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「ヴォイド。まあ、こんなところで会うなんて」
かすかにそばかすの浮いた少年の素朴な笑顔を見てエミリアは心底ほっとする。
ヴォイドは隣の領地をおさめているダガール家の嫡男で、幼いころは幾度か遊んだこともある幼馴染だ。一つ年上であるヴォイドがここいいるということは彼も結婚相手を探しにきているのだろう。あまりよその台所事情に詳しくはないがヴォイドの服装から見るにエミリアと大して変りのない懐事情のようで、何となく野暮ったく見える彼に、だからこそエミリアは安心した。
「エミリア、綺麗になったね。ぱっと見分からなかったよ」
多分に御世辞も含まれているであろう言葉に、素直に礼を述べる。
「初めてだから勝手が分からなくて。知った人もいないしどうしようかと思っていたところでしたの」
「そうかい。まあ、僕も同じようなものだよ。何度かきていてもこういったところはあまり慣れなくてね」
五年ほど前にあったころは二人ともまだ子供だった。それが今は正装し、大人ぶっているのがなんだかおかしい。
「ヴォイドはもう何度も足を運んでいらっしゃるのかしら?」
「うん、とは言ってもまだ三度目なんだ。僕はあと半年すると成人だからね。なかなか慌ただしいよ。エミリアはどこに滞在しているの?」
「隣町にある遠い親戚の家です。二週間しかいられないのですけど」
「お互い大変だね。そうだ、何か食べた?向こうで軽食をつまめるよ。軽食といっても豪勢なものだから食べて行ったほうがいいよ」
いたずらっぽく笑うヴォイドに、思わずエミリアも笑ってしまう。ふと、ヴォイドは結婚相手としてどうだろう、と考える。
生家からも近く、両親とも顔見知りだ。嫁いだとしてもそんなに離れるわけではない。あまり裕福そうではないけれど、それはエミリアも同じこと。むしろ釣り合いがとれていていいのではないか。
「そうですわね。折角ですからいただこうかしら。あの、よろしかったら一緒に食べにいきません?」
女である自分から誘うなど少しはしたなく思ったが、このまま壁に張り付いていても何も始まらない。
「え?ああ、そうだね、僕はもう少し腹ごなししてから行こうかな。来たばかりだし。先に行ってて。あとから行くよ」
「そうですか」
落胆を顔に出さないように笑みを浮かべる。ヴォイドにそういった手前、仕方なく軽食があるらしい場所に恐る恐る近づく。
巨大なテーブルの上には目を見張るような料理が所狭しと並べられている。エミリアが食べたことがない様なものばかりで、ヴォイドが食べておいたほうがいいと言ったのも頷ける。
どれもこれもものすごくおいしそうだが、どうやって頂けばいいのか勝手が分からずにうろうろしていると、
「なにかお取りしましょうか?」
背後から声を掛けられ振りむくと、少し小太りの青年がにこやかに話しかけてきた。
「先程からずっと料理の周りをまわっておいででしたから」
青年の言葉にエミリアの頬に朱が差す。
まさかそんなところを見られていたとは。
「おや、貴婦人に失礼なことを。わたし、アイル=ノーザックと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「は、はい」
エミリアはつっかえながら名乗り、アイルという青年に料理をとってもらい、しばらく談笑する。料理はとてもおいしかったが、初対面の男性と向かい合っていたのであまり喉を通らなかった。会話も途切れ途切れで特に盛り上がりもなくそのうちにアイルはどこかへ去って行った。
本当はもっと積極的に交流を持ったほうがいいのだろうということは分かるが、初対面の男の人と何をしゃべったらいいのかさっぱり分からない。 一息ついて周囲を見渡すと中央でダンスを踊る人たちの姿も見える。
エミリアも一応作法として簡単なステップは踏めるが、本当に基礎の基礎といったものでしかない。
踊っている中でひときわ目を引くのが、やはり先程の商人だった。すらりとした長身で整った顔立ち。踊りもうまく、相手の女性を巧みにリードしている。
「相変わらず目立つなあ、あの人」
いつの間にやら隣にヴォイドが立っていて、並んで商人に目を向けている。
「ヴォイド、あの方ご存じなんですか?」
「ご存知も何も、知らない人はいないんじゃないかなあ。ウリウス=ヴィングラー、いい意味でも悪い意味でも有名だよ。御覧のとおりなんでも持っている。持ってないのは家柄だけってね」
「そうなんですか。家柄などなくてもこういったところに出入り出来るものなのですね」
「それはまあ、あれだよ。お互い持ちつ持たれつって奴じゃあないのかな。あの取り巻き連中はみなヴィングラー殿のお金に群がっているようなものだしね。どこも今は厳しいから。ヴィングラー家はまあもともとかなり大きな商家ではあったんだけど父親が急死して彼の代になってさらに大きくなったらしいね。あの若さでかなりのやり手らしい」
「随分詳しいんですのね」
「ここにいたらいやでも噂は耳に入ってくるよ。そうそう、重要なことを。まだ結婚してないそうだよ?」
「あのお年で?」
いくつなのかは知らないが成人の15はとうに超えているのは分かる。20代前半くらいだろうか。
「まあ貴族じゃないからね。その辺は僕たちなんかより縛りはないのかもしれないね」
どのみちエミリアには別世界の人だ。ダンスを終え、楽しそうに談笑するウリウス=ヴィングラーを遠巻きに見ていると、視界を見覚えのあるドレスの少女たちが横切る。
「あら、またお会いしましたわね」
そのまま通り過ぎていってほしいという願いはどうやら聞き届けられず、アイーシャとフィオリッツェの二人が笑みを浮かべながら近づいてくる。
「うわ、僕この二人苦手。じゃあ、エミリア、また」
ヴォイドがエミリアにだけ聞こえるように小さく囁きそそくさと去っていく。
「あちらの方、確かダガール家の方ですわよね?」
「え、ええ」
思わず身構えながら無理やりに笑みを作る。
「まあ、ずいぶん仲がよろしいように見えましたけれど?」
「幼馴染なんです」
「幼馴染!素敵じゃない?これにとてもお似合いでしたわよ。ねえ、フィオリッツェ」
「本当に。二人並んでいると、そこだけ世界が違って見えましてよ?」
くすくすと楽しそうに笑う二人。
「でもそんなにいいお相手がいらっしゃるならわざわざ夜会などに出られなくてもよろしいのでは?」
「ねえ?」
アイーシャはエミリアのドレスを改めて見やり、
「夜会に出席されるなら格式に応じた正装というものがありますし」
「それは……どういった意味でしょうか?」
思わず表情をこわばらせるエミリア。
「あら、わたくしたちは親切心からこうして進言させていただいていますのよ?辺境で催される夜会にならそのお古のドレスでもよろしいでしょうが」
「まあ、ねえ、こういった催しも良し悪しではございません?洗練された上流階級に相応しい方たちだけではなくこの日のために無理をしてお金を捻出してようやくここに来られたような方は身なりから一目瞭然でなんだか滑稽ですわ」
羞恥と怒りが混ざり合い、血が上る。
どうして、こんな風に言われなくちゃいけないのだろう。
貧乏ではあったが、それを恥じたことなどなかった。ましてやこんな風に笑いものにされるなんて。エミリアは産まれて初めて対面した、自分に向けられる悪意に戸惑い、涙が滲みそうになるのを必死でこらえる。
こんな人たちの前で、絶対に涙なんか見せない。
でも。
きっとあと何か一言でも言われたら。
ギュッとドレスをこぶしで握りしめたその時。
「失礼。こんなところで麗しき乙女たちだけで盛り上がっていないで、さみしい独り者のお相手をしてはいただけませんか、お嬢様方」
からかうような、軽い声が、エミリアの頭上から降ってきた。




