046 一つの問題
ヴォルノを出て半日程歩いたところに、グランル国の首都、グランルはあった。
その裏路地にある店で食事を終えた私達は、近くにあった喫茶店に入って、お茶も兼ねて今後の話し合いを行うことにした。
本当は先程の店で話し合いをすることにしていたのだが、私達より前にいた客がやけにこちらに注目していたので出来なかった。
何より、小さな店だったので店主の目も行き届いており、仮に客がいなくても話し合いは出来そうになかった。
フェアストの時のように、客が多い店だと面倒な客に絡まれるかもしれないと思って目立たない場所にある店を選んだことが仇となってしまった。
まぁでも、料理自体は美味しかった。
ルーヌイという料理だが、日本にあったラーメンのような食べ物で、フォークとスプーンで食べなければならなかったこと以外に不満は無い。
リートにせがまれて一番辛いルーヌイを食わされたが、味自体は少しピリッと辛味が効いていて美味しかった。
近くにあった喫茶店に入った私達は、適当に飲み物を頼み、隅の方にある席に座って話し合いを開始した。
「それで、ひとまず直近の目標としては……イブルー港を目指すんだっけ?」
「あぁ。そうなのじゃが……一つ問題があるのじゃ」
私の言葉に、リートはそう言いつつ、道具袋から地図を取り出した。
それに、フレアが「問題?」と聞き返す。
彼女の言葉にリートは頷き、テーブルの上に地図を広げた。
身を乗り出して見てみると、彼女は王都グランル……今私達がいる町を指さし、南の方向になぞる様に動かした。
「妾達は、今から南に向かい、イブルー港を目指す。それは良いな?」
「うん……」
「じゃが、ここから真っ直ぐ南下して行くと、ちょうど良く寄れる町が無くってのぉ。大きく遠回りをすれば無くは無いが、あまり時間を浪費しとうない」
「遠回りせずに南下していくと、次の町まで大体どれくらい掛かるんだ?」
「……今までの移動速度から考えると、大体二日くらいかのぉ」
リートがそう言った時、ウェイトレスらしき女性が、注文した飲み物を持って来てくれる。
今回は三人揃って、一番安いローランという飲み物を頼んだ。
見た目は真っ青な色をした飲み物だったが、飲んでみるとオレンジジュースのような、甘さの中に苦みのある味がした。
ローランで少し口の中を潤した後、リートは口を開く。
「この町でスタルト車を頼むという手も無くは無いが、誰かさんのせいで今後出費が増えることを考えると、出来れば節約できるところはしたいのじゃよ」
「……サラッと毒を吐くな、お前」
リートの言葉に、フレアは苦笑を浮かべながらそう言った。
それに、リートは「事実であろう?」と言いながらローランを口に含む。
うっわ、空気がギスギスしてきた……。
私は逃げるようにローランを飲みつつ、視線を逸らす。
すると、フレアは大きく溜息をつき、頬杖をついた。
「ってか、問題ってそれだけなわけ?」
「……それだけ?」
フレアの質問に対し、リートはそう聞き返しながら眉を潜めた。
それに、フレアは犬歯を見せてニシッと笑い、「簡単な話じゃねぇか」と言う。
「二日ってことは、一泊さえどうにかすれば良いんだろ?」
「それは、まぁ……」
「だったら、森ん中で野宿すりゃあ良いじゃねぇか」
サラッと言い放つフレアに、私は「野宿?」と聞き返した。
野宿って……アレでしょ? 外で焚火とかやって、魔物が来ないように見張りつつ休むアレ。
まぁ、確かにそれしか方法は無さそうだが……。
「……ノジュクとは何じゃ?」
すると、リートがそんな風に聞いて来た。
視線を向けてみると、彼女はキョトンとした表情で、私とフレアを交互に見つめていた。
それに、フレアはしばし目を丸くしていた後で、「あっ」と声を上げた。
「もしかしてお前、野宿を知らねぇのか?」
「あまり聞かない言葉じゃのぅ」
リートの言葉に、フレアは「マジか」と驚いた声を上げた。
いや、私も驚いた。まさか、野宿を知らないとは……。
「野宿っつーのは、まぁ……外で寝たりすること、だ」
「まぁ、森の中とかの、外で一晩寝ることになる……って感じかな」
上手く説明できない様子のフレアに、私はそう補足した。
すると、リートは「ほう」と感心した様子の声を上げた。
「つまり、キャンプのようなものかっ!?」
「……まぁ、そういうこと、かな……?」
自信満々と言った様子で言うリートに、私はそう答えた。
まぁ、間違ってはいないと思う。
微妙に違う気もするけど……まぁ、外で寝泊りするものと言う点では、似たようなものか。
フレアもそう考えたのか、「まぁ、そうだな」と呟いた。
すると、リートの目がさらに好奇心でキラキラと輝いた。
「それは面白そうじゃなっ! ノジュクしよう!」
「……ガキか」
ワクワクという擬音が似合いそうな様子で言うリートに、フレアが呆れた様子で呟いた。
リートの思考の読めなさは相変わらずだけど、なんていうか、もう慣れてきた。
人の慣れと言うものは、本当に恐ろしいものだと思う。
しかし、リートが野宿に賛成派だったことが、私としては一番の驚きだった。
リートって体力無いし、ワガママだから、こういう外で寝たりとかは嫌いそうだと思ったのに。
だから、野宿するくらいならスタルト車を使う方を選ぶのではないかと思っていた。
口調も独特だし、例えばどこかのお姫様でした~とか言われても驚かな──。
『元々外食する方でも無かったし、家も貧乏じゃったからな』
脳裏に過るリートの言葉に、私はハッとした。
あぁ、すっかり忘れていた。そういえば、前にそんな話を聞いたことがあったな。
しかし、この世界の貧乏とは、どれくらいの基準なのだろう?
日本での一般的なレベルでの生活を貧乏と呼ぶかもしれないし、それこそその日の生活すらままならない程の極貧生活のことを言うのかもしれない。
後者だった場合なら、仮に野宿をしても文句は言わないかもしれないが……。
「では、今日の内に出来るだけ歩いて、夜は森の中でノジュクじゃな!」
しかし、キラキラした目で言うリートを前にすると、何だかもう何もかもがどうでもよく感じた。
ローランを飲みつつふと横を見ると、フレアがギョッとしたような表情でリートを見ていた。
「……フレア?」
「リートって、いつもはこんな感じなのか……?」
「は?」
ヒソヒソと小声で聞いて来るフレアに、私はつい、そう聞き返した。
すると、リートは空になったコップをテーブルに置き「少しトイレに行って来る」と言って席を立った。
それに、フレアは彼女の後ろ姿を見送ってから私に視線を戻し、続けた。
「ガキっぽい、っつーか……なんか最初に会った時と印象が違い過ぎて……」
「……リートについては、考えるだけ無駄だよ」
そう呟きつつ、私は空になったコップをテーブルに置く。
私はもう仕方が無い物だと思って諦めているが、確かに初めてあのギャップを見た人には、少し驚きが大きいだろう。
リートの座っていた席を見つめながら、私は続けた。
「彼女は無茶苦茶だよ。自己中で、ワガママで、自分勝手で……初対面の人に、奴隷になれとか言うし……でも、自分のことしか考えていないのかと思うと、そうでもなかったりして……ホント、思考が読めないっていうかさ」
そう言いながら、私は自嘲する。
ホント、リートのことは訳が分からない。
性格に一貫性が無い、と言えば聞こえは良いのだろうか。
自分勝手で横暴な癖に、突然甘えてきたり。
奴隷だからと滅茶苦茶な命令をしてきたかと思えば、たまに私のことを心配してきたり。
子供っぽいと言うのか、何と言うか……。
「でも……それが嫌じゃないと思い始めている時点で、私も無茶苦茶なんだろうなぁ、とか……思ったり……」
独り言のように呟きながら、私は溜息をついた。
我ながら、何を言っているんだか。
そんな私を見て、フレアはしばらく呆けていたが、やがて「ししっ」と白い歯を見せて笑った。
「でもよ、リートのこと話してる時のお前……良い顔してるぜ?」
「……えっ?」
「楽しそうって言うか……なんだかんだ言いつつ、本当は楽しんでるんじゃねぇの?」
「それは……ッ」
それは無い、と否定しようとして、言葉に詰まる。
彼女の言う通り、本心で嫌がっていないのは事実だ。
けど、楽しんでいるのかと言われると、よく分からない。
……奴隷という立場を楽しんでいるって、かなりのマゾでは無いか……?
「まっ、良いんじゃねーの?」
私の中に湧いた疑念に答えるように、フレアは言った。
それに顔を上げると、彼女は笑いながら私の頭に手を伸ばし、わしゃっと撫でた。
「俺、リートの話をしてるお前の顔、結構好きだぜ?」
「……へっ?」
「っつーか、リートといる時のお前、かな。お前がアイツのことをどう思ってんのかは知んねぇけど、少なくとも嫌いでは無いんだろ?」
言いながら私の頭をワシャワシャと撫で、彼女はニカッと笑う。
それに、私は「そうなのかな……?」と小さく呟く。
というか、フレアの手、結構大きいな。
頼もしいというか、安心するというか……。
そんな風に考えていた時、横から伸びてきた手がフレアの腕を掴んだ。
「妾が席を外している間に何をしておる……?」
ドスの効いた声で、リートは言う。
それに、フレアはリートを見て、小さく笑った。
「何だよ。何か文句でもあんの?」
「大アリじゃ! イノセに触れるなと言ったじゃろう!」
「ンなこと一々覚えてるわけないだろ」
挑発するように言うフレアに、リートの表情がさらに険しくなっていく。
それに、私は慌てて間に入りながら「ストップ! ストップ!」と声を上げた。
「流石にこんな店の中で二人が喧嘩したりしたら洒落にならないって……」
「……じゃが……」
「早く野宿したいんじゃないの?」
不満そうにするリートに、私はそう言ってやる。
すると、彼女は目を見開いた後ですぐに目を伏せ、「フンッ……」と小さく息をついた。
「イノセがそう言うなら仕方が無い。……今回は見逃してやる」
「今回だけじゃなくて、全部見逃そうよ」
私の言葉にリートは答えず、テーブルの上に広げていた地図を畳み、道具袋にしまう。
それから伝票を持ってレジカウンターに向かうので、私とフレアはそれに付いて行った。
フレアはフレアで納得言っていない様子で、どこか苛立った様子だった。
……先が思いやられる。
レジカウンターでは、私達の前に一組の客が並んでおり、会計をしていた。
その後ろに並んだ時、リートが「……そういえば、イノセ」と声を掛けてきた。
それに「ん?」と聞き返してみると、彼女はしばらく口ごもっていたが、やがて目を逸らしながら口を開いた。
「お、お主は、その……頭を撫でられるのが、好きなのか?」
「へっ? いや、別に特別好きというわけではないけど……」
「……嫌いでは無いのか?」
「……まぁ……うん……?」
そう答えた時、リートは背伸びをして、私の頭に手を伸ばした。
驚いている間に、彼女は私の頭をポンポンと軽く撫でた。
すぐに彼女は踵を下ろし、私を見上げてどこか不敵な笑みを浮かべた。
「次の方、どうぞ~」
その時、レジカウンターに立った店員さんが、そう言ってきた。
リートはそれに、レジカウンターの前まで歩いて行く。
私はそれを見つつ、リートに撫でられた頭に、ソッと手を添えた。
「……イノセ? どうした?」
「……小さかった」
不思議そうに聞いてくるフレアに、私はそう呟いた。
それに、フレアは「は?」と、素っ頓狂な声で聞き返してきた。




