episode5-3 歪みの王① 風・剛力・鮫
大量発生しているディストを環境魔法で一掃し、別の区画へ転移してまた環境魔法を使う。この繰り返しを両手の指で数えきれなくなりそうな回数繰り返して、ようやくディスト発生の通知が落ち着き始めた。今なお発生はしているようだが、さきほどまでの勢いはない。これなら一先ず現実の戦いに向かっても大丈夫そうだ。ただ、予想以上に魔力を使い過ぎた。殲滅速度優先だったとはいえ、この短時間で大規模な環境魔法を十回近くも使うのは流石にやり過ぎだったかもしれない。戦えないことはないが、魔法の使い方をよく考えなければすぐにガス欠になってしまう。
思えば実戦中に魔力切れを起こすのはこれが初めてだ。
ウィッチカップ本戦に向けてドッペルゲンガーさんたちと特訓をした時に、それぞれの限界を共有するため魔力を使い切ったことはあるが、結局ウィッチカップの本番では魔力切れを起こすことはなかった。無限と呼べるほど膨大ではないが、それでも様々な魔法少女を見て来たドッペルゲンガーさんをして、大した魔力量らしい。領域魔法を目安にするなら、魔女でも三回か四回程度使えば底をつくのが普通なんだとか。
ガス欠を気にせず戦えるのだから喜ばしい限りだが、今回は自分の魔力は潤沢だと言う認識が招いた失敗だ。こんな異常事態は二度とあって欲しくないが、次があったらペース配分には気を付けよう。
「ブレイドさんとプレスさんは――っと、こんな時に」
マギホンでブレイドさんたちの現在地を確認して転移しようとした矢先、タイミング悪く魔法局からの着信があった。
「……いえ、こんな時だからこそですね」
昨日の一件で不信感が募っていたこともありすぐに切ってやろうかと思ったが、画面をタップしようとした指を止めて考えを改める。
ブレイドさんもプレスさんも決して弱い魔法少女じゃない。少なくとも、大量発生していたディストの中で二人が手も足も出ないような等級はいなかった。今すぐ助けに向かいたい気持ちはあるが、一体何が起きているのかを確認してからでも遅くはないはず。状況が状況だけに重大な内容かもしれないしな。
「はい、もしもし」
『タイラントシルフだな? 今すぐ魔法局の遠距離転移装置がある部屋に来い』
「……アース、一体何が起きてるんですか?」
よりによってこいつかという気持ちを押し殺して、口調の強制などが消えていない風を装いながら簡潔に尋ねる。まだ黒幕だと決まったわけじゃないが用心するに越したことはない。
『歪みの王が現れた』
「っ!?」
『咲良町だけじゃなく、世界中でディストが大量発生してやがる。その原因に対処しない限り戦いは終わらねぇ。わかったらさっさと来い! 押し問答してる時間はねぇ!』
一方的にそれだけ告げて電話を切られた。
歪みの王、それは俺が魔法少女にされる原因となった存在だ。それを倒し、人類の滅びを回避することこそが妖精たちの悲願だと聞いている。つまりこの戦いが終われば俺はお役御免ということになる。
それは本来喜ばしいことのはずだが、……あまりにもタイミングが良すぎる気がする。
俺が妖精から精神的な干渉を受けていることを知って、反旗を翻そうとしたところにこれだ。まるで、そんな暇を与えずに俺を何かに使おうとしているみたいじゃないか?
……だけど、妖精たちの目的が世界を守るためというのは嘘じゃないはずだ。ジャックは俺という個人を蔑ろにすることはあっても、常に世界を救うことを考えて動いていたように思う。そしてそれは、他の妖精も同じだと言っていた。歪みの王が現れたこと、そしてそれを倒さなければならないことはきっと嘘じゃないだろう。
考え過ぎならばそれでいい。後ろ向きに考えてしまうのはいつもの癖だ。必ずしもネガティブな予想が当たるわけじゃない。
そして考え過ぎではなかったとしても、妖精が俺に求めているのが大きな戦力だということに変わりはないのだと思う。黒幕が暗躍していたのは俺にあの黒い力を引き出させることが目的だったとするなら、このタイミングで歪みの王が現れたことも納得できないわけじゃない。
どちらにせよ、今の俺に出来ること、やるべきことは一つ。歪みの王を倒すことだ。
ブレイドさんたちには悪いが、残りのディスト討伐は二人に頑張って貰うしかない。戦闘中で電話には出られないだろうし、親玉を倒しに行くことをメッセージで伝えておく。今はシャドウさんも居るし、無事に切り抜けてくれることを祈ろう。
エレファントさんが居ればより万全だったが、彼女が今この町にいないことを喜んでしまっている自分もいる。修学旅行の行先は沖縄だと言っていた。沖縄は眠りの魔女の管轄で、ならば何一つ心配することなどないのだから。
・ ・ ・
転移が完了して魔法局の一室に降り立つと、部屋の中にはディスカースさんと、アース、それから遠距離転移装置の操作を担当している二足歩行の猫妖精が待っていた。
部屋の壁一面に設置されたモニターを見ていたディスカースさんは、転移してきた俺に気が付いて一瞬視線をこちらに向けたが、とくに何かを言うでもなく再びモニターに視線を戻した。
「お待たせしました。他の魔女は?」
「シメラクレスとブルシャークが先行して足止め中だ。他の魔女は王族級ディストの対処に向かわせた。歪みの王との戦いに間に合うかはわからねぇ」
メンツを見渡して投げかけた疑問に対してアースが珍しく素直に答える。悪ふざけをしている余裕はないということか。
王族級というのは初めて聞く等級だが、言葉の意味から察するにこれまで想定していないほど強力なディストが歪みの王以外に出現したというところだろうか。
モニターに目を向けてみれば、それぞれの魔女を映し出した画面に地域が表示されている。宮城に糸の魔女と兎の魔女、千葉に拡張の魔女、愛知に氷の魔女、大阪に竜の魔女と磁力の魔女と海賊の魔女、徳島に重力の魔女、長崎に蛸の魔女という振り分けみたいだ。
「私もさっきまで大量発生してたディストへの対処にあたってたので魔力がカツカツなんですけど……」
「魔力のことは心配しなくていい。そいつを使え」
「これは?」
小瓶に詰められた青色の液体が二足歩行の猫妖精から手渡された。今のやり取り的におおよその検討はつくが……。
「魔力回復薬、味はひでぇが効果はたしかだ。貴重であまり数があるわけでもねぇが、今が使い時だろ? 満タンになるまで飲んでおけ」
「……そうですか」
味がひどいという情報は正直聞きたくなかったが、しかしまさかそんな理由で飲まないわけにもいかない。この戦いを終わらせたいという気持ちは俺も同じだ。覚悟を決めて蓋を開け、匂いを嗅ぐなどの余計なことはせず一息に飲み干した。
「うっ、うぇぇ……」
さすがに吐き出しはしなかったが、確かにこれは眉間にしわを寄せたくなる苦み、えぐみだ。生理的反応か、若干涙目になってしまってるのが自分でもわかる。そして最悪なことに、一本飲んで回復したのが最大魔力の半分ほど。つまり俺が万全の状態になるためには、もう一本飲まなければならないというわけで……。
なまじ味を知ってしまっただけに二本目はかなりの覚悟を要したが、それでもこんなことでもたついてる状況じゃないのはわかっているため、一気に飲み干した。
「あれが歪みの王だ」
若干グロッキーな俺のことなどお構いなしでアースがそう告げる。目も腕もない地球儀にあれと言われても、部屋の中にはいくつものモニターが設置されていてどれのことだかわからない。それを察してか、二足歩行の猫妖精が何やらキーボードに似て非なる装置をカタカタと動かすと、一つのモニターが自己主張するようにチカチカと画面を点滅させた。
そこに映っていたのは、飛行場だろうか? 滑走路のど真ん中で真っ黒な人型ディストと黄金のオーラを身に纏ったシメラクレスさんが殴り合いをしている。
あれが歪みの王、俺が魔法少女にされた元凶か……。
大きさは普通の人間と同程度で、高位ディスト特有の巨体ではない。しかしだからと言って弱いかと言えばそうでもないらしい。オーラの色を見るにシメラクレスさんは切り札の第五段階身体強化を使っているはずだが、明らかに殴り負けている。歪みの王はシメラクレスさんの攻撃を受けても精々衝撃でよろめく程度だが、逆にシメラクレスさんは歪みの王からの攻撃を受ける度にガードした腕が吹き飛んだり胴体に風穴が空いている。魔法の効果で傷は即座に再生しているようだが、一歩間違えれば即死だ。
「アース!!」
「焦るなよ。見てみろ」
再生の間隙を突いてシメラクレスさんの心臓を貫くように繰り出された歪みの王の貫手が、いきなり何かに弾かれたように軌道を変えて空を切った。
「シメラクレスは殲滅能力こそ低いがタンクとしては歴代でもトップ3に入る頑丈さだ。加えてブルシャークの支援もある。今すぐ死にはしねぇ。つっても急いだほうが良いことに変わりはねぇ。今判明してる歪みの王の情報を手短に説明するぞ」
なぜディスカースさんは黙ってみているだけなのか、俺も今すぐ戦場へ転移するべきではないか、劣勢を強いられているシメラクレスさんを見て疑問や言いたいことはいくつもあったが、アースは俺の焦りを見透かしたように落ち着いた様子でそう制止した。
歪みの王とシメラクレスさんの戦いを映し出しているモニターの隣を見てみれば、宙を泳ぐ大きな鮫の背の上で、伏せているブルシャークさんが専用武器のスナイパーライフルを構えている姿があった。そういえばブルシャークさんは珍しく銃火器を武器として扱う魔法少女だった。さきほど歪みの王の攻撃が反れたのも彼女の狙撃によるものだったのか。
「まず一つ、歪みの王には人並みの知性があり人間の言葉を話す。言葉で翻弄してくる可能性があるが耳を貸すな。いつも通り、ただディストを倒すことだけを考えろ。次に、奴は新型ディストのように特殊な能力を持っている可能性が高い。今のところその力は使ってねぇように見えるが、使うほど追い詰められてねぇってだけだろう。そうやって舐めてるうちに消滅させられるのがベストだが、警戒はしておけ」
「能力の詳細は?」
「わからん。だが類似する王族級は分裂や不死の力を持ってることがわかった。そういう類だ」
「不死ですか、そんなのどうやって倒すんです」
「今のところその力を観測できたのは一体だけだ。持ってる力はそれぞれ別みたいだからお前らは気にする必要ねえよ」
「私たちはって、そのディストと戦ってる魔女は大丈夫なんですか?」
「心配いらん。レッドボールが今も殺し続けてるからな」
歪みの王以外のモニターを見てみれば、他の魔女が王族級と思われるディストと戦っているのと、レッドボールが底なしの黒い穴のような魔法を手元に展開しているのが確認できた。あれが噂に聞く対象指定のブラックホールか。確かに心配する必要はなさそうだ。
「こんなところか。何か聞いとくことはあるか?」
「ディスカースさんはなぜここに?」
先ほどは焦って深く考えずに飛び出そうとしてしまって気が付かなかったが、一度冷静になって考えてみると戦力に不安がある。殲滅力は低いなどと言っていたが、シメラクレスさんの攻撃は公爵級にもダメージを与えられるし、あくまで他の魔女と比較して低いというだけの話で、著しく劣っているわけではないはずだ。にもかかわらず、歪みの王に対しては有効打になっていない。ここに俺一人が加わったところで勝てるのか? どうしてディスカースさんは歪みの王と戦っていない? 沖縄から動く気配のないレイジィレイジを除けば、ディスカースさんは最強の魔法少女だ。たった一人で公爵級複数分にも匹敵する戦力の彼女がいれば歪みの王討つこともより確実になるはずじゃないのか。
「他の魔女が王族級を対処してるのと同じだ。ディスカースはここで指揮をとりながら虫を使って公爵級に対処する。歪みの王を倒せたとしても、その間に世界中が公爵級に踏みつぶされちまったら意味がねぇ」
そういえば、先ほどからディスカースさんはこちらには目もくれず食い入るようにモニターを見つめている。その視線の先を追ってみれば、巨大なムカデやクモなど、おそらくディスカースさんが使役しているのであろう虫たちが、同じく巨大なディストと壮絶な戦いを繰り広げていた。それも、一か所ではなく複数のモニターにそれぞれ違う戦いが映し出されている。
いや、確かにディスカースさんの強さは公爵級複数に相当するとは言ったが、まさか本当に一人で全ての公爵級を抑えてるのか!? 正確な発生数は知らないが、ざっとモニターを見るだけでも十か所以上で戦闘が同時進行しているように見える。それも自分は戦場に出ず、魔法で使役する毒虫だけを戦場に転移させて? とんでもない人だ。
「虫のストックはまだあるが、公爵級が増えないとも限らねぇ。なにより、こいつの毒虫は低能なディスト相手に暴れさせるには十分だが小回りが利かねぇ。頭の働くヤツに使っても無駄に潰されるだけだ」
「理由はわかりました。ですが私たちだけで勝てる見込みはあるんですか?」
「勝算はお前だ」
「私、ですか?」
「ウィッチカップで使ったとっておきがあるだろ? さぁ、焦るなとは言ったがもたもたしてる暇もねぇぞ! そろそろ行ってこい!」
「あ、ちょっ――」
アースは一方的に会話を打ち切り見えない手で俺の背を押して無理やり遠距離転移装置に押し込んだ。念力のようなものだろうか。凄まじい力で抵抗する暇もなくあっという間だった。
俺が持つという勝算に心当たりがないわけではない。ウィッチカップでパーマフロストと戦った時、どこかにある扉を開くような感覚があった。アースはきっとあの時のことを言っているのだろう。だけど、結局俺はあれから一度もあの扉を開く感覚を掴めていないんだ。もしもそれをあてにして勝算だと言っているのなら、アースの目論見は外れていることになる。
しかしそれを伝えるよりも先に遠距離転移装置は起動してしまった。




