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029 人目に付かないように

 あれから適当に近くにあった本屋で地図を買った私達は、今日の部屋を取るべく宿屋を探した。

 定食屋で思わぬ出費があった分、あまり高い宿は取れない。

 リートの持っている金が多いとはいえ、それでも限りがあるわけだし、これから色々買ったりすることを考えるとあまり無駄遣いは出来ない。

 だから何か所か回って、手頃な値段の宿屋の二人部屋を取った。

 ……取ったんだけど……。


「おー! 大きなベッドじゃなぁ!」


 割合に示せば部屋の四割くらいを占めてそうなダブルベッドを見て、リートは目を輝かせながら歓声を上げた。

 そう、ダブルベッドだ。ベッドが二つあるからダブルベッドじゃない。マジで、二人並んで眠るベッド。


「……マジかぁ……」

「おぉぉぉ! 凄いぞイノセ! フカフカじゃ! フワフワでほわほわじゃ!」


 落胆する私に反して、すでにベッドに乗っているリートは、まるで子供のように目を輝かせながら声を上げる。

 ……まぁ、彼女が幸せならオーケイです。

 ひとまず私は適当な椅子に座り、剣を壁に立てかけて、背凭れに背中を預けてリートに視線を向けた。

 これからどうするのか聞こうとしたが、未だにダブルベッドに感動している彼女の邪魔をするのもどうかと思い、しばらくは黙っておくことにした。


 それにしても、ダブルベッドか……。

 改めて考えてみると、私も本物を見るのは初めてだ。

 旅行なんて学校の宿泊学習でしか行かなかったし、それでも大抵が和室の旅館だった。

 あの母が、私を旅行に連れて行くことなんてあるはずもなかったし。

 結婚して娘が生まれてから、一度だけ家族旅行に行ったことはあったが、私は生活費だけ渡されて留守番って感じだったし。


「イノセ」


 その時、名前を呼ばれた。

 もうベッドは満喫し終えたのかと思い顔を上げた時、視界が真っ白に染まる。

 数瞬後、バフッという音と共に顔が柔らかい何かに包み込まれた。

 これは……枕か?

 そう認識するのとほぼ同時に、顔にぶつかった枕が落下し、私の膝の上に転がる。

 開けた視界の先には、何かを投げた体勢でこちらを見ているリートがいた。


「ふふ……油断したな、イノセ」


 どこか得意げな表情で言うリートに、私はしばらく呆けていたが、やがてぷはっと息を噴き出すように笑ってしまった。

 枕投げか。友達もいなかったから、枕投げなんかもロクにやったことが無かった。

 私は投げつけられた枕を引っ掴み、リートに向かって軽く放ってやる。

 綺麗な弧を描いたソレを彼女は両手でしっかりと掴み、そのまま抱きしめた。

 それから、道具袋から地図を出し、私を見て口を開いた。


「では、そろそろ今後について話し合うぞ」

「はいはい」


 私はそう答えながら立ち上がり、ベッドに上がる。

 すると彼女は私にも見やすいように、地図を広げた。


「まず、妾達がおるのは、ここ……フェアストという町らしい」


 言いながら、彼女は地図の左上……北西の方にある、フォークマン大陸の一部を指さした。

 それは、私がいたギリスール城から南西の方角に行った辺りにある点だった。

 手をどかしてもらうと、確かにその点の下に、『フェアスト』と書いてある。


「妾の心臓は、この国の奴等が世界中にばら撒いたせいで、世界中の色々な場所にある。この大陸には、元々妾が持っていた心臓を除くと……一つしか無い」


 リートはそう言うと、地図の上をなぞるように指を動かした。

 フェアストの町からさらに南の方にずっと指を動かしていき、国境線を越え……グランルという国のとある一点を指で押さえる。

 その点の下を見て、私は口を開いた。


「グランル……火山……?」

「この火山の麓に、妾の心臓がある」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 しかし、すぐにとあることに気付き、慌てて顔を上げた。


「いや、なんでそんなこと知ってるの?」

「あぁ。元々は心臓は妾の体の一部のようなものじゃからな。魔力を辿れば、ある程度の方向や距離は分かる」

「……じゃあ、なんで地図なんて……」

「分かるのは、あくまで方向や距離だけじゃ。その間にどんな障害物があるか分からんし、道だって直線のはずがなかろう?」

「……なるほど……」

「元々外に出たこともないから、この国の地理など分かるはずもないしのぉ。もしも歩いていて地理的な問題に出くわしたら、妾にはどうしようもないからのぉ」


 そう言って肩を竦めるリートに、私は「なるほど」と小さく呟きながら、今日買った世界地図を見つめた。

 大陸は全部で四つ、というのは、城で説明された通りだな。

 けど、元々ギリスール王国を中心にちょっと説明された程度だから、それ以外の地理についてはサッパリ分からない。

 っていうか、火山の麓って大丈夫なのか? 溶岩とか……。


「まぁ、明日の朝にこの町を出発して、何事も無く進んでいけば大体……二日くらいで着くじゃろう。一応、この近くに町もあるみたいじゃから、そこで泊まって翌日にダンジョンに行けば良い」

「それって、歩いて行った計算?」

「そうじゃ。ほれ、ここに来た時のようにお主が妾をおぶってくれれば、あまり休まずに行けるしのぉ」

「……いや、それはそれで構わないんだけどさ……」


 当たり前のように私に運んでもらうことを前提に話すリートにツッコミを入れそうになるが、寸前のところで思いとどまり、私は一度その話は置いておく。

 実際、私の体力は馬鹿みたいにあるわけだし、それが一番効率が良いのは分かっている。

 問題は別だ。


「この世界って、馬車とか無いのかなぁ……とか、思って」

「……バシャ?」

「えっと……動物とかが、人が乗った乗り物を引っ張ったりとか……」

「……もしかして、スタルト車のことか?」

「スタルトシャ?」


 聞き慣れない単語に、私はつい聞き返す。

 すると、リートは少しムッとした表情を浮かべ、キョロキョロと辺りを見渡す。

 少し辺りを見渡して、何かを見つけた彼女はパッと笑みを浮かべ、すぐにベッドから下りてどこかに歩いて行く。

 どうやら彼女が探していたのは、部屋に備え付けられた紙とペンらしく、しばらく何かを紙に描いてからこちらまで戻ってきた。


「これがスタルト車じゃ!」

「……ナニコレ」


 ドヤ顔で見せてくるリートに、私はついそう聞いた。

 いや、マジで何だコレ。

 えっと……四本足のよく分からない生物と、丸い謎の物体が描かれている。

 なぜか四本足のヘニャヘニャした生物の尻から何か尻尾のような物が生えており、丸い謎の物体と繋がれている。


「……これがスタルト車?」

「そうじゃ! さっき町でも少し見かけたが、三百年とそんなに変わっておらんかったから、間違いはないぞ」


 そう言って満足気な笑顔を浮かべるリートに、私は笑顔で固まった。

 ……なんでこんなに自信満々なんだろう。

 町で見かけたということは、多分私も少しくらいは目にしているのだろう。

 けど、少なくともこんな異形の見た目はしていないはずだ。

 こんなんが町の中を歩いていたら、嫌でも目に入るし、多分永遠に忘れられない。

 というか、ほぼ確実に夢に出てくる。こんな異形の生物が歩き回っている世界なんて、トラウマになるわ。


「……そっか」


 けど、込み上げて来る不満やら何やらを全て飲み込んで、私はそう言いながら微笑んで見せる。

 リートの雰囲気から察するに、多分彼女は単純に画力が無い。

 そうでなきゃ、こんな異形の生物をスタルト車として紹介することなど出来るはずもない。


「……で、疑問なんだけどさ、そのスタルト車とかに乗って移動したりとかはしないのかなーとか思って」


 ひとまずリートの持つ紙を下げさせながら、そう聞いてみる。

 すると、彼女は少しキョトンとしてから、「あぁ」と呟くように言った。


「妾もそれは考えたが、出来ればあまり使いたくないのじゃ」

「それはなんで?」

「まぁ、やはり一番の理由は金が掛かることじゃな。お主がいれば歩いて済むことを考えると、出来ればあまり金は使いとぉない」

「……なるほど」

「後は、こういう公共の乗り物なんかを利用すると、運転手なんかが妾達の顔をそれなりには覚えるじゃろう? ……そこで、例えばギリスール王国の奴等が妾達の動向に気付いて、本気で妾達を探そうとしたとしよう」

「つまり、運転手の目撃情報とかを頼りに、私達のことを見つけられる可能性が高くなる……と?」

「そういうことじゃ」


 私の予想に、リートはそう言って小さく笑った。

 それから彼女は地図を畳み、続ける。


「じゃから、少なくともギリスール王国にいる間は、あまり人目に付く行動は避けた方が良い」

「……じゃあ、やっぱりさっきの定食屋では我慢しておいた方が良かったんじゃ……」

「さて、それでは話し合いは終わりじゃ」


 リートはそう言ってベッドから立ち上がり、道具袋を片付けてしまう。

 ……一番人目に付くような行動した奴が、良く言うよ。

 とはいえ、やってしまったことは仕方が無いし、今更どうしようもない。

 私は小さく溜息をつき、今後はもっと彼女の動向に気を付けようと心に決めた。

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