浅草逃がし屋稼業
色々なジャンルを書いてみようと思って短編祭りをしています。
今回は少しサスペンス風。そして初江戸物。ちょっと怖さが足りないか……
浅草の一角にその見世物小屋はあった。軽業や手妻を見せるその小屋には、よく当たると評判の占い師がいた。占い師の名前は紗世。幼い顔つきだが、実は20代後半なのではないかともっぱらの噂だ。その若さの秘訣も人気の一つらしい。
時折小屋の前で尻尾が三本ある、まだ若い猫又を膝に乗せて居眠りをしている。
ある夏の終わり、そこに一人の町娘が訪れていた。浅草橋にある小間物屋の娘、菊だ。
「このままだと私、大店の後妻にされてしまうんです。どうしたらいいんでしょうか。」
思い詰めた顔で相談してきた菊の手を紗世はじっと見る。紗世が行う占いは人相と手相だ。結婚運は悪くはない。ただ、今ではないように見える。紗世は言葉を選びながら話をする。
「あなたは今、人生の分かれ道に来ているのね。嫁いでもそれほど悪いことにはならないと出ているわ。でも、あなたは嫌なのね。」
菊は頷く。
「そんなところにお嫁に行くくらいなら、死んだ方がマシです。」
きっと口を引き結んだ菊を見て、紗世はため息をつく。このまま放置して本当に身投げをされても困る。
「あなたの運命を変える道は一つ。ただ、それはしがらみを捨て、命を賭ける道。」
菊の顔は青白くなっていたが、怖がる様子はなかった。
「今までの全てを捨てても構わないと思うなら、お金を用意して、すぐそこのお稲荷さんにそのお金を置きなさい。親の財布から盗むような真似はしないのよ。」
明るい顔になった菊が帰っていくと、紗世は管狐を呼び出した。手のひらに乗る小さな狐だ。
「あの娘を見張っておいて。お金を自分で準備したら教えて頂戴。」
管狐は小さな声で鳴くと、姿を消した。
「父さん。仕事が入りそう。」
この見世物小屋の主人が紗世の養父だ。
「誰だ?」
「浅草橋にある小間物屋の娘で名前は菊。大店の後妻にされそうなんだって。」
「なんだか裏のありそうな話だな。」
父親は腕組みをする。
「うん。だから管狐をつけてる。」
管狐は離れていても紗世と話ができる。
しばらくして、管狐から連絡が入った。菊の母親が早くに亡くなり、父親は何年か前に後妻を娶った。しかし、その後妻が息子を出産したあたりから、菊への態度が変わってきたらしい。
「要は前妻の娘が邪魔になったってこと?」
「菊が婿を取ったら息子の行き場がなくなるかもしれんと考えたんだろうなあ。」
「どうしようもないね。親ってやつも。」
紗世の言葉に、父親は複雑な顔をしたが、何も言わなかった。
自分も捨てられた立場だから、紗世は親に対する評価が厳しいのだ。
「あとは本人の気持ち次第だな。」
紗世と父親は顔を見合わせて頷いた。
数日後。菊が浅草の稲荷社に向かっている時、紋付黒巻羽織の男とすれ違った。男は弓ノ進。奉行所の同心である。
「ん?」
弓ノ進はふと振り返った。娘の足元を小さな獣の影が追っているように見えたのだ。
たそがれ時には色々なものが見えやすくなる。それは弓ノ進が誰にも言えぬ、胸奥の秘密であった。
気になった男は、ゆっくりと娘の後をついていった。
娘は稲荷社に行き、懐から包みを取り出すと、手を合わせた。それを見ていた男の頬に、ぽつりと水滴が落ちてきた。雨だ。娘が慌てて立ち去るのを見送った弓ノ進も近くの軒下に駆け込む。
「参ったなあ」
仕事着はこれ一枚なのだ。弓ノ進が雨空を見上げた時だった。
「お武家さま、よろしければどうぞ。」
横からそっと傘が差し出され、弓ノ進はぎょっとした。人の気配など感じなかった。
傘から伸びる白い腕を辿り、顔を見た途端、男は息を飲んだ。
薄闇の中、白く浮かび上がる顔は幼く見えるが、赤い唇と深い色を湛える瞳には落ち着いた何かがあった。
「そなたは一体」
どこから湧いてきた、と言いかけ、そんな訳はないだろうと思い返す。
「わたくしはこの先の見世物小屋で占いを致しております、紗世と申します。よろしければ、今度お遊びにいらしてくださいな。お武家様の人相は少し変わっておりますゆえ。」
弓ノ進は思わずつるりと頬を撫でた。
「ささ、お急ぎください。この雨、しばらくはやみませぬから。」
「かたじけない。傘はいずれお返しいたす。」
雨の中、遠ざかっていく弓ノ進を見送る紗世の所へ若い猫又がやってくる。
「あんな同心、放っとけばいいのに。」
紗世は猫又を抱き上げて稲荷社へ入ると、供えてあった包みを手にする。
「あの男はね、いつか私達を追い詰めるかもしれない。それが分かったから、放っておけなかったのさ。」
顔を見て、分かってしまったのだ。彼と紗世の運命はここから近くで回り出す。紗世が何か痕跡を残したら、彼はすぐさま紗世を捕らえるだろう。そう考えただけで、紗世はぞくぞくした。今までに感じたことのない快感だった。
「そんな感じじゃにゃいと思うよ。」
「それならそれでいいさ。さ、仕事開始だ。」
弓ノ進が傘を返しに行ったのはそれから五日後のことだった。雨に打たれたのが良くなかっのか、夏風邪を引いたのだ。
しばらくぶりに出仕した奉行所は、浅草橋の小間物屋の娘がいなくなったと大騒ぎになっていた。習い事の帰り、友達と別れてすぐに居なくなったらしい。
この前稲荷社で見た娘が弓ノ進の頭をよぎる。そして傘を貸してくれた紗世のことも。
(まさか、な。)
「見廻りのついでに友達の話を聞いてこい。」
そう言われ、弓ノ進は傘を片手に浅草へと歩き出した。友達の家は和菓子屋だそうだ。傘のお礼を買うにも丁度いい。
和菓子屋に着くと、弓ノ進は用向きを告げた。娘と話がしたいと言うと奥に通される。帰りに大福を買いたいというと、話している間に準備してくれることになった。
母親と一緒に来た娘は少し落ち込んだ様子だった。友達が急に居なくなれば、そうもなるだろう。むしろ母親の方が何かを言いたそうにそわそわしている。
「気落ちしてるとこ悪いんだが、別れた時のことを教えてもらいないだろうか。」
その一言だけで娘は涙目になる。
「お菊ちゃんとは、すぐ近くの辻で別れたんです。お菊ちゃん、最近はお嫁に行くことに悩んでたけど、占い師さんに話を聞いてもらったら、気が軽くなったって。新しい場所でも頑張るって、そう言ってたから。」
話しながら嗚咽が止まらなくなる娘に、弓ノ進はオロオロとする。
「あ、いや、すまなかった。何かまた思い出したら教えてくれ。」
母親が娘を部屋から出すと、弓ノ進は安堵のため息を漏らした。泣く女はどうしていいのか分からないので苦手なのだ。
しばらくすると母親が戻ってきた。
「申し訳ありません。ずっとあんな様子なのです。」
「無理もありません。急に友達がいなくなったのですから。」
弓ノ進の言葉を聞いて、母親がずいっと弓ノ進に近づいてくる。
「お菊ちゃん、あの後妻に何かされたんじゃないでしょうねえ。」
周りを憚るように話す母親の言葉に、弓ノ進はぎょっとする。
「何か、とは。」
「いえね。お菊ちゃんの父親が再婚して子供ができてから、どうもお菊ちゃんの様子がおかしくてねえ。近所でも噂だったんですよ。怒鳴られてたり殴られたりしているわけではないんだけど、どうにもよそよそしいって。そこに今回の輿入れの話でしょう?お菊ちゃんが邪魔になったんじゃないかとねえ。ああ、娘には内緒にしておいてくださいよ。」
どうやらお菊の家には色々と問題があったらしい。そしてお菊が相談したという占い師。弓ノ進の頭には雨の日に出会った女の顔がチラついていた。
道行く人に尋ねると、見世物小屋の場所はすぐに分かった。
まだ客が入る時分ではないのか、小屋の外で一人の女が猫を膝に乗せて床几に腰掛けている。紗世だ。近づいてみれば居眠りをしているのかうつらうつらと船を漕いでいる。
「すまないが起きてもらえるか。」
弓ノ進が声をかけると、紗世はびくりとした。それに驚いたのか膝の三毛猫がするりと逃げ出し、あっという間に見えなくなった。
(ん?)
尻尾が一本ではないように弓ノ進には見えたが、確認もできない。
「なんだい、人が気持ちよく眠っている時に。」
少し不貞腐れたように言う言葉に、弓ノ進は猫から意識を戻した。
「いつぞやは傘を貸していただき、大変に助かった。礼を言う。」
傘と一緒に大福を渡すと、紗世の顔がふっとやわらいだ。
「わざわざ返しに?ああ、それとも占いをご所望ですか?」
そんなつもりではない、といいかけて、弓ノ進はふといたずら心が湧いた。
「失せ物探しはできるのか?」
「ええ。何を探しましょうか?」
「浅草橋の小間物屋の娘、菊だ。行方が分からなくなっていてな。どこにいるのか探しているのだ。」
紗世は何かを探るようにじっと弓ノ進を見つめている。居心地が悪くなり、弓ノ進は思わず視線を逸らした。
「どうやら占い師に相談している節があってな。」
「ええ、それでのお見えでございましたか。確かに、その娘さんはここに参られ、ご相談なされましたよ。中身は話せませんけれど。」
隠していても仕方がないと言うように、紗世は言うと、立ちあがる。
「こちらへいらっしゃいませ。占ってしんぜましょう。」
占い小屋は狭く、二人入ればいっぱいになってしまう。先ほどよりも近い距離で紗世と対面することになり、弓ノ進は視線のやり場に困ってしまい、下を向いた。
「普段の占いは人相と手相ですがね。失せ物探しなら、こちらで。」
筮竹をジャラジャラと鳴らすと、紗世は占いを始めた。
おや、と紗世は首を傾げる。
「不思議ですね。お菊さんはもういない、と出ています。」
「もういない、と申されるか。」
「さて。そこまでは分かりかねます。むしろここからはお武家さんのお仕事ではないですか?ちょっと手を失礼いたしますよ」
弓ノ進が手を差し出すと、紗世が触れる。その冷たさに弓ノ進はびくりとする。
「お名前は?」
「弓ノ進だ。」
そういえばまだ名乗っていなかったことを弓ノ進は思い出し、名前を告げる。
「弓ノ進様。弓ノ進様はこれから大きな仕事の岐路がある、と手相に出ています。変わった運命をお持ちだと顔には出ている。それが吉と出るのか、凶と出るのか……。しかし、この道を進めば、いずれ、貴方様が追うべき恐ろしい運命と巡り合うでしょう。」
弓ノ進の顔をじっと見つめる紗世の視線にどうしていいのか分からなくなった弓ノ進は慌てて立ち上がった。
「う、占いはここまででいい。いくらだ?」
手を引っ込めないまま、紗世は微笑んだ。
「あの時のお傘と、この大福で、既にお代は十分でございますよ。」
慌てふためいて帰っていく弓ノ進を、紗世は面白そうにじっと眺めていた。
「おせわになりました。」
紗世の前には日に焼けた農家の娘が立っていた。背中には野菜を背負っている。それは、小間物屋の娘、菊だった。飢饉で親に先立たれ、遠い親戚のところへやってきた、ということになっている。
「農家の仕事はやっていけそうかい?」
紗世の言葉に菊は嬉しそうに頷く。
「はい。頑張ります。」
これから冬が来る。生家ほど裕福ではない暮らしに彼女がどれだけ耐えられるのだろうか。今はまだそれほどではないが、アカギレもでき、水に触るだけでも痛くなるだろう。
「まあ、頑張んな。管狐はおいて行くから。何かあったら連絡しておくれ。」
ぺこりと頭を下げ、新しい家へと入る菊を見届けると、紗世は踵を返して歩き始めた。
管狐は、連絡用でもあり、見張りでもある。彼女が今の境遇を恨み、紗世たちのことを周りに話してしまわないとも限らないのだ。
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