episode5-1 氾濫②
瀬理南小学校二年一組に通う一見普通の小学生、高波美鈴は魔法少女である。
親の仕事の都合で夏休みを境に転校することとなり、親しい友達もおらず憂鬱になっていたところを性悪妖精に付け込まれ、魔法少女となって瀬理町の平和を守るため戦い始めたのだ。
そんな美鈴は現在、給食が終わって5時間目が始まるまでの昼休み中、ポカポカとした暖かな日差しに包まれて自身の席でうとうとしていた。
「美鈴ちゃん、そろそろ始まるで。起きて起きて」
「寝ちゃってた……。杏ちゃん、ありがとう」
転校後新たにできた友人である土屋杏が、船をこいでいる美鈴の肩を軽く揺すって起こしてやると、美鈴はハッとしたように目を覚ましてから、頬を赤くして恥ずかしそうにはにかんだ。
「思い出したラン……、全部思い出したラン……。僕は、僕はとりかえしのつかないことを……」
そして、いつもならことあるごとにこんな平和な日々を続けたいなら魔法少女なんてやめた方が良い、君には向いてない、と引退勧告をしてくるこのカボチャ頭こそが、美鈴を魔法少女にした張本人、性悪妖精のジャックである。
自分から勧誘しておいて引退を勧めるなんてどんなマッチポンプだという話だが、紆余曲折の末に性悪妖精が友情を知ったことが原因であり、今では本気で魔法少女をやめさせたいと考えているのだった。
そんなジャックだが、今日はなにやら朝から様子がおかしかった。
しきりに、思い出した、なんてことを、どう償えば、などと独り言を繰り返しているのだ。
美鈴がジャックを心配してなにかあったのかと何度尋ねても、心ここにあらずな様子でなんでもないと答えるばかり。
ジャックの尋常ではない様子を見れば、なんでもないわけがないことはまだ小さな美鈴にもわかるのだが、その程度のことにすら思い至らないほどジャックは冷静ではないようだった。
日中は学校があるため美鈴も深く追求することが出来ず、ひとまず学校が終わって帰宅したらゆっくり話を聞くつもりでいた。
この時はまだ、美鈴にとっていつも通りの日常だったのだ。ジャックの様子はおかしいが、それでも授業を受けて、友達とお喋りして、家に帰ったらジャックと遊んで、そういう一日になると思っていたのだ。
日常の終わりが、滅びの足音がすぐそこまで迫っていることなど、知る由もなかったのだ。
「美鈴!!」
「――ディスト!」
魔法少女はマギホンと呼ばれるスマホによく似た通信端末を貸与されており、ディストが発生するとその端末に通知がなされる。それは耳を覆いたくなるほど不快で、けたたましい警告音。美鈴がこっそりと学校に持ち込んでいるマギホンがバイブレーションと共に爆音を響かせ始めるのとほぼ同時に、先ほどまで様子のおかしかったジャックが正気を取り戻して美鈴に呼び掛けた。
「舞い踊れ!」
「転移座標――、いや、ちょっと待つラン。バグラン? こんな数ありえな」
――うわあああぁぁぁぁ!?
――ば、化け物やぁぁーーー!
――きゃああぁぁぁーーー!!
「なんやあの黒いの!?」
「え、テレビとか?」
「な、なんかやばない? あれ、大丈夫なん?」
普段であれば美鈴が変身するのと同時にジャックが転移魔法を起動し、ディストと戦うために用意された特別な空間、欺瞞世界へ移動するのだが、ジャックは急遽転移を中止して何かを言おうとした。だがその言葉は外から聞こえて来た悲鳴にかき消されて美鈴の耳には届かなかった。悲鳴の聞こえた方向、窓の外へ視線を向ければ、真っ黒な靄を塗り固めて作られた虎のような何かが学校のグラウンド内に現れていた。それに気が付いたのは美鈴だけではなく、各々自由に昼休みを過ごしていたクラスメイトたちも状況の詳細はわからないながらも、何か起きていることを認識して混乱が広がり始める。
「――っ魚群召喚・戦鰯!」
どうして欺瞞世界ではなく直接現実にディストが現れたのか、咄嗟にそんな疑問が美鈴の口をつこうとしたが、今はそんなことを気にしている場合ではないことに気が付いて魔法を発動する。呼び出された小さな魚の群れは開け放たれた窓から宙を泳いで飛び出して行き、今にも生徒たちを襲いそうになっていたディストに食らいつき始めた。
「ま、魔法少女や!!」
「本物!? っていうかどこから!?」
「じゃああれほんまの化け物!?」
群がられたディストは有効な対抗手段を持たず早々に消滅し始めているが、美鈴はそのことに安堵を覚えている暇がない。クラスメイトたちから向けられる、好奇の目線。本来魔法少女は認識阻害によって守られ、現実では一般人に認識されないようになっている。しかし今の彼らは明らかに美鈴のことを見て、反応している。幸いにも正体が美鈴であることには気が付かれていないようだが、今まではなかった事態に美鈴は何をするべきか判断に迷いほんの少しの間動きが止まった。
「フィッシャーブルー! 欺瞞世界にディストが沢山出てるラン! 現実と繋がってる場所がバレてるラン! 救援要請を出したから他の魔法少女が到着するまで現実を守るラン!!」
「うわぁぁぁ!? こっちにも化け物が!?」
「カボチャのお化けや!?」
「わかった! 先生、生徒たちを避難させてください!!」
まだ戦いは終わっていない。ジャックの言葉を受けてすぐにそれを理解した美鈴は、ジャックを見て再度騒ぎ出すクラスメイトたちを無視し、授業の準備のために昼休みが終わるよりも少し早く教室に来ていた教師に子供たちのことを押し付けて窓から飛び出した。
「ジャックくん、なんで私たちのこと見えてるの!? それにディストが沢山出たって!?」
「美鈴を魔法少女にした時に教えたラン。いつか、この世界に滅びをもたらすような大きな戦いが始まるから、それに勝つために魔法少女を勧誘してるって」
「じゃ、じゃあもしかして」
「ディストが世界中で大量発生してるラン。魔法局からディスト発生の通知がガンガン届いてるラン。僕みたいな下っ端には詳しい情報がまだ来てないけど、多分間違いないラン。歪みの王の顕現、最後の戦いが始まったんだラン。認識阻害が機能してないのはなんでかわからないけど、でも完全に機能不全なわけじゃないラン。少なくとも魔法少女の正体、一番大切な部分はちゃんと守られてるっぽいラン」
「たしかに、みんなが居る中で変身したのに誰もフィッシャーブルーが私だってことは気づいてなかったかも……」
「とにかく今はやるしかないラン!! 絶対無茶な戦いはしたら駄目ラン! 必ず勝って生き残るラン!」
「ジャックくんも、無理に私を守ろうとして死んじゃったら許さないからね!! 魚群召喚・盾海亀!!」
何もないはずの空間がグニャリと歪み、その歪みの中から真っ黒な怪物がぞろぞろと這いずり出でる。発生しているディストは元々の発生率や等級と相関関係があるのか、大半が無爵級でちらほろと騎士級が見える程度。美鈴は戦闘中に一々マギホンを確認している余裕はないが、ジャックは魔法局からの通知を全て聞き分けて今の美鈴にとって脅威足りえるディストが発生していないかを入念に確認している。
「バトルフィッシュのみんなは無爵級を倒して、シェルタートルのみんなは学校の人たちを守って!」
美鈴の指示に従って鰯の群れが小さめのディストに向かって突撃していき、甲羅の盾を背負った海亀たちはそれぞれ逃げ遅れている生徒たちに近づいてディストから攻撃や戦闘の余波が届かないように守り始めた。
「ひとまずこれで大丈夫。あとは」
大型犬程度の大きさの無爵級ディストたちの中にあって、3m近い巨躯を持つ騎士級ディストはよく目立つ。さらにバトルフィッシュが明らかに避けて動いているため、余計にその存在が浮き彫りになっている。
「盾海亀の行軍!」
美鈴は二匹の盾海亀を両手に掴み、鈍器を勢いよく振り回す様に騎士級ディストに叩きつける。殴りつけられたディストは身体をへこませ、あるいは叩き折られながらも美鈴を捉えようとするが、ジェット噴射のように推進力を得ることで空中で急激な方向転換を可能とする美鈴に追いつくことは出来ず、振り回されては一体、また一体と消滅させられていく。
魔法少女になり、先輩魔法少女の教えを受け、魔女に助けられて早一か月、美鈴とて遊んでばかりいたわけではない。使える魔法の種類こそ増えてはいないもの、同時に使える魔法の数は三つまで増えた。フェーズ2魔法少女であっても同時使用の限界が2つ程度ということもあるため、これは新人としては驚異的な能力と言える。
「!? 美鈴、ちょっと待つラン!」
「うぇ!? ちょ、ご――ぶぇ――」
だが、そんな美鈴の快進撃も長くは続かなかった。騎士級ディストを粗方倒し終わり、バトルフィッシュによってかなりの数の無爵級ディストが葬りさられたところで、一体の騎士級人型ディストが美鈴の振り回す甲羅を完璧に受け止めたのだ。
ディストの発生率が少ない瀬理町では経験を積む機会が限られるため、美鈴が気が付かなかったのは無理もない。ジャックは過去の経験からギリギリで気が付いたようだが、それでも間に合わなかった。
新型と呼ばれるディストの中には、戦闘中に大幅に強くなるタイプが存在する。そうした特殊な新型ディストは発生の予兆を解析され、通知の段階でどのような特殊能力を持つかわかるようになっていたはずだが、今回の通知にはその情報が含まれていなかった。それが意味することはすなわち、最新型ディスト。これまでの学習の成果を大一番にぶつけるかのように、通常タイプに擬態した新たなるディストは現れた。
甲羅を受け止められた美鈴は咄嗟に武器を離すと言う判断に至らず、思いきり地面に叩きつけられた。さらにその衝撃で勢いよくバウンドし、一瞬浮き上がったところへ続けざまに振り抜かれた拳がガラ空きの腹部に突き刺さり、身体をくの字に折り曲げながら吹き飛ばされた。悲鳴をあげる暇もないあっという間の出来事で、校舎の壁にめり込んだ美鈴は僅かながら息こそあるものの、だらりと四肢を投げ出し意識を完全に失ってしまっている。
「やらせないラン!!」
見捨てるべき、誰でも良いから今すぐ新しい魔法少女を、と合理的な判断を下すよう囁きかける在りし日の記憶を振り切って、美鈴を守る様に立ち塞がったジャックがバリアを展開すると、美鈴へ追撃を加えようと迫っていた人型ディストは技術も何もなく幼児のようにガンガンと拳を叩きつけ始めた。一撃を防ぐ度バリアに小さなヒビが入り、ガラスのような破片が宙を舞う。
完全にではなくても妖精のバリアで攻撃を防げているということは、実際の強さは男爵級相当。通知上は騎士級となっていたことを考えれば、これまでに出現していた新型ディストと比してその特殊能力は大きく優れているわけではない。魔法界の探知を掻い潜るためだけに学習進化したタイプなのだろう。ジャックは即座にそこまで見抜き、まだしばらくはもたせられると自分に気合を入れる。
妖精に攻撃能力はなく、ジャックにはこの状況を打開する術がない。
最早戦えないであろう美鈴を守っているだけでは敗北を遅らせるだけに過ぎない。
それがわかっていてなお、時間稼ぎに徹する理由は一つ。
「幻影舞踏」
眩い転移光を伴って突如現れた黒い刀身の双剣を持った魔法少女が、蜃気楼のように身体を揺らめかせたかと思うと、何重にもその姿がブレて分身でもしたかのように10を超える刃がディストに襲い掛かった。そしてその全ての刃に実体があり、ディストはあっという間にズタズタに切り裂かれて消滅していく。
「やっと来たラン! 遅いラン!」
「ここだけじゃないのはわかってんだろ。特派も暇じゃないんだよ」
特殊派遣魔法少女、通称特派。
かつて大きな武力抗争を引き起こそうとし、氷の魔女によって粛清された自然過激派を主な人員とする懲役部隊だ。魔女たちの間でその処分について慎重に会議が行われ、出現率の問題で魔法少女の数が不足している地域に派遣されることがつい最近決定したばかりのため、不勉強な妖精によっては知らないこともあるが、勿論ジャックはその存在を知っていた。
「数も質もそんなにじゃねぇな。一通り殲滅した後別のヤツに引き継ぐ。お前はそこで寝てる雑魚を避難させとけ! 邪魔だ!」
「……逃げないラン?」
「逃げた奴はまた氷漬けにされちまうんでね」
「噂通りラン」
特派を知る妖精の間では、その素行の悪さや氷漬けの罰を逃れるため嫌々やっているという噂が流れており、あまり評判がよろしくない。ただし、態度が悪いと言っても本人たちが言うように氷漬けにはされたくないからかディスト退治はしっかりやるため、その点に関しては心配無用だと言えるだろう。
「……ここは任せるラン。僕にはやるべきことがあるラン」
「言われなくても仕事はするつうの」
特派の魔法少女は振り向きもせずにディストの残党を処理しながら軽く告げるのだった。




