episode3-2 依存⑥
ちさきさんからしばらくは別々のチームで活動することになると聞いて、鬱々とした日々を過ごすこと一週間。楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去るものだが辛い時間というのは不思議と長く感じられるもので、ちさきさんと会えない日々は泥の中を歩むかのように重く憂鬱だった。
対抗戦の研究や訓練に取り組んでなるべく気にしないようにはしていたが、ディストの討伐に行くと嫌でも現実を直視することになる。ブレイドさんとプレスさんと共闘してディストを倒す。だけど、いつもならいるはずのエレファントさんがそこにはいない。
最近では現実逃避のための訓練にも身が入らなくなってきていて、エクステンドさんから上の空で全然歯ごたえがないと煽るように発破をかけられた。わざわざ時間を取って貰っているのにやる気がないようでは、そう言われても仕方ない。
少し連絡するくらいならいいかなと思ってちさきさんにメッセージを送ろうと思ったこともあったが、私生活も忙しくなると言っていたし、邪魔になっては悪いと思うと中々踏ん切りがつかず結局連絡は取れていない。
たぶん落ち着いたらちさきさんの方から連絡してくれるだろうし、それまでは我慢することにして、気を取り直し対抗戦に向けての準備を進めることにした。
ちさきさんが頑張っているのに、俺だけいつまでも腑抜けてばかりいられない。
それに、ちさきさんが俺にだけ優しいわけじゃなくて、誰にでも分け隔てなく平等に愛を与えられる人だってことは最初からわかってたことだ。だからこそ俺だってちさきさんを信じて、友達になりたいと思った。
俺にとっては初めての友達だから舞い上がって勘違いしてしまっていたが、ちさきさんにとって俺は大勢いる友人の中の一人に過ぎない。だったら俺ばかりが我儘を言うわけにはいかない。俺に手を差し伸べてくれたように、今回はシャドウさんを助けようとしてる。そんなちさきさんを邪魔することなんて、許されるはずがない。
自分を納得させるように言い聞かせながら他の魔女が戦っている動画をスマホで見ていると、軽快で耳障りなチャイムの音が鳴り響いた。うるさいな。
ネット通販で何かを頼んだ覚えもないし、何かのセールスかと思ってインターホンの画面に映し出された映像を見てみると、そこには先日一度訪ねて来た妹、水上双葉の姿があった。ちっ、二度と来なくて良かったのに……。
ちさきさんに約束してしまった手前居留守をするわけにもいかないので、たっぷりと時間をかけてから通話ボタンを押して嫌そうに声を返した。
「はい」
『あ、良かった、留守なのかと思った……。この前訪ねた水上双葉です。今日はお父さんいるかな?』
「いません」
ちさきさんからは一度話を聞いてあげてと言われているが、水上良一はいないのだからしかたない。さっさと帰れという意思を込めて食い気味に冷たく返事をするが、案の定双葉はそれで諦めなかった。
『そっか、えーっと、良ちゃん? でいいのかな? 出来れば少しお話したいんだけど……。もしお家の中が嫌なら、どこか美味しいものでも一緒に食べに行かない?』
この前は終始大人に用があるって感じだったのに攻め方を変えて来やがった。将をなんちゃらかんちゃらは馬をなんたらと言うしな。本来の俺にどういう用事があるのかは知らないが、まずは娘という設定の俺を懐柔しに来たか。いやらしいやり方だ。
「知らない人に付いていくなと言われてます」
『そういうことはちゃんと教えてるんだ……。って、じゃなくて、ほら、お姉さん知らない人じゃないでしょ? お父さんの妹だよ~』
「……嫌とは言ってません。上がってください」
わざわざ双葉のために着替えて外出するなんて面倒だし、適当に話を聞いてさっさとおさらばしたいので家の中に上げてしまうのが一番だろう。少し話を聞けばちさきさんとの約束も果たしたことになるし、少しの間だけ我慢することにしよう。
双葉からの返事を待たずに通話を切って、のそのそと亀のようにゆっくり歩き玄関のドアを開く。
「こんにちわ、良ちゃん」
「……どうも」
「この前はごめんね? お友達との遊ぶ予定だったのに邪魔しちゃって」
「別に」
不機嫌さを隠そうともしない俺の態度に双葉は苦笑いした後、キョロキョロと家の中を見回しながら俺の後ろを付いて来た。
「……何ですか」
「ううん、ここがお兄ちゃんの家なんだなって思って」
「狭くて悪かったですね」
「えっ!? ち、違うよ、そんなこと思ってないよ」
高校を出てすぐに就職したわけじゃないなら双葉はまだ大学生のはずだし、実家に住んでるんだろう。あの家は一人だけで住むには広すぎるから、相対的に単身用のこの家が狭く見えるのは当たり前だ。実際、俺も家を探してた時は狭いと思ったしな。
「座って下さい。お茶くらいはあります」
「そんな、お構いなく」
「じゃあいいです」
「あ、うん……」
来客用の座布団に座らせて飲み物くらいは用意してやろうと思ったが、いらないと言うのなら出す気はない。逐一辛辣な態度の俺に双葉はしゅんとした様子だが、よくもまあそんな顔ができたものだ。双葉が今の俺と同じくらいの時なんてもっと酷かったというのに。
「それで、話というのは? 前にも言いましたけど、お父さんはいつ帰ってくるかわかりませんし、お母さんのことなんて私は何も知りませんから何を聞かれても答えられませんよ」
俺も腰を降ろして、色々と聞かれる前に先手を打ってあらかじめ考えておいた設定を話しておく。普通の神経をしていれば、この歳の子供からこう言われて根掘り葉掘り聞くような真似は出来ないだろう。
「っ、そっか……。今日はね、お父さんのこととかじゃなくて、良ちゃんと仲良くなりたくて来たんだ」
「同情してるなら余計なお世話です。私にはちゃんと友達もいます。放っておいてくれませんか」
「そんなんじゃないよ。ただね、お姉ちゃん友達少ないから、良ちゃんのお友達にしてほしいなって思って……。ほら、良ちゃんもそろそろお洒落とか気になってるんじゃない? 良ちゃんと遊びたくて、今日は良い物持って来たんだ」
そう言って双葉は、肩掛けのカバンの中からプレゼント用の包装をされた袋を取り出し中身を机の上に広げて見せる。それは如何にも子供用と言いたげな、可愛らしい動物のキャラクターが小さな容器に描かれた化粧品だった。
「うわ……」
「小さい子の爪に塗っても大丈夫なマニキュアなんだけど、このピンクのとか可愛いでしょ? どうかな、良ちゃん? 受け取ってくれる?」
明らかにドン引いている俺の様子に気づきもせず、双葉は明るい表情で楽しそうに話しかけてくる。
もしも俺が本当にただの10歳の小娘だったならこれでまんまと懐柔できたのかもしれないが、お洒落だなんだなんて俺は全く興味がない。それどころかむしろ、こんな物で釣る様な作戦を得意げに実行している双葉への印象が悪くなったくらいだ。玩具で小さい子の関心を引こうなんて、変質者と変わらないぞ……。
実際の姪っ子甥っ子に対してそういうプレゼントをすることはまあ、あるのかもしれないが、それだって普通は親に話を通してすることだろう。設定上の父親である俺と連絡が取れないからって、その娘を物で懐柔して抱き込み、そこから親の情報を抜き取ろうなんて……。
「いりません。勝手に物を貰っちゃ駄目ってお父さんから言われてますから」
「でもさ、良ちゃんだって欲しい物くらいあるでしょ? お父さんはお誕生日プレゼントとか、ちゃんとくれるの?」
「お金はたくさん貰ってますから欲しいものがあるなら自分で買います」
「そ、そうなの? で、でもさ、行きたいところない? 遊園地とか、旅行とか、子供一人じゃ行けないところもあるし、叔母さんが連れてってあげるよ!」
「あなたと行きたいところなんてありません」
双葉なんかに連れて行ってもらわなくても、ちさきさんにお願いすれば一緒に行ってくれる。今は忙しくて連絡も取りあってないけど、ちさきさんならすぐにシャドウさんを説得して戻ってきてくれるはずだ。
「早く本題に入ってくれませんか? お父さんに用があるんですよね? 帰ってきたら伝えておきますから」
「……良ちゃんのお父さんに、私のお兄ちゃんに用があるのは、たしかにそうだよ。でもね、今はそれよりも良ちゃんのことが心配なの。良ちゃんは凄くしっかりしてるみたいだけど、それでも一人で生活してるなんて心配だよ。お父さんのことを待ってる気持ちは私にもわかるから、一緒に行こうなんて言わない。でも、お父さんが帰ってくるまでの間、私が代わりになれないかな? 私じゃ駄目かな?」
「……なんでそんな、家族でもないのに」
「家族だよ」
家族じゃない
「良ちゃんがどう思ってても、私は良ちゃんのこと、家族だと思ってる」
「だったらなんで、お父さんは家族にしてくれなかったんですか?」
「っ」
抑揚のない声で問いかける俺に双葉が視線をおろしたのと同時に、息の詰まる様な静寂を打ち壊す様にマギホンからディスト発生の通知が爆音で鳴り響く。
それでもなお、双葉は顔を上げなかった。
「天地悉く、吹き散らせ」
・
「良ちゃん……?」
お前のせいでお父さんはおかしくなった。
お前のせいで私は一人ぼっちだ。
今更こんなことをして罪滅ぼしのつもりか。
良にそんな意図があるのかはわからなかったが、自分自身がそう思っているからこそ、双葉には良の言葉が自分を責めているように感じられた。
思わず良の目を見ていられなくなり、罪悪感から逃れるように視線を逸らした双葉だったが、すぐにこれじゃいけないと思いなおして俯いた顔を上げると、いつの間にか良の姿がきれいさっぱりなくなってしまっていた。
ついさっき、ほんの数秒まで目の前にいたはずの良が、どこを見ても見つからない。
「良ちゃーん? どこ行ったのー?」
風呂場やトイレを見て回っても良の姿は見えない。
単身者用の狭い家に隠れられる場所なんてほとんどない。押し入れやベッドの下など、かくれんぼでもしているかのように隅々まで良の姿を探したが、結局見つかることはなかった。
双葉の目から見て、良は年齢に見合わないくらいしっかりした子供だ。それが両親の不在を原因としているのであろうことは予想が付くが、それにしても良く出来た子供だと言える。10歳程度の子供と仲良くなるために事前に調べた限りでは、もっと理性のない反抗期のようなものを想像していた双葉だが、良は明らかに双葉に良い印象を抱いていない態度ではあっても、話が通じないということはない。
そんな良が、来客に何も言わず勝手に外出するなんて非常識なことをするとは考えにくかった。だが、現に良は家の中に見つからない。不可解であるはずなのに、同時に双葉はまあそういうこともあるだろうというような謎の納得感を覚えてもいた。
双葉にはこの感覚にどこかで覚えがあったが、それが何なのか思い出せない。いわゆるデジャブというやつを感じて、気のせいではない、私はこれを知ってると必死で記憶を掘り返し、ようやく何かを思い出せそうになったところで思考に靄がかかった。その瞬間、まあそのうち見つかるかという楽観的な予想に思考が塗りつぶされかけ、双葉は良に関する思考を即座に打ち切った。これ以上のそのことに疑問を感じれば、全てを有耶無耶にされると理解して。
(認識阻害……!?)
それから十数分間の間、双葉は努めて何も考えないように、良とは全く関係ないことを考えるようにして、その時を待ち続けた。
そして、先ほど探したはずのトイレから水を流す音が聞こえ、いかにも今お手洗いを終えて戻ってきたところですよという風に良が部屋に戻ってきた。
「おかえり、良ちゃん」
「いえ、話の途中で席を立ってしまいすみませんでした」
「ううん、全然いいよ。ごめん、この後ちょっと予定があるから今日は帰るけど、また来るね」
「そうですか。別にもう来なくていいですよ」
まだ来たばかりだというのに予定があるから帰るなどと、どう考えてもおかしい言い訳なのだが、そんなことを気にした様子もない良の相変わらずの塩対応に苦笑を浮かべつつ、双葉は急いで身支度を終えて良の自宅を後にする。
(八重に……! ドッペルゲンガーに伝えなきゃ……! 良ちゃんは――)
全てを忘れてしまう前に、どうでもよくなってしまう前に、双葉は頭を抑えながら無二の親友であり最も頼りになる相棒、蛸の魔女ドッペルゲンガーへ連絡を取るのだった。




