていただこうと」
「もしやウリウス殿もこちらに来られる予定が?」
男たちの瞳が隠しきれない野心でギラリと光るので、慌てて否定する。
「そのような予定はありませんわ。あの人は忙しい方なので」
「それは残念ですなあ。ソーフヒートに比べたらここらは何もなくて退屈でしょう」
「いいえ。もともと生まれ育った土地ですし、喧騒から離れてのんびりと毎日癒されております」
「そうはいっても……、そういえば今度ターナー家で夜会が催されるのですが、どうですかな?是非ご一緒に」
「わたくしなど誘うよりも奥様とご一緒に行かれては?」
「いやいや、こんな美人に同伴していただけるなら、家内は家に置いていきます」
一緒にいた男たちが一斉に同意し、沸くが、女であるエミリアは何が面白いのか分からず、曖昧に笑みを浮かべるだけにとどめる。ウリウスもこんなふうに自分を貶めるような軽口の一つや二つや三つくらいは披露していたのかと思うと複雑な心境だ。
いや、そんな心境に陥ることすらおかしい。いまさら何を期待するのか。
その時また、来客があり、エンリが出迎えている。
並んでこちらに近づいてくる人影に、エミリアは驚いた。
エンリよりほんの少しだけ背が高い、ひょろりとした痩せた男はどちらかといえば貧相に見える。あまり上等なものではないとすぐに分かる服のせいか、背中を丸めた姿勢のせいか。
それでも彼の顔には見覚えがあった。
「失礼。姉さん、こちら……」
「ヴォイド、ヴォイドじゃありません?」
エンリから紹介を受けるよりも先にエミリアが口を開く。その声に変わらない気弱そうな瞳を向けて、ヴォイドがかすかに笑みを浮かべた。
「久しぶりだね」
「まあ、本当に」
あの時、酔いを醒ましてくるといって別れたきり、ずいぶんと久しぶりの再会。年齢相応の風貌に変わってはいたが、人の良さそうな笑みは変わらなくて、それはひどくエミリアを安心させる。この日初めてエミリアの顔にごく自然に笑みが浮かんだ。
「やあ、ヴォイド。相変わらずぱっとしないなあ、君は」
「ご無沙汰しております」
恰幅のよい男が小馬鹿にしたような笑みを浮かべながらヴォイドに自分の持っていたグラスを渡したので、エミリアは慌ててそのグラスを新しいものに取り換える。
「今日は?何しに来たんだい?」
「招待状を送っていただきましたので是非ともご挨拶にと」
「農作業の方は終わったのかい?」
明らかに馬鹿にされているにも関わらずに気弱な笑みを浮かべて律儀に返答しているヴォイドに何故かエミリアの方が腹立たしい気分になってきた。
「ヴォイド、招待を受けてくださってありがとうございます。よろしかったらお庭をご案内しますわ。昔よく遊びに来ていたでしょう?」
「やあ、それは是非とも私どももご一緒させて」
男たちが身を乗り出すが、
「申し訳ありませんが大切な幼馴染みとの再会ですの。つもるはなしもありますので、皆さんはこちらでお待ちになってください。では」
反論の隙を与えずににこやかに笑みを送り、ヴォイドを促しその場をあとにする。
「あの、いいのかい?」
気遣わしげに後ろを気にしながら大人しくついてくるヴォイド。
「構いませんわ。もう十分お相手いたしましたもの」
「変わらないなあ」
ヴォイドの苦笑混じりの言葉があまりにも優しい響きを帯びていたので思わず足を止めて振り返ると、少し眩しそうな眼差しでこちらを見つめている彼と目が合う。あの時も、こんなふうに自分を見つめてくれた少年。
「……変わってしまいましたわ。すっかり、なにもかも」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量で小さくつぶやいた後で、気を取り直してヴォイドの近況を尋ねる。
「近況、ね。さっき言った通りさ。毎日農作業に精を出しているよ。土地だけはたくさんあるからね」
どうやらダガール家の財政状況はあまりよいものではないらしい。このあたりの貴族などほとんどがそうで、エミリアも幼少期には家族総出で畑を耕していたことを思い出す。
「お子さんは?」
「女の子が一人いたよ。今は妻と実家に戻っているもう一年ほどあってないけど」
「……まあ、そう……」
何と返答したらいいのか分からずに曖昧に頷く。ヴォイドの家庭もいろいろ複雑なことになっているらしい。
「エミリア……と呼んでも構わないかな」
「もちろんですわ」
「こんなに田舎にいてもエミリアの噂はよく耳にしていたよ」
噂。
いったいどんな?夫は愛人宅に入り浸り、一人息子には家を出ていかれたこと?
どんなに高価な宝石を身に付けようと、美しく着飾ろうと、中身は空っぽの虚ろな女。夫に抱かれることもない。女としての価値すら地に落ちている。
滲んだ涙を悟られぬように、エミリアはヴォイドに背を向ける。
「嫌ですわ。どうせろくでもない噂でしょう?」
「それだけ妬まれてるってことさ。今日会えて良かった。エミリアは全然変わってなくて、いや、むしろすごく綺麗になってて、安心した。まだしばらくこっちにいるの?」
「ええ、またいつでも遊びにいらして。といいたいところですけど、いまのわたくしは居候の身なのであまりそうもいえないのですけど。結構暇をもて余しておりますからいらしていただけたらうれしいですわ」
「そしたらいつでもダガールに遊びに来たらいい。今の季節ならまだすきま風も寒くはない」
ヴォイドの軽口に思わず笑いが漏れる。
「さっきもいった通り今屋敷にはわたし一人だから。気兼ねはいらない」
「お一人で?食事などどうなさってるの?」
「通いで一人使用人が来てくれていて一通りやってくれているんだ。うちに来たらエミリアは自分がすごく恵まれていることを再確認できると思うよ?」
嫌味には聞こえない明るい口調にエミリアは笑みを浮かべながら頷く。
「まあ、それは是非お伺いしたいわ」
「来るときは汚れても構わない格好で来た方がいい。間違っても今日のような美しい装いで来ないように」
「分かりました。肝に銘じておきます」
去り際、ヴォイドがエミリアの手をとり、指先に軽く口づけをする。
ごく自然なその動作に、エミリアは自分でも驚くほど動揺し、頬に血がのぼるのが分かる。
「ではまた」
ヴォイドの後姿を見送りながら、動悸を落ち着かせようとエミリアは何度か深呼吸した。




