十七話 噂の魔物
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「でもそっか。そういえば、挙式とかしてないんだよね、私達って」
用もなく長居をするのも憚られたので、あの話の後、マスカレード商会を後にしていた私は隣を歩くヨシュアの側で、ポツリと呟く。
本当に、言われてもみればって感じだった。
確かに至るまでの過程はさておき、形式的には結婚なんだし、やっていても良いかなと思う部分はある。
────最低二年は。
ヨシュアははじめ、そんな事を言っていたけれど、現時点では二年でこの関係を解消する気なんてないのだし。
「あ、そうだ、ヨシュア。知ってる? 夫婦って、ぽかぽかする関係なんだって」
「ぽかぽか?」
「そう、ぽかぽか」
正直、私達の感性ってズレてるところがあると思う。その根本的な理由として、私達が置かれていた境遇が原因だろう。
基本的に私達にとって、自分は仲間外れ。
それが当然と思っていた節すらあったから。
丁度、さっきまで商人の人達と話していたから偶然思い出していたのだけれど、政務をこなすにあたって、商人の方達と私が世間話程度に話す事は何度かあった。
その際に、一度だけ結婚について語られたことがあった。
曰く、結婚ってものは、心落ち着く温もりを感じられるぽかぽかしたものなんだって。
時にはどきどきとかして、兎に角、幸せを感じられる良いものだってその人は言っていた。
だから、ヨシュアにぽかぽかって伝えてみたけど、ヨシュアもよく分かってないみたいだった。
「でも、よく分からないんだよね。そのぽかぽかって」
自分も答えを知らない疑問をヨシュアに対して投げかけ、結局、疑問で終わってしまった事に気まずさを覚える。
だから、誤魔化すように、指と指を重ねたりほどいたりと手遊びをしながら、私は笑った。
「なら、探してみるか。そのぽかぽかってやつを二人で」
「二人で?」
「幸い、時間はたっぷりあるんだ。だったら、二人でゆっくり見つければいい。そのぽかぽかってやつを」
「……それ、いいかも」
見つけるって言っても、何をすれば。
そんな考えが脳裏に浮かんで、ちょっとだけ逡巡を挟んでしまうけど、そんな事は後で考えれば良しと割り切って同調する。
「うん。見つけよ。一緒に見つけよ」
具体的にどうするかまでは全然分かってないけど、お陰でこれからが一層楽しみに思えた。
「でも」
折角だし、王都にいる間に少しでもその手掛かりが見つかるといいな。
そう思う私の側で、ヨシュアが小さな声でぽつりと呟く。
「でも、多分だが、そのぽかぽかの正体を俺は知ってる気がするな」
「……え、分かるの?」
「まぁな」
予想の範疇でしかないからか。
明言して教えてくれる気はないようだった。
でも、気になる。
折角なんだし、教えてくれればいいのに。
「だって俺は、メルトだったから結婚の話を受け入れるようなやつだぞ」
それが、ぽかぽかと何の関係があるんだろうか。そんな疑念を抱くけど、その疑問が思わずどうでも良いと思えるくらいの言葉を口にされたせいで、頭が混乱する。
私じゃなかったら、結婚はしていなかった。
そうとも取れる言葉を口にされて、ぽかんと呆けてしまう。そして、ぱちぱちと瞬きを不自然なくらい私は繰り返してしまう。
まるでそれは、私を「好き」と言っているようであって。
今回の結婚話はきっと仲良いい人間だったから選ばれただけだ。
そう思っていた私にとってその一言は、頭が一瞬で真っ白になってしまうくらいの威力を持っていた。
「別に、だからといって何かを強要する気も急かす気も毛頭ない。俺はただ、メルトと一緒にいられればそれで十分過ぎるから」
呆ける私に気を遣ってか。
ヨシュアはそんな言葉を付け足す。
「本当は、昔の恩返しをしたかっただけなのに、気付けば随分と欲張りになってしまったが」
どこか自嘲気味に笑う。
その笑い方は、幼い頃によく見ていたヨシュアの笑い方にそっくりで、そこに面影を感じた。
ただ、自嘲気味に笑ったのは始めの一瞬だけで、それから移り変わるように心底嬉しそうに口の端をゆるくつり上げて、優しそうに笑っていた。
基本的に、感情の起伏が少ない人だから、向けられるその笑みは特に新鮮に感じられて。
ヨシュアも、そんな風に笑うんだ。
私の知らないヨシュアを知れたみたいで、無性に嬉しくなった。
同時、どうしてか胸の奥がむずむずした。
じんわりと、何かが広がるような。
そんな奇妙な感覚に私は見舞われていた。
「……そ、そういえば、クラウスさんって今頃なにしてるんだろうね」
気恥ずかしくなって、私は慌てて話題を変えようと試みる。咄嗟に浮かんだのがクラウスさんだったから、苦し紛れに今何してるんだろうねってヨシュアに私は尋ねていた。
「クラウスなら今頃、色んな政務を押し付けられてるんじゃないか? あいつ、面倒臭がりではあるが、あれでも優秀だからな。というより、優秀だからこそ色々と押し付けられて面倒臭がりになってるだけだしな」
「え、そうなの?」
滅茶苦茶失礼な話だけど、単なる面倒臭がりの王子様だとばかり思っていた。
「ああ。だから今頃、アストレア領で休んでた分、余計に働かされてるんじゃないか? 丁度、あんな感じに」
そう言って、ヨシュアは目の前を指差す。
丁度、あんな感じって一体、どんな感じなんだろうか。
言われるがままに視線を移すと、そこにはふらふらとした足取りでどうにか前を歩く疲労困憊の男性がいた。
というか、暗闇のせいで判断が難しかったけどどこからどう見ても指さした先にいた人物はクラウスさんだった。
「や、やっと見つけた……やあ、二人とも」
「うわ。クラウスさんが死に掛けてる」
別れてから精々、半日程度だというのに別人かと思うレベルで顔からは生気が失われていた。一体、何をしたらこうなるのだろうか。
「やっと見つけたって、俺達を探してたのか? 陛下には明日、訪ねさせていただくと伝えて貰った筈だが」
クラウスさんが私達を探す理由があるとすれば、きっとその件について。
だから、ヨシュアが真っ先にその件に触れるのだけれど、クラウスさんは「それとは別件」と言うように首を横に振る。
「……ちょっと問題が起きてね。ヨシュアには無用な心配とは思ったけど、今はメルトさんもいるからこうしてわざわざ呼びに来たって訳」
「ヨシュア一人なら、無用な心配なんですか?」
ヨシュアが一人だったら問題はあまりなくて、私がいると少し問題になる。
私のせいで、って感じがして反射的にむっ、と眉根が寄るけれど、クラウスさんの言葉から悪意は感じられない。
だから、余計に不思議だった。
「あいつが出た」
「あいつって?」
「噂の魔物だよ。王都の人間が、昼過ぎ頃に被害にあった。一応、騎士団の連中が対応してるけど、流石にそんな状況で友人を安全かどうかも分からない宿に泊まらせる訳にはいかない。だから、迎えに来たって事」
昼過ぎからは服屋さんを何軒も見て回ってたし、さっきまでは商会の中にいた。
そりゃ見つかる訳もないよねと申し訳なさを感じつつ、尋ね返す。
「……被害にあったって、それ大丈夫なんですか?」
「所謂、穏健派って呼ばれてる貴族が狙ったかのように襲われたから、他国の関与は決定的だとは思う。襲われた貴族については……」
そこでクラウスさんが、目を逸らす。
「流石に死んではないけど、結構危険な状態が続いてるね。でもまあ、動ける治癒師を総動員してはいるし、やれる事はやってるよ。護衛だった人間は全員殺されてるし、噂の魔物を見た張本人から話を聞きたくあるんだけど」
流石にそれが出来る状況ではない、と。
「取り敢えず、二人には今日は城に寝泊まりして貰う事になるかな。王都で一番安全な場所は、間違いなく城の中だから」
「だが、噂の魔物に貴族が襲われたにしてはやけに王都が普通だな」
「そりゃまあ? 僕が対応したしね。こういうのは動揺が広がって収拾がつかなくなるより、事実ごと揉み消してやった方が色々と都合が良いんだよ。それはヨシュアも知ってるだろ」
本当にヨシュアの言っていた通り、クラウスさんは優秀な人間だったらしい。
揉み消すと簡単に言ってはいるけど、動揺が広がらないように情報を制御するのは並大抵の事ではないし、きっとその判断が迅速を極めていたのだろう。
「……あの、クラウスさん」
「うん?」
「王城の件については、有難い申し出なので受けさせて貰えたらと思うんですが、流石にそれだけして貰って此方は何もしない。というのは気が引けるので、その襲われた貴族の方の下に今から私を案内して貰う事って出来ますか」
申し出を断る理由はない。
ただ、一方的にして貰うのは何というか。
私の性に合わなかった。
「あれ、メルトさんって治癒魔法の心得あったっけ?」
「ないです。基本的に私、魔法はからっきしなので」
魔法の才能に満ち満ちているヨシュアと比べれば、私の才能なんて路傍の石より酷いと思う。ただ。
「でも、魔法が使えない代わりに、私には精霊術がありますから」
魔法の才能がからっきしであって尚、補って余りある程の力──── 〝精霊術〟がある。
攻撃的な魔法のようなものは〝精霊術〟の中には存在しないけれど、何かを〝直し〟、〝守る〟事に関しては右に出る者がいないくらい優れたものだと私は自信を持って言える。
「これでも〝精霊術〟の扱いに関しては、一番上手いって精霊達に褒められてたんですよ」








