episode5-3 歪みの王④ 風・剛力・鮫
シメラクレスの目から見て、歪みの王は喜んでいるように見えた。戦うことだけではなく、地を踏みしめること、風を感じること、そして言葉を交わすこと。あらゆる物事が新鮮で面白いとでも言いたげな高揚感が、叩きつけられる拳から伝わってくるようだった。
だからあえて、自分は無敵だと声高に叫びながら殴りかかった。この無敵を破ってみろと勝負を誘うように。
――1分
第六段階の身体強化を使っている間、自分は無敵であり致命傷を受けることはないがタイラントシルフとブルシャークは違う。もしも歪みの王がシメラクレスを無視して二人を狙いだしたら、シメラクレスにはそれを止める術がない
第六段階は本来防御性能だけではなく攻撃力も大幅に引き上げる魔法なのだが、不意打ちか予想外の攻撃でなければ通らないと結論付けたように、単純に殴りつけるだけでは歪みの王への有効打にはならないことをシメラクレスは理解しているのだ。
「面白い! ならばこれはどうだ!」
歪みの王の弾んだ声に呼応するように、シメラクレスを中心に地面に大きな亀裂が入る。
シメラクレスの予想が正しければ、重力に干渉し大きな圧力をかける力。
魔法少女には直接作用するタイプの力はは効果がないが、重力に干渉する場合魔法少女以外のものが重くなることで、結果として魔法少女にもその影響を与えることになる。つまり、大気圧。魔法少女自身の重さが変わらなかったとしても、地球という星を覆う空気が魔法少女の身体を押さえつけるのだ。
「効かねえってんだよ!!」
だが、今のシメラクレスには圧し掛かる重量すらも通用しない。
お返しだと言わんばかりに、凶暴な笑みを浮かべながら歪みの王の横っ面をぶん殴る。
すると今度は歪みの王が、自分の番とでも言いたげにシメラクレスを殴りつけた。
「ハハハッ! 良いっ! 良いぞ!! もっと私に見せてみろ!!」
「笑ってんじゃねぇぞ人間モドキがよぉ!!」
お互いにダメージを受けていないがゆえに、殴打の応酬は留まる所を知らずに加速し続けていく。
――釣れた
表面上は熱くなって張り合っているように見せかけて、シメラクレスは内心でほくそ笑む。
この程度の誘いに乗せられるほど単純だったのか、あるいは時間稼ぎとわかったうえで乗ってきたのか、その真意まではわからないが、思惑通り歪みの王のターゲットを自分に集中させることに成功した。
歪みの王の攻撃は一撃一撃が山を軽く砕くほどの威力を秘めており、並みの魔法少女であれば原形をとどめない挽肉に変えられ、強化魔法を得意とする生命系統の魔女ですら致命傷は免れない。それは直接殴り合ったシメラクレスが誰よりもよくわかっている。実際、シメラクレスは歪みの王の攻撃を受けて何度も肉体を欠損させていたのだ。ディストに負けず劣らずの再生力を有するシメラクレスだからこそギリギリ前線を維持出来ていた。歪みの王が持つ能力の正体がわかればまた状況は変わってくるが、少なくとも今この瞬間において、歪みの王を相手に時間稼ぎを出来る魔法少女はシメラクレスのみ。
――2分
「これだけやっても無傷か。無敵というのは事実らしい」
「そりゃこっちのセリフ、って言いたいところだが何となくわかってきたぜ」
互いに一歩も引かず、むしろ距離を縮めるように前のめりに殴り合い続けること凡そ1分。ダメージを受けないどころか衝撃でのけ反りもしないシメラクレスの無敵っぷりを理解してか、歪みの王が先に引き下がった。このまま同じことを続けても無敵を破ることは出来ないと悟ったのだろう。
一方でシメラクレスは、能力の詳細こそわからないながらもなぜ自分の攻撃が通じないのかは理解しつつあった。通常であればそれをわざわざ相手に教えてやる義理などないのだが、今のシメラクレスの役割は時間稼ぎ。馬鹿正直に攻撃を受け止めるだけではなく、言葉で歪みの王の行動を制限出来るのならそれに越したことはない。
理想は無敵時間の5分間フルで戦い、時間切れになってから会話で時間稼ぎをすることだが、無敵が切れれば立ち回りを変えざるを得ない。その変化を見逃すほど歪みの王は甘くないだろう。
「あたしがあんたを殴ろうとした時、実際に拳がヒットするタイミングとあたしが想定してるタイミングでほんのわずかに差があった」
ディストの身体は黒い靄を凝縮したように形作られており、その感触はディストが模している生物に近くなる。だから歪みの王のような人型ディストの場合、殴りつけた際の感触は肉を殴っているようでなければおかしい。しかし実際にシメラクレスが感じたのは、石壁の如き硬さ。まるでコンクリートの外壁や断崖絶壁に拳を打ち付けているような無機質な感触だった。
「最初は気のせいかとも思ったが、何度も殴り続けてりゃ流石にわかる。気のせいや偶然なんかじゃなく、これこそがあんたを守る力の正体だってね」
これまでの攻防の中で、シメラクレスの攻撃が歪みの王にダメージを与えたのは、シメラクレスを倒したと思い込んだ歪みの王に対し背後から貫手で心臓を貫いた一度のみ。そしてその時だけは、壁のような隔たりなどなく、そしてヒットのタイミングがズレることもなかった。
「つまり、あんたはあたしと同じように、自分の身を守る無敵のバリアみたいなもので全身を覆ってるのさ。ただしその発動は随意的で、かつ、相手の攻撃をある程度予測出来ていなくちゃいけない。だから不意の攻撃と予想外の攻撃には対応できない。違うか?」
後半は予測というよりも願望。現時点でシメラクレスが確信を持っているのは前半部分のみ。だが、そう大きく的を外してもいないとは考えている。全ての攻撃を防げているわけではない以上、何かしらの弱点や付け入る隙があるのは間違いないはずなのだ。
――3分
「さて、どうかな? では私のこの力はどう説明する?」
「……? なんだ?」
「おっと、そうか。魔法少女にはこのやり方では駄目だったか。もう少し考えるべきだったな。人間の生命維持に必要な酸素の濃度を、人体の仕組みを変えたのだが、影響がなければ何が起きたのかすらわからない、か」
「――シャーク!!」
『弾丸鮫の産声』
歪みの王の発言の意味を理解し、シメラクレスがブルシャークへ呼びかけるのと、ブルシャークが魔法を発動するのはほぼ同時だった。撃ちだされた弾丸は着弾の直前に体長3mほどの鮫に変身し、神格魔法を発動しようと集中しているシルフへ迫る。
「邪魔をするな」
「しまっ――」
突如現れた巨大鮫の姿を見た歪みの王が、自分への攻撃と勘違いしたのか鮫に向けて無造作に腕を振るうと、その風圧によって激しい突風が巻き上がり直線状に存在する建物をなぎ倒していく。シルフを咥えた巨大鮫はギリギリのところで直撃は免れたものの、強風に巻き込まれて墜落し強かに滑走路へ打ち付けられた。自分の身体をクッションにするようにシルフの下敷きとなったためシルフは無事だったが、鮫の身体は光の粒子となって消滅してしまった。
「シャーク!! おい!! 大丈夫か!? シャーク!!」
鬱陶しい羽虫を払うかのように、歪みの王は軽く腕を振るっただけ。ただそれだけで、大災害にも匹敵する被害が欺瞞世界に齎された。今の今まで、シメラクレスの超再生や無敵の魔法によってその力が受け止められていたからこそ、どれほど危険で破滅的な存在なのかを正確に理解出来ていなかった。シメラクレスでさえ、強力な敵だと認識はしていたがこれほどの力を持っているとは見抜けなかった。
焦ったように語り掛けるシメラクレスに対して、ブルシャークからは一切の応答が返ってこない。一直線に撃ちだされた弾丸の鮫に対して、真っ向から歪みの王の腕は振るわれた。つまりブルシャークは、射線上にいたということになる。
――4分
「クソ、クソクソクソッ!! くたばれクソが!」
シメラクレスは激しく悪態をつきながら再び歪みの王へ殴りかかった。ただし、ブルシャークの身を案じ、仲間を傷つけらたことに怒っているわけではない。この態度は演技だ。仲間がやられたことに激高して、思わず殴りかかったというように歪みの王を勘違いさせるための演技。
歪みの王の能力について、うっすらとだが予想はついた。それはシメラクレスだけでなくブルシャークも同じであり、だからシルフを戦場から遠ざけようとしたのだろう。その行動が却って歪みの王の気を引く結果になってしまったが、シメラクレスはブルシャークの選択が間違っていたとは思わない。
前提として、現状のメンバーでは歪みの王を倒すためにはタイラントシルフの神格魔法が必須。それで倒しきれるのかは別として、それ以外に致命的なダメージを与える手段がないのだから当てにするしかない。
だからシメラクレスは歪みの王の気を引き付けてタイラントシルフを守ろうとしていたわけだが、先ほどの歪みの王の発言によって、シメラクレスの無敵を破る試行錯誤によってタイラントシルフが巻き添えでやられるという可能性が極めて高くなった。
「望みどおりに世界を変える!! それがお前の能力だ!!」
「おぉ、素晴らしい。ヒントを上げすぎたか?」
歪みの王はシメラクレスの言葉に対して、パチパチと楽しそうに手を叩きながら答え合わせをした。最初から本気で隠し通すつもりなどなかったのだろう。知られたところで何の問題もない、どうしようもない力だと確信しているのだ。
とはいえ何もシメラクレスとて本当に何もかもを望み通りに変えられる力だとは思っていない。それに類する能力であることは間違いないだろうが、魔法少女のプロテクトを貫通出来ない時点で全能ではないのだ。
しかし全能ではなくても厄介な能力であることに変わりはない。
人体に必要な酸素の濃度を変える。それだけであれば、魔法少女に直接影響を与える力としてはじかれる。だが仮に、大気そのものの構成を変えられた場合はどうか? 魔法少女とてベースは人間。身体が欠ければ、食事が摂れなければ、呼吸が出来なければ、当然死に至る。そしてそれは、魔法少女に直接作用する力ではない。
ブルシャークがシルフを避難させようとしたのは、効果範囲には限りがあるはずだと予想して少しでも影響を受ける範囲から逃れさせるため。もしもその能力の効果範囲が無限であれば意味のない行為だが、そもそもその場合最早何をしても無駄だ。歪みの王は遊んでいただけで、やろうと思えばいつでも世界を滅ぼせるということなのだから。
「っ、時間が――」
「! オーラの色が変わったな? 無敵は時間切れか?」
余計なことをする暇を与えないため、果敢に攻め立てていたシメラクレスのオーラの色が虹から黄金に変わっていく。歪みの王はその変化を見逃さず、無敵ではなく超再生に戻ったのだと判断し、止めを刺すようにシメラクレスの顔面に拳を叩きこんだ。心臓を潰されても復活するほどしぶといシメラクレスだが、頭を失えば魔法を維持することも出来ないはずだと考えたのだろう。
だが
「な~んてな!!」
「っ!?」
無敵の魔法はまだ切れていない。




