episode5-3 歪みの王⑥ 風・剛力・鮫
俺の知る限り、俺のことを良一くんと呼ぶ知り合いは一人しかいない。幼いころから何度も聞いている優し気な声。ほとんど家に帰ることのなかった両親に代わって俺と双葉の面倒を見てくれていた、俺が唯一信頼していた大人。
それが、顔も名前も思い出せない家政婦。
今にして思えばおかしな話だった。あれほど世話になって、双葉とすれ違うようになってからは一番身近に居た人だったはずなのに、今の今まで俺はあの人のことをほとんど忘れていた。そしてその存在を思い出した今になっても、顔と名前が思い出せない。思い出そうとしても写真の一部が黒く塗りつぶされたみたいに、記憶に靄がかかっている。
俺はこの感覚を知っている。魔法少女になって初めて知ったその力の名前は、認識阻害。そしてその力を使えるのは当然、魔法界に関わりのある者のみ。
答え合わせなんてするまでもない、本当に単純で、間抜けで、悪辣な真実。
不思議な感覚だった。憎しみや怒りが無尽蔵に湧き出て、今すぐにでもアースを殺してやりたいと思う反面、頭に血が上って暴走しているわけではなく、むしろ意識は冴えている。まるで、湧き出る憎しみや怒りが即座に消費されているかのような、そんな感覚。
あの地球儀野郎が言っていた、怒りと憎しみが力になるというのはこういうことだったのだろうか。結局俺は奴の思惑通りに動かされて最後の門を開いただけだったのだろうか。
「喰らい殺す黒龍」
再生途中の歪みの王に行動する隙を与えず、黒い靄が形を成し始めた時点で即座に削り殺す。
神格魔法、確かに凄まじい力だ。さっきまでどんな能力で身を守っていたのかわからず、成すすべもなかったはずの歪みの王をこうもあっさりと一方的に蹂躙することが出来る。アースがこの力を歪みの王にぶつけようとしたのも理解できる。
だが、許さない。
例え世界を守るためなんて大義名分があったとしても、俺はあいつを許さない。
どれだけ消費されても、使っても使っても、この激情が収まることはない。
あいつさえいなければ、俺はきっと一人になんかならなかった。
あいつさえいなければ、俺たち兄妹はきっと支え合って生きていけた。
あいつさえいなければ、俺の家族が壊れてバラバラになってしまうことなんてなかった。
あいつさえ、あいつさえ、あいつさえいなければ!!
「殺す!! お前だけはっ!! お前だけはぁぁぁぁ!!」
「――死ぬのはお前だ」
いつの間にか俺の背後で再生を終えていた歪みの王が、巨大化した不気味な黒い腕で俺の頭部を握りつぶして告げる。再生位置を気づかれないように変えていたらしい。あふれ出す負の感情に消費が追い付かなかったのか、気が付けば冷静さを失っていた。
形を失ったことで、逆に頭が冷えた。
「シルフ!!」
謎の黒い力に後押しされたとはいえ、今回は強引な開門による暴走ではなく、正規の手順で神格魔法の発動に成功している。だからわかる。この魔法は自分の司る魔法の力を馬鹿げたほどに引き上げるが、それは副次効果に過ぎない。この力の本質は自分自身を司る力と一体化させる、すなわち自然との融合。今の俺は魔法少女であり、神であり、そして風そのものだ。
風は死なない
頭部を失った俺の身体が黒い風と化し、歪みの王に纏わりつきながらその表面を削りなでる。
「クッ、離れろ!」
歪みの王が俺を振り払おうと滅茶苦茶に暴れまわり、その余波で次々と暴風が巻き上がるが、風は全て俺の支配下にある。もうルールの綱引きで負けることはない。暴風は勢いを増して竜巻となり、親殺しの刃となって歪みの王に牙をむく。そして同時に、黒いトルネードミキサーが引き返して来て歪みの王を吞み込んだ。
風を集めて肉体を再生し、竜巻の中に消えていく歪みの王を見下ろしながら告げる。
「終わりです」
勝負はついた。相手には俺にダメージを与える手段がなく、逆に俺は簡単に歪みの王の残機を削ることが出来る。さっきとは完全に逆の状況で、負ける気がしない。あとはいつもの戦いと同じ、時間の問題だ。
けれど喜びや安堵は感じなかった。俺が歪みの王を圧倒すればするほど、奴のやったことが正しかったと証明しているようで苛立たしかった。
どうしてもっと早く俺のことを魔法少女にしてくれなかったんだ。
こんな、怒りや憎しみを力に変えるなんて回りくどいやり方をしなくても、もう少し猶予があれば、神格魔法のことを詳しく教えてくれれば、間に合っていたはずだ。
こんなわけのわからない力に頼らなくたって、最後の門は自力で開きかけてたんだ。あと少しだったんだ。
俺のことを信じてくれれば、ちゃんと向き合って説明してくれれば、こんな酷いやり方をしなくたって勝ててたはずなんだ!!
「喰らえ!」
能力を使うのではなく、凄まじい膂力で暴れまわることで力任せに竜巻の牢獄から抜け出した歪みの王が両手を重ね合わせて前に突き出すと、掌の先に黒く輝くエネルギーが収束し始め、一瞬強烈な閃光を放つのと同時に極太のビームが撃ちだされた。
「六頭極点」
トルネードミキサーを突き破って迫りくる漆黒の光線に対して、先端の宝玉が黒く染まった大杖を向けて魔法を放つ。
六又の黒い竜巻が融合し、先ほどとは比べ物にならないほど大きな龍の如き姿をとって歪みの王の光線とぶつかり合う。膨大なエネルギーを持った二つの力は一瞬たりとも拮抗することなく、黒龍はビームを丸呑みするように食い散らかしながら突き進み、そして歪みの王を噛み砕いた。
「ゥオオオオォォォオォォォッッーー!!」
「無駄です」
謎の黒い力によってあるゆる能力を底上げされ最後の門を開いた今だからこそ、歪みの王がどれほどの力を持っているのか理解できる。
妙な能力で無効化されなかったとしても、通常の十連極点では歪みの王の技に打ち勝つことは出来なかっただろう。
だが今なら、あの悪魔のような妖精にお膳立てされ、最後の門を開き、得体のしれない力を手にした今ならば、勝つのは俺だ。
気合を入れるように雄叫びを上げながら藻掻き続ける歪みの王の身体が、無慈悲に次々と削り取られていく。
「クハハッ! 面白い!! これが魔法少女の真の力!! これが――」
何が面白いのか、歪みの王は完全に粉々にされる直前まで笑いながら嬉しそうに声を上げていた。再生限界がまだまだ先だから、命のストックがあるがゆえの余裕だろうか。
だが別の場所で再生することで竜巻から逃れるのは一度見ている。大人しく逃がしてやるつもりはない。
「風よ囲え」
粉みじんにされた歪みの王の身体、黒い粒子が逃げ出さないように風のドームで覆いつくし、ドームの内部で再生せざるを得なくさせてひたすら削り続ける。目で見えなくても風が教えてくれる。歪みの王はドームの中に閉じ込められ、凄まじいスピードで破壊と再生を繰り返している。
『終わったのか?』
「……まだ倒しきれてません。でも、抜け出すことは出来ないと思います」
少し距離を置いて俺と歪みの王の戦いを見守っていたシメラクレスさんが、激しく渦を巻く風のドームに目を向けながら通信で声をかけてきた。
正直、今はかなり気が立っているから放っておいて欲しい。歪みの王相手に力を使っているから激情をある程度コントロール出来ているが、本当は今すぐアースを殺しに行きたいくらい限界なんだ。
『一時はどうなるかと思ったけど、終わってみれば案外あっけないもんだったな』
「だから、まだ終わってないです」
『抜け出せないんだったら時間の問題だろ。終わったようなもんじゃねぇか』
『油断は禁物。手負いの獲物は危ない』
『嫌なこと言うなよ。これ以上あんな化け物の相手すんのは勘弁だっつーの。にしてもシルフよぉ、なんだってそんな妙ちくりんなことになってんだ?』
シメラクレスさんが言っているのは俺の衣装や髪色、専用武器までカラーリングが変わっていることについてだろう。
俺に最後の門を開かせるため、アースが何かをしていたのだろうことはわかる。その何かがここ数か月どころの話じゃなく、ずっとずっと昔、最悪俺が生まれた時から何かをされていたのかもしれないということもわかった。だが、どうして俺の激情が魔法の力を底上げしてくれるのかはわからない。かつてジャックに教わったことを信じるのなら、魔法は感情の影響を受けないはず。これもアースの仕込みなのか?
「そんなの私が聞きたい――? 待ってください。なにか妙です」
おかしい。ドームの中で歪みの王が完全な再生を遂げようとしている。本来なら再生が始まったらすぐにトルネードミキサーに削りつくされるはずなのに。
トルネードミキサーが消えた? いや、違う。目には見えないがドームの中で変わらず暴れまわっていることは魔法の使用者である俺が一番よくわかっている。
歪みの王が魔法を耐えた? それも違う。そもそも、手ごたえがない。まるで歪みの王がトルネードミキサーを完全に回避しながら再生しているような感覚。だが、ドームの中は荒れ狂う竜巻で満たされている。避けるような隙間なんてないはず。
能力を使ったのか? 歪みの王の能力は理を歪める力だ。俺自身が神格に至り風の理を解したからそれがわかった。歪みの王は理を捻じ曲げることで風を霧散させ、バリアを張り、重力を増加させていた。だが風の理に限って言えば、神格魔法を発動した俺の方が支配権が上だった。だから無効化されず歪みの王を削り殺すことが出来た。風の理の支配を奪われた感覚もない。実際、風のドームもトルネードミキサーも霧散されることなく健在。
だとしたら考えられる可能性は、まだ見ぬ第二の能力
「そうか、お前たちも……」
突如風のドームが不自然にぐにゃりと歪み、それによって生じた穴から再生を終えた歪みの王が現れた。
今のは風の理を歪めたんじゃない。具体的に何を歪めてるのかは確信が持てないが、俺とルールの綱引きをしても勝てないと理解して、先ほどまでとは全く違う力を使ったんだ。トルネードミキサーもその能力で無効化したのだろう。
「付け焼刃では敵わんな」
『は――?』
「シメラクレスさん!?」
気が付けば、歪みの王がシメラクレスさんのすぐ側に移動していて、軽く小突くように胸を叩いただけでシメラクレスさんの姿が見えなくなった。
なにが起きた?
動きが全く見えなかった。
シメラクレスさんは何をされた?
どこかに飛ばされた? それとも、まさか
「お前たちに与えた力も戻って来てしまったか」
今の一撃で、塵も残さず消し飛ばされたのか……?
「さて、私の子らも本来の姿に戻っている頃だろう。第2ROUNDを始めよう」
・ ・ ・
大阪・通天閣
分裂した虫人型ディストが次々とその姿を崩していき、本体と思われるディストへ黒い靄が集結していく。そして爆発によって巻き起こされた土煙の中で蠢くように肉体を膨張させ始めた。
「先輩! 分裂したディストが一つに戻ってます!」
「結局最後はこうなるかー」
「わかりやすくて良いじゃねえか。いつも通りぶっ潰すぞ!!」
・ ・ ・
宮城・仙台市街地
「ああ、あああああ!! 力が!! 私の力がぁぁぁぁ!! もう一度チャンスを下さい!! 我らが主よ!! 嫌だ!! 私はもう知恵なき者には戻りたくない!! もっとこの世界を楽しみたい!! 嫌だぁぁぁぁ!!」
地に転がった悪魔型ディストの頭部が、唐突にみっともなく泣き叫びながら必死の形相で何者かに懇願を始める。それと同時に崩れ落ちたはずの胴体が破裂し、中から夥しいほどの黒い粒子、歪みの根源があふれ出した。
「第二形態ってわけ? ふん、上等じゃない」
「いいえ、これ以上の勝手は許しません。ラビットフットさんは大人しくそこで見ていて下さい」
「なっ!? クソ、離しなさいよ!!」
身体を傷めないように優しく、されど身動きが出来ないよう糸の魔法で確実に拘束されたラビットフットがキャンキャンと甲高い喚き声を上げるが、ウィグスクローソはそれを無視して巨大化するディストに対峙する。
「みなさんも下がっていてください。ここからは私一人で相手をします」
・ ・ ・
長崎・中華街
「っ、まだ終わってないってわけ。引退間際の年増に無理させてくれるわ」
締め潰したはずのディストの肉体が完全に消滅しておらず、それどころか弱っていた勢いを盛り返すように急速に肥大化し始めたことを察知して、ドッペルゲンガーは素早くディストを解放して距離をとった、
確信があったわけではないが、このまま終わらないことは考慮していた。そして魔法少女の真似事という小細工が通じなくなった場合、普段のやり方で攻めてくる可能性も。
「推定、公爵級かしら? 私だけじゃ荷が重いわね」
・ ・ ・
愛知・名古屋城
「あぁもぅ! 完全に消滅させたよね!? どこにこんな余力残してたの~!! 概念凍結!」
「ガア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!」
消滅したはずのディストが巨大なサイ型となって甦り、通常のディストのように襲い掛かってきたことにパーマフロストはズルっこだと文句を垂れながら魔法を放つ。
四肢を氷漬けにされたサイ型巨大ディストは苦しそうに苦悶の声を上げながらも力技で強引に氷を破壊し、再度パーマフロスト目掛けて突進を仕掛けた。
「ふーん、知能も妙な能力もなくなってる? だったらそんなに怖くないかな?」
・ ・ ・
千葉・純恋町
「グリッドさん!!」
「オーライ、第二形態なんてボス戦にはつきもんだよ。それよりいい加減二人は避難させたいところだけど……」
砂嵐を突き破って現れた巨大な猫科動物、恐らくチーターをモデルにしたであろうディストは、サイズ感から最低でも公爵級ディストに相当することが読み取れる。いくらグリッドが並みのフェーズ2魔法少女より強いとは言っても、単体で公爵級を相手取るのは難しい。ここでエクステンドに抜けられるわけにはいかなかった。逆もまたしかり。
ただし、この近辺で活動している魔法少女はエクステンドたちだけではない
「遅くなりました! 戦況は!? って、グリッドさん!? なんであなたが!?」
「魔法少女プレスちゃん参上☆ グリッドってたしかエレちゃんのお師匠さん? 引退したんじゃなかったっけ?」
タイラントシルフが咲良町の欺瞞世界のディストを一掃してから決戦に向かったお陰で、他の地域よりも比較的速やかにディストを殲滅することが出来たブレイドとプレスが助太刀に現れた。
「詳しく話してる時間はないよ。とりま、二人はサムピとナックル連れて避難して」




