身支度と準備
目が覚めたときは目と顔がむくんでいて頭が重くてだるかった。しばらくベッドの中でダラダラしている間にイリヤが朝食を運んできたので頭から布団をかぶる。
夕食が運ばれた記憶がないのでいつの間にか泣きながら眠っていたらしい。夜が明けていたことに今さらながらに気付く。無言のままイリヤが退出した後でベッドから降りて鏡台を覗き込むと髪はくしゃくしゃ、ドレスはよれよれのひどい顔をしたわたしが暗い眼差しで見つめている。思わず笑ってしまいそうになるひどさだ。ため息をつくように小さく笑うとその表情は泣いているように見えた。
まあ、いいか。どうせシオンに見られるわけではないのだから。
テーブルの上に美しく並べられている朝食の前に座る。
まだ温かくやわらかいパンを手にとりかじりつく。
食事をとらずにいても現状が変わるわけではない。それどころか自分を弱らせるだけだと悟ると無理やりにでも何か食べたほうがいいと、一晩泣き明かしたら妙に腹が据わった。いや、感情に蓋をして見ないふりをすることに決めたというか。
じっくり時間を掛けてようやく小さなパン一つを食べ終わるとそれだけで疲れてしまったが、身体がぽかぽか暖かくなってきた。
イリヤがやってきて、少しだけ減っている朝食を無言で下げる。
「今から湯浴みをしていただきます」
「え?」
ここにきてから結局湯浴みは許されていなかったので、わたしは逆に驚いてしまう。
「支度は整っておりますので」
促されて連れ立って部屋を出る。
もしかしたらこれが最後のチャンスなのかもしれない、と前を歩くイリヤの背中を見て思う。数日ぶりに部屋を出ることが出来たが馴染みのない深緑の絨毯の廊下は知らないどこかの様で余所余所しさを感じて落ち着かない。しかし部屋の並びなどは当たり前だが東棟と似ている。
わたしより頭一つは背が高いイリヤだが女の身だしここでわたしが思い切り突き飛ばしてよろけたところを逃げ出してシオンのもとに行くことは可能だろうか。
問題はここからシオンのいる東棟までたどり着けるかどうかということだがどこかでつながってはいるのだから時間はかかっても行けるのではないか。
「先に申しておきますが」
不意にイリヤが口を開く。
「シオン様は昨日から所用で外出されております。エイシャー家で夜会が催されるようで数日はお戻りになられませんので」
「…………何故そんなことを言われるのですか」
「いえ。特に意味はございません」
数日は戻らないということはもうこれで本当にシオンと会うことはないのか。その場で大きな声を上げて崩れ落ちたくなるが、イリヤに対する意地だけでそうすることを堪えた。
湯浴みの手伝いを断って一人で身体を洗い髪の汚れを流す。どうせ部屋に帰ったらまた閉じ込められるだけなのだからとたっぷりと時間を掛けて洗い終えるとイリヤが洗い場の外で新しいドレスを手に待っていた。昨日から着たきりでいたドレスは確かによれよれだったが、イリヤの持っているドレスは新しくあつらえたものなのだろう、妙に手の込んだ高そうなドレスで、何となく妙に思う。
無言のままそれを着させられ部屋に戻ると今度はドレッサーの前に座らされて髪をとかされる。
「自分で出来ます」
「いえ、わたくしが」
イリヤとは必要以上の会話をしたくなかったのでされるがままにされていると手の込んだまとめ髪に結いあげられ豪華な飾りをつけられたうえに化粧までされた。
「あの?」
さすがにこれは一体どういうことだろうか。
「支度が整い次第出立するよう言われておりますので」
「え……、出立は明日だと伺っておりましたが」
「予定が早まったそうです。取りあえずの身の回り品のみお詰めしまして残りはあとでお送りいたします」
わたしの身支度を終えて大きな鞄に手早くわたしの衣服を詰めていくイリヤを人ごとのように眺める。
予定が変わった?本当のところなんて分からないがとにかくわたしとシオンをどうしても会わせたくないということだけは分かった。わざわざシオンを屋敷から出しておいてまで。
あっという間に支度が整ったらしく、イリヤが荷物を持って部屋を出ていく。
取り残されたわたしがぼんやりしているとドアがノックされてウリウスが入ってきた。
「おはよう、体調はどうかね?」
「おはようございます」
一応丁寧に頭を下げる。
「アーナ地方までは半日ほどで着くが体調が良いに越したことはないからね」
「驚きました。出立は明日だと伺っておりましたので」
「ああ、そのことか。わたしのほうで急に予定が入ってね。無理を言ってはやめてもらったのだよ。チルリットを送り出してわたしもすぐに出立せねばならない。準備はいいかな?」
「さあ……?イリヤさんがしてくれましたから」
「ならば行こう。もう馬車もまたしてある」
背中に手を添えられて先を促される。その手を振り払いたくなるのを堪える。部屋を出るときに立ち止まり、振り返る。
この部屋にはたった3日しかいなかったが、調度品にはいろいろ思い入れがある。ベッドではシオンと寝たこともあったし、ソファでは並んで座ったりした。ほんの一年と少しだけ過ごしてきただけだが忘れ難い思い出が詰まっている。
「チルリット?」
ウリウスの声に滲んだ涙をぬぐってわたしは扉を閉めた。




