1-3 エンカウント
子供のように泣いていたネウマと名乗った女性が泣き止むまで、そこそこの時間が掛かった。
サラは状況を聞き出せない苛立ちを抑えながらポケットティッシュを放り投げ、ブーツのつま先で砂を掘って暇を潰していた。
「んで?アンタ何者?」
「ネウマでず……」
「はいはいネウマさんね、丸腰でこんな所来て何してんの?」
「分かりまぜん……」
未だ鼻声のネウマの返答に、コイツは酒かクスリでもやって記憶が飛んだのか?などと憐れみを強めたサラの視線がネウマに刺さる。
「な、なんですかその目は!?私だって一生懸命なんですよ!」
「うるせぇって……さん付けすらバカらしくなるなアンタ。他に覚えてる事は?」
「ありません!」
「名前覚えてんだろ」
「それ以外全部忘れました!」
「法術使ってるだろ」
「?そうですね」
「何処で覚えた?」
「さぁ……?なんか出てました、イヤボーンです」
「付与ですらアタシがどんだけ苦労して覚えたと……!」
法術とは個人の適正と弛まぬ努力で身につける物だ。
ネウマの法術は高度な代物である為、感覚的に使用出来るなど余程卓越した使い手でなくてはあり得ないだろう。
「っはぁ……役に立たねぇな」
「み、見捨てないでくださいよ!?」
「どうすっかなぁ……マジで」
「ていうか、そもそもここ何処なんですか!?心細いから置いていかないでぇ!」
「うっさ……」
縋り付くネウマを跳ね除け、その場を離れようとするサラが数歩進んだ後、不意に立ち止まる。
「サラさん!!やはり貴女には立ち止まって人を助ける優しい心の持ち主──」
「静かに」
ネウマを遮り、サラが真剣な表情で宙を見つめる。
より正確に言うならば、このスクラップヤードの入り口の方角、そちらに耳を澄ませている。
「?……サラさん?」
「荒っぽいのが近づいてきてんな」
その言葉のすぐ後、フェンスが突き破られる盛大な破壊音がスクラップヤードの最奥にいるネウマの耳にも届いた。
「うひゃぁ!?なんですか!?よく気が付きましたね!」
「ゾンビ探しに感度上げてたからな。来るぞ」
けたたましいエンジン音と共に車両が近づく。
現れたのは大型車、兵員輸送車としても使われるその車両には運転手を含めた8人が乗っている。
「ターゲットらしき女を見つけた」
何処かと通信をしながら車から降りてきたのは大柄な男性。
身体のあちこちにインプラントを埋め込み傷跡も同じくらい刻まれたその風体から、荒事を生業としている事は容易に想像がつくだろう。
続いて降りてきた者達も、荒々しい空気を纏っており、隊列を組むように並んだその様子に、ネウマは萎縮している。
「さてシスターさんよ、目的はあんたじゃねぇんだ」
「だろうね」
話し出したのは最初に降りてきた男。
あくまでフレンドリーに軽く笑顔すら浮かべて話しているものの、その笑顔の奥にある獰猛さは隠しようがなかった。
「分かるだろ?こういう時によく出るセリフ」
「痛い目みたくなきゃってか?」
「あぁ、てな訳でな?」
「そのセリフで素直に避けるヤツも見た事ねぇけどな」
「それは困るね。俺達はもう働き詰めで疲れてんだ、これ以上仕事したくないわけよ。な?」
男は困った顔をしながら、しかし警戒は解かずに短く刈り上げた側頭部をボリボリと掻く。
タンクトップから伸びたその腕が、鍛え上げられた筋肉を威圧するように主張するその様子、サラは僅かに目を細めた。
「ふぅ……だったら俺達も、もうひと仕事しなきゃなん──」
警戒の隙、瞬きをしたその僅かなタイミングでサラは横へと飛び出して左手でネウマの首根っこを引っ掴む。
右手は腰へと回して〈箒〉を掴み、サラの身体が軽くなる。
地面を蹴りその場に土煙を残しながら跳躍と飛行の間の滞空にて、サラは愛銃を抜き放ち銃撃を1発、隊列に向けて放つ。
「ぐっぃっ!?」
「クソッ!舐めやがってこのアマァ!」
狙い澄ました一撃ではなかったものの弾丸は見事に隊列の後方の1人に命中し、不意打ちで胸に風穴を開ける事に成功した。
そのままの勢いで廃車の影にもつれながら飛び込んだ2人は、慌てて飛び起き背後で連続する金属同士の衝突音に身を屈める。
「!?ちょっ、サラさん!?何してるんですか!!?!」
「二の腕のあのタトゥー、アイツら〈トライアイ・カルト〉──魔王崇拝者だ!」
「なんですかそれ!?」
「御伽話の魔王が復活して世界を支配するって本気で信じてるイカれたヤツらだ!ハナっから話なんて通じねぇ!」
「だからって先制攻撃します!?」
「現在進行形でアタシに命を救われてんだから文句言うなよな!」
2人が言い合っている最中にも会話を掻き消さんばかりに銃声が響き、砂利道には空薬莢のデコレーションが広がってゆく。
2人が盾にしている車も、そう長くは保たないだろう。
6人の男達がアサルトライフルを撃ち続け、あとの1人のドワーフは車の中からその背丈からすると不釣り合いな大きさの金属製の筒──無反動砲を取り出した。
髭の下で口がいやらしく笑みを浮かべて、その狙いをサラとネウマの隠れる場所へと定める。
吹き飛ぶ女2人を夢想し目を細め、トリガーに掛けた太い指が徐々に込める力を増し、あと少しで放たれるという時に、ドワーフは自分に掛かる影に気が付いた。
それはおおよそ人の形といえるが、しかし歪に傾いてさらに不快な臭気と呻き声すら聞こえるとなれば──
「グオァァァ!」
「ゾンビ──ぎぃ!?」
倒れ込むように襲いかかったゾンビは真っ直ぐ首筋へと喰らい付き、貪るように頸動脈を噛み切る。
ゴボゴボと泡立つ悲鳴を上げる仲間の姿と、サラとネウマの取りこぼしの3体のゾンビに狼狽えた〈カルト〉の兵達は、銃口を向ける先をゾンビへと切り替えた。
銃声は変わらず聞こえるものの背後で金属音が聞こえない事からチャンスと見たサラは、廃車の影から飛び出して敵へと駆け出す。
箒による加速機動にて常人を超えるスピードで疾走するサラは、その勢いをそのまま攻撃へと活かす。
地面を踏み込み、勢いと共に全体重を乗せた飛び蹴り。
箒とサイバネティクスの二重の加速が加わった蹴りは、もはや砲弾と言っても差し支えない破壊力だ。
「ぐぅっ──っ!」
体をくの字に折り曲げた男のタクティカルベストを装備した腹にはサラのブーツが深々と突き刺さり、これが生身の人間であれば双方共にその身体は深く破壊されていたであろう事が容易に想像出来る。
まるで波乗りのように吹き飛ぶ男を乗りこなすサラはその勢いのまま後方に居たもう1人を轢くなり飛び退いて、銃を撃つ。
放たれた弾丸は現在進行形で吹き飛ぶ男達に追いついて、腹に凹みを作った男の胸を穿ち、さらには奥のもう1人も合わせてバイタルを完全に破壊する。
1発の弾丸で2人を纏めて撃ち抜いたサラは口角を上げ、ゲームでもしているかのように笑って次の獲物へと駆け出す。
「装弾数とピッタリ!」
残りの4人の内1番近い敵の懐、間合いの内側であるアサルトライフルの全長分の範囲の内側へと飛び込み、サラはリボルバーを相対する男の下顎へと押し付ける。
「速っ──!」
「あと3!」
アサルトライフルの連続した銃声が、爆発のような銃声に掻き消される。
ゾンビを攻撃していたカルト兵が慌てて振り返ると、割れたスイカのような頭の、かつて仲間だったものが花火のように真っ赤血と脳を撒き散らし、それを浴びながらより赤い髪の女が急速に接近している姿が映る。
「う、おおっ!」
「ふっ──!」
多少狼狽えたものの、振り返った勢いのまま引き金を引いて弾丸はサラとの直線上を進む。
このまま突っ込めばマトモに喰らうと判断したサラは、箒による瞬間的な加速を真横へ向けて駆動させ──
──次の瞬間にはサラの姿は射線上から消えていた。
「くぅっ……回ぃ避い!」
慣性無視の直角移動。
最短の回避ルートを選択したサラの肉体は、苦痛に多少軋むが問題無い。
急に挟まれた横移動によりサラと相対していたカルト兵は瞬間的にサラを見失い、銃を構える彼女を意識の外へ迎えてしまった。
「何処に!?」
「遅せぇ!」
カルト兵とすれ違うように走り抜けたサラは、その無防備な背中へと弾丸を撃ち込む。
致命の一撃を喰らった兵士は崩れ落ち、サラは勢いを殺さずに戦場を駆け回る。
これこそが箒の使い方。
縦横無尽に戦場を移動し続ける高速戦闘。
「ラス2!」
「……」
残るカルト兵は2人。
サラは1番距離の近い偉丈夫、最初に車から降りてきた男を狙う。
左右への移動を織り交ぜた不規則な軌道を描き、放たれる弾丸を躱し狙いを定めさせないまま、土煙を残す強烈な踏み込みにて間合いの内まで潜り込んだサラは見上げるように銃を構える。
(──獲った!)
内心にて勝利を確信して引き金を引き切り、銃火が迸る。
放たれた弾丸は回転しながら宙を飛び、短い飛翔ののち男の命を奪わんとして──
──不意に男が横へとブレた。
「なっ──」
予兆無しの横スライド。
サラが使ったのと同じ箒による瞬間加速。
「弾はあと1発か?」
「クソっ」
これこそが箒時代のCQC。
迅速かつ立体的な移動と、ごく近距離での高速の戦闘を箒を中心に構成した戦闘術。
コマ送りのように急激に身を翻して敵の射線からの離脱を行い、致命の一撃を狙い続ける動きをこの2人はしているのだ。
男は脇へと引き寄せたアサルトライフルを腰だめで放ちながら後退し、サラとの距離を離そうとする。
しかしサラはそれに張り付くように、かつ弾を避けながら接近して銃口を男へと動かす。
「やけに弱いと思ったら!サボってやがったのかよ!」
「言っただろ?疲れてんだよ俺達」
接近するサラを銃床にて迎え撃ち、まるでマーチングバンドのように自在に操る。
体捌きと銃口を向けて動きを制しながら戦うこの技術は一朝一夕で身につく技術ではない。
あらかじめ記録されたモーションデータを状況に合わせて再生するプログラム〈スキルチップ〉ではここまで高度な戦闘を行う事は出来ず、サラに簡単に倒されてしまうだろう。
つまり今なおサラの前に立ち続け、技の応酬を繰り広げるこの男が専門的な訓練を受けた経験がある事を表していた。
「っ……」
「俺の方が弾は多いぜ」
銃弾の直線の軌道上から常に身を離し、かつもう1人残ったカルト兵からの援護射撃が届かぬように、相対する敵と距離を近づけなければならない。
さらにアサルトライフルの豊富な装弾数とマガジン交換の速さにて、サラは幾分不利な状況へと追い込まれていた。
「オラァッ!」
「ぬ、くっ!」
サラの体ごと加速させた蹴りが飛び、しかしそれは受け流すように腕で防がれ今度はサラへ肘が迫る。
この2人を見れば一進一退の攻防ではあるが、カルト兵はもう1人居る。
彼は幾らか離れた場所から銃を構えて、味方への誤射をしないタイミングでサラを撃てるように備えていた。
「クソっ近すぎる!」
しかしその時は中々訪れず、焦れる気持ちで手に汗を握りチリチリとした感覚に苛まれていた時、不意に背後から音が聞こえた。
「また来やがったかクソゾン──!?」
背後には今まさに駆け出した3体のゾンビ。
仲間と共に倒したあのゾンビではない、むしろその仲間そのものだった。
「なっ!なんでそんな早くアンデッドに!」
アンデッドは死体に取り憑いた怨念が仮初の命となって動き出したモノだ。
死体という器が壊れたなら、中身は新しい器を探す。
丁度ここには新鮮な器が幾つも転がっていた事は、怨念にとっては理想的、生者にとっては最悪と言えた。
肉体の損傷が少なければアンデッドの身体能力も高くなる。
死んだばかりで腐ってもいないゾンビ達は、生前同様に全力で駆ける事が出来、その力を生者を喰らう事に注いでいる。
「クソっ!クソだ!なんなんだよこの仕事は!」
「グァァっ!?」
声帯を震わせて襲いかかる、かつての隣人の姿に少なくない動揺を顔に滲ませてゾンビへ銃を撃つカルト兵。
しかし隊列を組むような近距離で、しかも先手を取られた状態では数で勝るゾンビの進撃を止める事は出来ずに、飛びかかってきたゾンビに押し倒された。
「ゴアアァア!」
「い、嫌だやめっ──」
かつて仲間だった3体のゾンビ群がられ貪り食われるなどこの街でもワースト争いを出来る最悪の死に方であったが、カルト兵にとってはあっという間に死んだ事はある意味では救いだっただろうか。
口に赤いモノを塗りたくったゾンビは次の獲物を、生気の無い瞳で睨むなり駆け出した。
「お仲間の加勢みてぇだな!」
「最悪だな……」
視界の端でゾンビの姿を捉えながら楽しげに笑うサラと、対照的に表情に暗いものが混じるカルト兵の隊長。
迫る脅威を認識しながらも目の前の脅威に対処しなければ今、死んでしまう。
チキンレースの様相を呈したこの局面でも尚、サラは獰猛な笑みを浮かべて舞うように戦い続ける。
「アタシってスリルが割と好きなんだよなぁ!」
「イカレ女が!」
カルト兵の隊長が冷や汗をかき、明確に焦りを見せるその横っ面に拳打が衝突する。
「ぐっ!?」
「アタシの事も見てくれないと寂しいぞっとぉ!」
怯んで揺れる視界に次に入ってきたのは生気の無い瞳を、おぞましい輝きで光らせるゾンビ達。
「クソクソクソッ!」
いよいよ近くまで迫ったゾンビに堪え切れなくなったカルト兵の隊長は、悪態と共にアサルトライフルを連続で放つ。
青白い顔がマズルフラッシュで照らされる程に肉薄した、その近距離では既にその勢いを制止する事は出来ず、サラも巻き込んでその死体の洪水に呑まれかけたその時──
「光よ!」
──銃火以外の光でゾンビが照らされた。
その正体は光弾。
放ったのは戦いの様子を安全なスクラップの影から伺い続けたネウマ。
両掌を正面へと突き出し、放たれた光弾はゾンビへと衝突し、球体の中に秘めた光を爆発させてゾンビ達を包み込む。
光はゾンビの不可視の構成物質を焼き、黒い煙のようなモノが大量に噴き出す。
「グォォアァ!?」
3体のゾンビが纏めて聖なる輝きに焼かれ、放出された煙状の物質は駆けた勢いのままサラとカルト兵の隊長の間にカーテンのように伸びて2人の視界を遮る。
「視界が……っ邪魔だ!」
「……」
焦ったままカルト兵の隊長は正面、大きく扇状の範囲を掃射し、煙の向こうにいるであろうサラを捉えようとする。
しかしその煙の向こうから銃撃は飛んでくる事はなく、アサルトライフルの銃声以外は静かなものだった。
「どこへ!?」
そう、砂利を踏む音すら無く静かに──サラは背後へと浮遊し銃を突き付ける。
「ばぁ!」
重く激しい銃声が響く。
ゼロ距離から放たれた弾丸は今度こそ間違いなく目標を破壊し尽くし、花を咲かせる様に広がった額から飛び出してスクラップへと食い込んだ。
「ふぅっ……はい、おーしまい」
リボルバーの銃口から立ち昇る煙を掻き消し、ブレイクアウトしたリボルバーから空薬莢が飛び出す。
慣れた手つきで3発づつ弾丸を2度装填して、折れ曲げた銃身をゆっくりと戻し、カチリとロックされた音を聞いてサラは満足そうに鼻を鳴らした──
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