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ヴィングラー家

 村を出てからどれくらいたったのだろうか。長く旅をしていたような気がするが振りかえるとあっという間でもあった。わたしは道中で様々な知識を身に付けた。目にするものがすべて興味深く楽しかった。疑問があれば男たちの誰かが分かりやすく丁寧に教えてくれた。


 旅が楽しく居心地の良い物であればある程、わたしの心に影がさす。

 旅に終わりが近づいているのは肌で感じていた。一行の最終目的地はソーフヒートだという。そしてわたしは途中でどこかの孤児院に入ることになるのだ。村で長にそう言っていた。


「ソーフヒートってどういうところですか」


 相変わらずわたしはトビに抱えられて馬に乗っていた。トビと接する時間が一番長く年も一番近いせいかトビとはかなり打ち解けた間柄になった。ヴィングラーを始め他の二人ルータスとロックはそろって寡黙な人物だったせいもある。


「いいところだよ。首都だし、大きくて何でもあるよ」


 少し誇らしそうにトビが言う。


「首都?って何ですか」

「王様がいるところだよ。国で一番大きい街だ」

「王様というのはヴィングラーさんのことですか」


 わたしの言葉にトビは噴き出す。


「いや、違うよ。王様は国で一番偉い人さ。ヴィングラーさんももちろん偉いけれど商人だからね。王様とか貴族さまとかとはやっぱりちがうよ」


 不思議そうにトビを見上げるわたしを見て慌てたように続ける。


「もちろんヴィングラーさんは一介の商人でありながらそこらの貴族なんかよりも力もあるし人望も厚い。だからこうして周りに人が集まってくるのさ」


 トビが少しだけ困ったような笑みを浮かべる理由が分からない。ヴイングラーは有名人らしくどの街へ行っても皆から歓迎されているように見え、王様や貴族というものを見たことも聞いたこともないわたしにしてみればヴィングラーこそが一番偉いように思える。


「さあ、今日はここで野営だ」


 街から街への道のりは遠く、宿に泊まることは少ない。夜明けとともに出発しても日が暮れても道半ばということも多く、先頭を行くトビは適当な場所を見つけ野営の準備を始める。火をおこし携帯食を食べて寝るだけのことだったがわたしも火にくべる枝を探したり小川に水を汲みに行ったりとやることが結構ある。

 村では単なるいらないものであったわたしだけれど、ここではつまらないことでも何かをすると誰かが必ず褒めてくれる。


「とうとう明日ソーフヒートに戻れますね。なんだかんだで長かったな」


 食事を終えて皆で火を取り囲んでいるときにいつものようにトビが口火を切る。


「もう一月以上も帰っていないからな」

「奥さん寂しがってますよ」

「お前もいつまでも親の脛をかじってないで家庭を持て」


 ルータスはトビの軽口を笑って受け流し、


「ロックの子供も首が据わっているころじゃないか」

「そうですね、出立するときはまだわたしのことを認識しているかどうかもあやしかったんですけど」

「皆、ご苦労だったな。今回の旅はなかなか有意義なものになった。明日の夕暮れ前には街に戻れるだろうがゆっくり休んでくれ」

「……結局連れてきちゃいましたね」


 トビがわたしの頭に手を置きながら言った。

 表情を硬くしたわたしにヴィングラーは小さく笑みを浮かべる。


「心配するな。首都のほうが立派な施設もあるし、わたしの目も届く。連れ出したからには適当な場所で放り出すことはしない。手続きの関係からしばらく家で面倒を見ることにするよ」

「おお、そりゃあ凄いですね。ヴィングラーさんの家に滞在できるなんてこれからどこ行っても自慢できるぞ」


 よかったなー、とわたしの頭をなでるトビ。少しだけ安堵したが、やはり旅が終わることのほうが辛かった。皆家族があり、帰る家があるのに、わたしにはない。だからと言ってもといた村がわたしの帰る場所だとは思えないのだがとても中途半端な気持ちだ。どこかの施設に入れたとしたらそこがわたしの帰る家になるのだろうか。


 その後いつものように仕事の話を始めた皆の声を子守歌代わりにわたしはいつの間にか眠りについた。



 高い塀にぐるりと囲まれた広大な敷地の中は美しく整えられた庭が続き、奥に見える大きな屋敷まで続く人の数にわたしは息をのむ。

 街へ入ってからわたしは一言も口がきけないままここまで来てしまった。

 ただひとつ拠り所があるとすればいまだにわたしはトビに抱えられて馬に乗ったままだというところだけだ。一行は街に入ったからと言って解散せずにヴィングラーの館に来たのだが、館の巨大な門をくぐると同時に待ち構えていたかのように整列していた人たちが「お帰りなさいませ」と頭を下げるのを見て驚いてしまう。


「驚いたか、この並んでいる人たちはヴィングラー家の使用人たちだ。長旅の帰還には屋敷の者総出で出迎えてくれるんだ。チルリットの世話もこの人たちがしてくれるさ。で、奥にいるのがヴィングラーさんのご家族だ。嫌われるより好かれたほうがいいからな。せいぜい愛想よくしておけ。さ、降りるぞ」


 トビが小さくわたしの耳もとで囁くが愛想良くするということの意味が分からないわたしはトビに抱きあげられ馬から降りるとどうしていいのか分からなくなる。まだ少し距離があるが、今居る場所から見えるのはふわりとした服を身にまとった痩せた女とわたしと似たような年ごろの男の子供が一人だけだ。これほどの大きな屋敷に住んでいるのがこの二人だけなのだろうか。

 使用人たちが馬につながれた荷を下ろしたりねぎらいの言葉を掛けてにこやかなのに比べて女と子供は微動だにせずに無表情のまま立っている。


「皆、ご苦労だったな。簡単な食事の用意をさせてある。家族も呼びに行かせているから寛いで行ってくれ」

「ありがとうございます」


 いつの間にか馬がどこかに連れていかれ、大量にあった荷物も手際よく使用人たちに片付けられていく中、ヴィングラーは女と子供に近付き、言葉を交わしながら抱擁しあっている。


「皆さま、道中お疲れ様でした。簡単な宴の席を用意してありますのでごゆっくりお寛ぎください」


 痩せた女は口元に張り付けたような笑みを浮かべ、一行を見渡し、わたしに視線を止めおや、という顔をする。

 そんな妻の視線に気付いたのかヴィングラーがわたしを呼ぶ。


「旅の途中で出会ったのだが、孤児でね。しばらく家で面倒を見てしかるべき場所に移そうと思うんだ。名はチルリットと言う。この子の部屋を用意してくれ。チルリット、我が妻のエミリアと十一になる息子のシオンだ」


 いまだに布をかぶったままのわたしを見てトビが慌ててそれを取り去る。

 エミリアが小さく息をのむ気配が伝わってきた。


「なんですの、その子供。見たこともない髪と目の色ですわ。面倒をみるというのはまさかここでじゃないですわよね?」


 エミリアの瞳に浮かぶ嫌悪の色にわたしは挨拶を忘れて固まった。


「まさかここで、だ」


 穏やかなヴィングラーの言葉にエミリアは張り付けていた笑みを消して能面のような表情になる。


「そんな得体のしれない子供を屋敷に招き入れわたくしに面倒を見ろと?」

「わたしが決めたんだ」


 穏やかに返すヴィングラー。使用人たちもトビたちもこの会話はもちろん聞こえているのに素知らぬふりをしている。


「あなたが?そうですか。それは結構ですがいつもいらっしゃらないあなたがどうお世話をされるというのですか」

「それはそうだが実際に世話をするのは使用人たちだ。どういう問題が?」


 さらに言葉を発しようとしたエミリアをさえぎったのは隣に立つシオンだった。わたしはそこではじめてシオンの顔を見た。母親に似て整った顔立ちは村の子供たちとは違い日に焼けてはおらず、表情がないせいか母親同様に冷たい印象を受ける。


「父上。道中お疲れ様でした。ところで僕にお土産はあるのですか?」

「何だシオン。珍しいことを言うのだな。あいにく玩具の類はないが……」


 困ったように髭をなでるヴィングラーにシオンは唇をゆがめる。


「玩具など要りません。僕はもう十一ですよ」

「そうか、そうだな。もう十一だ」


 目を細めて改めてシオンを見るヴィングラー。


「では僕は土産にこれをもらいうけることにします。父上、珍しいものをありがとうございます」


 シオンは素早くわたしに歩み寄り腕を取ると返事も待たずにそのまま屋敷の中に引っ張っていく。


「シオン!」


 背後から聞こえる悲鳴のようなエミリアの言葉を無視して屋敷の中を進んでいくシオン。足が速すぎて腕を掴まれたままのわたしは訳も分からずに小走りに付いていく形になる。

 屋敷の中は想像通りに広く、似たような扉がいくつも並んでいる。いくつもの階段を上ったり下りたりしながら目が回りそうになった頃、目的の部屋に付いたのかようやく立ち止まったかと思うと乱暴な動作で扉を開けると中に押しやられる。


 部屋はシオンの自室なのだろうか。ベッドから机まで生活するのに困らない家具一式そろっておりそれでも息苦しさを感じさせない余裕のある広さで壁一面に立派な書棚が作りつけられ大小様々な本で埋め尽くされてそれに圧倒される。村人たちで読書という習慣をもつものがいなかったので、わたしはこの本というものの存在をここまでの道中で知った。


 そう言えば村でも大人たちから受ける折檻とは別に子供からも様々な意地悪を受けたことを思い出す。たまにもらえる残飯に砂を入れられたり体中をつねられたりそれはもう多岐にわたっていて、わたしにとって子供というのは遊び仲間などではなく身を守らなければいけない敵だった。


 思い出し身構えたわたしに対してシオンは全く頓着せずに部屋の扉を閉めると掴んでいた手を離し、自らの手に付いた汚れを払うかのような仕草をした。大きくため息をついたあとで部屋に置かれているソファに乱暴に身体を預けて所在なくたたずむわたしに冷めた目を向ける。

 無言のまま無遠慮に頭のてっぺんからつま先まで観察されるのはかなり居心地が悪く、不安な気持ちで視線を彷徨わせた。





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