episode4-閑 誤算
タイラントシルフには、精神に介入し術者の都合の良いように思考を誘導及び強制する魔術が二つかけられていた。本来魔法少女にその手の精神汚染は効果がないが、そもそもプロテクトを作っているのも魔法界であり、最高位妖精ともなればそんな障害はないも同然だった。
そしてシルフにかけられたその魔術は、常に魔法界でアースに監視されていた。貴重な燃料が増えていくのを管理するため、突発的なアクシデントで取り返しのつかない事態にならないように。
魔法少女エレファントの存在によって、燃料の増加が停滞しつつあることも勿論把握されていた。だからわざわざアースは直接タイラントシルフに会い、二つ目の魔術を手ずから施したのだ。現状に満足することがないように、満たされた生活に甘んじることがないように。目論見は功を奏し、燃料は再び順調に生産されるようになった。
咲良町に派遣した新たな妖精の怠慢によって予想もしていなかった混乱が生じたが、しかしアースにとってそれは好都合だった。何せ魔法少女エレファントの影響はとても無視できないレベルにまで至り、タイラントシルフにかけられた魔術的な思考の強制を覆しつつあったのだから。
いい加減エレファントを放置したままには出来ないとアースが考えていた矢先、サキュバスに魅了されたタイラントシルフは大きく悩み苦しみ始めた。タイラントシルフに対するエレファントの影響力は相変わらずだが、それゆえに二人の人を同時に好きになったという罪の意識がシルフに重くのしかかり、燃料の生産性は大いに向上した。
だから見誤った。
道具としてしか見ていなかったために、タイラントシルフの精神が軋みをあげているのに気が付かなかった。
順調に燃料を吐きだすタイラントシルフを観測して、もう少し様子を見ることにした。
そして潤沢で新鮮な燃料を食らい、タイラントシルフの、いや、水上良一の先天術式、黒心炉は暴走した。
黒心炉、それは宿主の負の感情を糧に膨大なエネルギーを生み出す貴重な術式。世界でもほんの数人だけが持つ、唯一感情を力に変える術式。ゆえにエモーションドライブ。
本来感情などというものに左右されない魔法や魔術、その他のあらゆる術式が、この黒心炉さえあれば簡単にパワーアップ出来る。本来の性能を完全に無視した規格外の結果を叩きだす。憎しみ、怒り、悲しみ、苦悩、そんなありふれた心の動き一つで、魔法少女システムに全く適していない三十路男性すら魔女に押し上げてしまう。
黒心炉の暴走は想定外だったが、それでも、それだけであれば大きな問題はなかった。タイラントシルフの身に蓄えられた燃料はその程度では到底消費しきれないほどに膨大だ。むしろ、今回の暴走で仲間の魔法少女を傷つける、あるいは命を奪うことになれば、消費した以上の燃料の回収が見込める。シルフの精神が完全に崩壊しないようにだけ気を付ける必要はあったが、いくら黒心炉の力が強大であると言っても亜神には及ばない。いつでも取り押さえることは出来るため、タイミングを見誤らないようアースはタイラントシルフと魔法少女たちの戦いを注視していた。
「どういうことだ……、おい……」
シルフが唐突に正気を取り戻したこと自体は、黒心炉の制御に成功したと考えればおかしくはない。これまで自覚なく振るっていた力であり、術師としての知識もないタイラントシルフがこんなにも早く暴走を収められるほど完璧に黒心炉を制御できるのかは疑問が残るが、それでもありえなくはない。
問題は、シルフが蓄えていた燃料が暴走で消費したとは思えないほどに減衰していることだった。
計画に支障が出るほどではないが、安全マージンを確保するため燃料にはある程度余裕を持たせておきたいとアースは考えていた。そのために歪みを抑えてわざわざ開戦を先延ばしにしており、本来であればタイラントシルフが最後の門を開いた段階で最終決戦を始めることは可能だった。
「あいつらの中にそんなことが出来るやつはいねえはずだ。……エレファントか? だが奴は今ここにはいない」
水上良一に関しては、魔法少女タイラントシルフという存在に仕立て上げるまで全てアースの計画通りに物事が進んでいた。だが、そこから先は計画通りにいかない、予想外のことばかりが起き、そしてその中心にいるのはいつも魔法少女エレファントだった。だから今回もあの平凡な魔法少女が何かをしたのかと考えたが、アースが魔術を使って沖縄に視線を飛ばせば大人しく眠っている姿が確認できた。
「何もわからないだと……、この俺が?」
星の亜神直轄の最高位妖精であるアースにすら察知させないなど、魔法少女は勿論同格の妖精にすら不可能な芸当だ。出来るとすれば隠形に特化した術師か、あるいは亜神か。だが、大半の術師は認識阻害の影響下にあり魔法少女にちょっかいをかけることなど出来ない。他の亜神はそもそもタイラントシルフのことなど大して知りはしないはずで、介入してくるとは考えにくい。
残る可能性は
「レイジィレイジか。……だが、だったらなぜ今の今まで無視を決め込んでいた。今更動く理由はなんだ」
タイラントシルフのことを憐れんで助けようと言うのなら、これまでもいくらだってタイミングはあったはずだった。水上良一の性転換と若返りを防ぐのでも、魔法少女にさせないようにするのでも、あるいは精神汚染の魔術を弾くのでも、やりようはいくらでもあった。それをせず、今になって横やりを入れてくるというのなら、今しかない理由があるはずであり、だとすれば考えられるのは。
「つくづく、邪魔をしてくれるな。もっと早く対処するべきだったか?」
レイジィレイジは全ての亜神に影響を与えたが、実のところアースとしては理の亜神が眠りについたのは好都合だった。星の亜神とは対照的な博愛主義者。もしも理の亜神が、そしてその直轄である最高位妖精、ロウが健在だったのなら、タイラントシルフを使う計画はどこかの段階で露見し妨害を受けていたことだろう。
アースにとって、そして黒心炉計画にとって最大のイレギュラーはレイジィではない。それはどこにでもいるような、大した才能もない平凡な存在だと軽視されていた魔法少女。彼女が沖縄に居ることが無関係であるなど、今となっては考えられない。根拠など何一つないが、シルフの身に起きた現象はレイジィレイジとエレファントが関わっているということをアースは直感的に理解した。
「だが、だったら今、エレファントが居ない今こそが絶好の機会とも言える、か」
タイラントシルフに再び精神汚染の魔術をかけ、再度燃料が貯まるのを待つことも出来る。だが、その間にまた同じようなことが起こらないとは言い切れない。魔法少女エレファントはアースにとって何をしでかすかわからない意外性と予想外の塊のような存在だ。しかしだからと言って単純に排除することも出来ない。それをすれば恐らくタイラントシルフは壊れてしまう。それでは駄目なのだ。
最早時間はアースの味方ではないのかもしれない。悠長に構えていれば、全ての計画を根本からひっくり返されてしまうような、そんな予感がアースにはあった。
それに、今となってはエレファントが最終決戦で大人しくしているとは到底思えなかった。実力はまったく足りないはずであり、最後の門どころか第三の門すら開けていない以上、邪魔など出来るはずがないのだが、それでもタイラントシルフの近くに居れば何とかしてしまいそうな凄みがある。
どのような手段を使い遠く沖縄の地から黒心炉の暴走を鎮めてみせたのかはアースをして皆目見当もつかなかった。だが、それでもシルフが長い時間をかけて溜めこんだ燃料の総量からしてみれば被害は微々たるもの。それが限界なのだ。
だからこそ今、エレファントが直接的にシルフへ干渉出来ない今始めるべきだとアースは決断した。
「気張れよ魔法少女ども。命の使いどころだ」
最後の戦いが、始まる。




