十八話 親友
私の場合は他にやる事も無かったから。
という背景もあるのだけれど、それでも唯一私が自信を持って言える特技だ。
こういう時に使わずして、いつ使うというのだろうか。
「いや、それはやめた方がいい」
今こそ!! と奮起する私だったけど、隣からヨシュアの否定する声が私の鼓膜を揺らした事で出鼻を挫かれてしまう。
「……ヨシュア?」
意地悪をしたいから否定している。
そういう訳でない事はすぐに分かったけど、ヨシュアなら賛同してくれると勝手に思い込んでいた事もあって思わず眉根が寄った。
「王国での俺の立ち位置はメルトも知ってるだろ」
「立ち位置って言うと……『冷酷公爵』ってやつ?」
「ああ、それだ。有り体に言えば俺は嫌われ者だ。で、今のメルトはその『冷酷公爵』の妻だ。後は言わなくても分かるだろ」
言わなくても分かるだろと言われても、イマイチピンと来なかった。
そんな私を見かねてか。
苦笑いを浮かべながら、クラウスさんが助け舟を出してくれる。
「ヨシュアは心配してるんだよ。他でもないメルトさんの事をね。自分の悪評が災いして、碌でもない事になる可能性が高いって事で」
善意による行動であったとしても、ヨシュアに嫌がらせをしようとする一部の貴族によって不幸な結果に見舞われる可能性があると。
その説明を肯定するように、ヨシュアの表情は申し訳なさそうなものに移り変わっていた。
「まぁそれもこれも、ヨシュアが自分の悪評をどうにかしていれば何も問題はなかったんだけども」
からの死体蹴り。
「……他の貴族とは出来る限り関わりたくなかったって何度も説明しただろ。腫れ物扱いの方がまだマシだ」
流し目で責め立ててくるクラウスさんに対して、ヨシュアが反論。
ついこないだまで腫れ物扱いを受けていた私的に、その気持ちは分からないでもなかった。
「でもその腫れ物扱いの対象は、これからはヨシュア一人だけじゃなくなっちゃったじゃん? ってなるとさ、これまで通りって訳にもいかないでしょ。なら、これって良い機会とも捉えられない?」
そしてクラウスさんの視線が、ヨシュアから私に。
「良い機会?」
「そう。メルトさんの第一印象を良くする事と、ヨシュアの悪評を払拭する良い機会として」
クラウスさんのその提案は、本心からとても素敵なものだと思った。
「……メルトの印象については分かるが、どうしてそこで俺が出てくる」
「そりゃあ、決まってるじゃん。メルトさんみたいな素敵な人がお嫁にきたのなら、あの悪どい悪魔みたいなとんでもない『冷酷公爵』も、少しは改心するだろうって思ってくれるかな────って、痛い痛い痛い!! ヨシュア、そこ僕の足だから! 思っきし踏んでるから! 流石に言い過ぎましたごめんなさい!!」
ヨシュアの事をここぞとばかりにボロクソ貶すクラウスさんは、無言で足を踏んづけられていた。
痛そうと思いはしたけど、流石に今回はクラウスさんが悪いので庇う気も起きない。
「……で、でも実際、ヨシュアの噂ってそのくらいのレベルでもあるんだよ。それはメルトさんも知ってるでしょ」
「それは、まぁ……」
アルフェリア領にきた当初、私も『冷酷公爵』に対してとんでもない想像を働かせていたのは事実なので強く否定する事は出来なかった。
「ただこれって、ヨシュアが基本的に領内から出てこない人嫌いの引き篭もり体質が一番の原因でもあるんだよ」
「そう、なんですか?」
「だってさ、考えてもみてよ。噂が噂を呼んで、尾びれ背びれに手足に色々と言いたい放題やりたい放題。なのに本人が全然姿を貴族達の前で現さず、否定だってちっともしようとしない。そりゃ好き放題広がるわなって思わない? おまけにこの人相だからね」
ヨシュアの容姿って凄く整ってはいるんだけど、無表情の時が多いこともあって近寄り難い雰囲気がある。
それが、『冷酷公爵』の噂を助長している可能性は……多分、あるんだろうなあと思ってしまった。
「だから、ヨシュアに関してはまず巻き込まない事には何も始まらない。でも、メルトさんが動くなら間違いなくヨシュアも動く。こいつ、こう見えて〝ど〟がつく程の心配性だから」
だから、ヨシュアの悪評をどうにかする上でも良い機会なのだとクラウスさんは言う。
「それに、ヨシュアの言う『やめた方がいい』ってのは失敗した時に面倒な事になるから『やめた方がいい』なのであって、成功する確証さえあれば何一つとして問題はないからね」
確かに、いくらヨシュアにとんでもない悪評が付き纏っていようと、一切の問題なく終わらせてしまえば面倒事だって起こりようがない。
「……確証があればの話だ」
「なら問題ない。僕が知る限り世界一の魔法師と、これまたとんでもない技量を誇る〝精霊術〟の使い手がいて治らないものはないと思うよ。それこそ、死者でもない限りね」
これまで、政治的な付き合いもあって多くの魔法師を見てきた僕が言うんだ。
これ以上ない確証だろう? と言ってクラウスさんは言葉を締め括る。
次いでぱん、と音を立てて両手を合わせ、ハイこれで決まり。と強引に押し進めようとするクラウスさんを前に、ヨシュアは深い溜息を吐く。
それは、クラウスさんがこうなったらどうしようもないと諦めているように見えて、二人の気の置けない関係が垣間見えたような気がした。
「それに、僕の事情を言わせて貰えるなら、出来れば今回の件はメルトさんやヨシュアに助力をお願いしたくもあったんだ。その被害にあった穏健派の貴族には、まだ死んで貰う訳にはいかなくてね」
クラウスさんがそう言うって事は、相当に重要な貴族だったのだろうか。
「被害にあったのは、ミネルバ侯爵家の当主、ロラン・ミネルバ殿。ノーズレッド王国で宰相を務めている重要人物なんだ」
†
「正気ですか、殿下!?」
飛び交う悲鳴のような大声。
私とヨシュアが城に足を踏み入れた直後に、その言葉はやってきた。
「あのアルフェリア卿を、ミネルバ卿の治癒に当たらせるなど……」
────しかも、それだけにとどまらず、ウェルグ王国の元王女殿下までそれに関わらせるなど、正気の沙汰ではありませんぞ。
最後の言葉は私に気遣ってなのか。
小声でクラウスさんに言い放たれていたけど、私の耳にはばっちり聞こえていた。
というか、ヨシュアに関しては隠す事すらしないのね。
「僕の記憶が正しければ、ノーズレッドで一番魔法の腕が立つ人間はヨシュアだ。加えて現状、王城の治癒師だけじゃどうにもなってない。だったら、魔法以外の備えも用意しておくべき。そう考えて〝精霊術〟を使えるメルトさんを呼んだ僕のどこが可笑しいんだろう?」
「そ、それは……いえ、ですが、信の置けない人間にミネルバ卿を任せる訳にはいきませぬ」
……一応私達、会話の声が辛うじて届く距離に居るはずなんだけど、それでも「信頼が出来ない」と言い切られちゃう私達って……と思わずにはいられなかった。
「……それに、それを強行してもしもの事があった時、誰が責任を取ると言うのです」
「そんなの、僕に決まってるじゃん」
あっけらかんと言い放たれたその一言に、言葉を向けられていた初老程度の見目の貴族の方と一緒になって私も呆けてしまう。
「万が一にもあり得ない可能性だろうけど、そうなった時は、彼らを推した僕が責任を取るのが筋でしょ。そんな事はあえて言われなくとも分かってるよ」
別に、責任を押し付けられてトカゲの尻尾切りをされると思ってた訳じゃない。
私が驚いた理由は単純明快で、
「……アルフェリア卿はまだしも、公爵夫人にまで同等の信頼をお寄せになっている、と?」
そう。この部分だった。
私とクラウスさんはまだ知り合ってひと月程度の関係でしかない。
〝精霊術〟だって、クラウスさんの前では両手で数えられる程度にしか使ってなかった筈だ。
なのに、そこまで信頼されている事に驚きを禁じ得なかった。
「君も一度見てみるといい。凄いよ、彼女の〝精霊術〟はさ。まぁ、とはいっても技量や人柄は君の言う通り、ひと月しか見てない。いや、そのひと月も密度にしてみれば数週間程度のものだろうね」
本当に、その通りだと思う。
「ただぶっちゃけた話、技量の方さえ問題なければ僕は会ったばかりだったとしても、きっと迷いなくもしもの時の責任は取るって言ってたと思うよ」
「……何故です」
「メルトさんは、親友が誰よりも信を置いてる人間だ。信頼する理由なんて、それだけで十分過ぎるでしょ」
そこには、これっぽっちの逡巡すら含まれていなくて。疑問に思う方がどうかしてると雄弁に語っていた。
「ああいう奴なんだ」
境遇が境遇なだけに、大の人嫌いであるヨシュアは、仕方がなさそうに。
けれど、どこか嬉しそうに呟く。
「上に立つ人間として、その考え方はまずいだろって言ってもちっとも直しやしない。ただ、ああいう奴だから、俺は突き放しきれなかったんだろうな」
貴族なんて関わり合いにもなりたくない。
そんな考えを抱いていた私が、貴族のさらに上に立つ王子でありながら、ちっとも関わる事が苦に思えなかった理由が漸く分かった気がした。
勿論、ヨシュアの知り合いって部分が理由の大部分を占めてたと思う。
でも、私がクラウスさんに嫌悪感をこれっぽっちも抱かなかった理由ってたぶん、
「クラウスさんって、真っ直ぐなんだね」
純粋に、どこまでも真っ直ぐに生きてる人だったからなんだ。
だからこそ、全てを偽って腹の探り合いをする政の場が心底嫌いなのか。
「些か、真っ直ぐ過ぎるきらいがあるがな」
でも、ヨシュアもクラウスさんのその部分は嫌いじゃないのか。
否定はしなかった。
私にとって心の許せる相手は〝精霊〟達であったけど、そういう関係の友達がいるヨシュアの事を心底羨ましく思った。








