ただいま
二日後、昼過ぎに迎えに来たルルとともにわたしはルークスとアリアに頭を下げる。
「元気でね」
目を赤くしたアリアに抱擁され、こちらも鼻をすすりながらルークスもわたしの頭をなでる。
「本当にお世話になりました」
「シオン君に嫌気がさしたらすぐ帰ってくるんだよ」
「はい」
わたしも鼻をすすりながら最後にもう一度深々と頭を下げて店を出る。
「大丈夫ですか?」
「はい」
鼻をすすっているわたしに隣を歩くルルが声を掛けてくる。
そういえば屋敷から出された一年前も同じようにルルが隣を歩き同じように声を掛けられたことを思い出す。
あの時と今とは全然違うけれど。
屋敷までの道のりは思っていたよりも近くて驚いた。この一年近付きもしなかったので分からなかったが。
門をくぐる。一年ぶりだけれども全然変わっていない。庭園は作り物のように整えられていて、相変わらず人気のない屋敷の中をルルの後ろを歩いて行く。中庭で使用人を連れたエミリアとばったり会った。
いつもながらに美しい彼女はわたしに目を止めると立ち止まる。
「あら。今日だったのね、戻ってくるの」
ルルが一歩下がって低頭する。
わたしはかなり緊張しながら頭を下げた。
「今日からまたよろしくお願いします」
前回のこともあるので何か言われると思っていたが、エミリアは小さく頷くと何も言わずに去っていく。逆にそれに驚いてエミリアの後ろ姿を見送っているとルルに先を促される。
「あ、あの、エミリア様どうなさったのですか」
「どう、とは?」
「前はもっとわたしのことを嫌っていたようなのですけど」
「……今回チルリットさまが屋敷に戻られることに御館様が反対されました」
「え」
ヴィングラーが?どうしてだろう。
「それでシオン様はエミリア様にお願いしたのです。御館様に今回のことを取りなしていただくように」
「そうだったんですか」
またもやシオンにわたしのことで頭を下げさせていたのかと思うと胸が締め付けられた。シオンに礼を言わなければ。
「チルリットさま」
東棟につき深紅の絨毯を踏みしめて何となく感慨に浸っているとルルが足を止めた。
「はい?」
「シオン様は来年成人され、今以上の重責を負うことになります。世間体や身分に縛られ今まで通りいかないこともあると思いますが、支えてあげてください」
「え、わ、わたしが?」
こんなわたしにシオンを支えるなんてことが出来るのだろうか。焦るわたしに、ルルは表情を柔らかくする。
「チルリットさまは変わらず、シオン様のことを信じていてあげてくだされば良いのです」
「あ、はい」
何だ、そんなことでいいならできそうだ。ほっとした。
「チルリットさまの部屋は前と変わらないままにしてあります。少し休まれますか?」
「あ、いえ、あの、シオン様は?」
「おられますよ。会われる前に入浴されますか?一応着替えも用意してありますので。サイズはわたくしが適当に検討をつけましたが明日また仕立て人をお呼びします」
「じゃあ先に入浴を済ませてしまいます」
街で暮らして入浴するということがいかに贅沢なことだかを思い知らされた。街の中に公衆入浴場らしいものがあるとは聞いていたが、勿論そんなところへは行かなかったし、せいぜい盥にお湯をためてそこに入るくらいのことしかできなかったのだ。
シオンには早く会いたかったが入浴してきれいな状態で会いたい。
久しぶりの再会は鼻水と涙でどろどろだったし。
お風呂はとても気持ちが良かった。心行くまで体を洗い、良い香りのオイルを塗る。うっかり長風呂をしてしまい、慌てて用意されえていた肌触りのよい淡い橙色のドレスに着替える。久しぶりの絹の感覚が肌に心地よい。
髪を乾かすのをルルに手伝ってもらい、身なりを整える。何度も鏡を見てどこもおかしくないか確かめる。ここを出るときに切った髪は肩の下まで伸びていた。シオンは長い髪のほうが好きなのだろうか、会ったら聞いてみよう。
胸の高鳴りを押さえて、
「シオン様にお会いしてよろしいですか?」
「はい。先程から苛々してお待ちだと思います」
ルルの言葉に慌ててシオンの部屋に行き、扉をノックする。
と、何やらむにゃむにゃ聞こえたかと思うと盛大に咳込む音がした。
「シオン様?大丈夫ですか?」
恐る恐る扉をあける。
書斎机の前に座りいまだに咳きこみながら顔を赤くしているシオン。
「お」
「?」
「遅い」
「すみません、身支度に時間がー…」
喋っている途中でシオンが手招きをしたので傍まで歩み寄る。
「とりあえず座れ」
「あのう、何処に?」
尋ねるわたしの手を引っ張ってシオンは自分の膝の上にわたしを座らせる。
えーと。
「なんか変じゃないですか?」
「変じゃない。大体遅い、遅すぎるぞ」
「すみませんお待たせして。あの、ただいま戻りました」
何となく膝の上に座って言うことではないとは思ったが、シオンがわたしの腰に手を回しているのでそのままの体勢で。ちなみにかなりの至近距離だ。
「...おかえり」
囁きながらシオンはわたしの身体を強く抱きしめ頬に、瞼に、首筋に、おでこに、耳朶に次々と口づけを降らせる。
くすぐったさに身をよじりながらも少し低い位置にあるシオンの髪に顔をうずめ胸一杯にその香りを吸い込む。あまりに幸福すぎて眩暈がした。
「シオン様」
唇を求めてきたシオンの頬を両手で挟んで抑える。
「なんだ」
目的を邪魔されて眉をひそめる様がむずかる幼子のように愛おしい。
「またわたしを所有してくださいますか?」
金茶色の瞳が優しい光を帯びる。
「一生所有し続けてやる」
そう言ってシオンは噛みつくようにキスをした。




