部屋と鍵
誰かに呼ばれた気がしてゆっくり目をあける。
辺りはまだ薄暗くシオンの寝顔がすぐ視界に飛び込んできて自然に口元が緩む。夜明けまでにはまだ時間がある。もう少し寝ようとシオンの寝息がかかるほどの距離で目を閉じようとしたそのとき。
「チルリットさま」
囁くような声に驚いて顔を動かすと、枕元に人影を確認し息をのむ。
「お静かに。シオン様を起こされないようにお気をつけください」
ルルではない、わたしが初めて見る使用人だ。ルルと同じくらいか少し上くらいの年齢のその人は無表情にこちらを覗き込んでいる。
なんでここにこの時間使用人がいるのだろう?
「御館様がお呼びですのでいらしてください」
「え……」
半分寝ボケた状態だったが、ウリウスの名を聞いて眠気も吹き飛ぶ。
わたしの身体に乗せられていたシオンの腕をそっと退かして音をたてないようにベッドから降りる。めくれた布団をそっとシオンに掛け直す。
使用人はちらりとベッドに視線を走らせ無言でわたしについてくるように合図をする。
「あの、着替えをしたほうが」
シオンの部屋を出てわたしが小声で申し出るが、必要ありませんと突っぱねられてしまい、わたしは寝間着のまま人気のない薄暗い廊下をひたひたと歩く。
まだ夜明け前だというのにもうウリウスは起きているのだろうか。いくらなんでもこの恰好のままウリウスに会うのは失礼ではないだろうか。
つらつらと考えているうちに深緑色の絨毯が敷かれている南棟にたどり着き、ある一室の扉の前で立ち止まり先を促される。
緊張しながらノックをして扉をあけると中には誰もおらず、一瞬訳が分からなくなる。しかもその部屋はそれまで使っていたわたしの自室そっくりそのままだった。
「あの、これは……」
「本日からこちらでお過ごしください。お食事はお持ちしますので必要な時以外は部屋から出られぬようとのことです。後ほど御館様が見えられますので。御用があるときはお呼びください」
それ以上の疑問を口にする暇もなく使用人はお辞儀をすると部屋を出ていく。扉が閉められるとかちりと小さな音がして不思議に思って扉に手を掛けると鍵がかかっていて開かなくなっていた。
鍵がかけられて…閉じ込められた?
部屋を見渡すとどの調度品もわたしがそれまで使っていたもので、クローゼットの中に掛けられた服もすべてわたしのもの。違いと言えば敷き詰められた絨毯の色と窓から見える景色だけ。
はっと気づいて窓に駆け寄り窓を開けると冷たい空気が頬に刺さる。
部屋は最上階にあってとても窓から抜け出すことはできない高さだ。
一体これはどういうことなのか。いつも座っていたソファに身体を投げ出してわたしは途方に暮れた。
夜が明けるまでまんじりともせずにソファでだらだらと過ごし辺りが明るくなってからクロ-ゼットの中からドレスを選び、着替える。ウリウスがいつ来るのかも聞かされていないしきちんと身だしなみを整えておかなくてはとの思いからだが気分は最悪だった。
しばらくして朝食が運ばれてくる。来たのは夜明け前にここに連れてきた使用人だ。
「あの、これは一体どういうことなのでしょうか?」
給仕をしてくれているその使用人に何を聞いてもお答えできませんという返答のみで朝食をテーブルに広げるとルルのように言葉を交わしながら食べ終わるまで給仕をしてくれるわけでもなくさっさと出て行く。
まだ温かくふわふわのパンとカリカリに焼けたベーコンとふわふわのオムレツ、野菜がたっぷり入ったスープはどれもこれも美味しそうだったが、まったく食べる気にはなれない。
食事を前にしてそれをしばらく眺めた後で口も付けずに立ち上がり、ベッドの中にもぐりこむ。自分が置かれた状況が不安でしょうがなかった。
シオンはもう起きているだろうか。朝食の給仕はだれがしているのだろう。シオンの部屋の隣にあるはずのわたしの部屋はどうなっているのだろうか。わたしがここにいることを知っているのだろうか。
考えているとベッドの中にもぐりこんでいることすら不安になりベッドから降りてそっとノブに手を掛けてみるがやはり鍵がかかっている。
サイドテーブルの上に小さなベルが置いてあった。用があればこれで呼べということだろうか。
しばらく部屋の中をうろうろした後で思いきってそのベルを鳴らしてみる。
「お呼びですか」
「あの、シオン様はもう起きられましたか」
「わたくしはシオン様付きではありませんので与かり知らないことです。お食事はお済みでしょうか」
「あ……はい、下げてください」
全く手のつけられていない食事を何も言わずに片付ける使用人の様子を窓辺に座ってぼんやりと眺める。
「御館様はいつこちらに来られるのでしょうか」
「存じません」
取り付くしまもない返答。
こうなったらとりあえずこの部屋から出ることを考えよう。
「湯浴みがしたいのですが」
「それについては御館様のお話があるまでお待ちください」
だからその御館様がいつ来れるかというのを聞きたいのに。霞を掴もうと必死にあがいているような疲労感に襲われる。質問をさせないためにわざとしているのではないかと思うくらいに。
歯がゆいような気持ちを押し殺しわたしは片付けを終えて退出する彼女を無言のままで見送った。




