episode5-2 王族級⑨ 氷
愛知・名古屋城
王族級ディスト発生の通知を受け、単身欺瞞世界へ転移してきた氷の魔女パーマフロストは、雄叫びをあげながら名古屋城の石垣へ体当たりを繰り出し城を崩壊させているディストに遭遇した。欺瞞世界の建物をわざわざ破壊する意味は理解出来ないが、成人男性程度の体躯でありながらたったの一撃で大きな城を崩落させるとなれば、公爵級を上回る強さのディストという情報もあながち間違いではないと警戒度合を引き上げる。
黒い鱗のような皮膚に包まれたそのディストは2mに達するほどの身長に加え、力士のような恵まれた体格を持ち、足、腕、胴体、首に至るまで全てが寸胴のように太く、見た目からでも怪力を有しているであろうことがわかる。頭部はサイの形状をしており、全体のシルエットはサイを直立二足歩行にさせて鱗の鎧を着させたようなイメージが近いだろう。
「概念凍結」
轟音を響かせながら崩れ行く名古屋城を見届けているサイ人型ディストは魔法少女が現れたことに気づいていないようであるため、パーマフロストはいつものようなふざけたお喋りはせずに初手から全力でディストを消しにかかった。
「氷槌!」
パーマフロストに背を向けたまま氷漬けになったサイ人型ディストが、巨大なハンマーに叩き潰されて氷ごとバラバラに砕け落ちる。しかし黒鱗鎧の下にある灰色の身体はあっという間に再生し、次いで鎧も元通りになった。鱗の鎧まで含めて一つのディストであるらしい。
「寒いだろうがボケがぁ! ぶち殺してやる!!」
「ふぅん、やっぱり喋れるんだ」
再生したディストが怒り任せに声を荒げるのを聞いても、パーマフロストに驚きはなかった。
公爵級より強いという前触れがあったにも拘わらず、現場で遭遇したディストが無爵級や騎士級と見紛う程小さかった時点で、パーマフロストは目の前のディストがただ強いだけではないことを察していたのだ。
以前から、歪みの王は人の形を模して現れ人の言語を操るだろうとアースから聞いていた。王族級などという存在は初耳だったが、歪みの王に連なる存在であると言うならそれに近しい外見や能力を有していてもおかしくはない。
「でもあんまり頭は良くなさそうだね、サイ人間さん」
「違う!! 俺様はサイとセンザンコウの力を併せ持った最硬のディストだ!! 間違えるなよクソガキ!!」
「センザンコウってなに~? 聞いたことないよ」
嘘偽りのない本音だった。とはいえ、あの黒い鎧がそのセンザンコウとやらをモデルにしているのだということはパーマフロストにもわかる。なにせサイにあんな鱗はついていないのだから。
サイと言えば地上で2番目に強い生物として名前があがることも多い動物で、その分厚い皮膚は並みの攻撃では歯が立たないと言う。加えて硬質な鱗の鎧を纏っているとなれば、怪力に加えて防御能力に優れていることは簡単に想像がつく。
もっとも、先ほどの一撃でそれが物理攻撃に限った話であろうことは露呈してしまっている。概念凍結で確実に一回殺せるのだから、あとはそれを連打し続ければ良い話。普段のパーマフロストならばロールプレイを補強するために多少遊んだかもしれないが、今日は彼女が長い間待ちわびた運命の一日であり、手を抜くつもりは一切ないようだった。
「概念凍結」
「――効かん!!」
概念ごと対象を凍結し、生も死も、時間の流れかも切り離して永遠に停止させ続けるその魔法が再び放たれ、サイ人型ディストが一瞬で氷に包まれる。しかし次の瞬間、内側から爆発するように表面の氷が弾け飛び、中から無傷のサイ人型ディストが現れた。
一見すると怪力で強引に氷を破ったようにも見えるが、概念凍結はそのような力技で突破できる魔法ではない。物理的に氷漬けにしているわけではないのだ。
「概念凍結!」
「無駄だ小娘!! それで終わりかぁ!!」
パーマフロストは更にもう一度概念凍結の魔法を使用するが、今度はディストが氷に包まれることすらなく、何事もなかったかのようにパーマフロストに向かって走り出した。
「路面薄氷!」
「ぬっ!? なんだこれは!? ぐあっ!?」
パーマフロストは一旦ディストへの攻撃を中断して地面を薄い氷で覆い、靴裏に形成した氷の刃でアイススケートのように軽快に移動しサイ人型ディストから距離を取った。幸い、機動力は膂力や防御能力ほど優れていないようで、ツルツル滑る氷のせいで真面に身動きが出来ず間抜けに転倒している。
ディストがもたついている間にパーマフロストはなぜ概念凍結が通じなくなったのかを考える。
即座に思いつく可能性は三つあり、一つは魔法の発動に失敗しそもそも攻撃が出来ていなかった可能性。しかし魔法が発動したかどうかは自分でもわかるし、二回目の概念凍結は効果こそ落ちていたが発動はしていた。この線はないだろう。
二つ目はパーマフロストが弱体化している可能性。魔法少女は年齢を重ねるごとに弱体化していく。20歳で強制引退となるのはその辺りから急激に力が落ちていくからだ。とはいえ、仮に年齢の問題だとしてもこの戦いの中、ほんの数分であそこまで弱体化するということはありえない。他の要因として、ディストからの何らかの攻撃によって弱体化した可能性もあるが、路面薄氷の魔法は普段通り一切の減衰なく発動している。だとすればこの線も薄い。
三つめは、サイ人型ディストが耐性を獲得している可能性。攻撃を受けるほど防御能力が上がる、あるいは一度受けたタイプの魔法に耐性が出来る等、詳細までは予測できないが敵の能力があがっているとすれば、二度、三度と攻撃を受ける度に効果が減衰していったのも頷ける。
「極大掘削円錐雹!!」
薄氷を力強く踏みしめることで割り砕き、何とか立ち上がったサイ人型ディストに向けて巨大な氷柱のドリルが大量に襲い掛かる。概念凍結とは異なり、単純な物理的質量による攻撃。この魔法でダメージを通せるのであればそれほど難しい相手ではない。
「このような豆鉄砲で俺様に勝つつもりか!! 馬鹿にするな!!」
牽制と観察の意味合いを込めた強烈な連打だったが、顔を守る盾の様に構えられた両腕に直撃したドリルはギャリギャリと硬質な物と擦れる音を響かせながら少しずつその回転速度を落としていき、最後は重たい音を立てて地に落ちた。それ以外にも肩や腹、足など様々な部位に巨大なドリルが突き立てられていたが、全てサイ人型ディストの身体を貫くことはなかった。黒い鱗には削り取られたような小さな穴が空いていたが、それもすぐさま再生してしまう。
「正面から受け止めた……?」
いくつか予測していた結果の内の一つだったが、想定の中でもかなり悪い部類であり、パーマフロストの張りつけたような笑みが僅かに引き攣る。
ドリルの質量や回転数は普段通りであり、やはり魔法が弱体化したわけではなさそうだった。
概念凍結が無効化された原因はサイ人型ディスト側にあることはわかったが、もう一つわかったことがある。それは極大掘削円錐雹を素の防御力で止められたということだ。パーマフロストはディストの持つ力を見極めるため、あえてドリルの着弾にある程度の時間差を設けた。もしも攻撃を受ける度に何らかの強化がなされるのであれば、後に当たるドリルほど傷は浅くなるはず。だが、結果は全てほぼ同じ結果に終わった。最初に着弾したドリルも、最後のドリルも、等しく黒い鱗のような鎧に僅かな窪みを作っていた。
「次はこちらから行くぞ!!」
「も~! 脳筋嫌い! 凍結!」
強く踏み込んで氷を砕けば足が滑らないことに気が付いたサイ人型ディストが、一歩一歩重たい足音と薄氷の砕ける音を響かせながらパーマフロストに迫る。しかし転ばなくなったとはいえ、スケートのように移動するパーマフロストの方がスピードは上だ。逃げ回りながら凍結魔法を使用すると、今度は先ほどまでとは異なりサイ人型ディストが氷漬けになった。しかし身体の芯まで凍らせることは出来なかったようで、自力で氷を砕き、一部肉体がひび割れるも再生しながらパーマフロストとの鬼ごっこを再開する。
「凍結! 概念凍結!」
「良い加減諦めろ小娘! どれだけ俺様を怒らせれば気が済むのだ!!」
今度の凍結魔法ではサイ人型ディストは氷漬けにならず、概念凍結も通じず、何事もなかったかのようにパーマフロストを追い回し続ける。
概念凍結と凍結は、名前や発動後の見た目が酷似しているため単なる上位互換だと勘違いされやすいが、実際のところその性質は全く別物だ。概念凍結は氷の魔法を拡大解釈した概念に作用する魔法であり、物理的に対象を氷漬けにする魔法とは属性が違う。
概念凍結は効かなくなっていたのに、一度目の凍結魔法が通ったことでパーマフロストはサイ人型ディストが持つ能力について凡その見当がついた。そして予想通りであれば、まだ戦う方法はある。
「っ!? ヤバ――」
「ようやく追いついたぞ!! 死ねえ!!」
「九重結晶盾! ぐぉ゛ぅ゛っ――」
サイ人型ディストを倒すために思考を続けながら逃げ回っていたせいで、いつの間にか薄氷のフィールドのほとんどがボコボコに荒らされていることにパーマフロストは気が付かなかった。スケートの要領で移動していたことが災いし、荒れたフィールドに躓いて転倒してしまう。慌てて起き上がり逃げようとしたパーマフロストに向けて、サイ人型ディストの丸太のように太い腕が振り抜かれる。咄嗟に氷の結晶を模した盾を九重に張って防御するが、城を壊すほどの怪力を止めることは出来ず、鋭い破壊音と共に全ての盾がぶち抜かれパーマフロストの腹部に巨大な拳が突き刺さる。鈍いうめき声と共に唾液と胃液を吐き出しながら吹き飛ばされたパーマフロストが氷の地面に打ち付けられ、ゴロゴロと転がった末にうつ伏せの状態で停止した。
「あー、もう、また弱くなったかなぁ」
「矮小な人間風情がまだ生きていたか! 今度こそ息の根を止めてやろう!」
スケート魔法が解除されたパーマフロストがよろよろとふらつきながら立ち上がる。盾を生み出すのと同時に自ら後方へ飛びのいたことで、致命傷を避けることに成功していた。しかしディストの攻撃を完全に回避することは出来ず、身体強化の魔法を持たない純粋な遠距離砲撃型のパーマフロストには中々堪える一撃だった。
「本当は歪みの王までとっておきたかったけど……、仕方ないか」
目前にまで迫るサイ人型ディストに対して、パーマフロストは逃げる素振りを見せずに自身の衣装、氷の結晶を模したレースのような形状のスカートの前垂れにそっと触れた。
「借りるよ、ドレッドノート。解凍・勇ましき英雄」




