誓約の銀杯
解呪の儀式にめどがついて、必要な素材集めに出かける。
解呪には浄化、破壊、和解、再生の四つの儀式が必要で、それぞれの儀式の目的によって必要な素材が異なる。
儀式に必要な素材は、霊泉水、銀の燭台と白蝋の蝋燭、歴時花の束、黒曜石の短剣、純黒の山羊の血、火炎石(炎のルビー)、誓約の銀杯、ラピスラズリの粉末、真夜中の月光を吸収した水晶、聖油(祝福のオリーブオイル)、黄金の小麦束、聖なる鳩の羽根、命の樹の葉(世界樹の葉)、そしてイリス本人の涙と多様だ。
このときほど、エレシュポロンの町に生まれ、神殿と深くかかわってきたことに感謝したことはない。
まずは、聖エレシア大神殿の大司教へ、神殿で融通できる物がないか相談してみた。
「いいでしょう。他ならぬ、ルーカス君の頼みです。私から出入りの商人へ声をかけておきましょう」
大司教は好々爺然として柔らかくほほ笑むと、そう答えた。
ここの大司教は、教皇にはなれなかった枢機卿の上がりポストが定番だ。神殿内での権謀術数では負けたが、人柄で評価されてきた高級神官が就くことが多い。現職の大司教も、そんな人物だった。
「座下、心から感謝いたします」
「あなたは、子どもの頃から神殿に大きく貢献しています。こういうときこそ、報いておかないと神罰が下ろうというものですよ」
「過分な評価をいただき、恐縮の限りです。これからも、誠心誠意神殿のために務めさせていただきます」と、謝辞を述べる。
「期待していますよ。ほっほっほっ……」
大司教は、朗らかに笑って流してくれた。
結果、次のとおり、神殿のお声がかりで出入り商人から購入するめどがついた。
一、銀の燭台と白蝋の蝋燭: 銀は邪悪を退ける金属で、蝋燭の白い炎が心を澄ませる象徴。
一、ラピスラズリの粉末:青色の聖なる石。過去の痛みや苦しみを癒やし、心を穏やかにする力がある。
一、聖油(祝福のオリーブオイル): 祝福を象徴する油で、再生と保護の力を持つ。
一、黄金の小麦束:豊穣と繁栄の象徴。再生の儀式に不可欠。
それから、入手に手間がかかるものへ手をつける。
まずは、「聖なる鳩の羽根」だ。平和と新生の象徴。儀式に使うことで祝福を高める。特定の祭壇や神聖な森に棲む伝説の鳩から入手するもので、 入手難易度は高い。
ところが、神殿を後にしようとしていたとき――、
「ルーカス。私に相談がないとは、寂しいわね」と、声をかけられた。権天使メバヒアだった。
彼女は、四枚の純白の翼を静かに羽ばたかせ、僕の傍に舞い降りた。穏やかな笑顔を浮かべている。
「これはメバヒアさん。失礼しました。もしかして、素材に心当たりがあるのでしょうか?」
「聖なる鳩の羽根が必要なのでしょう。忘れてもらっては困るわ。この神殿の格付けは最高。伝説の鳩くらい棲んでいて当然よ」
「えっ? ……ああ、もしかして真っ白で気位の高い、あいつですか?」
「なんだ、よくわかってるじゃない」と、メバヒアは皮肉めいて言う。
「これは、まさにProphetae in patria sua honorem non habet(預言者は自国では敬意を持たれない)ですね。動転して、どうかしていました」
「ふふっ、ずいぶん頼もしくなったと思っていたけれど、まだ、かわいいところがあるのね」
「それは……まだ成人にもなっていないですし……」
少し照れて、頬が熱くなった。
そこへ件の白い鳩がひらりと舞い降りた。どこか誇らしく僕を一瞥すると、バタバタと羽根を震わせる。すると、羽根根が三枚ほど抜け落ちた。
「くれるのかい? ありがとう」と、お礼を言うが、あっという間に飛び去った。
普段は、餌を求めて人に殺到したりしないやつだが、心が通じたのか? さすが伝説の鳩というべきか?
次に「誓約の銀杯」の入手へ向かう。和解や契約の象徴として使われる古代の儀式用の杯で、神殿や遺跡で探し、入手する必要がある。
いくつかの神殿で保有していることが知られているが、譲り受けることは考えにくく、拝借するしかない。
貴重なものなので、それも難しいが、複数保有している神殿ならば可能性はあるだろう。
僕は、唯一「誓約の銀杯」を複数保有している総主教庁のある帝都バシレイオンへ向かった。
地上を徒歩で旅していては、急いでも二週間はかかる。そこはペガサスのゼファーに乗って急行したら一日で到着した。
総主教庁のあるアステリオン大聖堂では、主神アルナが祀られている。
技術の粋を凝らした建築で、巨大なドームが宙に浮かんでいるように見える設計となっている。ドーム基部には四〇個の窓が配置されており、光が差し込むことで浮遊感を演出している。
内部には、金箔を多用した壮麗な宗教的モチーフと宗教的シンボルや複雑な幾何学模様が、神の秩序と調和を表現している。
先触れの手紙を提出し、正式訪問は翌日にする。
翌日、総主教庁を訪問する。
僕は、未成年なので正式には神官に叙任されていない。
だが、楽団のコンサートマスターとして、事実上、アルカントールの任に就いていた。典礼音楽奉仕者の長で、神官の下位職最上位の誦読者に準ずる職だ。
今日は、服装もそれにふさわしい正装をしてきた。
天上の調和を表す青色のトゥニカ(長い袖付きのチュニック型祭服)に、ストラ(首から胸に垂れる細長い布)を十字にかけ、その裾には金糸と銀糸を使用した聖エレシア大神殿を示す装飾が入っている。
クラミス(肩にかける短いケープ)とガーデン(聖歌に関連したデザインが入る帯)をつけ、カリギア(革製のサンダル型の靴)を履いている。
総主教庁の門へ着くと、二人いる長身の守門の男は、睨みを利かせた。年若い僕を見て侮っているのだろう。
だが、ストラに入る装飾を見て、少しだけ表情が軟化した。権力がないも同然とはいえ、腐っても最高格付けの神殿だ。
「聖エレシア大神殿所属のアルカントゥール、ルーカス・メルラと申します。昨日の先触れの手紙のとおり、お願いがあって罷り越しました」
「貴殿のような若者が来るところではないのだがな、総主教庁は。まあ、よい。通れ」
無粋ながらも、守門は通してくれた。
受付窓内へ申し出るが、昼近くまで長時間待たされる。
ようやく応対に出てきたのが総主教庁官僚らしき高位聖職者だが、三〇歳くらいの若手だ。
いきなり眉間に皺をよせ、難しい顔をしている。
これでも、聖エレシア大神殿の大司教の紹介状があったから、対応してもらえているのだろう。
ちっ! と、彼は露骨に舌打ちをすると、嫌そうな顔をした。墓戸の人間だと気づいたのだろう。
さらに、口をゆがめると話を切り出した。
「依頼の件ですが、聖エレシア大神殿の依頼だとしても難しいですな。誓約の銀杯は貴重なもので、いざ必要なときにないでは済まされないものですから」
言葉はまともだが、話すニュアンスに侮蔑の感情が滲んでいる。
「総主教庁は、複数保有していると聞き及んでおります。なんとか、これで融通をお願いできないでしょうか?」
言いながら僕は、トゥニカの袖で隠しながら小さな革袋を渡す。中には金貨が一〇枚、一〇ソリドゥスが入っている。
総主教庁で腐敗が進んでいることは、公然の秘密だ。もとより、タダで話しが通るとは思っていない。
「そちらの事情に同情はしますが、こんなことをされても困りますなあ……」
と、わざとらしく言いながら、彼はトゥニカの袖の影で手のひらを上向きにクイクイと動かす。言外に、もっとよこせと主張しているのだ。
ここに来て、この男を見限った。取られるだけ取られて、ゼロ回答で終わりかねない。
革袋をもう一つ渡しながら、話をを切り出す。
「それでは、総主教庁外交官のセバスティアノス・カリストス卿にお取り次ぎ願えませんか?」
そして、抑えていた覇気を少しだけ解放する。暴力的なものではなく、人としての威厳を主張するもの。
途端に、彼は青い顔をした。
泣き寝入りすることはないと悟ったのだろう。
紹介状を書いた聖エレシア大神殿の大司教は、元枢機卿。閑職へ送られたとはいえ、総主教庁への影響力を喪失してはいない。
カリストス卿は、腐敗の進む総主教庁にありながら高潔であり、良心的な人物として大司教が教えてくれた人物だ。
また長時間待たされて、ようやくカリストス卿と会見できた。
「お待たせしました。早速ですが、ご希望の件については、それなりの心付けがないと難しいかと……」
カリストス卿は、まだ四〇代半ばくらいで、溌溂とした印象がある。その彼は、言葉を濁した。
「心付け」というのは、正式な寄付のことで公式に記録もされる。賄賂とは、まったく異なる。
それでも、心苦しそうなところが、彼の誠実さを感じさせる。
「もちろん、何の見返りもなしにとは考えていません。不案内で恐縮ですが、相場はいかほどでしょうか?」
彼は苦渋を顔に滲ませた。
「何とも金額は示し難いところです。何しろ、数百年前に一度前例があるだけで、如何とも判断が難しいのです。当方も、可能な限り善処いたしますが……」
金額の交渉は意味がないと判断し、いきなり切り札を出すことにする。
「現物の寄付でも可能でしょうか?」
「ダメではありませんが、物によります」
彼は期待薄といった顔をしている。
「では、これではいかがでしょうか?」と言いながら、現物をテーブルの上に出した。
「これは、まさかっ! 不死鳥の羽根⁉」
カリストス卿は目をむいた。
しかも、それは聖エレシア山に棲む進化形の不死鳥だ。大きさは通常の倍近くあり、高貴なピンク色をしている。
もとより、不死鳥の素材はきわめて寡少で、市場へ出回ることはない。オークションで売り払えば、天井知らずの値がつくことだろう。
「ええ、聖エレシア山に棲む不死鳥の羽根根です」
「そうでしたか。これであれば、なんとかなるでしょう」
だが、その回答では満足ができない。絶対確実でなければ。
「それでは、この羽根根は手付といたします。返却時に、もう一枚ということではいかがでしょうか?」
「それならば、申し分ありません。さすがに、異を唱える者もいないでしょう」
こうして、誓約の銀杯を拝借することに成功した。




