episode5-8 世界の滅び①
嵐神の合作魔法で歪みの王を完全消滅させ、透き通るような青い空を見上げ戦いが終わったことを実感していた俺は、気が付いたら見覚えのない場所に移動していた。
壁も床も全部が真っ白で、とても広い、見たこともないほど広い部屋だった。イメージだけで言うのなら、西洋の城のホールとでも言うような感じだろうか。テレビかネットかは思い出せないが、前に見た鏡の間みたいな名前の広間と似ている気がする。もっとも、こちらは本当に白一色で鏡どころか装飾すらほとんどされていないみたいだが。
広間の奥の方に視線を向けてみれば、唯一色のある物体、とても場違いで大きな機械が広間と一体化するように設置されていた。様々な管やチューブなどが広間の壁や天井、床に張り巡らされており、ただ置かれているだけではないように見える。
こんな場所に見覚えは一切ないが、今のこの、見えていないはずなのに見えているという感覚には覚えがある。神格魔法を発動する際、最後の門を開こうとしていた時と同じ状態だ。だとしたらここは、最後の門を開いた先なのか?
「フフフッ、今日は勘が鋭いですね良一くん」
「……アース」
設置された機械、ポッドのような物々しいその装置の蓋が開き、中から現れたのは細身で背の低い、人好きのしそうな優しい微笑みを浮かべた女性だった。
俺はその姿を見た途端、自分でもわかるほど露骨に顔を顰めて低く威圧するような声を出していた。
ずっと忘れていた。
その存在を思い出しても、記憶の中の彼女の顔も名前も思い出せない。
けれどわかる。この女が、いいやこの人間に化けた妖精が、かつて俺たちの家に潜り込み全てを滅茶苦茶にした元凶、地球儀の妖精アースであると。
「そんなに怖い顔しないでください。可愛いお顔が台無しですよ?」
「なんのつもりです」
最後の門を開いたあの瞬間は確かにこいつを殺す、殺さなければ気が済まないというほど激しい殺意や憎悪に支配されていたというのに、どういうわけか今は許さないという気持ちや嫌悪する気持ちはあれど、即座に冷静さを失うほどの激情を抱いてはいなかった。
それどころかむしろ、もう放っておいてくれと、これ以上俺に何の用があるんだと、うんざりしたような気持ちの方が大きい。
いや……、どういうわけかなんて言ったが本当のところ理由は自分でもわかってる。
あの黒い力は、どういう原理か知らないが俺の負の感情を燃料にして生み出されるもののようだった。つまり俺の怒りや憎しみ、恨みつらみは、歪みの王との戦いで消費し尽くされてしまったということなんだろう。
戦っているときはどれほど使っても使いきれないように感じられたが、最後の戦いのことを考えれば不思議ではない。
「あなたの言う通り歪みの王は倒しました。あなたの目論見通り、あなたへの怒りや憎しみを糧にして。……もういいでしょう。全部終わったんですから、これ以上私に関わらないでください」
こいつのやったことは取り返しのつかないことだし、この女の姿を見るだけで今も沸々と怒りが沸き上がりかけているが、けれどこいつを殺して何になる。世界は平和を取り戻し、ちさきさんと気持ちが通じ合って、双葉とも仲直り出来た。十分じゃないか。ここでこいつに突っかかって、命を懸けた殺し合いをすることに何の意味もない。その先に得られるものなんて何もないんだ。
「ふふ、ふふふっ、あははははは!」
「なにが、おかしいんです?」
「ふふ、いえ、だって、ふふふ、可笑しくて」
家政婦の姿をしたアースは心底楽しそうに、馬鹿にするみたいに大口をあけて笑い、ひいひいとお腹を抱えて目尻に浮かんだ涙を拭った。
何の答えにもなっていない。その笑いの意味などわからない。それなのに、冷や汗をかくような嫌な感覚が止まらない。
「ところで良一くん、随分と冷静ですね。てっきり私は出会い頭に魔法をぶつけられるもの思っていましたよ。あんなに怒っていたのに、どうしてしまったんですか?」
「……あなたと話してると今にも魔法を使いたくなります」
わざわざ家政婦の姿で俺の前に現れたり、馬鹿にして煽るように笑ったり、そんな人の神経を逆撫でするような質問をしてきたり、まるでアースは俺を怒らせようとしているようだった。
もしも歪みの王との戦いで怒りや憎しみを使い切っていなければ、きっと俺は自分を止めることなど出来なかっただろう。アースの言う通り、出会い頭に竜巻をぶち込んでいたに違いない。
……もしかしたらアースは、本当にそうなることを望んでいた、あるいはそうなる前提でいたのか?
俺が負の感情を使い切っていたのかどうかなんて、アースにはわからないはずだ。あの最終局面で双葉が駆け付けてくれなければ、俺はもっとずっと深い場所に押し込めていた、忘れたはずの、忘れようとしていたはずの記憶に触れざるを得なかった。もしもそうなった時、俺は最後まで正気を保っていられたか?
「想定していたよりも黒心炉が安定していますね。モナークスプライトの参戦は予想外でした。余計なことをしてくれましたね、ジャック。それにやはり、あの魔法少女の存在が安定剤になってしまっていますか。ふぅ、予定外のことばかり起きて困ってしまいますよ」
アースは独り言のように小さな声でぶつぶつと何かを呟いたあと、わざとらしく芝居がかった様子で肩を竦めた。
「本当は暴走したあなたをそのまま動力に使用するつもりだったのですが……、まあ、別にこれならこれで問題はありません。元より表層的で霧散しやすい感情などアテにしていませんし、燃料は十分に確保出来ていますから」
動力? 燃料? 何の話だ? 俺のこの黒い力のことを言ってるのか?
アースの言葉の真意はわからない。だけど、このままここに居続けるのは、あいつの話を聞き続けるのはマズイ気がする。
どうにか、この場所から脱出する方法はないのか? ここが最後の門の先にある場所だというのなら、精神世界のようなもののはず。夢から覚めるように、目を覚ますことは出来ないのか?
逃げ道を探すように視線を彷徨わせじりじりと後ずさりした俺に気づいてか、アースは楽しそうに口元を歪めた。
「逃げることは出来ません。あなたの役割はまだ終わっていないのですから」
「まだ、私を何かに利用しようって言うんですか!? 勝手に人の家族を、人生を踏み荒らしておいて!! やっと全部終わったと思ったのにっ、あなたはどこまでふざけて……!!」
無駄な争いをするつもりなんてなかった。
許すつもりはないが、これで全て終わったのなら復讐をしようなんて思いはなくなっていた。
だけど、相手がやる気なら素直にやられてやるつもりはない。
アース、お前がまだ俺を思い通りに操ろうって言うのなら! 俺は全力で抗ってやる!!
「喰らい殺す黒龍・九頭!!」
大杖から放たれた荒ぶる漆黒の風龍は散開し、正面や側面、後方、頭上、足元など、それぞれ違う九方向からアースを包囲するように同時に襲い掛かる。
手加減なしの全力だ! 死んでも文句は言わせない!!
「無駄です」
アースはすぐ目の前にまで破滅的な力が迫っているというのに、涼しい表情のまま指先一つ動かさずにただ立っていた。そして、九頭の黒龍がアースの肉体を食い殺さんと噛みつく直前、壁のような硬質な何かに阻まれた。
「本当におバカさんですね、良一くん。それを与えているのが私たちだということを忘れてしまったのですか? 届くはずがないでしょう、魔法少女の力が」
「くっ……!」
予想はしていた。
かつてエクステンドさんが、魔法の力は借り物に過ぎず常に頭は抑えられていると言っていたように、きっと魔法では妖精に勝てないようになっている。
まるで球状のバリアでも展開しているように、アースの一定範囲以上に近づくと魔法が弾かれる。
だったら!!
「……! おいたはいけませんね」
わざわざこの場所に俺を連れて来たのには何か意味があるはずで、これ見よがしに置かれたあの装置が関係ないとは思えない。だから俺は黒龍の軌道を変えてアースの後ろにある物々しい機械を攻撃しようとした。
そしてやはり俺の読みは正しかったようで、アースは機械を守るように、自分のバリアの範囲内に機械がすっぽり収まる位置へ移動した。
「どうしました! その機械を守るだけで良いんですか!? それを壊されるわけにはいかないって言ってるようなものです!! だったら次はこの広間をぶっ壊してやります!!」
「はぁ、少し力を手に入れたからと調子に乗りすぎです。では一度、没収しましょう」
柱を粉砕して天井を崩落させた場合、それは魔法での攻撃とみなされるのか。もしもそうでないのなら、アースを守るあのバリアで防ぎきることは出来るのか。試してみればわかることだ。
そうやって、ここから抜け出さないというのなら徹底的に破壊し尽くしてやろうと操っていた竜巻が、消えた。
「っ!? 喰らい殺す黒龍! 環境魔法『嵐』! 風の巨人! なんで!?」
魔法が使えない。
妖精には魔法が効かないだとか、そんなレベルの話じゃない。
アースは、最高位妖精は、魔法少女の魔法そのものを奪うことが出来るっていうのか!?
こんなの……!
「あなたたちのような与えられた魔法を使っているだけの原始人が、まさかこの私と対等に渡り合えると本気で思っていたのですか? 身の程をわきまえなさい」
「うああああああぁぁぁ!!」
機械をバリアで守る必要がなくなったアースがゆっくりと俺に歩み寄る。
無駄だとわかっていても諦めて大人しくやられてやるつもりはなく、一歩一歩確実に近づいてくるアースへ向けて大杖を鈍器のように振り上げ、勇気を振り絞るように叫び声を上げて殴りかかった。
「無駄な足掻きを……。ではその武器も没収です」
振り下ろそうとしていた重たい武器がいきなり手の中からなくなって、バランスを崩した俺は真っ白な床の上にうつ伏せに倒れこんだ。
こんなの、どうしようもない。
魔法少女の力がなければ、今の俺は非力でちっぽけな少女に過ぎない。
でも……、だけど……、それでも!
きっとちさきさんなら最後まで諦めない!!
どれだけ絶望的な状況でも、希望が見えなくても、絶対絶対諦めない!!
俺は強い決意の宿った瞳でアースを睨みつけるように見上げた。
「良一くん、なんですかそのあなたらしくもない表情は? あなたにはもう魔法も武器もないんですよ? なぜ絶望しないのです? なぜ諦めないのです? なぜ苦悩しないのです?」
「決めたからです……! いつまでもうじうじして蹲ってるなんて、そんなんじゃちさきさんの隣に立てないって!! ちさきさんに相応しい人間になるって!! だから、もうあなたの思い通りになんて絶対ならない!!」
「ですが彼女も死んでしまいますよ? 世界を救わなければ」
「……は?」
ちさきさんが、死ぬ?
「ふふ、ようやく表情が変わりましたね?」
「世界を、救う……?」
だから、歪みの王はもう倒して、全部終わって
「ええ、そうです! 良一くん!! ようやくあなたの役割を果たす時が来たのです!!」
何を……、何を言っているんだ、こいつは……?
「まだ、そう、まだ何も終わってなどいないのです! この世界に迫る危機は!! 世界の破滅は過ぎ去ってなどいないのです!! さあ!! あなたのその苦悩に! 悲嘆に!! 絶望にっ!! 身も心も委ねなさい」
「そして、世界魔法を起動するのです」




