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二十話 治癒

「でも、正直な話……メルトさんにアレをどうにか出来ると思う?」

「さぁな」


 あっけらかんとした様子でヨシュアは答える。

 ただ、それはどうでもいいと思っているが故のものではなく、無類の信頼を寄せているからこその返事であった。


「でも、きっとなんとかするんだろうよ。何せあいつは、俺なんかよりもずっとすごい奴だからな」


 誰かを納得させられるだけの証拠はない。

 無いのだが、それでも信じてしまえるだけの「凄さ」がメルトにはあるのだとまるで自分の事のようにヨシュアは口にする。


 その様子を前に、クラウスはなんだそれ。などと思いながら苦笑いを浮かべていた。

 否、浮かべるしかなかったのだ。


 長いようで短い付き合いの中でも、見た事のない信用し切った自然な笑顔を見せられては、流石のクラウスも何かを言う気にはなれなかった。


「さっさと君ら、くっついちゃえばいいのに」

「…………?」

「あぁ、いや、もうくっついてるのか。ああもう、ややこしいなこれ」


 クラウスは、くしゃりと己の髪を乱暴に掻き上げ掻き混ぜる。

 ボソリと口にした言葉は、ヨシュアの耳にまで届いていたらしいが当の本人は「なんの事だ」と疑問符を浮かべている。

 恐らくメルトに同じ話題を振っても似たり寄ったりの返事がやって来る事を、この一ヶ月接していたクラウスは知っている。


 だからこそ、己が何をしたところでどうにもならないと考えを放棄。

 そして話題を戻す。


「ま、ヨシュアがそう言うなら僕もそれを信じるよ。なんてったって、僕は君の親友なのだから」


 今度は自然な笑みではなく、仕方がなさそうにクラウスはヨシュアから笑われる。

 先程のメルトに向ける笑みとは違うが、己とヨシュアの関係はこれが一番適当か。

 そう思いながら、クラウスは倣うように笑った。



 †


「……なんだこれは」


 それは誰の言葉であったか。

 息を呑む音の重奏に混じって驚愕の声が部屋の中で反響し、私の鼓膜を揺らす。


 でも、それは当然であると思った。

 なにせ〝精霊術〟と魔法は、そもそも行使の段階から異なっている上、その効果も過程も魔法の常識では測れないものであるから。


 勿論、魔法を軽んじるつもりはない。

 〝精霊術〟と同様に魔法も凄いものであるという認識はちゃんと持ってる。

 だけど、つい先程まで〝精霊術〟に対して向けられていた疑心が視線が驚愕に移り変わってゆくその光景は、〝精霊術〟の使い手である私にとっては愉快痛快なものだった。

 

「あれだけ試行錯誤しても癒えなかった傷が、癒えていく……」


 私の身体の中から、何かが抜けていくような奇妙な感覚に襲われる。

 それは、〝精霊術〟を行使する際に見られる特有の症状だった。


「『いつもだったら泣き言をいってるのに、珍しく笑ってるけどどうしたのさ』」


 特有の抜けていく症状と共に、どっと疲労感が押し寄せて来る為、いつもだったら呟くように話しかけて来た〝シルフ〟の言う通り泣き言の一つや二つ。

 ううん、それどころか、ひたすら泣き言を言ってた。


 でも、珍しく気を良くしながら私が唇の端をゆるく持ち上げていたからだろう。

 意外なものを見るような調子でそう尋ねられていた。


「私がどうこう言われるのはもう慣れちゃったけど、それでも〝精霊術〟まで変に思われるのは納得いかなくて」


 だから、その疑念が晴れていく様が横目に確認出来ている今が、愉快痛快で笑みを浮かべずにはいられないと伝える。


 だって〝精霊術〟は、全然笑ってくれなかった昔のヨシュアでさえ、一瞬で笑顔に出来ちゃうようなとんでもない物なのだ。

 私にとって唯一誇れるモノ。

 なら、そう思うのも当然じゃんと視線で伝えると、〝シルフ〟は嬉しそうに笑ってくれた。


「『嬉しい事を言ってくれるねえ』」

「これまで散々お世話になってますから」


 これまでも。そして、これからも。

 出来れば精霊達とは、これまで通りの関係を新天地でも続けていければなと考えてる。


「『よぉし。ならおいらも、その期待に目一杯応えるとしようかねえ』」


 直後、ただでさえ普段よりも〝精霊術〟行使に体力やら気力やらを吸われてたのに、その勢いが増すような兆候が感じ取れる。


「ちょっ、まった! 待った待った! これ以上は私が倒れるから!!」

「『ウソウソ。冗談だよ。加護を与えた(、、、、、、)人間に無理をさせるのはおいらも本意じゃないからねえ』」


 一瞬、本気でやろうとしてたでしょ!?


 抗議したい気持ちでいっぱいだったけど、〝シルフ〟のこの気紛れは今に始まった事でもないので溜息を一つだけ漏らし、感情をのみ込む。

 優しい精霊である事に疑いようもないのだけれど、〝シルフ〟は見た目通り、悪戯好きな子供のような性格をしているので本当に油断も隙もあったものじゃない。


「……加護、ですか」


 そんな折。

 後方で私と〝シルフ〟による治癒を見守っていた貴族────ゴルネアさんが聞き慣れないその言葉に疑問符を浮かべて呟いていた。


「『〝精霊術〟ってのは、人間が精霊から力を借りる事で使える魔法のような力の事。だけど、なにも誰も彼もが精霊から力を借りられる訳じゃない。加護を受けた精霊からのみ、力を借りる事が出来るのさ』」


 ミネルバさんの治癒を主で行っているのは私。それ故に〝シルフ〟には私よりもずっと余裕がある状況。それ故に丁寧にゴルネアさんの疑問に答えていた。


「『そして、加護を受けられる人間は基本的に精霊から気に入られた人間のみ。とは言っても、ここにいるメルトは例外中の例外みたいな存在だけどねえ』」

「……そう、なんですか?」


 精霊である〝シルフ〟に対してどう接すればいいのか距離感がイマイチ分からないのか。

 ぎこちない敬語だった。


「『メルトの場合、色んな精霊から気に入られては加護与えられてるから。それもあって、〝精霊術〟の技量だけでいえばここ数百年くらいなら一番かも? というか、普通だったらこんなに面倒臭いこと、おいらは断るから』」


 精霊は、私達の奴隷ではない。

 それぞれに意思があって、感情だってある。

 肯定する権利も否定する権利もある。

 こうして手伝ってくれているのは、彼らの善意に他ならない。


 どうして私が、精霊達(彼ら)からこうして世話を焼いて貰えているのか。

 その具体的な理由が不明な事もあって日々、感謝の念が尽きなかった。


「って言いながら、〝シルフ〟はいつもなんだかんだ世話焼いてくれるよね」


 特別だから。

 今回だけだから。

 そんな言葉を並べ立ててはいつもなんだかんだと手伝ってくれるのが〝シルフ〟だ。


「『そうだっけ?』」

「うん」


 嘯かれる。


 素直に認めてくれないあたりが何というか、〝シルフ〟らしかった。


 やがて、傷とは別で紋様のような。

 ミネルバさんの身体に刻まれて広がっていた闇色に蠢く蛇のようなタトゥーに似たものが、薄れ消えてゆく。


 治癒を阻害してた原因は、きっとコレ。

 コレさえ消えてしまえば、あとは治癒もちゃんと使えるだろうからどうにかなる。

 だからあと少し。あと少しだった。


「そういえば」

「『うん?』」

「私とヨシュアが一緒にいた時、〝シルフ〟って何してたの?」


 ふと思い出す。

 私とヨシュアが一緒になって行動してた時、〝シルフ〟は用事があるからと姿を消していた。だから、その用事って何だったんだろうって思って、今聞いてみる。


「『うんとねえ、調べものと……調べもの?』」


 別に隠す程の事でもなかったのか。

 すんなりと教えてくれる。

 どうにも、二つほど調べものをしていたらしい。


「『一つは今回の件。で、もう一つはメルトの家族に関して』」

「私の家族?」

「『そ。あんな手紙を送って来る実家が今どうなってるのか……ちょっと気になってるんじゃないかなあって思って』」


 私達人間と違って、〝シルフ〟達のような精霊には、精霊独自の移動手段のようなものがあるらしい。

 だから、ウェルグからノーズレッドまでの往復であっても然程の時間を要さない事は私も知る事実であった。


 びりびりに破かれた上、これからは送られて来る手紙は見なくていい。

 などと言われた私だけど、全く気にならないかと言えば嘘になる。


「気になる……!!」


 まぁ、本当に困って困って仕方がないのであれば────。

 そんな考えを抱く中、


「『メルトが抜けた穴を、あの姉達が文句を吐き散らしながら馬車馬の如く働いてどうにか頑張ってたよ。でも仕方がないよねえ、〝精霊術〟を使えるのは王家の人間だけだし、メルトのように色んな精霊から加護を受けてる訳じゃないんだから。手分けしなきゃ国が回らなくなるんじゃやるやらないじゃない。やるしかない』」


 目を閉じると瞼の裏で、私に文句言いながら渋々やる姉達の姿がありありと映される。

 しかし、ヨシュアの下に政略結婚の駒として私を送り込んだ手前、本人達の口から帰ってこいとは言えないのだろう。


 そして、直接言いに行こうにもヨシュアは悪名高い〝冷酷公爵〟だ。

 噂だけしか知らないのであれば、誰だってアルフェリア領に行きたくはない。

 手紙だけだった理由もきっとソレだろう。


 これは自業自得というべきか。

 はたまた、頑張れとエールを送るべきか。


 兎にも角にも、私にウェルグに戻る選択肢は現段階ではこれっぽっちも存在していなかった。


 アルフェリア領での、のんびり生活とウェルグでの多忙すぎるコキ使われ生活。

 最早、秤にかけるまでもない。


「まぁ、あの姉さん達もやるしかなくなったらやる、って事か」


 本当にやれてるかどうかはこの際置いておいて。

 少しくらい私のこれまでの苦労を理解してくれ。というのが嘘偽りない本音だった。


 やがて、〝シルフ〟とそうこう話してる間に荒い息遣いで胸を上下させていたミネルバさんの様子が落ち着きを取り戻す。

 身体に広がっていた紋様も綺麗さっぱり消え失せ、残るは魔物に付けられたであろう傷の治癒だけとなっていた。


「ここからは代わります。公爵夫人はお休みになられて下さい」


 先程までずっと此方の様子を見詰めていた治癒師の一人が声を上げる。

 ここから先は、〝精霊術〟なしでも問題ないと判断したのだろう。


 目敏く察したその判断は正しいものだった。

 ものだったんだけれど。

 

「いや、でも、」

「『あいよ。そういう事ならここからはこの人達に任せよっか』」


 ────ここまでやったんだから、最後まで私がやりますから。

 そう言おうとする私だったけど、その言葉は他でもない〝シルフ〟によって遮られた。


(メルトの体力だって無限にあるわけじゃない。それに、少しくらいここの治癒師の顔を立てといた方がいい関係を築けるだろうし)


 言われて気付く。


 私が突然割って入って、全部治した。

 という状況よりも、途中まで私が治して途中からは治癒師の方の手を借りて共同でどうにかした。その事実を作った方が確かに後々良い関係を築ける気がする。


 人間社会とは関わりが薄いだろうに、〝シルフ〟は随分と世渡り上手さんだった。


(とはいっても、腕次第なところのある治癒師達は、さっきまでの行為でメルトの事は割りかし認めちゃってるっぽいけど)

「へ?」


 素っ頓きょうな声が洩れる。

 言われてもみれば、なんというか。

 部屋に足を踏み入れた当初よりも、険のような感情が入り混じっていないような気がする。


 むしろ。


「……たまにふざけたところはありますが、流石はあの殿下が連れてきた人間なだけある、といったところですかね」


 〝シルフ〟の言うように、なんか認められていた。

 同時に聞こえてきたクラウスさんの評価は、少しひん曲がっちゃってる気もしなくもなかったけど認められる事に悪い気はしなくて。


「え、っと、じゃあ、あとはよろしくお願いします」


 元々、治癒にあたっていたのは彼ら。

 なら任せても問題ないかと結論付けて、そそくさと私は部屋を後にする事にした。


「ほらな?」


 部屋を出た先で、クラウスさんとヨシュアが待ってくれていた。

 どんな話をしてたのかは分からないけど、何故か私の顔を見るや否や、ヨシュアが得意げにそう言ってクラウスさんに向かって笑ってた。


 もしや、そろそろ私が部屋から出てくるとかそんな予想でもしてたのだろうか。


「ぼ、僕だって信じてたし。まるで僕が疑ってたみたいな物言いはやめて貰おうか!!」


 風評被害だ、風評被害!!

 などとクラウスさんが騒ぎ立てる。


 僕はメルトさんの事を信じてたよ!!

 力強く断言してくるクラウスさんが何を信じてたのかはよく分かんないけど、取り敢えず話を合わせるべく、〝シルフ〟とヨシュアの笑い声を聞きながら適当に私は頷いておいた。

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