episode5-4 王族級ROUND2③ 蛸
長崎・中華街
先ほどまでの理知的な様子とは打って変わって、体長50メートル越えの巨大なゴリラの姿に変貌した王族級ディストが駄々をこねるように激しく地面に拳を叩きつける。一撃ごとに隕石でも落ちたかのようなクレーターが生じ、更には大地が激しく震え周囲一帯の建造物が次々と崩壊していく。
「大きいっていうのはそれだけで脅威よね……」
黒白の魔法少女の姿から本来の姿に戻ったドッペルゲンガーが、周囲の風景に溶け込むように擬態して身を隠しながらディストの様子を観察する。このまま放置すればいずれは現実へ侵攻されてしまうため、ドッペルゲンガーとしても隠れ続けるつもりはないが、あの巨体への対処方法を考える時間、というよりも対処を実行する決断の時間が必要だった。
地形への被害から察するに、人の模倣をやめていつも通り巨体で暴れることを選んだディストのパワーは先ほどよりも強くなっている。オルカの幻覚が再出現しないことから、搦め手の特殊能力は失っている可能性が高いとドッペルゲンガーは踏んでいるが、そもそもその能力は元からあまり脅威ではなかったため総合的に考えると単純にパワーアップしたと言えるだろう。
ドッペルゲンガーの見込みでは、オルカの力を使ってなお互角。サイズ感通りに公爵級クラスの再生力を有しているとすれば、先にガス欠を起こすのは自分の方であり、一人で勝とうとするのなら互角では足りない。
その状況を覆す、本当に最後の切り札をドッペルゲンガーは持っているが、それは出来ればではなく本来絶対に使いたくない力だった。オルカの力を使いたくなかった理由は感情的な部分が大きいが、もう一つの切り札は最悪戻ってこれなくなるという実害がある。
この力を使わなければ他にどうしようもない状況で、例えここで終わることになっても構わないという決意と覚悟なしにはとても使えない曰くつきの力なのだ。
だが、まさに今がその時なのだということをドッペルゲンガーはわかっている。
他の魔女たちもまた自分と同じように厳しい戦いを強いられているはずであり、助けは期待できない。
それでもここで自分が敗北するわけにはいかない。なぜならこれは人類とディストの命運を決する最後の戦いの一つなのだから。
全てを理解し、今、ここで使うしかないとわかっているからこそ、決断を下すための、覚悟を決めるための時間が必要だった。
「戻れなかったら恨むわよ……! アース!! 完全変身・大王擬怪蛸!!」
完全変身・大王擬怪蛸、それは最大規模かつ最悪級の変身魔法。ドッペルゲンガーの肉体が人間の形から蛸へと変形していく。その体色は茶色や白黒の縞模様、真っ赤な単色や青い斑模様など目まぐるしく変化し続ける。さらに肉体が変形するのと同時に巨大化していき、あっと言う間に50mサイズのディストに追いつき、それでもなお止まらず、最終的には八本ある触手の一本だけでゴリラ型ディストの全身を締め上げられるほどの巨体へと変貌を遂げた。
かつてまだドッペルゲンガーが魔女になったばかりの頃、ドッペルゲンガーにはとある悩みがあった。それは自分の親友であり一足先に魔女になったモナークスプライトの足手まといになってしまっているということ。自然系統の魔法は火力が高い傾向にあり、中でもモナークスプライトの使う雷魔法は非常に強力で、ドッペルゲンガーが魔女になる頃にはすでに序列中位に食い込むほどの活躍を見せていた。対して当時のドッペルゲンガーの魔法は身体強化がメインであり、ディストに対する火力は他の魔女に比べるとそれほど高くなく、序列も低かった。今でこそ変身魔法を用いたトリッキーな戦法や、他の魔法少女の身体強化を重ねて爆発的なパワーを得るという戦法を確立しているが、当時の変身魔法ではそれほど器用なことは出来なかった。
そこで思いついたのが、変身魔法で巨大化してディストと殴り合うという戦い方。質量や大きさが強さだということはディストを相手にして嫌というほど理解しており、であれば自分がディストより大きくなれば逆に一方的に殴り倒せるのではないかと考えた。単純に巨大化するだけであれば他の魔法少女に変身するよりも数段難易度は低く、理論上は十分に実現可能だった。そして結論から言えば、ドッペルゲンガーの考えは間違っていなかった。公爵級ディストよりも更に巨大な蛸へと変身したドッペルゲンガーは、一方的にディストを殴り倒して消滅させることに成功したのだ。ただし、その後が問題だった。
ドッペルゲンガーの使う変身魔法は非常に精度が高い。魔法少女に擬態すればその魔法すらも扱えるということからもそれは伺い知れる。しかしその精度の高さ、ともすれば完璧すら上回る擬態、変身であることが災いし、魔法によって作り出された蛸の身体はドッペルゲンガーへと牙を剥いた。
水中に生息する蛸と人間とでは身体構造は全く異なるが、その中でも特筆すべきことは心臓と脳の数の違いだろう。人間に限らず一般的な生物はそれぞれ一つずつしか持たないそれらを、蛸は複数有している。当然変身魔法はそれらの器官も作り出すわけだが、その触腕の動きを補助するためにあるはずの脳が、反旗を翻すように肉体の主導権を奪おうと暴走を始めたのだ。
ディストを倒すまで変身魔法は正常に機能していたが、戦いを終えた後、元の身体に戻ろうとした時、何かの妨害を受けているように魔法がうまく使えなくなった。この時のドッペルゲンガーは何が起きているのかわかっていなかったが、複製された補助脳が肉体の主導権を奪い取ろうと変身魔法に干渉しており、ドッペルゲンガーの本体、仮に主脳とでも呼ぶべき部分を破壊しようとしていた。
結局、妖精から事情を聞いたモナークスプライトの手によって補助脳が消し飛ばされたことで元の身体に戻ることが出来たが、もう少し助けが遅ければドッペルゲンガーは魔法で作り出した自分の複製によって肉体を奪われるところだった。
それ以来、ドッペルゲンガーは必ず補助脳の機能に制限をかけ、更に元の身体に戻る際はモナークスプライトの電撃を受けて、電撃=魔法解除の条件付けを身体に覚えさせるという二重の保険をかけた上で巨大蛸化の魔法を使うようになった。
「ギュ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛~゛~゛!!」
「ゴア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ゛!!」
お互いの雄叫びにも似た叫び声が不協和音となって欺瞞世界に響き渡る。
巨大な蛸と化したドッペルゲンガーの触手が、相対的に小さく見えるゴリラ型ディストへ迫り、ディストはそれを回避しようと飛び跳ねる。しかし巧みに動く八本足から逃れることは出来ずあっと言う間に触手で巻き取られ、締めつけながら何度も何度も地面へ叩きつけられた。
「ギィ゛ィ゛ィ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ー゛ー゛!!」
締め付けられたディストの身体からメキメキと軋むような音が鳴り、更に大根おろしのように激しく瓦礫にこすりつけられて見る間に肉体が削れていく。いつの間にかディストの叫びは雄叫びと言うよりも痛みにのたうち回る悲鳴のように変化し始めていた。
――まずい
怪獣同士の争いにしか見えない荒々しい戦いを繰り広げ、一見優位に立っているように見えるドッペルゲンガーだったが、内心では強い焦りを感じていた。ゴリラ型ディストについては問題なく処理出来るという確信を得ているが、問題はそれとは別。今現在自分の身体が言うことを聞いていないことにあった。いくら相手がディストであり、生存競争なのだから遠慮する必要がないとはいえ、こんな悪役みたいな戦い方をするつもりはドッペルゲンガーにはない。しかし触手が勝手に動いてディストを残虐に痛めつけるのだ。
過去の教訓を活かし、与えられた役割のみをこなすよう制限をかけているはずだが、どういうわけか主脳の命令に背いて暴走している。
――だから使いたくなかったのよ!
使わなければ勝てなかったとは言え、勝てたとしても自分の魔法に殺されては意味がない。一番最初に使った時以来暴走したことはなかったため杞憂に終わる可能性もあったが、悪い予想というのは当たるものらしい。
とはいえドッペルゲンガーも何の対策もしていなかったわけではない。今まではモナークスプライトが控えていたから制限を受けた振りをして大人しくしていただけという可能性も考慮して、いざという時には補助脳を搭載した触手を簡単に切り離せるように肉体を構成していた。魔女になったばかりの未熟な過去とは違うのだ。
――まるで虫だわ
切り離された八本の触手がそれぞれ芋虫のようにゴリラ型ディストへ群がり、思い思いの方法で痛めつけていく。ある触手はディストの四肢を締め砕いたり、ある触手はディストの体内に侵入して内部で暴れまわったり、またある触手は胴体に巻き付き強く締め付けることで上半身と下半身を真っ二つにしたり。とにかく散々暴れて再生力の尽きたディストが消滅していくと、今度は触手を失ったドッペルゲンガーへと群がった。
――魔法を解除すれば触手も消える? でも消えなかったら一瞬で殺される。補助脳なしでも二本までなら使えるけど、意味ないわね。転移で逃げる? こいつらはディストじゃないし現実への被害は多分出ないわよね……
魔法の解除を試すなら転移してからでも遅くない。恐らく積極的に現実を襲おうとすることもない。そう考えて一旦退却しようとしたドッペルゲンガーだったが、行動を起こす直前、眩い光が瞬いた。直後、一拍遅れて轟く重低音。
気が付けば、ドッペルゲンガーに群がろうとしていた触手の群れが黒焦げになって消滅直前まで縮んでいた。そしてドッペルゲンガー自身もまた、痛みと痺れに襲われていつの間にか巨大蛸化を解除して地面に投げ出されていた。それはまるで、かつて散々行われた条件付けによって強制的に魔法を解除させられたかのように。
「うそ、でしょ……?」
痺れる口を何とか動かして、すぐそこに居るはずの人物に問いかける。
ありえない。
だけど、それしかない。
引退したはずだ。ドッペルゲンガーもそれを見届けた。
それでも、この魔法は偽物じゃない。何度も受けて来たドッペルゲンガーだからわかる。
この魔法の使い手は――




