episode2-4 襲撃②
オウギワシを二回りほど大きくしたような黒い靄の塊が、快晴の空へ羽ばたいた。その後を追うように地をかける少女の姿が三つ。
「飛翔する剣!」
「圧し潰す掌!」
矢のように目にもとまらぬ速さで撃ちだされた4本の剣のうち、2本がワシ型ディストの胴体を貫き、追い打ちをかけるように強烈な圧力がディストの体勢を崩させる。だが、堕ちない。ワシ型ディストはふらつきながらも高度を上げていき、とうとう圧力の影響をほとんど受けない場所まで到達した。
「絶対に逃がさないわよ!」
三人の少女たちのリーダー、魔法少女ブレイドは自分たちの魔法が届かなくなったことを理解してなお、力強く叫びをあげた。
ディストが魔法少女から逃げるのは欺瞞世界に気が付き現実へ繋がる綻びを見つけた時だ。たとえ魔法が届かないのだとしても、指をくわえて見送ることなど出来ようはずもない。彼女たち魔法少女が何のために戦っているのか。それは大切な人を、自分たちの暮らす街を、そして世界を守るために他ならないのだから。
しかし表層的な頼もしさとは裏腹に、ブレイドは内心で焦燥を感じ歯噛みしていた。このままではマズイ、タイラントシルフが居ない時になぜ、と。
元来飛行生物の姿を模したディストというのは、対抗手段足りえる飛行の魔法を持たない魔法少女にとって天敵と言えるほど厄介な存在だ。戦闘において制空権を常に抑えられることもそうだが、逃走されれば地を這い僅かに跳ねることしか出来ない魔法少女に追いつく術はない。だからこそ、飛行能力のあるディストと相対した時には可及的速やかにその存在を消滅させる必要がある。
状況は半ば詰みへと至りかけていたが、ブレイドの闘志は健在だった。己の師であればどれほど絶望的な状況であろうと、命尽き果てるその時まで諦めない。正しさの標として、魔法少女の先達としてブレイドに進む道を示してくれた師であれば立ち止まらない。その信頼が、その憧憬が、ブレイドの闘志を燃え上がらせる。
「ブレイド! 私が投げる!」
「んじゃあたしが追い風ね」
そして今のブレイドを支えているのはそれだけではない。
心を通わせた、背中を預けられる仲間が居る。彼女たちもまた、微塵も諦めていなかった。
「強きこと巨象の如く!!」
走る速度を落とさずにブレイドを抱え上げたエレファントが、ビルの側面を駆け上がり屋上へと躍り出る。着地と同時に全力で跳躍すると屋上が崩壊したが、構わずエレファントはブレイドをディストへ向けて全力で投げ付けた。
「圧し潰す掌ォ!」
エレファントに遅れて別のビルの屋上へ駆け上がったプレスが投擲されたブレイドへ向けて魔法を放つ。高速で投射され強烈な圧力に押し上げられたブレイドは、ディストへ魔法が届くギリギリの距離に辿り着き、叫ぶ。
「飛翔する剣!」
ディストに突き刺さっていた2本の剣はいつの間にか消滅し、新たに撃ちだされた4本の剣が左右の翼に2本ずつ突き刺さる。
相手は男爵級ディストで、ブレイドのアローソードをいくつか当てただけで消滅させることは出来ない。だからまずは飛行能力を潰すために翼を狙った。最初の魔法も狙いは同じだった。胴体に当たったのはブレイドの照準を合わせる能力がそれほど高くなかったからだ。
狙い通り翼に剣が突き刺さり、ディストの飛行妨害に成功したブレイドは着地へ意識を切り替えようとして目を疑った。羽ばたきの速度が落ち徐々に高度が下がり始めていたディストの翼が崩れ落ちるように切り離され、かと思えば再生し始めたのだ。
「自切したっていうの!?」
トカゲや節足動物に見られる、自らの尾や足を切り離す行動。それが自切だ。
自然界においては囮のように使われることもある自切だが、それをディストは自身の飛行能力を回復させるために使用したのだ。
ディストの再生は散らばった黒い靄が寄り集まるように行われる。ブレイドの剣が翼に刺さっていたのは、黒い靄が密集し翼としての形を成していたからこそ。それが切り離され、散らばり、再度寄り集まれば、当然不純物である剣は排除される。
翼を失った影響で一時的に大きく高度を落としていたディストだが、再生と同時に再び空へと舞い戻る。飛行能力を持たず、ただ落ちていくだけのブレイドではもう届かない。エレファントとプレスもディストが高度を落としていた僅かな時間を逃さずに追撃を試みたが、結局は間に合わなかった。
落下していくブレイドの視界の先には、どんどん遠ざかり小さくなっていくディストの姿がある。その姿も直に見えなくなるだろう。
最も身体能力の高いエレファントがディストを追って走り出しているが、徐々に引き離されている。その後にプレスが続き、少し遅れて着地したブレイドも後を追うが、普通に走っても間に合わないことはわかっていた。
何か、何か打開策はないかと必死に足を動かしながらブレイドは考える。咲良町ではこれまで一度もディストを現実世界に通したことがない。自分たちの師や先輩たちが守ってきたこの町を、滅茶苦茶にさせるわけにはいかないのだ。
「もうほとんど瀕死のはず……! だったら!」
すでにブレイドの視界にはディストの姿もエレファントの姿も映っていない。それだけ引き離されている。ならばこのまま追いかけるよりも、現実世界で先回りするべきではないかとブレイドは考えた。
ディストが逃走し始めるまでの間にブレイドたちはそれなりのダメージを与えており、更には自切によって大きく消耗している。ならば、仮に現実世界に逃げられたとしても待ち伏せして攻撃を加えれば町に被害が出る前に消滅させられる。
ディストがいつ現実世界に辿り着くかわからない以上、迷っている時間はない。ブレイドはマギホンを取り出して現実世界へ転移しようとしたが、
「……えっ?」
ディスト討伐の通知を見て硬直した。
その通知は確かにブレイドたちが戦っていたディストが討伐されたという内容だった。
一拍遅れて安堵するとともに、ひとまず現場を確認するために走りながらブレイドは何が起こったのかを考える。
エレファントが追いついたのか、あるいはタイラントシルフが参戦したのか、それとも全く関係ない魔法少女の乱入か。
さらなる強化魔法を使えるようになったのならエレファントが追いついたという可能性もありえるが、そんな都合の良いことが起こるなどとブレイドには思えなかった。
ブレイドがエレファントから聞いていた予定では、すでに糸の魔女との面会は始まっているはずであり、それが終わってタイラントシルフが駆け付けたという可能性はありえなくはない。
見知らぬ魔法少女が乱入したという可能性は考えても答えが出ない。判断材料が何もないのだから当然だ。
答えが出ぬまま走り続けていたブレイドの視界の先に3人の人影が見えた。
その人影が誰なのかを判別できるほど近づいた段階で2人はエレファントとプレスだということはすぐにわかった。そして最後の一人も、直接見るのは初めてだがそれが誰なのかブレイドはすぐに理解し驚愕の声を上げた。
「ラビットフットさん!?」
「あん? 誰よこいつ?」
エレファントとプレスと話していた兎の魔女ラビットフットがブレイドを見て訝し気な表情を浮かべる。
ブレイドは比較的勤勉な魔法少女で、自分の実力を高めるためのトレーニングを欠かさないことは勿論だが、魔法少女として押さえておくべき情報にしっかりとアンテナを張っている。当然、魔法少女の頂点と言える魔女についても調べて出てくる程度のことは知っている。だからその人物を見て、すぐに兎の魔女ラビットフットだと判別できた。
しかし、ブレイドがラビットフットを知っていることは相手がブレイドを知っている理由にはならない。いわば今のブレイドは一方的に知っている有名人に声をかけて誰だと問われているようなものなのだ。
とはいえ、ラビットフットはタイラントシルフと関係のありそうな咲良町の魔法少女を予習したうえで来訪しているため、実のところブレイドのことも知っていた。あくまでもここに居るのは偶然だという体を保つために演技をしているのだが、そんなことはブレイドの知る由もないことだった。
「私はブレイドと言います。この町の魔法少女です。いきなりで不躾ですが、鳥型のディストを討伐されたのはラビットフットさんですか?」
なぜラビットフットがこの町に居るのかと言うことも当然気にはなったが、それでもブレイドは魔法少女として果たすべき使命を優先して問いかける。
討伐通知を見ても自分たちが戦っていたディストであることに間違いはないと考えているが、万が一があっては困るのだ。
「そうよ。男爵級にしてはだいぶ弱ってたし、多分あんたらが弱らせたディストよ。文句でもある?」
「いえ、ありがとうございます。お恥ずかしい話ですが完全に取り逃がしていました。ラビットフットさんが居なければ、町に被害が出ていたかもしれません」
「ふーん、よくわかってるじゃない。横やりがどうこう言ったらぶっ飛ばしてたわよ」
ラビットフットの機嫌は明らかに良くなっていた。
こんな状況で横やりがどうこうなどと言うはずもないというのがブレイドの正直な感想だが、ラビットフットの話ぶりを聞く限りそういう魔法少女と会ったことがあるのだろうと、理解した。
「ですが、なぜあなたがここに? ラビットフットさんの管轄はもっと北の方の県だったと記憶しています」
「それはそっちの二人にも話したわよ。まあ、あんたは見所あるから特別にもう一回教えてあげるけど、ただ旅行に来てただけよ」
「なるほど、旅行ですか」
外見年齢から判断するにラビットフットは小学校高学年と言ったところだろうか。今は夏休みということもあり、家族で旅行をしに来たというのは何もおかしくない。ブレイドはラビットフットの説明に特に疑問も抱かなかった。
「旅行中に手を煩わせることになってしまってすみません」
「は! 大した手間でもないわ! ああ、そういえばここって新しい魔女の管轄だったわよね? あんたらの手に負えないディストが相手なら何でタイラントシルフが出張って来ないのよ」
ラビットフットは思い出したようにタイラントシルフの話題を切り出した。
話の流れを完全に無視した強引な持っていき方だったが同じ魔女ということもあり、ラビットフットの目的が最初からタイラントシルフだと気が付いた者はいなかった。
「今日はウィグスクローソさんに呼ばれていて不在なんです。15時からだったわよね?」
「あ、うん。そうだよ」
「……そう。ちょうど良かったわ。実はあたしもクローソに用があったのよ。どこで会うとか聞いてる?」
「場所は聞いてなかったかな。ごめんねラビットフットちゃん」
「ちゃん付けすんな! あたしはあんたより上よ! こいつみたいに敬いなさい!」
「さっきからずっとこんな調子で埒が明かなかったんだよね~」
ラビットフットの頭を撫でようとして払いのけられ、キンキン声で怒鳴りつけられているエレファントを放置し、こっそりと近づいて来たプレスがブレイドに告げる。
エレファントは自分より小さい子供を猫可愛がりする習性があるが、プライドの高いラビットフットとは非常に相性が悪いようだった。
「ちっ、礼儀がなってないのよ! っていうか、さっきからコソコソしてるやつ! バレてるからさっさと出て来なさい! 何の用よ!」
イライラしたように頭をかいて吐き捨てたラビットフットが、ブレイドの後方にある曲がり角を指さして甲高い声で怒声をあげる。
咲良町で活動している魔法少女はタイラントシルフを除けばすでに全員がこの場に集まっている。コソコソしているという魔法少女にブレイドたちは心当たりがなかった。ブレイドは純恋の誰かが来ているのだろうかと考えながらラビットフットの指さした先に視線を向ける。
そして、物陰からゆっくりと現れた魔法少女の姿を見てブレイドは声色を変えた。
「久しぶり、ブレイドちゃん」
「先輩!?」
森の妖精のような淡い若草色のロングパーマ、優しげな雰囲気を醸し出すとろんと垂れた琥珀色の瞳、白いロングワンピースはチュールスカートのように重層となっており、蔦の刺繍がいくつも編み込まれている。
それはかつてこの咲良町で活動し、ブレイドを育て、去っていた魔法少女。
「初めましてラビットフットさん。魔法少女ドライアドと申します。以後、お見知りおきを」
ドライアドと名乗った魔法少女は、左足を内側の斜め後ろに引き右足を軽く曲げ、スカートの裾を軽く持ち上げて礼をする。
カーテシーと呼ばれる西洋文化における女性の礼法で、細かな知識がないラビットフットでもその優雅な所作から、それが自身を目上の者として扱っている態度なのだと理解した。
「久しぶりに古巣を訪ねてみたところ、折り悪くディストが出現しているようだったので加勢をと考えていたのですけれど、一足遅かったようですね」
「あんたこいつの後輩なの?」
「はい。先輩は以前にこの町で活動していた魔法少女です」
ドライアドの発言の裏を取るようにラビットフットは尋ね、ブレイドはそれに間髪入れず頷いた。
魔法界で会ったりマギホンでやり取りはしていたが、ドライアドが直接この町に訪れるのは彼女がこの町を去ってからは初めてだった。なぜ身を隠していたのかはわからないが、ブレイドにとってドライアドは信頼できる先輩だ。ラビットフットに疑われたままにさせておくのは後輩としての矜持が許さなかった。
「ふーん。ドライアドとか言ったっけ? あんたはそこそこやるみたいだけど、こいつらは全然駄目だわ。先輩だってんなら鍛えなおした方が良いんじゃない。ま、あたしには関係ないけど。急ぐからもう行くわ」
礼儀知らずでないことと、この町の魔法少女の知己であることから、予習してきた中にはなかった存在であるが、ドライアドという魔法少女への警戒は必要なさそうだと判断しラビットフットは自分の言いたいことだけを言って転移で去って行った。
残された4人は、全然駄目だと言われてムッとしていたりショックを受けていたり、状況の移り変わりに付いていけていなかったり、ニコニコ笑っており、微妙な空気の中でブレイドが口火を切るまでに数秒の時間を要した。




