episode5-1 氾濫③
「頬月町、ディストの大量発生を検知! 現在総数約200! 構成は大半が男爵級以下、一部子爵級を確認! 欺瞞世界を突破! 一部ディストが現実への侵攻を開始!」
「純恋町、ディストの大量発生を検知! 現在総数約100! 発生速度を上回る速さで反応消失! エクステンドトラベラーの戦闘開始を確認! 現実への被害なし!」
「瀬理町、ディストの大量発生を検知! 現在総数約50! 構成の95%が騎士級以下、一部解析結果不明ディストがいます! 現実への侵攻開始! 現地妖精より特派の出動要請!」
魔法局ディスト対策司令部管制室。大画面のモニターと仰々しい入力機器がいくつも並べられ、沢山の妖精が配置されたこの騒がしい部屋が魔法局における対ディストの本部であり、ディストの発生反応感知や等級、特殊能力の解析、そして適切な魔法少女への通知等がこの管制室で行われている。
この管制室での業務は妖精にとって魔法少女のスカウトやナビゲートと並んで花形と言える誉れ高いものであり、下っ端であっても最低で中位妖精、昇格に厳しい審査を必要とする高位妖精すら一管制員として働いているほどだ。
日本全国に予兆もなく突然発生するディスト対策を一手に引き受ける部署だけあって、普段から沢山のエリート妖精が忙しなく活動しており静けさとは無縁な場所だが、今日はいつにも増して騒がしい様相を見せていた。
妖精たちの生みの親である卓越した超常の魔術師、亜神によって押さえ込まれていた歪みの王との戦いがとうとう始まったのだ。
本来であれば歪みの王はすでにいつ出現してもおかしくない状態だった。それほどに滅びの足音は近づいていた。しかし亜神、その中でもとくに星の力を司る亜神の意向により、少しでも魔法界側の戦力を整える時間を確保するため、亜神達のほぼ全ての力を使って歪みの王を封じ込めていた。
「準備をしていたのは、私たちだけではなかったということか……」
対策司令部の制服に身を包み軍帽を被った管制室長である獅子の妖精が、次々とあげられる報告を聞きながら苦虫を噛み潰したように表情を歪めて呟いた。
歪みの王の出現にあたりディストの活動が活性化すると思われてはいたが、これほど大規模なものになることまでは予測されていなかった。だからこそこうして対応が後手に回っている。しかも敵は数を揃えていただけではなく、これまでの戦いでは一度として姿を見せなかった最新型のディストを投入している。ただ闇雲に魔法少女と戦っていたのではなく、戦いながら学習し、人類へ最も効果的に打撃を与えられる機を伺っていたのだ。
管制室だけでなく全ての妖精が、そして亜神までもが、大局を見ていたからこそ足元を見落とした。たとえ滅びを回避できたとしても、ディストの群れに人の世が蹂躙されては意味がない。
「あるいは、運命を手繰る魔女はこれすら見通していたのかもしれんな」
糸の魔女を主導として行われた、一部の過激な魔法少女への懲罰及び基金の立ち上げによる流れの魔法少女の派遣。
それは、地域によってディストの発生率に差異があることで、その地に根差していない魔法少女が狩場に流れてしまい、過疎と過密の二極化しつつあった現状を打破するための一手だった。
安全性と財源の問題を抱えており長期間の運用は難しいというのが対策司令部の見解であり、いずれ破綻するだろうと軽んじられていたそのシステムによって現状は首の皮が繋がっている。派遣された傭兵魔法少女がいなければ、早々にディストによって潰される町があってもおかしくはなかったのだ。
「特派出動決裁を起案します!」
『承認』
『承認』
『承認』
傭兵魔法少女が魔女のお茶会との契約によって一定期間特定の地域を守っているのに対し、特殊派遣魔法少女はあらかじめ関東や近畿、四国、九州などと言った大まかな地域に派遣されており、現地妖精の出動要請を受け、司令部内での承認決裁を得ることで初めて魔法少女に変身しディストと戦闘を行うことが出来る。
どちらもシステムの発端は魔女のお茶会であるにも拘わらず、管轄が分かれているのは両者の性質の違いによるものだ。傭兵魔法少女は突発的な派遣ではなく特定の地域に腰を据えて活動するのに対し、特殊派遣魔法少女は要請を受けた時のみ活動する。ディストは魔法少女生活を考慮してはくれないため24時間いつでも特派の出動要請がなされる可能性があり、その対処を魔女のお茶会で行うというのは無理があった。自由に変身出来るようにすればそんな面倒はないのではないかという意見も司令部ないではあったが、特派は基本的に問題行動を起こし懲罰として部隊への参加を義務付けられた魔法少女を主力としているため、そういうわけにもいかないのだ。
「承認だ! 今すぐ出動命令を出せ!」
「全決裁権者の承認を確認! 特派出動!」
「喜久町ディストの大量発生を検知! 現在総数約50! 構成は凡そ無爵級と騎士級の半々! 現実への侵攻開始!」
「咲良町ディストの大量発生を検知! 現在総数約300ですが、次々に反応消失! タイラントシルフの戦闘開始を確認! 現実への被害軽微!」
「認識阻害の処理が追いつきません! すでに全国各地でディスト、魔法少女ともに目撃情報多数!」
「対ディスト認識阻害をレベル0へ、対魔法少女認識阻害をレベル2へ、対妖精認識阻害をレベル3へ、それぞれダウンさせろ!」
特派出動の決裁中にも管制室のあちこちでディスト大量発生の報告が続いており、獅子の妖精はそれらにも意識を傾けながらより優先度の高い報告に対し指示を行う。
認識阻害は大別して、視覚や聴覚等の五感に働きかけるものと、思考・精神に働きかけるものの二種類が存在し、対ディストレベル0の場合一切の認識阻害の消失、すなわち一般人であっても現実に侵攻してきたディストの姿を見聞きすることが出来、さらにその存在に対する疑問や恐怖、悪意を抱くことが可能となる。
魔法少女レベル2の場合は正体と悪意に対する認識阻害であり、外見や状況証拠からは正体はわからず、また悪意を抱くことも出来ないが、魔法少女がそこにいることを見聞きすることは出来、どのような存在なのか、何故今まで誰も疑問を感じなかったのか、その正体は何者なのか等疑問を抱くことは可能となる。
妖精レベル3の場合は前者に加えて疑惑を抱くことが出来ない、つまりその姿が見え声が聞こえるだけということになる。
認識阻害は情報を受信する一人一人に作用する魔術であり、そのキャパシティには限界がある。これまでは魔法少女の活躍によってディストが現実へ現れることは滅多になく、その結果人々は脅威がすぐそこまで迫っていることに気が付かず鈍感に過ごしていた。しかし今、全国各地に怪物が現れ人々の命を脅かし始めたことで、ディスト、魔法少女、妖精へ向けられる関心は何倍にも高まった。獅子の妖精が認識阻害のレベルを落としたのは、処理する情報を少しでも削ることで認識阻害を維持し、最も重要な部分をこれまでどおりに隠し通すため、つまりリソースを絞ったのだ。
「黄鏡町ディストの大量発生を検知! 現在総数約50! 侯爵級を確認! 現地妖精より魔女の派遣要請! 当該地域の魔法少女はフェーズ1のみです!」
「立華町、同じく侯爵級ディストを確認! 現地妖精より魔女の派遣要請!」
「クソッ、やはり雑魚だけではないか!」
数こそ多いものの、ここまでの報告では侯爵級以上のディストは出現していなかった。このままならば多少の被害はあれども問題なく勝利を収められる見込みだったが、悪い予想は当たるもので、獅子の妖精が懸念していた通りとうとう高位ディストの発生がちらほらと確認され始めた。中には現地のフェーズ2魔法少女で対応可能な地域もあるため、戦力の乏しい場所へ魔女の派遣を行えば対処は可能だ。しかしそれで良いのかと獅子の妖精には迷いがある。魔法局が準備していたのと同じように敵もまた準備していたというのなら、侯爵級ディストで終わりだとは思えないのだ。必ずその次の戦力、すなわち真なる災害、公爵級が控えているであろうことは予想がつく。
「魔女派遣決裁起案!」
『承認』
『承認』
『承認』
「……承に――」
「不承認だ」
予想はつくが、しかしそれを恐れて身動きが取れなくなっては本末転倒。公爵級に備えて様子見をしている間に次々と侯爵級が現れるかもしれない。何より魔女の力は規格外であり、侯爵級など相手にならない。長距離転移装置を使っても遠方への転移には多少の時間がかかるが、逆に言えばタイムロスはほぼその移動時間だけ。ならば速攻で倒させれば良い。
そう判断して承認を出そうとした獅子の妖精の言葉を遮って、何者かが横から決裁に割り込んで強制的に不承認としてしまった。
対策司令部は魔法局の中でもかなり権力の強い部署であり、専決規程により管制室長を最終決裁者とする決裁に横から割り込める者など一人しかいない。だから姿を見るまでもなく、いつの間にか管制室へ転移して来ていたその妖精が誰なのか獅子の妖精には簡単にわかった。
「――なんのつもりです、アース局長?」
魔法局局長、そして星の亜神直轄の最高位妖精、アース。
「亜神は今も世界に生まれる歪みを押さえ込んでんだ。だから俺にはわかるんだが、公爵級じゃ済まねえ」
いつも飄々としていたどこかふざけた様子の地球儀の妖精にしては珍しく、その声音にはどこか焦りが滲んていた。
だが、獅子の妖精からしてみれば何を当たり前のことをという気分だった。そもそもディストを公爵だの男爵だのと爵位になぞらえて呼称しているのは、いずれ現れるであろう歪みの王を基準としているのだ。公爵すらも上回る王の称号を冠するディストが出現することはとっくの昔からわかりきっていたことであり、それを倒すために歴代最高数である14人もの魔女が存在する。公爵級よりも強いであろうことを考えれば、半数程度はそちらに回す必要があるが、一人や二人露払いに派遣したところで大きな問題はないはずだった。
「緊急速報!! 公爵級を上回る反応を複数検知! 2……4……8、――いえ、7!」
「なんだと!? ポイントは!?」
「宮城・東京・千葉・愛知・大阪・徳島・長崎です! 沖縄にも反応がありましたが現在は消失!」
「ふん、相変わらずってわけか。ライオ室長、悪いがしばらく指揮は俺がとる」
最優先の報告事項がある場合に用いられる緊急速報によってもたらされたその情報は、獅子の妖精にとっては寝耳に水だったが、アースはすでにその強力な反応を亜神を通して感じ取っていたらしく、焦りこそあるものの驚いてる様子はない。
「……承知しました。しかし何が起きているのですか?」
「時間を与えすぎちまったらしいな。言うなれば、王族級ってところか? 公爵級以上歪みの王未満、そんなとこだろうな。一番反応が強いのはどこだ!」
「東京の反応が群を抜いて強いです!」
「ならそれが歪みの王だ。各地に派遣する魔女は局長権限で俺が決める! 侯爵級の対処は有力なフェーズ2魔法少女にやらせろ! メテオ、ドール、フェニクス、スペース、マリン、シンデレラ、レオ、スパイラル、こいつらなら一人でやれる! 決裁は飛ばしていいから今すぐかかれ!」
想定外の事態が起きていることを理解した獅子の妖精は、強権を発動できるアースに指揮権を渡すことが最善であることを理解して大人しく引き下がった。
最高位妖精は亜神の直轄であるのと同時に、命というくびきから解き放たれ決まった形を失った亜神の器でもある。今現在も広がろうとする歪みを食い止めるのにかかり切りで亜神は手が離せないという話を獅子の妖精を含めた一般妖精は聞いているが、いよいよという時にはアースを受け皿として星の亜神が降臨してくれるのだろうと、もしものことを考えての判断だった。
「あーそうだ、一応聞いとくが他の国からの魔女の派遣は?」
「氾濫を検知した直後に連絡を取りましたがどこも似たような状況のようです。期待できません」
「だろうな」
名称こそ異なるものの、魔法少女は世界各国に存在する。日本の場合は四方を海に囲まれ他国との距離も大きいため独立した魔法界日本支部として運用されているが、西の方では例えばEU連合支部やアジアでは東南アジア支部など、ある程度の地域で区切られた支部が点在し各国の魔法少女を支援している。
地理的な問題で日本は他国と比べてもディストの発生件数が桁違いに多く、その分魔法少女も多い。それは逆に言えば他所の国の魔法少女は少ないということであり、そんな中で氾濫が起きているとなれば自国の対処だけで精一杯なのは当たり前の話だ。アースも駄目で元々、最初から期待などしていなかったようだった。
「まああいつらなら何とかなるだろ」
想定外の事態に多少の焦りはあるものの、しかしアースは過剰な心配もまたしていなかった。
なぜなら魔女はこの日の為、歪みの王と戦うために選りすぐられた精鋭たち。
通常公爵級を相手に複数人で当たらせているのも安全マージンを確保するためであり、特に完全開放の魔女は単騎でも公爵級を討てる力を持っているのだ。
「レイジィは勘定に入れられねぇ、ディスカースは公爵級の対処用に控えさせるとして、後は12人か……。位置を考えると、チッ、場所が悪いな。だが王は最低でも3人は欲しい、あいつが死ぬのが一番マズイ……。ここは捨てるか? いや、それだと王との戦いに乱入されるな。だとすると――」
「速報! 大阪にて公爵級の対処にあたっていたドラゴンコール、キャプテントレジャー、エクスマグナの三名が討伐完了直後、王族級ディストに遭遇! 戦闘を開始しました!」
どれだけ策謀を巡らせ準備をしたとしても、全てを思い通りに動かすことなど出来はしない。アースの思惑など関係なしに不意の遭遇戦は始まった。




