episode5-7 雷鳴公主①
嫌な予感がしていた。
落したわけでもないのに友人から送られたティーカップの取ってが外れてしまったり、スマホの充電を忘れて電源が落ちてしまったり、黒猫が横切ったり、本当に些細なことばかりで、一つ一つは普段なら大して気にも留めないようなことだが畳みかけるように不吉の前兆が訪れたことで、水上双葉の胸には小さなざわめきが生まれていた。
「どうしたのよ双葉? 今日なんか変よ?」
「うーん……、私もよくわかんないんだけど、なんか今日は凄い嫌な感じがするんだよね」
大学やバイトはお休みで、お昼ごろから親しい友人といつものカフェでお茶をしていたのだが、いつになく落ち着きのない双葉の様子にそんなことを言われてしまうほどだった。
別に双葉は普段から勘が良いとか、不吉な出来事の前兆を感じ取る能力に優れているということはなく、だからこそこんなにも胸騒ぎがすることが気にかかった。
「気のせいならそれで良いんだけど……」
「これから姪っ子ちゃんに会いに行くんでしょう? しゃんとしなさい。お兄さんの分まであなたが頼れる大人になってあげないと」
「うん、そうだよね。……でも、お兄ちゃんどこに行っちゃったんだろう」
行方不明の兄の娘である水上良とは出会った時と比べればとても打ち解けられたと思っているが、良の父であり双葉の兄である水上良一が今どこで何をしているのかは未だに何もわかっていない。いずれはそのことも聞かなければいけないとは双葉も思っているが、それ以外にも課題は多い。不登校かと思っていたがそもそも学校に通っていなかったり、魔法少女としての収入があるせいで今の歪な生活を自力で維持出来てしまっていることだったりと様々だ。
いくら良が年の割にしっかりした子供だと言っても、このまま一人で生活させ続けるのは良いことじゃないと双葉は思っている。
「……! これは!?」
「え? なに? どうしたの八重?」
突然マギホンに視線を向けて表情を険しくさせ、勢いよく立ち上がった八重の姿に双葉は困惑したような声をあげる。
元々幼い頃から魔法少女とは関係なく友達同士だった二人は、双葉が魔法少女を引退してからも友人として交友を続けており、これまでもディスト発生の通知を受け取った八重が遊びの途中で抜けるということはあった。魔法少女を引退したことでマギホンの通知音等を認識できなくなった双葉にはわからないが、恐らく今回もディスト発生の通知があったのだろうことは推測出来る。だが、普段の八重はただディストが発生しただけならばこんなオーバーなリアクションを取ったりしない。だから双葉もいつにない八重の様子に困惑していた。
「双葉の嫌な予感、当たったかもしれないわね」
「どういうこと?」
「凄い勢いでディストが大量発生してるみたい。私はもう行くから、気を付けて帰りなさい双葉。もしかしたら今回は、現実にもディストが攻めてくるかもしれない」
「そっか……、うん、八重も気を付けてね」
双葉は少しだけ寂しそうな笑顔で戦いに赴く八重を見送った。
二桁にも満たない年の頃から魔法少女として活動し、最後まで戦い抜いて引退したことを後悔はしていないが、こうして親友を見送ることしか出来ない時はいつも少しだけ思うのだった。あともうちょっとだけで良いから、自分も魔法少女を続けたかったと。もしも自分に魔法少女の力があれば、大切な親友を一人で戦わせたりはしないのにと。
けれどきっと、そうやって引退を引き延ばせるようにしてしまうとキリがないのだろう。
最初は友人が引退するまでの数か月と思っていても、次は姪っ子が一人前になれるまでだとか、引退するまでだとか、何かと理由をつけて戦い続けようとすることは目に見えている。
魔法少女に年齢制限が設けられているのは、あくまでもその年頃を境に大きく力が衰え始めることが原因だが、副次的にではあるが双葉のような人間を後腐れなく辞めさせる意味も生まれていた。
「良ちゃん、大丈夫かな」
予定よりも少し早いが、八重とのお茶会が解散となってしまった双葉は良の暮らす家へと向かうことにした。八重からは家に帰れと言われたが、収まらない胸騒ぎに突き動かされるように自然と良に会いに行くことを決めていた。
八重はディストの大量発生を指して嫌な予感が当たったかもと言っていたが、双葉は恐らくそうではないと考えている。なぜなら今もその嫌な予感は消えていないのだから。
・ ・ ・
八重がディストの討伐に向かってからしばらくも経たないうちに、ディストは現実世界へと侵攻し無差別に暴れまわり始めた。
さらにそれから少しだけ遅れて、世界各地で戦う魔法少女とディストの様子、そして今までにないほど人に近しい容姿のディストと双葉のよく知る魔女たちが戦い始める様子が、ホログラムのようなもので空中に映像として映し出され、テレビ放送やネット配信のように流れ始めた。
映像と合わせて聞き覚えのない少女の声が一緒に流れているが、双葉にはそれを気にしている余裕はなかった。
異常な状況から、これが単なる大量発生ではなく何かとんでもないことが起きているのだと理解した双葉は、襲われる人々やそれを救うためにディストと戦い始めた魔法少女などを苦渋の思いで振り切って良の元へと走った。かつては最強に最も近づいた魔女と呼ばれていた双葉だが、今となっては最下級のディストにも勝てない一般人でしかない。自分には彼らを助けることは出来ないという事実を呑み込んで、恐怖に竦みそうになる足を必死に動かして走り続けた。
魔法少女だった頃は恐怖や不安を抑制されていた。だから知らなかった。力なき存在にとって、ディストという怪物がどれほど恐ろしいものなのか。
公共交通機関が完全に機能停止していて、道路は大きなディストに塞がれてしまって車で移動することも出来ない。
それでも双葉は時に身を隠し、時に全力で駆け抜け、そしてたどり着いた。
「良ちゃん大丈夫!?」
周辺の建物が崩壊していたりとディストが暴れた形跡はあったが、良の住む家は奇跡的に無事だった。
鍵がかかっていないか確認することも忘れて勢いよく扉を開けた双葉は、無人の部屋を見てへなへなと疲れ果てたように腰を落とした。
「そっか……、そうだよね。良ちゃんも、戦ってるんだね」
これほど大規模な争いが起きているのであれば、そしてこの周辺でもディストが暴れた形跡があるのであれば、風の魔女タイラントシルフである水上良が動員されているのは当然のことであり、双葉もそれには気づいていたが、怪我や病気などで万が一にも良が戦いに参加せずこの家に居る可能性があると考えると確認しないわけにはいかなかった。
『喰らい殺す黒龍』
疲れ果ててガクガクと震える足をもみほぐしつつこれからどうしたものかと考えていた双葉の耳に聞き覚えのある幼い声が届く。
酷使され休息を求める身体に鞭を打ち、玄関を少しだけ開けて空を見上げれば、空中にデカデカと投影された映像の中で、黒い衣装に身を包んだタイラントシルフが荒ぶる竜巻を操って人型のディストと戦っていた。
人型ディストはほとんどなすすべもなくタイラントシルフの魔法によって肉体を削られており、素人目に見てもどちらが有利であるかは明白だった。双葉と同じように周辺で空を見上げている人々の中には、シルフに直接助けられたのか熱心に応援の声を投げかけている者もいる。みながシルフの勝利を願い、希望を胸にその戦いを見守っていた。
だが、双葉だけは違った。
人型ディストを相手に優勢に戦うシルフの姿を見て、嫌な予感が更に大きくなった。
気になったのはディストとの戦況ではなく、シルフの恰好が黒く染まっていること。
元魔法少女であり、家族として良の身を案じる双葉だから気が付けた違和感。
魔法少女の衣装は魔法によって作られる特別なものであり、イメチェンで手軽にカラーやデザインを変更したり出来るものではない。つまり衣装に変化があったというのは魔法少女そのものに変化があったということ。その変化が悪性のものなのか、良にとって害のあるものなのかまでは双葉にはわからない。だが、わからないからこそ
嫌な、とても嫌な予感がした。
「君は誰ラン!?」
背筋が凍るような悪寒を感じながらも、自分に何か出来ることはないかと思考を巡らせようとしていた双葉に良の家の中から不思議な声がかけられた。振り返った双葉の視線の先には、顔を模すように目や口の部分がくり抜かれたオレンジ色のカボチャ頭がぷかぷかと浮かんでいた。
「研ぎ澄まされた凄まじい魔力……、もしかして魔法少女ラン?」
「元だけどね。そういうあなたは、この町の妖精さんかな?」
妖精が良の家に居ること、そしてその姿を自分が認識できることについて、双葉に大きな驚きはなかった。
担当妖精なら魔法少女の活動拠点に居ることは何もおかしなことじゃないし、彼らには不法侵入は罪だという意識が全くないのだ。良に何か用事があって転移してきたのだろうことは簡単に推測出来た。
そして魔法少女を引退した自分が妖精を認識できることについては、ここに来るまでの道中で普通にディストや魔法少女の姿を認識できたことから、大量発生の影響で認識阻害が正常に作動していないのだろうと予測していた。
「……そんなところラン」
「私は良ちゃんのお父さんの妹で、水上双葉。引退前はモナークスプライトって名前の魔法少女だったんだけど、知ってる?」
「モナークスプライト!? 雷の魔女モナークスプライトラン!? 知ってるに決まってるラン!! 本当ラン!?」
「本当だよ。ねぇ、それより一つお願いがあるんだけど――」
「だったら、だったら君の力でタイラントシルフを助けて欲しいラン!!」
「――え?」
魔法少女を引退した際にマギホンは返却しており、双葉が自分の意思で魔法界や妖精に関わることは今まで出来なかった。だが今、妖精たちへの認識阻害が機能していないタイミングで偶然妖精と遭遇出来たのは千載一遇のチャンスだ。
そう考えて双葉はもう一度自分を魔法少女にして欲しいと無理を承知で頼もうとしたが、その言葉を遮ってカボチャ妖精が切実に訴えかけてきた。
「君ならきっとまだ魔法少女になれるラン!! 衰えてなお、いや、むしろ衰えるどころか今も成長し続けてるラン!? 君ならきっともう一度、モナークスプライトに変身できるラン!! だからお願いラン!! いきなりこんなこと言われたって困るかもしれないけど、それでも!!」
「ちょ、ちょっと待って。もう一度魔法少女にって言うのは願ったりかなったりっていうか、むしろ私からお願いしたいくらいだけど、私もう20歳だよ? 変身できるの?」
双葉にとってあまりにも都合の良すぎる言葉をすぐには信じ切れず、自分からもう一度魔法少女にして欲しいと頼むつもりだったことを棚上げしてそんな疑問を返してしまう。
「魔法少女の年齢制限はただの安全装置ラン。その辺りから弱くなるから宝物庫の鍵を取り上げてるだけラン。本来魔法少女になるのに年齢制限なんてないラン」
「……シルフちゃんを助けてって言うのは?」
「最高位妖精の一体、アースがタイラントシルフを何かに利用しようとしてるラン。具体的なことはわからないけど、間違いなく悪だくみラン。僕はそれを防ぎたいラン」
高位妖精にまで上り詰めたジャックをしても、アースの真の目的までは知ることが出来なかった。
それでもろくでもないことを企んでいるということはわかる。ジャック自身がかつてはアースと同じような妖精だったのだから。
「アースって、あの地球儀の妖精? でも、あなただって妖精じゃないの?」
「アースを知ってるラン? まあモナークスプライトなら知り合いでもおかしくないラン。……妖精にも色々あるラン。アースは世界を救うためなら何をやっても良いと思ってるラン。僕も、前はそう思ってたラン。そうやって僕はタイラントシルフに酷いことをしたラン。謝って済むようなことじゃない、本当にひどいことラン。今はそのことを後悔してるラン。だから、償いたいんだラン」
タイラントシルフに仕掛けた精神干渉魔術の解除をトリガーに、記憶のバックアップが復旧されるようにこっそりと仕掛けをしていたジャックは無事記憶を取り戻したが、その記憶によって魔法少女フィッシャーブルーと育んだ絆は消えることなく、正しい心を知ったジャックは己のかつての所業に悩み苦しむこととなった。そして決意した。自分がこれからもフィッシャーブルーの友達だと胸を張って言えるようになるために、自分の犯した罪に向き合い償うことを。
「アースの企みはわからないけど、作戦をぶっ壊すならアースが想定してるよりも沢山の戦力を用意するのが一番ラン。結局僕たち妖精の目的はこの世界を守ることラン。アースもそれは変わらないはずラン。だからこの最終決戦に挑む戦力を増やせれば、アースの目論見を外せるかもしれないラン」
「そっか、事情はわかったよ」
ジャックが語ったことが本当だとしても、嘘だったとしても、どちらにせよ双葉の意志は決まっている。
本当だったならアースの悪だくみを打ち砕き、嘘だったならジャックの悪だくみを打ち砕く。
やるべきことは何も変わらない。力がなければ、本当でも嘘でも双葉には何も出来ないのだから。
「お願いジャックくん。私にもう一度宝物庫の鍵を!」




