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入浴

「…………ふ」


 部屋に二人きりになるとシオンはそれまで優しく握っていた手を振りほどき、くすくすと笑いだした。


「話し相手?良き友人?おかしなことを言うなあ」


 独り言にしては大きな声で、口調もヴィングラーがいたときとがらりと変わっている。


「まあとりあえずこれでもうお前は僕のものになったわけだ。勘違いされると困るから言っておくが僕はお前を友人としてここに置いてやるわけじゃない。お前の主人は僕だ。父上でも母上でも他の誰でもない。僕の機嫌を損ねるな」

「主人、とはどういうことですか」


 シオンの変化に戸惑いを隠せず恐る恐る口を開くわたしに馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「どういうことかも何も僕の言うことを忠実に聞けと命令しているんだよ。とりあえずその貧乏くさい服を全部脱いでもらおうか」


 わたしは宿屋の女がそろえてくれた服を着たままだった。あのやさしかった女がそろえてくれた服を貧乏くさいと言われたのは少し悲しかったが、大人しく服を脱ぐ。そのときのわたしにはまだ人前で裸になるということに対する羞恥心がなく、男と女の違いも分かっていなかった。


「なんだ、お前。みっともないくらいにがりがりだな」


 つまらなさそうにわたしの身体を一瞥した後でシオンがテーブルの上にあった鈴を鳴らすと、ほどなくしてトビと同じくらいの年頃の女がやってくる。色白のほっそりとした女は全身黒の清潔そうな服を一分の隙もなく身につけている。


「お呼びでしょうか」

「ルル、とりあえずこいつを綺麗にしてから僕の部屋の隣に部屋を用意して。今日から生活できるように。あとは服を仕立てたいから何人か呼んでくれ。それとそこの服は処分しておいてくれ」


 もしかしたらわたしはまだ臭うのではないかと自分の腕の匂いを嗅いでみるが良く分からない。村にいたときのあの状態を見たら彼はわたしの手にすら触ろうとしなかったに違いない。清潔そうなシオンとルルを見ていると自分が恥ずかしくなってきた。


「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」


 ルルと呼ばれた女は全裸のわたしを見ても眉一つ動かさずにどこからか布を取りだすとわたしの身体を覆い、部屋から連れ出す。また井戸のそばで身体をこすられるのかと思ったが連れて行かれたのはなみなみと湯が張られた大きな大きな桶のようなものがある部屋で、良い香りのする泡で全身をくまなくこすられたあとで水滴をふき取り瓶に入ったぬるりとしたものを身体中に塗られる。

 

「こ、これはなんですか」

 

 せっかく綺麗に洗いあげたのになぜこんなものを塗られるのか意味が分からなくなり無表情に淡々と仕事をこなすルルに恐る恐る尋ねると、意外なほど柔らかい口調で答えが返ってくる。


「これはオイルです。植物から抽出したもので香りづけに使うのと、お肌にもとてもよいものですよ。髪がだいぶ痛んでおられるのでお切りしてよろしいでしょうか」


 髪にも丁寧にそのオイルを塗り込んでいたルルが聞いてきた。

 放置されたままだったわたしの髪は今では太股位までの長さがあるが、均一ではなく部分部分で短い。というのも村で子供たちに面白半分に切られたことがあったからだ。笑いながらハサミを振り回し追いかけまわされた。彼らにすればいつもの憂さ晴らしの延長のようなものだったのだろうが。

 ルルの黒い髪は綺麗に肩のあたりでそろえられている。先ほど見たエミリアの髪も美しく結いあげられていた。勿論シオンの髪も金茶色の髪も丁寧に手入れされていた。急に恥ずかしさを覚えて髪を整えてもらえるようお願いする。

 女は鮮やかな手さばきでザクザクとわたしの髪にハサミを入れる。宿屋の女も一応はわたしの髪を整えてくれてはいたが、それとは段違いの手際だ。瞬く間に太ももまであった髪は背中の半ばまでの長さに整えられ、丁寧にくしけずられるとくすんでいた髪がつややかに輝きだし動くたびに肌の上をさらさらと流れてなんだか嬉しくなる。




 身体を洗い終えるといつの間に用意したのかわたしの身の丈にあった薄い布で出来た服を着せられ別の部屋に連れて行かれる。先程とは違ってそこにはベッドも本棚もなく、ソファとテーブルだけが置かれた部屋。中には数人の男たちとソファに腰かけたシオンがいた。

わたしが部屋に入るなりシオンは眉をひそめる。


「髪をどうした」


あまりに不機嫌なその声に訳が分からずわたしは言葉をつまらせる。


「あ、の、きれいに揃えてもらいました」


 小さく囁くように答えると大きなため息をひとつつき。


「まだ分かっていないようだからもう一度言うがお前は僕の所有物だ。髪や爪を切るときは僕の許可をもらえ」


 黙ったまま立ち尽くしているわたしの代わりに男たちにお茶の用意をし終えたルルがいつの間にかわたしの横に立ちシオンに向って頭を下げた。


「申し訳ございません。わたくしが差し出がましい真似をいたしました」

「ルル、ここはもういい」

「分かりました。御用があればお呼びください」


 ルルは静かに一礼して部屋を辞する。


「早速ですが彼女の身の回りの品を一式そろえてもらいたい。とりあえず10着ほど、明日の朝までに」


 気まずそうに無言のまま成り行きを見守っていた男たちにシオンが声をかけるとどことなくほっとしたように男たちが動き出す。


「では失礼して寸法を測らせていただきます」


 恭しくわたしの手を取り頭のてっぺんから足の大きさまで体中の寸法を測り書きつけながら、好みの色や形を聞いてくるがわたしが曖昧に首をかしげているとシオンが代わりに答える。身体の寸法を測り終えるとわたしにはやることがなくなった。男たちはシオンと何やら話をしていて、その様子をぼんやりと眺める。わたしとそう年が変わらないのに自分よりはるかに年上の男たちと対等に話をしているその様はとても11歳の子供には見えない。先程ヴィングラーと話をしている時もわたしにはその内容がよく理解できなかった。


 いつの間に話がまとまったのか、気がつくと男たちが慌ただしく部屋を後にしていく。シオンが男たちを見送った後テーブルの上に置かれたお茶を口にしているのを見て自分がひどく喉が渇いているのを自覚し、さらに空腹なのも思い出す。


 ごくりと喉を鳴らしたその音を聞きつけシオンがじろりとわたしを見ると立ち上がり部屋を出ていく。一人部屋に取り残され戸惑っているとすぐに扉が開いて、


「何をしている。さっさと来い」


 苛々としたもの言いに慌ててシオンの後を追う。先程も思ったがシオンは足が速い。というより気遣いなく我が道を行っているという言い方が正しいのか。こちらを振り向きもしないで進むその背中に付いて行くだけで必死になる。一つの扉の前で立ちどまりノックをせずに扉を開ける。


「ルル、用意はできたのか」

「はい」


 部屋の中にいたルルが淡々と答える。


「今日からここがお前の部屋だ。分からないことはルルに聞け。それと僕が呼んだらすぐに来い。いつでもだ。ルル、食事の用意を頼む。そんながりがりの身体で何も食べさせてないと思われては困る。人前で物を食べても恥ずかしくないくらいのマナーも教えておいてくれ」

「かしこまりました」


 それだけ言って立ち去ろうとするシオンがふと足を止める。


「お前、名前はなんといった?」

「あの、チルリット、です」


 わたしの返答にシオンは頷きもせずに立ち去った。


 

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