オイル
鎖骨の下に付けられたあざは一日二日とたつにつれどんどんと薄くなっていく。朝目を覚ますたびに鏡の前に立ちあざを確かめそれつけられた経緯を脳裏に浮かべシオンのことを想う。
「もう消えちゃう」
5日目の今日は近付いてよほど注意して覗きこまないと分からないほどになった。小さくため息をつき服を元通りに着て立ち上がる。
朝食を終えてからわたしは入浴するために着替えを持って部屋を出る。いつもルルに手伝ってもらって入浴していたのだが、あざを見られるのが恥ずかしかったのでこれからは一人で入れますので、と手伝いを断った。
まあ恥ずかしいも何もルルにはベッドの上で馬乗りになられている現場を目撃されているのだけれど。
「チルリットさま」
廊下でルルに呼びとめられる。
「新しいオイルが入ってきたのですがお選びになりますか」
見ると小脇に抱えたかごの中にいくつもの小瓶が入っている。
「いっぱいありますね。これは全部香りが違うのですか?」
「はい。今までチルリットさまがお使いになられていたのはこちらですが、こちらの二本が新しいものです。蓋を取って香りを嗅がれてみてはいかがですか?」
瓶の栓を取って鼻を近づけてみると、花の香りのする者と果物の香りのするものがあってどちらもとてもいい香りのもので特にわたしは花の香りのするのに心ひかれた。
「これ……すごくいい香りですね」
「ええ、こちら使われますか」
「……やっぱりシオン様に聞いてみてからにします。こっちの瓶はなんですか?」
「これはシオン様が使われているものですよ。ずっと同じものなのでまとめて購入しているんです」
「そうなんですか」
では、とルルが去っていくのをしばらく見送った後慌てて追いかける。
「ルルさん、あの、出来たらシオン様の使われているオイルいただけないでしょうか。……駄目ですか?」
ルルは笑みを浮かべて一つの瓶を無言で差し出してくれる。
「ありがとうございます」
わたしは急いで部屋にその瓶を置いてから改めて浴室に向った。
シオンが留守にしてから毎日入浴する気もあまり起きなかったがとにかく一日が長く感じられるので義務として入っているようなものだったが、やはり身体を洗うとすっきりして気持ちがいい。
入浴を終えて暖炉の前で髪を乾かしながら先程もらったオイルの蓋を開けてみる。
あれ?
確かにシオンの香りではあるが、何となく違うように感じられる。
少し、いやかなりがっかりして蓋を元通りに閉める。
「ああ、それは」
お昼すぎに部屋にやってきたルルに瓶を返すついでに聞いてみる。
「同じオイルを塗ってもその人によって発せられる匂いが違うんです。体温や体臭の違いによって香りも変わってくるのですよ」
「そうなんですか」
わたしにルルは良い香りのする香茶を入れてくれる。
「たまには一緒にお茶でもしましょうか。わたくしもシオン様付きの使用人ですのでシオン様がおられないと結構暇なのです。厨房からお菓子ももらってきました」
「ありがとうございます」
ソファに向い合って出来たての焼き菓子を二人でほおばる。さすがにこれはシオンがいたら出来ないことだ。
「シオン様がいつ帰ってこられるか連絡はありましたか」
短くて一週間ならもうすぐだし長くて一月だというのならまだまだになる。
「まだ連絡はありませんから御帰還されるのはもう少し先になられるのではないですか」
「そうですか」
あからさまにがっかりした声が出てしまって慌てて取り繕おうとすると今度はお菓子のかすが気管に入ってむせた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。すみません」
「…………」
「…………」
「お寂しいですか?」
聞かれたことに焦りついつい早口になる。
「いえ、別に寂しいか寂しくないかと言ったらどうでしょう。役に立っていないのにこうやってのうのうと暮らさせてもらっているのが少し罪悪感があるというか」
「役に立っていないなんて。チルリットさまが来られてからシオン様は随分変わられましたよ。生き生きされているというか」
イキイキ?なんだかシオンには似合わない言葉だ。イライラの間違いでは?
「ルルさんはいつからここにいるのですか?」
「わたくしはシオン様が5歳のころからここに仕えております」
「その頃はエミリア様とシオン様は一緒に暮らされていたのですか」
「いいえ。エミリア様はお身体が弱く産後の肥立ちが悪かったようで産まれてからのお世話は全部乳母がされていたそうです。わたしが来たときからシオン様は今と同じように使用人に囲まれてお暮らしでした。多分……そうならざるを得なかったのでしょうけれどそのころからとても大人びておられました。だからわたくしにはチルリットさまが来られてからのシオン様の変化をとてもうれしく思っております。これからもシオン様のことよろしくお願いします」
ルルが頭を下げてきたのでわたしは慌てる。ルルにそんなことをされるほどわたしは自分が役に立っているとはどうしても思えない。
「いえ、あの、こちらこそ。いろいろご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」
居住まいを正し、ルルに頭を下げた。
「チルリットさまは欲しいものとかやりたいこととかございませんか?街へ行きたいとかは無理ですが、シオン様が留守をされているとつまらないでしょう」
ルルに聞かれてしばらく考える。欲しいものは欲しがる前に与えてもらっている。街へ行きたいとは思わない。ふと、街へ行ったあの日のことを思い出す。
「あ、あの、そう言えばシオン様に許可をいただこうと思って忘れていたのですが、お庭に出てもよろしいのでしょうか」
「庭……ですか?この季節だと寒くはありませんか」
「わたしは日光には弱いけれど寒さには結構強いんです。何しろ元いた村では真冬でもほとんど外のようなところで暮らしていましたから。やっぱりシオン様に許可を頂かないと駄目でしょうか」
「構わないと思いますよ。一応出られるときにわたくしに声をかけてくだされば」
「わかりました」
明日早速出てみよう。
やることができうと少しだけ気持ちが明るくなった。




