episode3-2 依存③
水上双葉は、ちょうど10歳離れた俺の妹だ。俺と同じ誕生日だから今は20歳ってことになる。見ない間に随分と大きくなったものだ。俺が就職と同時に家を出てから8年の間互いに連絡を取り合っておらず、当然会ったことだってないためすぐに気が付けなくても仕方がない。
それに俺たちは血統と戸籍上は確かに兄妹だが、実際には家族というよりただ昔一緒の家で暮らしていただけの他人というのが関係性としては正しい。
そんな妹が何故か、ほぼ他人であるはずの兄を、水上良一を訪ねて来た。住所や連絡先だって教えていなかったはずなのに、なにをどうやってか探り当てたのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。問題は今更何のつもりかということだ。俺になんて何の興味もなかったはずなのに、今になって何故。
一瞬、金にでも困って無心しに来たのかと思ったがすぐにそれはないと否定する。あの二人は親らしいことなんてほとんど何もしてくれなかったが、唯一俺たちを金にだけは困らせたことがなかった。もしもこいつがホストだとかギャンブルにはまっただとかで借金を負ったとしても、それなら俺ではなくあの二人に相談するはずだ。
「あの……、お嬢ちゃん?」
「……聞いたことはありますけど、お父さんは今居ないので帰ってください」
双葉の目的について熟考するあまり無言になってしまっていた俺に対して、双葉が心配そうに再度声をかけてきた。
どれだけ考えても何も聞いていない現状では答えを出せない、かといってあなたのことなんて知りませんと突っぱねて、水上良一の妹だと言うことを証明するとか言い出したら面倒だし時間もかかりそうなので、一先ずあなたのことは知ってるけどお父さんがいないからお引き取り下さい作戦で行くことにした。これなら大人しく引き下がって後日改めて訪ねて来るだろう。
双葉と話すことなんてないし、二度と来るなと言ってやりたいところなのだがそういう問答をしている間にちさきさんが来てしまうかもしれない。折角ちさきさんが遊びに来てくれるというのに邪魔をされたくないため、今日のところはさっさと帰ってもらうことを優先する。
「じゃあ、家の中で待たせて貰えないかな?」
「……今日は帰って来ません」
まさかそんなことを言ってくるとは思っていなかったため、早く帰れという一心で深く考えもせずに思わずそう返した。
これだったら双葉のことなんて知らないことにして、知らない人は上げられないとかって突っぱねた方が良かったか? 証明するとか言われても出せるのなんて精々身分証明くらいのはずだし、子供だからわかりませんで押し通せばよかったかもしれない。
何でもいいからとにかく早く帰れよ!
「お父さんがどこに行ってるのか知ってるかな?」
「知りません」
「お父さんっていつ帰ってくるとか言ってた?」
「わかりませんっ」
「う~ん、じゃあ、お父さんが帰ってくるまで一緒に居させてくれないかな?」
「だから、いつ帰ってくるかなんてわからないって言ってるじゃないですか! 早く帰って下さい!!」
いつまで経っても帰ろうとする素振りを見せない双葉に段々苛立ちが募り、返す言葉が雑に、語気も荒くなっていく。最後には不機嫌だという態度を隠す気もなくなり、早く帰れと怒鳴りつけた。
双葉が俺に対してこんなにしつこく執着を見せたことなんてなかったはずだ。どうして、今更……。
「お母さんはいる?」
「っ、しつこいです! 警察を呼びますよ!?」
普段はセールスとかを追い返すために水上良一は今の少女姿の俺の父親ということにしているが、細かい設定なんて考えているはずもなく、あまり追及されれば確実にボロが出る。俺自身が水上良一だなんて言っても信じて貰えるわけないし、そもそも言うつもりもない。だからこれ以上追及されるのを防ぐために脅しとしてそう言った。流石にこれなら引き下がるだろうと思って。
ただ、何がどうしてそうなったのかはわからないが、双葉の反応は俺の予想の斜め上を行った。
「そっか、ごめんね……。ずっと、一人だったんだよね……? 寂しかったよね……」
唐突に、涙を流しながら絞り出す様に紡がれたその言葉は、双葉やあの二人にだけは絶対に言われたくない言葉だった。
「――今更!! いまさら何なんですか!? 拒絶したくせに! 私のことなんてどうでもよかったくせに! 今になっていきなり出てきて! わかったような口を利いて!! ふざけないでください!!」
まさか俺が水上良一だと気づいたわけではないだろう。
こんな幼気な少女の姿に変えられて魔法少女をやっているなんて知らないだろう。
双葉が一体何を考えて少女の姿をした俺にそんな言葉を投げかけたのかはわからない。
それでも俺は、双葉のその言葉が、水上良一としての俺にかけられたかのように感じられた。
双葉からすれば、会ったばかりの少女からそんなことを言われても何のことだかわからないかもしれない。だけど言わずにはいられなかった。
あの二人に見向きもされず、双葉から拒絶された俺に、ずっと一人で寂しかったよね、なんて、そんな他人事のような言葉をかけるなんて許せなかった。
「あの、何してるんですか? 良ちゃんに何か御用ですか?」
「えっ、どちらさまで……」
「ちさきさん!」
玄関を開けた状態で癇癪を起したように喚き散らしていたのだから、周囲に居る人には何か揉め事があったのかと思われるのは当然の話で、そしてタイミングが良いのか悪いのかはわからないが、ちさきさんが到着してしまったらしい。
ドアチェーンをつけた状態ではそんなに大きく扉を開けないし、開ける隙間には双葉が足を差し込んでドアを閉じれないようにしているため、必然的に双葉の身体に覆い隠されて外の様子はよく見れない。だけど、声を聞けばわかる。
傍から見て、今の双葉の状態は怪しさ抜群だろう。身体を無理矢理ドアの隙間に入れて強引に話をしてる時点で常識からは外れているし、相手が小学生程度の年齢の少女ともなれば最早不審者情報がご近所に流れてもおかしくないレベルだ。
「私はお父さんとは違います! 私には友達だっているんです! わかったら早く帰って下さい! 邪魔しないで下さい!!」
「そっか、ごめんね。お友達と遊ぶ予定があったんだね。今日は帰るよ」
「え、あの、ちょっと!」
「ちさきさん! 放っといて良いですから、ちょっと待っててください」
ちさきさんの存在を知って何を感じたのかは知らないが、それまで頑なに引き下がろうとしなかった双葉があっさりと去って行った。ちさきさんがそんな双葉を呼び止めようとするが、さらに俺がちさきさんを制止する。やっといなくなったっていうのに気が変わって戻って来られるのも面倒だ。どうせまた来るだろうけど、その時は居留守を使えば良い。
ドアチェーンを外すために一旦ドアを閉めてからまた開く。ちさきさんはドアの外で、未だに若干の警戒を滲ませながらスマホを握りしめていた。よく見れば画面が緊急ダイヤルになっている。多分双葉に声をかけた時点で警察に連絡出来るようにしていたんだと思う。さすがちさきさんだ。
「良ちゃん、さっきの人大丈夫なの? 警察に連絡しなくても平気?」
「あれは私の妹です。元の私に用事があったみたいなんですが、少し言い争いになってしまって」
「ええっ!? じゃあ私むしろ邪魔しちゃった? 良ちゃんが怪しい人に迫られてるのかと思ったんだけど……」
ちさきさんを部屋に案内してお菓子やジュースを用意しながらさっきの女が自分の妹であることを説明すると、ちさきさんは驚いてばつの悪そうな表情を浮かべた。
「そんな、邪魔なんてそんなわけないです。ちさきさんとの約束の方が先だったんですから、むしろいつまでも帰らなかった双葉が悪いんです」
「双葉さんって言うんだ。でもどうするの? 良ちゃん、女の子になっちゃったって伝えるの?」
「まさか。今日はちさきさんが来たのかと思って間違えて出てしまったんですけど、今後は居留守を使うので大丈夫です。元々私と双葉はそんなに仲が良いわけでもないですから、そのうち諦めて来なくなると思います」
何の用事があるのか知らないが、別に必ず俺と会わなければいけないというようなものでもないだろう。そもそも俺はもう一生関わらないつもりでいたわけだし、向こうだってそれほどの熱意があるとは思えない。今日はどうしてかやたらと執着しているように見えたが、時間が経てば昔みたいにどうでもよくなるはずだ。
「双葉のことなんてどうでもいいんです。それよりちさきさん、今日は何をしますか? 一応、色々と準備はしてみたんですけど……」
「……どうでもよくなんてないよ」
「え?」
「良ちゃん、妹さんと仲直りした方が良いよ」
座布団に腰掛けたちさきさんが、対面に座った俺を見つめて真剣な表情で言った。
……ちさきさんに双葉の話をしたのは失敗だったかもしれない。ちさきさんみたいな優しい人が、俺たちみたいな歪な家族の話を聞き流せるはずがないのは少し考えればわかることだった。
ちさきさんの言うことは基本的にいつも正しいけど、俺の家族についてちさきさんは何も知らない。知らないことを正しく判断するのはどんな天才にだって出来ないことだ。
「喧嘩してるわけじゃないんです。あ、今日は少し口喧嘩みたいになりましたけど、そもそも別にお互い興味がないというかですね、ちさきさんが心配するようなことなんて何にもないので、大丈夫です」
「そんなの嘘だよ。少なくとも良ちゃんは、妹さんのこと、それにお父さんやお母さんのこともどうでもいいなんて思ってないはずだよ」
「そんなことないです。嘘じゃありません。私には、ちさきさんがいてくれればそれでいいんです」
もしかしたら、以前までの俺だったら、心のどこかではやり直したいなんて思っていたのかもしれない。自覚はなくても、幸せな過去を夢見るくらいには望んでいたのかもしれない。当時の俺はそんなの絶対に認めないだろうけど、今ならわかる。きっとほんの少しではあっても、そういう気持ちはあった。
だけど今は違う。だって今の俺にはちさきさんがいるから。友達がいるから。ちさきさんと一緒にいる間は、ちさきさんと遊んでいる時はいつも幸せなんだ。家族とやり直すとかやり直せないとか、そんことどうでも良いくらい、頭の片隅にも浮かばないくらい、楽しい。
だからこんなどうでも良い話はもう止めにして、もっとちさきさんと遊びたい。ちさきさんの役に立ちたい。ちさきさんを楽しませたい。
「そっか、そうなんだね。鶴ちゃんの言ってることは、間違ってなかったってことなのかな……」
「つるちゃ……? 何の話ですか?」
「ううん、何でもない。ねえ、良ちゃん。無理にとは言わないよ。もう仲直りしろとも言わない。だけど、一回だけでも良いから妹さんの話をちゃんと聞いてあげて? もしかしたら何か、勘違いとか、すれ違いがあるかもしれないし」
「……ちさきさんがそこまで言うなら、一回だけなら」
どうせくだらない話だろうとは思うが、ちさきさんにこう言われては頑なに突っぱねることも出来ない。しょうがないから、お父さんに伝えておくという名目で一度双葉の話を聞くことにしよう。まったく、ちさきさんに感謝することだな。




