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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第三章.古城(ココロ)の中の悪魔
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3.ミンドラという魔物

 雪乃にとっては小さな戸口をくぐるように家の中に入ると、そこはあらゆる家具がミニチュアと化していた部屋だった。

 台所、テーブル、並べられた複数の椅子、タンスなどなど――その全てが一回り二回り小さかった。


 そんな小さな椅子のうち一つに、静かに読書に勤しむ一人の女性が居た。

 女性――とはいっても一般人の視点から見ればまだ年端もいかない少女とも呼べるような"身長"だった。

 しかしそれとは不釣合いに、まるで長い期間世界を見てきたかのような、雰囲気だけで"十年、二十年ぽっち"の歳月を生きてきたわけではないだろうと思われた。


『お母さん、ユキノ様を連れてきたよ』とイリアが女性に声をかけた。


 女性はその声に気づくと顔を上げ、イリアやルルリノと同じ銀の髪を梳くと表情が露になった。

 なるほど、確かによく似ている――と雪乃は思った。イリアにも、ルルリノにも、髪色での印象はもちろん顔の造形というか、全体的な"感じ"がとてもよく似ていると雪乃は感じた。


「こちらは母のアステリアです」イリアは雪乃に椅子に座るように促しながら、そう言った。


「こんにちは、ユキノ様。うちのイリアがお世話になります」アステリアはそう言うと手に持っていた本を机に置き立ち上がると、お辞儀をした。日本語で話しているのも、既にイリアから軽く雪乃の情報を聞いていることに起因しているのだろう。


「いえ、イリアちゃんには私がお世話になってばかりで。あ、私は初瀬雪乃と言います」雪乃も慌てて立ち上がると、相手に合わせてお辞儀をした。


「それで……お母さん、ルリのことで話って?」イリアは家に引かれた水道ポンプから鍋に水を蓄えると、"かまど"のような場所にそれを置いた。


 かまどにはその左右に大きなパイプと小さなパイプが繋がっており、大きなパイプの側面には魔水晶が取り付けられていた。

 イリアが魔水晶に触れながら念じると、大きなパイプから小さなパイプへを通り、かまどへとエーテルが通っていった。つまりはエーテルが圧縮されたということである。

 エーテルも気体であるがゆえに、圧縮されれば自然と温度が上がった。それも圧縮する手間に比べて"異常に温度が上がる"ことがエーテルの特徴だった。(このことを温度上昇係数が高いと表現するらしい)


 やがて数十秒もしない内にかまどに火がつき、鍋の中の水を温め始めた。


「あなたたちは、ルリに何か違和感を感じなかったかしら?」とアステリアが言った。


 その言葉にイリアは数秒答えに迷い、そして意を決するように口を開いた。


「……はい。今のあの子は"どこか"おかしい。決定的に何がおかしいとまでは、わからないけれど」とイリアが言った。


「私も、違和感を感じました。まるで意思が満足に働いていないみたいに。大事ななにかが欠落している……ような」雪乃は思っていたことを口にしようか迷っていたが、イリアが同じように違和感を感じていたというのなら、自分も正直に話すべきだろう――雪乃はそう考えた。


「まさか、毒がまだ完治していない――とか?」心配そうにイリアが呟いた。


「いえ、エーテル毒は完治しています。ただ、今のあの子の身体の中には……魔物がいます」アステリアは静かにそう言った。


「魔物って……どういうことですか」声を震わせながらイリアが言った。身体の中に魔物がいる――? 魔物には色々な特殊能力を持つものがいるのは知っている。でもそんな"寄生"するような魔物の存在をイリアは知らない。


「ミンドラといってね」アステリアは脇に置いていた大きく分厚い本をテーブルに置くと、ぱらぱらとページをめくり始める。そこにはあらゆる魔物の情報が記録されており、ある魔物の項でページをめくる手が止まった。


「ミンドラ。母体と素体と呼ばれる二種類の状態が存在する。まず母体状態の時、生物にエーテル毒を注入する際に自らの遺伝子情報の一部をその生物――宿主となるものに送り込む。送り込まれた遺伝子情報は素体と呼ばれる小さな魔物となり宿主の精神内に巣くうが、基本的に宿主はエーテル毒で死亡してしまい、それと共に素体も消滅してしまう」イリアがそこまで読んだところで、先ほど暖めておいた水が沸騰する音が聞こえた。


「私がいってくるよ」アステリアはそう言うとかまどへ向かい、鍋を取り出し中のお湯を、甘い香りのする葉を浸したカップに注ぎ始めた。どうやら紅茶を淹れるつもりらしい。


「すみません、お母さん。お願いします――。しかし万が一、エーテル毒をなんらかの方法で耐え抜いた宿主は"優秀な個体"と認識され素体に寄生される。その後はありとあらゆる方法で宿主の精神状態を揺さぶり(悪夢を見せたり、幻覚や幻聴を誘発させるなど)それにともない発生する"負"のエーテルを宿主から吸収し続け、それが空になるまで吸い続け宿主が死亡することで素体は外の世界に出て母体として活動することが可能になる」


 イリアは本来なら自分がすべき業務を一旦母に任せ、魔物――ミンドラの記事文を読み上げた。


「負のエーテルって?」聞いたことが無い単語だ、と雪乃が言った。


「エーテルとは、私達が念じて操作することができるものです。しかし自分の身体の中にあるエーテルだけは、他人が操作することができません。エーテルは生命エネルギーですから、そんなことが簡単にできたら人はすぐに死んでしまいますね」とイリアが言った。エーテルを持たない雪乃だが、原理は理解しているので「なるほど」と頷いた。


「エーテルが生命エネルギーそのものということは、身体の中のエーテル量は我々のコンディションによってダイレクトに左右されます。例えば重い病気にかかっているときや、"極度に精神状態が不安定"なときはとても少ない状態なことが多いです」とイリアが言った。その言葉に雪乃は気づいた。エーテル量が普段よりも少ないということは、平均の状態から"失われている"ということ。


 つまりコンディションが悪い時に足りないエーテルはどこかに消えてしまっているのだ。"負のエーテル"として。

 ミンドラなる魔物はその状況を自ら作り出し、宿主に供給されない負のエーテルをどんどん吸収しその存在は巨大に、強力になっていく。そして強力になったその分だけその能力で宿主を更に精神的に追い詰めることができるようになり、やがて――。と、雪乃はその先のことを考えようとしてやめた。怖くなったからだ。


「なるほど……この魔物の生態系が少し分かったような気がするよ」それもあんまりに合理的すぎて、怖いくらいに。と頭を抱えながら雪乃が言った。


「お医者様が仰っていたの。あの子の身体には魔物がいるって。そしてどこか様子がおかしいのはその魔物のせいだと」アステリアはそう言ってテーブルに紅茶を運んでいった。


「とにかく、はやくそのミンドラっていうのを対処しないとルリちゃんが危な……い……?」早速礼を言って紅茶に口を付けようとしていた雪乃の言葉が途中で止まった。なぜなら、その視線の先……家の玄関に立ち尽くすルルリノの姿があったからだった。


「ルリっ!? いつからそこに……外で待っててって言ったでしょう?」


 今の話が聞かれていたのだろうか? ルルリノの精神内に寄生する魔物ということは、こちらが魔物を打倒しようとしていることが知られたかもしれない。なにより、せっかく退院して自信を取り戻したルルリノを不安にさせたくない――イリアはそう思っていた。


「だって、雨が降ってきたから……」ごめんなさい、とルルリノが言った。「雨?」とイリアは窓から空を見上げるが、今日は快晴そのものだ。雨が降る気配はない。


「ルリ、外に雨は降っていない」


「降ってきたんだよ。だってほら、ルルリノの服がこんなに濡れて……?」そう言ってルルリノは自身の服に触れるが、もちろん濡れてなどいなかった。「あ、あれっ……おかしいな……」と何度も確認するが、どの部位も濡れてなどいなかった。


「雨が降る夢を見たんだよ、きっと。ルリはお昼寝が好きだもんね?」ルルリノを不安がらせないために、アステリアが機転を利かせて言った。もしもミンドラからの攻撃を受けているというのなら、精神的に不安にさせるわけにはいかなかったのだ。


「うーん……そうかもしれない。気がついたらお庭の芝の上だったんだもの」指先をあごに当て、しばらく考えたあと納得したようにルルリノが言った。


「まだ病み上がりで身体の調子が良くないんだよ。お母さんと一緒にお昼寝の続きしましょうか」


「うんっ! お母さんとお昼寝する!」ルルリノはそう言うと、アステリアに寝室へと連れられていった。



「……どう思う、今の」完全にルルリノの姿が見えなくなってから、雪乃が言った。


「十中八九、魔物からの攻撃を受けていると思います。なんらかの方法で私達がルリの中の魔物の存在に気づいたことを"やつ"は嗅ぎつけ、そして私たちの今後の作戦を盗み聞きするためにルリに雨の幻覚を見せて家に帰らせた。大方、我々が"魔物が人語を解することを知らない"と踏んだ上での作戦だと思います。かなり利己的なようですね」とイリアが言った。


「待ってよ、魔物たちの間では"最近"人間に話しかけるルールが出来たって亀の魔物が言ってたよね? だからミンドラも私たちが魔物が喋ることができるって知っていることを、解っているんじゃ?」と雪乃が言った。


「そうです、彼らにそんなルールが出来たのはごく"最近"です。しかし、ミンドラが自我を持ち始めたのはいつ頃だったのでしょうか?」と逆にイリアは雪乃に問いかけた。その言葉に雪乃ははっと何かに気づく。


「ルリちゃんが魔物に襲われたのは確か、五年以上前……その時母体がルリちゃんに"子供を送りつける"なり"身体の一部を分離して送りつける"なり、どっちにしたってその時点では亀の魔物が言っていたルールは存在していない……」


「そうです。そしてルリはその時から今日まで"カプセルの中にいた"。だからそのルールをミンドラが知っているはずがないんです。これは我々にとってかなりのアドバンテージになるはずです。今回の敵は知恵に頼っているようですから」とイリアが言った。


「下手をすると足元を救われる相手だけど、情報戦ではこちらが有利……か。でもミンドラは実体のない"精神的な部分に潜む魔物"なんでしょう? どうやって戦えばいいんだろ?」と雪乃が言った。


「それについては、少し心当たりがあります。先ほどお母さんが言っていたお医者さんなのですが……とても魔物の生態や不思議なアイテムに詳しい方なんです。その人を訪ねてみましょう」なんとかルルリノを助ける算段はついた、とばかりに安堵の表情を浮かべながらイリアが言った。「それじゃあ早速その人を訪ねよう」と雪乃は立ち上がった。医療術を持ち、魔物の生態やアイテムにも詳しい……とても凄い人なんだろうな――。と雪乃には半分の楽しみと、半分の緊張があったのだった。

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