56. ある物語は最強だった
【セリタス王国には、馬鹿な侯爵令嬢がいる。
継承権第一位の王太子殿下の婚約者。未来の国母、レティシア・オベール。
本来その立場にいるべきは、聡明で能力が高く淑女の鑑のような存在だ。
しかし、レティシアは高飛車で傲慢だった。おまけに、貴族の証でもある魔法も下手だった】
これが、ある物語の冒頭だ。
レティシア・オベールは脳筋だった。どこまでも善人で、人に愛される才能を持っていた。それ以上に、人を愛する才能を持っていた。
誰よりも国母に向いていて、誰よりも酷い人。愛されているのに、愛されているから、自分を犠牲にしてしまう人。
ある者は想いに泣き、ある者は荒唐無稽な話だと笑った。山を登って帰ってくるのが数十分。魔力だけでドラゴンをぶっ倒すだなんてあり得ない話、信じられない。
実際、あとがきは「信じるか信じないかはあなた次第な物語」と締められている。
……それこそが狙いだった。
クラスメイトであり、文化祭では劇の脚本も務めた、実は巷で有名な劇作家マルレーヌ。彼女の書いた本は、ロラ主導の国家権力、サラやアネットなど庶民による庶民への宣伝で、爆発的に売れた。
【満月の夜、レティシアの記憶が戻るよう祈ること】
レティが記憶を無くし、殿下が生き返ったところで話は終わる。駄作だと叩きたくなるものだが、なぜかこの一文が忘れられない。たとえ物語だろうとも、もしも、本当に記憶がないのならば。
満月の夜、家で食器を洗っていた女も、酒場で呑んでいた男も、もう寝なさいと怒られている子供も。寝ていたはずの老人も。なんとなく、皆祈る。各領主である貴族は魔法を展開させ、民の祈りを送る。
レティに助けられた人、レティを愛している人は、大勢いた。
全ての民の祈りを集め、増幅し、一人に乗せる。レティにしか不可能なことでも、大勢の力を借りれば可能にできる。少数ならば、神の間に送れる。
王城の謁見室には、大魔法陣が展開されていた。端には有力者が円を作り、力を安定させる役目を持つ。術者である大魔法使いルネが、杖を真ん中に置いた。
「クロヴィス殿下、レティ様、よろしいですか?」
「ああ」
「もちろんよ」
はぐれないよう、殿下とレティは手を繋いでいた。
大魔法が発動する。あの時、レティに出会わなければ、完成しなかった魔法だ。
膨大な、神の間に通じるほどの祈りが、殿下に集められる。闇属性と反発し合うが、それでも耐えた。レティのためなら、闇属性を抑えることなど辛くもなんともない。
「行こう、レティ」
「行きましょう、殿下」
辺りが光に包まれる。眩しさで、何も見えなくなる。
皆は祈った。どうか、レティが記憶を取り戻し、無事に戻ってきますように。
殿下は願った。どうか、レティのために、レティが記憶を取り戻せるように。
レティは想った。この愛しい人たちの祈りと願いが、叶いますように、と。
『そう何度も来るところじゃないんだけどなぁ』
真っ白い空間で、神は苦笑した。レティと殿下が顔を見合わせる。確かにそこは神の間で、魔法は成功したはずだった。
『しかも今度は大勢の民の力を借りて……か。また来れないように対策しないとなぁ』
ここまで頑張ってきたのに、あまりにも軽い。レティは記憶がないためわからないが、もしあったならば「全然態度が違うじゃないの! 前の荘厳さはどうなさったの!?」とつっこみを入れたことだろう。
『で? 今度はなに?』
もう終わった話だろうと、神は冷めた一瞥をよこす。殿下は動じない。ただ記憶を返してくださいなんて、言うつもりはない。相手は神だ。自分と同じく、人の心なんてものはない。
『等価交換をしに来ただけだ』
膨大な量の聖書や壁画を読み込み、出した結論。
世界の理に基づいて、正式にレティの記憶を取り返しに来た。殿下からしても、ただそれだけのこと。




