episode5-8 世界の滅び③
沖縄・水族館
修学旅行の二日目、いくつかの小さな班に分かれて水族館を自由に巡っていたちさきたちは、当初の予定を大きく繰り上げて見学を中断し一か所に集合させられた。そうしてしばらくの間待機することを引率の先生から命じられ、思い思いにお喋りを始めていた。
実態はほとんど観光だが名目上は修学旅行という学校行事の最中であるため、スマホ等電子機器の使用は禁止されているが、当然そんなルールを守らない生徒も存在し、特段それが注意を受けなければ監視の目があまり厳しくないことは他の生徒にも伝わり、一人、また一人とスマホを弄り出す生徒は増えていく。
普段のちさきであればお行儀よくルールを守って友人と談笑する程度に留めていただろう。シルフと恋人同士になったことに浮かれ切って、帰ったら一緒にどこへデートに行って、何をしようかと思いを馳せるのに夢中になっていたことだろう。
だが、この時のちさきは冷静だった。冷静に、何か異常な事態が起きていることを感じとっていた。
ちさきが最初に異変を感じたのは、引率の先生たちがにわかにざわつき始めたことに気が付いたからだった。子供というのは案外大人のことをよく見ているもので、うまく隠しているつもりでも、普段と違う様子を見せれば何かがあったのではないかと勘づく者もいる。とりわけちさきは魔法少女として命がけの戦いに身を投じることで、一般的な中学生と比べて鉄火場の気配に敏感だった。
だから調べた。些細なルールを守るために大人しくしていれば、もっと大切な何かを守れなくなるような、そんな予感に突き動かされて、今、魔法少女たちの間で何かが起きていないかと。
答えにたどり着くのに大した時間はかからなかった。なにせ、魔法少女専用のSNSやニュースサイト、掲示板だけではなく、現実世界でさえ大々的なニュースとして取り沙汰されているのだから。
得体の知れない真っ黒な化け物が世界各地に突如現れ、人々を襲っていると。
それがディストであるということは当然すぐにわかったが、一体何が起きているのかを理解するのには少しばかりの時間を要した。
ディストが現実に攻め込まないように魔法少女が日々命がけで戦っているというのに、これほど大量のディストが現実を襲っているのはなぜか? 認識阻害によって一般人には正常に認識できないはずの魔法少女までもが報道の映像にのってしまっているのはなぜか?
通常ならばありえない事態。裏を返せば、何かとてもつない異常が発生しているということでもあり、そしてその答えをちさきは知っている。かつて咲良町の担当妖精をしていたカボチャ頭、ジャックから聞いたことがあった。いずれ、そう遠くないうちにディストとの決戦が始まり、それによってこの世界の支配者が決まると。
つまり今この瞬間世界中で起きている異常こそが、ディストとの最終決戦なのだ。
「ねぇ、なんかやばくない? これ見た?」
「流石に合成じゃないの? こんな生き物見たことないし」
「UMAだ! 未確認生命体が人類を滅ぼそうとしてるんだ!!」
「これ生中継だぞ? 作り物じゃないよな?」
「咲良は大丈夫なのかな……。っていうか、ここって安全なの……?」
「うあー!! なんで俺はこんな時に限って!! 絶対バズる映像撮れたのにー!!」
「これ、もしかして魔法少女ってやつなんじゃ……」
それが何なのかはわからないまでも、何かが起きているという情報は次々と生徒たちへと伝播していき、単にお喋りをしているというだけではなく軽いパニックが発生しつつあった。それに気づいた教師たちが混乱を収めようと何か大きな声を出しているが、どんどん大きくなっていく生徒たちのざわめきによって掻き消され、むしろ混乱は広がっていく。
もちろん生徒たちの中にも大きく騒がず何が起きているのか調べ続けているものや、自分には関係ないと言わんばかりにのんびりとしている者もいる。ただしそれは冷静であるからというよりも、対岸の火事のように、自分には関係のないことだという歪んだ認知による余裕に過ぎない。万が一今この場にディストが現れれば、彼らもまた何もわからずに狼狽することしか出来ないだろう。
もっとも今この沖縄に居る者に限ってはその正常性バイアスによる認知こそが正しいともいえる。なにせ沖縄は最強の魔法少女に守られており、現実にディストが現れることなどありえない。自分の身を心配する必要など全くないのだから。
『世界中のみなさん、落ち着いて聞いてください。私は魔法少女サニー、普段はアイドルとしてテレビに出させて貰ったりもしています。ご存じの方、そうでない方もいらっしゃるかと思いますが、どうか落ち着いて私の話を聞いてください』
「な、なにあれ……?」
「ホログラム!? SFかよ!?」
『今、世界中に凶悪な怪物たちが大量発生しています。正に今、その怪物たちに襲われている方々、どうか私たち魔法少女が駆け付けるまで全力で逃げて、隠れて、生き延びてください。必ず私たちが助けに行きます。だからどうか諦めないで』
「あの女の子たち、化け物と戦ってるの?」
「魔法少女だ! 魔法少女が守ってくれてるんだ!!」
「魔法少女ってあのアイドルの……?」
『あの怪物たちの名はディスト。この世界を、人類を滅ぼそうとしている恐ろしい敵です。私たち魔法少女はこれまで長い間この敵と戦い続けて来ました。全ては人類を守るために。そして今日、やつらは人類を滅ぼすため、最後の攻勢に打って出たのです』
「それだけじゃないんだよ! 日本中に、いや、世界中に魔法少女はいて、いつも俺たちを守てくれてたんだ!!」
「なんかよくわかんないけど、あの子たちが勝ってくれた方がいんだよね?」
「が、がんばれー!! お母さんたちを守って!!」
『この戦いは人類とディストとの生存競争です。私たちは絶対に、絶対にこの怪物たちに負けるわけにはいきません。だからみなさん、どうか、どうか私たちの勝利を願ってください。かの怪物を討ち滅ぼさんと命がけで戦う私たちを激励してください。きっとその祈りが、応援が、私たちに力を与えてくれるから』
「頑張って、魔法少女!!」
「勝って!! そんな怪物やっつけちゃって!!」
「頑張れ!!」
「頑張れーー!!」
突如ホログラムのように空中に出現した巨大なスクリーン上に、様々な魔法少女たちが世界各地で戦っている様子が映し出され、今何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか説明し、そして冷静に最後まで諦めないことを訴えかける音声が、何度も、何度も繰り返し流れ始める。
先ほどまでパニック状態になっていた生徒たちは、その現実離れした光景に視線が釘付けとなり、徐々に混乱は収束していって、魔法少女への声援がいくつも重なって大きなうねりのように熱気を帯び始めた。
そんな前向きな興奮に包まれた生徒たちの中にあって、ちさきは小さく眉間に皺を寄せて難しい表情をしていた。それは空に映し出されたホログラムや、一緒に流されている音声に対して思うところがあるわけではなく、大変な時だというのに何故自分だけがこんな場所に居るのかというやるせない気持ちと、仲間や家族、友人たちの無事を祈る気持ちが混ぜ合わさった複雑な感情に由来するものだ。
今自分がいるこの沖縄にディストが出現していないのは例外中の例外であり、ディストの被害は全国各地に及んでいるのであろうことは目まぐるしく変化する映像を見れば予想出来る。咲良町はちさきの頼れる仲間やあのタイラントシルフが居るのだからそれほど心配する必要はないかもしれないが、シルフとて無敵ではないし、ブレイドやプレス、シャドウにサキュバスも高位ディストと戦うのは分が悪い。もしも自分が居ればというような状況が絶対にないとは言い切れない。
魔法少女の転移機能は距離が開くほどに転移が完了するまでの時間が大きく増加する。だからこそ、ノルマで派遣される魔女たちは遠距離転移装置と呼ばれる特殊な機械を用いて長距離転移の時間を短縮している。ちさきはそんな装置の存在を知る由もないが、とにかく転移で助けに行こうにもここから咲良町まで跳ぶのにどれほどの時間がかかるかわからない。最悪、転移が完了したころには全ての戦いが終わっていたということにもなりかねない。だから自分も戦わなければという衝動を抱えながら、下手に行動することが出来ないでいるのだ。
「……!」
ふと、ちさきは思い出した。あのシルフを助け出した奇妙な夢の中で、レイジィレイジが言っていた言葉を。
『運命の日はもうすぐそこまで迫っているのですから』
『この世界の運命は、神モドキでも妖精でも魔女でもない、あなたにかかっているのですから』
夢の中で聞いた時は何のことを言っているのかわからなかったが、運命の日、それは間違いなく今日のことなのだろうとちさきは理解した。だが、この世界の運命を握っているのが自分というのがわからない。むしろ今の自分は最後の戦いに関わることも出来ず、魔法少女たちが戦う様子をただ指をくわえて見ていることしか出来ていない。
しかし、あの超然とした神を名乗る存在の言葉に何の意味もないとは考えられなかった。
事実ちさきは、レイジィレイジの導きによってシルフの心を助け出すことが出来たのだ。
だとすれば、きっと自分にはやるべきことがあるのだと、それをレイジィは知っているのだと、ちさきはそう結論付けた。
「美保ちゃん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「頑張れー!! え、うん、気を付けてね? 変な化け物が出てきたらすぐ逃げなきゃ駄目だよ?」
「あはは、ありがと」
もしもレイジィレイジの防衛網を掻い潜ってディストが出現するようなことがあるのなら、むしろ自分が戦わなければならないと思うが、その心配は無用だろう。なにせ眠りの魔女はこれまで一度として現実に被害を出したことがないのだから。
「蹴散らせ」
人目につかない物陰に身を隠したちさきは、小さな声でキーワードを唱えて魔法少女エレファントへと変身した。本来であれば人前で変身しても認識阻害によって何の問題も生じないのだが、認識阻害がうまく機能していないことはニュースを見てわかっている。
身バレする危険性があることも勿論だが、目の前に魔法少女が現れた時、生徒たちがどのような反応をするのかもわからない。今まさに熱狂している存在が現れて盛り上がる程度ならば良いが、魔法少女の登場とディストを結び付けて考え、この場にあの怪物がいるかもしれないとパニックに陥ってしまう可能性もある。ちさきはそこまで深く考えていたわけではないが、ただ何となく今この場で変身するのは良くないという直感に従っての行動だった。
「転移座標:欺瞞世界――」
そうして魔法少女エレファントは、いくつもの幾何学的模様の魔法陣に包まれ、眩い光と共に姿を消した。




