episode5-3 歪みの王⑤ 風・剛力・鮫
――5分
そもそもシメラクレスの身体強化魔法には、オーラの色が変わるなどという特性はない。肉体を強化する神秘的な力を身に纏うことは事実だが、そのオーラに色を付けるというのは魔法の応用。本来は無色透明であり、色が変わることによる影響など一切ない。
ではなぜわざわざオーラに色付けなどしているのかと言えば、それは今やって見せたように、オーラの色を変えあたかも時間切れであるかのような発言をすれば、相手が勝手に魔法の効果は切れたものと勘違いするからだ。
対ディストではなく対人のスペシャリスト、知恵を持つ者と戦うことを常に想定しているシメラクレス特有のブラフ。攻め時だと思わせることで能力の使用ではなく腕力での攻撃を選ばせた、相手の選択を誘導する技術。
「嘘ってのはこう使うんだよバーカ!」
5分が経過し今度こそ本当に無敵の時間が切れたシメラクレスは、オーラの色は黄金のままに一度バックステップで距離をとった。殴り合いを始めれば無敵じゃなくなったことはすぐに露見してしまうため、ここからどう時間を稼ぐかが問題だった。チラリと背後に視線を向けてみれば、タイラントシルフは変わらず目を閉じて地面に横たわっていた。
「……なるほど、嘘の使い方か。奥深い、完全に騙されたぞ」
「もっとうまい使い方を教えてやってもいいぜ」
「それも良いが、そろそろ終わりにしよう。お前とはもう十分に楽しんだ」
そう呟くのと同時に歪みの王は強く踏み込み、ひび割れた滑走路の破片を舞い上がらせながらシメラクレスとの距離を詰める。シメラクレスならば反応できないほどの速さではないが、狙いが問題だった。先ほどと同様、確実に殺そうと頭を狙っている。
シメラクレスの予想通り、無敵が切れたことがバレないように引き下がったことで、逆に何かが変わったということを歪みの王に気取らせてしまったのだろう。
ガードすれば腕が吹っ飛ばされ、しかも勢いで上体が上がる。次の一撃を回避出来ない。だが先ほど町を蹂躙するのを見たように、風圧だけでも途轍もない威力を秘めており、どちらにせよ体勢は崩される。
当初は身体強化の第五段階で十分に渡り合えていた。身体を欠損させながらも致命的な一撃は受けないように立ち回ることが出来ていた。しかしそれはブルシャークの支援があってこそ。歪みの王の攻撃で無事ではないであろうブルシャークの援護は期待できない。
――死ぬ
「オオォォォォオオォォ!!」
死ぬとわかっていても無抵抗でやられるつもりなど毛頭なく、ほんの少しでも奇跡が起きる可能性があるのなら徹底的に足掻きぬく。シメラクレスは思考を埋め尽くす死の予感に反逆するように雄叫びを上げながら、最初の右拳を左腕で受け、続く左拳を右腕で受け、両腕を欠損しながらもヤクザキックをお見舞いしてやろうと片足を上げ、そして
『不平等な取引』
突如聞こえて来た通信と共に歪みの王の四肢が失われ、支えを失った胴体が落下を始める。シメラクレスはそれを咄嗟に全力で踏みつぶし、かけられた負荷に耐えかねるように歪みの王の肉体が木っ端みじんに弾け飛んだ。
「あっぶねー……。助かったぜシャーク」
『ブイ』
鮫の背に乗って無表情でVサインを作るブルシャークの姿を想像し、シメラクレスは鼻で笑いながら歪みの王の復活を警戒して消滅地点から僅かに距離をとる。まさか今ので終わりだとは思っていない。ただしブルシャークが無事だった以上今のように一方的に負けることもない。
ブルシャークの魔法不平等な取引は、自身の受けた傷と選択した対象の傷を交換する。当然魔法少女には通用しないうえ、相手がディストの場合人型でなければ効果がないという非常に使いどころが限られるが、状況にハマれば自身の回復とディストへの攻撃を同時にこなすことが出来る強力な魔法だ。
「つーかよく生きてたなあんた」
歪みの王の四肢が消失したというのはそのままブルシャークが同じ怪我を負っていたということでもあり、いくら魔法少女とは言っても命を落としていてもおかしくはない重傷だ。生命系統の魔法少女は比較的頑丈だが、必ずしもシメラクレスのように優れた再生能力を持っているわけではないのだから。
『命の扱いは得意』
「そーかよ」
何でもないことのように平坦な声音で答えるブルシャークに対して、シメラクレスは興味なそうに適当な相槌を返した。
ブルシャークは魔法の本来の方向性に反して専用武器で狙撃銃が生成されるような魔法少女だ。凡そ穏便な経歴の持ち主でないことはシメラクレスも察しており、深入りするつもりは毛頭ない。
「っおいおい、こりゃ、マジかよ……?」
『ここからでもわかる。凄まじい殺意。漲る憎悪』
「……侮っていた。お前たち程度の魔女に命を一つ正されるとは思っていなかった」
飛び散っていた黒い粒子が集まることで靄を形成し、更にその靄が凝縮されるように人の姿を形作っていく。頭部から段階的に再生を始めた歪みの王が、反省したとでも言うように落ち着いた声音で語り始める。
そしてそんな歪みの王を前にして、シメラクレスは戦慄していた。
あの天然で掴みどころのないブルシャークすら、冷や汗をかいているような緊張感が声音から伝わってきた。
見るまでもなく感じ取れる、今までにどんなディストを前にしても、どんな魔法少女を前にしても感じたことのない強大な悪意。怒りと憎しみを何度も何度も煮詰めた、心の弱い人間であれば余波だけで気を病んでしまうのではないかと思うほど悍ましい嵐のような力の奔流が、何の前触れもなく突如として噴き出した。
シメラクレスの本能が振り返りたくないと叫ぶ。
だが、確かめなければならないと理性が訴えかける。
今自分の背後にいる者が、先ほどまで倒れていたはずの仲間が、今も自分たちの味方であるのか。
「タイラントシルフ、なのか……?」
振り返った視線の先、ついさっきまでタイラントシルフが横たわっていたはずの場所に、いつの間にか黒を基調とした衣装に黒髪ツインテールの少女が立っていた。黒髪の中にところどころ緑の髪がメッシュのように残っていることや、自身の身の丈よりも大きい杖、衣装のデザイン、顔だち、何よりその身に纏う荒れ狂う嵐のような黒い風を見ればそれがタイラントシルフなのだろうことは予想出来るが、あまりにも雰囲気が変わりすぎていた。
たしかに以前シメラクレスが縄張り争い絡みで戦った際にも、狂犬の如き獰猛さを垣間見せてはいたが、しかし今感じる悪寒はそれとは全く別種のもの。まるで悪しき力に乗っ取られてしまったかのような、俗っぽい言い方をするのなら悪堕ちでもしてしまったかのような不気味さがあった。
「……お待たせしてすみませんでした。でも、間に合ったみたいで良かったです」
「あ、ああ。神格魔法は……、聞くまでもないか」
「はい。後は任せて、下がっていてください」
聞きたいことは他にいくらでもあったが、今は悠長にお喋りしている余裕はない。簡単な会話で少なくともシルフが正気を失っているわけではないことはわかったため、シメラクレスは様々な疑問を飲み込んでシルフの言う通り後方へ下がろうと後ろ向きに一歩踏み出した。
「私の気はまだ済んでないぞ!」
「風よ」
シメラクレスを追いかけようと駆け出した歪みの王の身体に荒々しい黒色の風が纏わりつき全身を締め上げる。
「なんだこの風は? なぜ私に触れて霧散しない? 理に反して――」
「ごちゃごちゃと……。もうあなたのことなんてどぉぉだっていいんです。消えろ、喰らい殺す黒龍」
蛇のように歪みの王に纏わりついていた黒風が、シルフの命令に従って高速回転を始め、あっと言う間に歪みの王の肉体を削り散らした。それはさながら全身を鉛筆削りにでもかけられたかのようなえげつない有様だった。
「どういう絡繰だかわかんねぇけど、さすがは神の名を冠する魔法だな……」
歪みの王と戦うために集められたメンツについて、実をいうとシメラクレスは当初懐疑的だった。
並外れた耐久力を有するとは言っても、専用武器を持たず、領域魔法を使えない、決定打に欠ける自分。
超遠距離からの狙撃という特殊な能力を有してはいるが、鮫魔法の本来の力と方向性が一致しておらず、海上でしか領域魔法を使えないブルシャーク。
破竹の勢いで序列を駆け上がり、先日のウィッチカップでは神格魔法すら使ってみせたタイラントシルフはともかく、自分たち二人は万年序列下位に位置し対ディスト戦闘では大きな活躍を期待されていない魔女だ。もちろんそれでもその他大勢の魔法少女よりは遥かに強く、シメラクレス自身、自分の実力を過少評価しているわけではない。活躍を期待されていないというのはあくまでも魔女という枠組みの中での相対評価に過ぎない。だが、この大一番で第三の門を開いていない魔法少女を引き合いに出してなんの意味がある。敵は歪みの王、ディストたちの親玉なのだ。なぜ用意できる最大の戦力で臨まない? なぜ序列上位の魔女でメンバーを固めなかった? 他にも強力なディストが沸いているからその対処をしなければならないのはわかるが、それで歪みの王に負けてしまえば本末転倒。なによりもまず歪みの王を討つことに全力を尽くすべきなのではないか。
それらの疑問は歪みの王との初衝突と、遅れて参戦したタイラントシルフの強大な魔法があっさりと掻き消されたことでほとんど解消され、なんとなくの予想がついた。
自身は時間を稼ぐための肉壁であり、ブルシャークは試金石であると。
四系統の魔法少女において最も火力を出すことが出来るのは自然系統だとされている。それは通常使用する魔法の威力が高いこともそうだが、最大の理由は神格魔法に至る可能性があるからだ。単純な序列だけで言えばタイラントシルフよりも上の魔女は存在するが、それは恐らく神格魔法を加味していない序列だろうとシメラクレスは考えている。なにせタイラントシルフ本人が神格魔法のことを知らず、使いこなせていなかったのだから。
それでも魔法局は歪みの王を倒すのに神格魔法が必要だと考えた。だからそのための時間稼ぎとしてまず、最も頑丈な魔女が壁役として選ばれた。
同時に、歪みの王が持つ能力によっては神格魔法の使い手であっても封殺される可能性を考えて、歪みの王の能力を図るための魔女が選ばれた。超遠距離から安全に牽制が可能であり、そして最も自由で独特な発想を持っているブルシャークが。
そう、つまり全てはタイラントシルフの力を完全に引き出し、その全力を歪みの王に叩きつけるための人選。
神格魔法に覚醒したタイラントシルフの戦いぶりを見て、シメラクレスの予想は確信に変わった。
魔法局が歪みの王を倒すために用意した最大戦力、それがタイラントシルフであると。




