episode5-8 世界の滅び②
「そもそも歪みの王などいうものは副産物に過ぎません。世界の滅びが近づく過程で生じた矮小な異物。あんなものが、あの程度の現象が世界の滅びなわけがないでしょう?」
「う、嘘です……、だって、あんなに」
あんなに強かった歪みの王が、矮小な異物だなんて、そんなことありえない。
事実奴の力は地球という星を覆うほど強大だったし、勝てたのも始まりの魔法少女や双葉の加勢があったからで、本当にギリギリの勝利だった。一歩間違えれば地球は粉々に破壊されていてもおかしくなくて、あれが副産物に過ぎないだなんて、そんなことあるわけが……
「私たち妖精が、そして亜神が回避しようとしているのは世界の滅びですよ? たかだか惑星一つを滅ぼす程度の現象が世界の滅びなどと、過大評価も甚だしい」
「術理を知らない原始人には理解できないかもしれませんが、私たちの言う世界とは地球を含めたありとあらゆる星、銀河、宇宙を内包する、物理的な意味での世界です。そう言われればわかるでしょう? 世界そのものの滅びと比べれば、地球というちっぽけな惑星一つに干渉するのが限界だった歪みの王がどれほど矮小な存在だったのかを」
……だったら
「だったら世界の滅びって何なんですか!? 私たちは何のために戦ってきたんです!? あなたたちが言ったんでしょう!? そう遠くないうちに大きな戦いがあるって、そのための戦力が必要だって!! 歪みの王が取るに足らない程度の存在だったって言うんなら、私たちは、魔法少女は何のために命がけで戦ってたんですか!?」
みんなを守りたいって、傷つきながら戦っていたエレファントさんは!
魔法少女の使命だからって、人一倍努力して強くなろうとしていたブレイドさんは!
いつもへらへらしてるけどディストを倒すことには真剣だったプレスさんは!
なんのために……!!
「彼女たちの戦いが無駄だったわけではありません。私たち妖精の生みの親であり、魔法という力を編み出した亜神ならば、ディストや歪みの王など歯牙にもかけず蹴散らすでしょう。ですが、彼らは迫りくる滅びを抑え込むのに全ての力を使っていて、ディストや歪みの王に対処する余裕がない。だから代わりに人の世を守る者として、私たち妖精が生み出され、魔法少女が生み出されたのです」
「直接対峙し打ち倒したあなたならばわかるでしょう、良一くん。歪みの王を歯牙にもかけないほどの存在がどれほど強大であるか、そしてそんな存在がほぼ全ての力を使っても遅延することしか出来ない世界の滅びの恐ろしさが」
「真なる世界の滅び、それは、異世界との衝突です」
い、異世界? 急に何を言ってるんだこいつは?
そんなもの実在するわけ……、いや、でも魔法や妖精なんてものも御伽噺の中にしか存在しないと思っていたのに実在しているのだから、異世界なんて荒唐無稽なものもあり得る、のか?
「世界とは、私たちの住むこの世界以外にも無数に存在するのです。それこそ星の数ほども。そして星のように規則的に、あるいは不規則に、それぞれ独自のルールを持って存在し、動き続けています」
「走行する車両が時に衝突するように、あるいは公転する惑星に隕石が落ちるように、動き続ける物は常にぶつかり合う可能性をはらんでいます」
「私たちの世界と、とても近しいとある異世界はそれぞれ規則的な周期を持って動き続けていて、遥か昔から何度も衝突しそうになるほど近づいたことがありました。本来ならばその軌道はギリギリぶつかり合うことはなくすれ違うことを繰り返していたようですが、何らかの原因により異世界の軌道が乱れその周期がぴたりと重なってしまいました」
「そう、つまり世界の滅びとは、この世界の軌道が異世界の軌道と重なりぶつかり合うこと、その衝撃によってこの世界のありとあらゆる物が、理が崩壊することなのです」
「ディストとは、二つの世界が近づいたことで生じた世界間の力場の歪み、それが意思を持った現象に過ぎません」
……さっきこいつが言っていたように、地球に隕石が落ちるのをもっと壮大にした事象が起きるということか。その衝突の衝撃によって全ての命が消えてしまう。だからこいつは、ちさきさんが死んでしまうと言った。
「理解出来たようですね? まだ何も終わっていないということを」
アースの言っていることが事実だとするなら、確かにこの世界に迫る危機がまだ終わっていないということはわかった。だけど、それと俺に何の関係がある? 歪みの王を一人では倒しきれなかった俺が、世界規模の破滅をどうこう出来るわけがない。
「いいえ、その認識は間違っていますよ良一くん。あなたはあの時、まだ全力ではなかった。そうでしょう?」
「私の計画ではモナークスプライトの参戦は予定していませんでした。彼女が現れなくても、あなたが黒心炉を十全に使用していれば歪みの王に勝つことは出来たはずです」
「黒心炉? それがあの妙な黒い力の正体ですか」
「ええ、まさに。良一くんも気づいている通り、あなたには自身の負の感情をエネルギーに変える力があります。そして良一くんが歪みの王との戦いで使った負の感情は主に怒りと憎悪。ですがそんなものは良一くんが内包する負の感情のほんの一部に過ぎません。そのことも、わかっているのでしょう?」
……確かに、あの時の俺はまだ底にまで達していなかった。歪みの王を倒すためにもっと力が必要だと思った時、心と記憶の奥底に封じ込められた感情があった。それを解放すれば正気を保っていられないのではないかと思うほど、気が狂いそうになるほどの強烈で膨大な負の感情が確かにあった。
「元より、怒りや憎しみなどというものはそれほど長続きはしないものです。最後の門を開けた時、私が全ての元凶だと知ったあの時は今すぐにでも殺したいほど私を恨んでいたでしょう? けれど今は、力を失っているとはいえ冷静に話を出来ている。あまつさえ、もう関わりたくないなどと気の抜けたことを考えていましたね?」
「もちろん黒心炉によって怒りや憎しみが消費されたのも理由の一つでしょうが、激情を維持するというのはとても難しい。世界の滅びへ対処するにあたって、そんな泡沫のようなものなど当てになりません。だからより確実に、いつまでも消えることなく、長く心を蝕む感情をあなたに刻んだのです」
「良一くんに宿る数十年分の苦悩、悲嘆、葛藤、孤独、劣等感、それこそが世界の滅びを回避する……、いいえ、それどころか滅びの元凶を打ち砕く鍵なのです! いつまでも消えることなく、時に想起しては傷ついて、その傷がまだ痛みを生み出す!! いつも悪い方へ、後ろ向きに考えてしまう、その不安や恐怖は泥のように記憶にこびりつき、決して落ちることはなく永続的に負の感情を生み出し続ける! さぞ苦しかったでしょう! 辛かったでしょう!!」
「でも、それももう終わりです。ようやく良一くんは全ての苦しみから解放されるのです」
「いくら黒心炉が負の感情を燃やして強力なエネルギーを生み出すと言っても、長年ため込み続けた感情があると言っても、流石にそれだけでは世界を打ち砕くには足りません。ですが亜神の作り出した外付けの増幅器を用いれば、その力は間違いなく世界に届きます」
「その代償にこの増幅器は負の感情の源泉そのものを燃料とする……、すなわちこれまでの記憶を全て失うこととなりますが、構わないでしょう? 葛藤や孤独に塗れた過去の記憶などなくしてしまえば、良一くんは苦しみから解放されるのですから。生まれ変わったあなたとして、どうぞお好きなように生きれば良い」
「さあ良一くん!! この増幅器を使い今こそ世界魔法を起動するのです!! そして今この瞬間も私たちの世界へ迫りくるあの異世界を! 粉々に破壊するのです!!」
家政婦が声高に叫びながら指を上に向けると、天井の色が透過されたかのように半透明に変化してその向こうに不思議な物が見えた。一見すると惑星や隕石のようなイメージに近い見た目だが、あまりにも巨大過ぎるのかその全貌は判別出来ない。それでもあえて例えるなら、真っ黒な渦を表面に張り付けた巨大な壁とでも言えばいいだろうか。あれがこの世界に迫る異世界とやらの一部なのかもしれない。
……黙って聞いていれば、勝手なことをペラペラと。苦しみからの解放だと? 全てを忘れてやり直すだと? そもそもこいつがいなければ、そんなもの初めから必要なかったんだ。やっぱり全部、全部全部全部、こいつが悪い。
もう関わりたくないなんて思った、俺が馬鹿だった。
「さっきも言ったでしょう……」
終わらせなきゃ駄目なんだ。怒りや憎しみによる復讐なんかじゃなくて、これからの未来を守るために、俺はこいつを終わらせなきゃ駄目だ。そうしなければこれから先もずっとこいつの玩具として弄ばれ続ける。そしてその毒牙はきっと、今度は俺や家族だけじゃなく、ちさきさんにまで及ぶ。
「私はもうあなたの言いなりにはならない!!」
そんなこと、許されるはずがない!!
「それで世界が滅びることになってもですか? それであなたの大切な人が命を落とすことになってもですか?」
「世界は救います!! ちさきさんも、双葉も、家族も仲間も、誰も死なせない!!」
「どうやって? あなたに何かプランがあるのですか? ないでしょう? 世界の滅びが過ぎ去っていないことすら、あなたは知らなかったのですから」
「そもそもあなたの話が本当だって証拠はない! 仮に本当だとしても、他に何も方法がないのかだって私にはわかりません! だから一人で先走って、自分を犠牲にするような楽な道に逃げたりしません!! ちさきさんと約束したんです! 一人で抱え込まないって、何かあったら相談するって!!」
魔法少女の力は宝物庫に存在する魔導書や魔道具を源泉としていると前にジャックから聞いたことがある。きっと宝物庫由来の魔法は使えない。アクセス権そのものを制限されていると見た方が良い。だけど、風神の力に覚醒し風の理を理解した今なら、きっと出来る……!!
「トルネードォォミキサアアァァァ!!」
弾かれるように勢いよく立ち上がった俺は、両手を前に突き出して脳内で風の理を改変するための回路を構築し、普段と比べればとても小さく威力も控えめで、本数も一つしかないちっぽけな、けれでも確かに掘削機の如き竜巻を生み出すことに成功した。
使える、やっぱり使える!!
今はまだタイラントシルフとしての本来の力には到底及ばないが、それでも宝物庫を通さずに、自分自身の力で魔法を使うことが出来る!! 何度も使った、いつも俺と共に戦っていてくれたこの魔法だけは、どうすれば使えるのかがわかる!!
これなら……!
「つくづく、予想を外されるな。あの魔法少女の存在が楔となって、苦悩の末に自己犠牲を選ぶはずだったが……。こうなるのならば殺しておくべきだったか」
「バリアは宝物庫の制限とは別ってことですか……!!」
先ほど九頭が弾かれたのと同様に、一本だけのトルネードミキサーは透明なバリアに阻まれてアースの目の前で止まってしまっている。まるで硬い金属とすり合うような甲高く鳥肌の立つ音を響かせており、このまま力押しでバリアを突破するのは難しそうだった。
だが、アースの口調が家政婦を演じているときのものではなく地球儀の時と同じように戻ったということは、演技をしている余裕がなくなったってことのはずだ。
「さっきは魔法を封じられましたけど、これなら没収も出来な――」
「はぁ、もういい。大人しくしてろ」
「ぐぅっ!?」
今度こそこの広間をぶち壊し増幅器とやらを破壊しようと、竜巻の軌道を変えた瞬間、いきなり全身が地面に叩きつけるように押さえつけられ、指の一本も動かせないほど全く身動きが取れなくなった。
なんだ、これ……!? 身体が、重い……!
「勘違いするなよ良一。お前の意思なんて本当はどうでも良いんだ。お前の目の前に選択肢を用意してやったのは、その方がお前の中に苦悩が生まれると思ったからだ。ようやく幸せを感じ始めたのに死にたくない、これから夢のような日々を過ごせるはずなのに終わりたくない、だけど大切な人のために自身を犠牲にするしかない。そんな苦悩と葛藤が燃料の足しになると思ったから、自主的に選べるようにみせかけたに過ぎない」
「アース……! あなたは、どこまで人を馬鹿にすれば……!!」
「今更魔術を使えるようになったくらいで良い気になるなよ猿が。遊びはおわりだ。あの装置は単なる増幅器としてだけじゃなく、お前の黒心炉を強制起動するための役割も担ってる」
俺をあの装置の中に押し込んで、無理矢理黒心炉とかいうわけのわからない力を使わせる気か……!
もしもそうなれば、俺の記憶は失われてしまう。
確かに辛かった記憶も、思い出したくないこともある。
だけど今はもう、それだけじゃない!!
ちさきさんが俺のことを変えてくれた!
秘密を打ち明けることは出来ていないけど、一緒に命をかけて戦う仲間が出来た!
二度と関わることはないって諦めてた双葉とも仲直り出来た!!
そしてそれが尊いことなのだと、かけがえのないことなのだと、苦悩した記憶があるからこそより強く思える!!
だから、だから……! 俺の中に消えて良い記憶なんて一つもないんだ!!
辛いことも悲しいことも、嬉しいことも楽しいことも、全部があって俺なんだ!!
記憶を失うなんて嫌だ、そんなの絶対嫌だ!! 俺は全部の過去を抱えて、進むんだ!!
「私は、諦めない!!」
魔法はまだ死んでない!
俺と同じように押さえつけられてるだけだ!!
もっと強く、出力をあげるんだ!!
「クククッ、絶対に諦めない、希望は失わない、そういう覚悟が感じられる良い顔だ。だが、お前の強みはそれじゃない。そんな前向きな思考じゃお前は強くなれない。本気でこの俺を倒したいと思うなら、お前に必要なのは未来を閉ざされたことへの絶望、全てを忘れることへの悲しみ、そしてその元凶である俺への怒りと憎悪」
アースが楽しそうに、まるで俺を煽るように、楽しそうに嗤う。
「お前の家族の中に潜り込んで、父親を海外に追いやった。母親を精神的に追い詰めて親父の後を追わせた。妹を魔法少女にして関係を断絶させた。さらにお前が友達なんて絶対に作れないように、あることないこと噂を流したり、時にはクラスメイトに精神干渉してイジメみたいなことをさせたこともあったなぁ……。お前、面だけは良かったから一匹狼みたい格好良いって密かに想いを寄せてる奴もいたが、ぜ~んぶ台無しにしてやったよ。心当たりがないのに異性に嫌われることも多かっただろ?
ククっ、クハハッ!! ず~~~っと楽しみにしてたんだぜぇ? 俺の努力が実を結ぶ時を、その時お前はどんな顔を見せてくれるのかってさぁ!!」
……ふざけるな
「ここ数年は色々忙しくてなぁ、構ってやれなくて悪かったよ。そのせいで変に夢見させちまったなぁ、お前なんかが一丁前に社会人としてやっていけるなんて、友達を作れるなんて、何かの間違いだったのにさぁ!!」
……ふざけるなよ
「それにしても情けねぇなぁオイ! 全ての元凶たるこの俺に、良いようにやられっぱなしだ。そんなんでいいのか? ねぇ、良一くん? だから言ったでしょう? 精々不幸にならないことを願いなさいって。人並みの幸せなんて夢見るから、辛い思いをする羽目になったんです。独りぼっちだったはずの良一くん。ふふふ」
負の感情を煽るためだとわかっていても、あの家政婦の、アースのニヤついたような、人を嘲笑うような言葉が聞こえる度に頭が沸騰したように煮えたぎる。
一度は使い切って、二度と関わりたくないと思う程度には落ち着いていたはずの憎悪が間欠泉のようにあふれ出す。
この濁流のようなドス黒い感情に意識を呑み込まれれば、魔法を維持することは出来ない。黒心炉を暴走させるのがアースの目的だと、それがわかっているのに、止まらない。止められない。
そして――
「――ちらせえええぇぇぇ!!」
俺の我慢が限界に達し黒心炉が暴走する直前、そんな聞き覚えのある声と共に巨大な扉がアースに向かって吹っ飛んできた。
あれは、最後の門の扉!? だけどそんな、だって、まだ……
「ちぃっ!? 全ての最後の門にはロックをかけてたはずだぞ!? フレイムフレームか!? それともモナークスプライトか!?」
いいや、違う。そのどちらでもない。あれは――
「強きこと! 象神の如く!!」
吹っ飛んできた巨大な扉はアースの展開するバリアに弾かれてあらぬ方向に吹っ飛んでいくが、その影に隠れるように近づいていた人影が一人。
その魔法少女は、力強い踏み込みと共に大きく腰を捻り、全体重を乗せるように渾身の拳を叩き込むのと同時に詠唱を終える。
「障壁が――ぐげぇ゛っ゛!?」
激しい火花を散らしてその拳が停滞したのはほんの一瞬、瞬きにも満たないほどに短い時間だった。
その魔法少女の細く華奢で美しい腕から繰り出されたとは想像も出来ないほどに重たい一撃は、薄いガラスの板を破るようにあっさりと、甲高い破壊音を響かせながら何重にも重ねられたバリアをぶち抜き、驚愕したような家政婦の顔面を殴り飛ばした。
「いずれわかる、ね……」
ゆるくウェーブのかかったパステルブルーのミディアムヘアに、アクアマリンのように美しい瞳。象の足を模したような意匠の厚底ブーツに、背中と胸には白と青のボーダーリボン、加えて頭にも象耳をイメージしたような大きなリボンがつけられている。大胆にへそ出しされた衣装からは溌剌とした力強さが感じられ、それでありながら大きく膨らんだフリルのスカートは魔法少女らしい可愛らしさを兼ね備えている。
いつもと装いが違うが、俺が間違えるはずもない。
あれは、あの魔法少女は
「エレファントさん……」
「シルフちゃん!」
彼女はそうやっていつものように、暖かく屈託のない笑顔で俺に手を差し伸べてくれた。




