episode4-閑 魔術師③
本日3回目の更新なのでご注意ください
「魔術師の中には先天的に高度な術式、界隈じゃ恩恵なんて言われたりもしますけど、とにかくそういう特別な力を持ってる奴がいます。あたしの『偽装』みたいにね」
術式とは本来術師自身が脳内で組み立てるものであり、だからこそ魔術的演算能力などと呼ばれるわけだが、つまりそれは頭の出来によって使用できる術式の種類やレベルがある程度決まっていることを意味する。
例えば、術式を単純な計算式と仮定して、姿を隠す術式は足し算、気配を感じ取る術式は割り算とした場合、数十桁の足し算を瞬時に暗算出来る者は高度な隠密の術式を使えるが、3桁の割り算すら満足に出来ない者は察知の術式に対する適性は低いということになる。
実際の魔術的演算はそう単純な算数ではないが、脳味噌の構造によって向き不向きが存在すると言うわけだ。
恩恵というのは、その脳の構造が極端に特定の術式に適していることを指し、大抵の場合においてその特定の術式は極めて高度に扱うことが出来るが、反面それ以外の術式に対する適性は皆無で全く使えないということが多い。そのため、恩恵を持って生まれたからと言って必ずしも他の術師よりも優れているということにはならない。むしろ科学技術の発達によって術式を用いずとも誰もが高い火力を扱える現代において、重要視されているのは防御的な術式であり、副作用によって防御的術式を使うことが出来ない恩恵持ちはハンデを抱えているとすら言える。そういう意味では、プレスの持って生まれた恩恵は大当たりだった。高度な『偽装』という情報のアドバンテージを握りやすいそれは、間接的な防御術式であると言える。
「自分の身を自分で守れたり、ちゃんと家族に守って貰えるような環境なら良いんですがね。恩恵ってのは現代の術師じゃ再現出来ないレベルの高等なもんが多いんすよ。そうなると、どうやったらそんな凄い術式を使えるのか、知りたくなるのが術師の性ってやつで……」
「人体実験、ですか」
「身体中散々弄繰り回されたあげくに、最後は頭を開かれて脳味噌まで調べ尽くされる、らしいっすよ。あたしも噂程度にしか知らないっすけど」
術師たちが手軽に人を死に至らしめる銃火器に頼るようになり、攻撃的な術式が徐々に衰退し始め、対照的に防御的な術式が発展するようになったことで、過去に比べれば恩恵持ちが非業の死を遂げることも減ったが、今でもどこかでそうした実験は行われているのだという噂は絶えない。
「だったら、恩恵なんて最初からない方が良いと、そういうことですか」
儀式呪術と一口に言ってもその種類は多岐にわたるが、呪術師の間で単に儀式呪術と呼称する場合、それは生贄の儀式呪術を指すことが多い。なぜならば、複数人の呪術師を必要とする大規模な呪いにおいて、古来より各地で行われてきた最も一般的で身近な呪術だからだ。
呪術師としての詳しい知識を持たないディスカースにとってはそんな常識は知る由もないことだったが、対価を差し出すことでその価値に応じた力を与えられる、別名を世界との取引とも呼ばれる生贄の儀式呪術のことは、内容を説明されればすぐに理解出来た。それが生贄の儀式呪術と呼ばれる恐ろしい呪いであることも知らずに、ディスカースはその呪術を使ったことがあるのだから。
フリーマーケットで偶然古い時代の呪術師の手記を購入し、その類まれな才能によってたった一人で儀式呪術を成功させたディスカースは、感情の大半と過去の記憶、そして毒虫の宝物庫の中身を全て奪われ、その対価として絶対支配の呪いと魔女の力を得た。
奪われたものの中で最も価値があったのは宝物庫の中身であり、感情と記憶はほんの少しの帳尻合わせとばかりについでに持っていかれただけに過ぎない。人の感情や記憶などに大した価値などないと世界に突き付けられ、けれどそれを悲しむ心はすでになく、ディスカースは自分が一体どんな人間だったのか、何のために儀式を行ったのかも思い出せぬまま、埋めることのできない空虚さと引き換えに強大な力を手にしたのだ。
結果だけを見れば当時無名の魔法少女だったディスカースが、たかだか十数年の記憶と人間一人程度の感情で絶対支配の呪いと魔女の力を手に入れたのであれば収支は黒字のように見えるかもしれないが、そうではない。
ディスカースは宝物庫の中身を全て奪われて、その対価として魔女の力を手に入れた。それは本来、ディスカースの引退後も別の魔法少女へ引き継がれ、恒久的に魔法の力を生み出すはずだった道具たちが、ディスカース個人のみの力に変換されたことを意味する。毒虫の魔法少女は今後ディスカース以外に現れることはなく、そしてディスカースもまた、魔法の力を失うことはない。
当時のディスカースがこの結果を望んでいたのかは、今となっては誰にもわからないが、わからないからこそ、今のディスカースは儀式呪術の恐ろしさを知っている。
「確かに私はあなたの言う儀式呪術を使ったことがあります。その成れの果てが私です。でも、きっと私は儀式呪術を完璧に制御出来ていなかった。だから、自分が何を求めていたのかもわからないのですから。今の私ではあなたの望んだ結果は得られない。術式とやらを捧げることでどのような影響があるのかもわかりませんし、あなたのお友達、タイラントシルフさんまで私のようになって良いとは思わないでしょう」
「……儀式の練度なら、呪術を扱うことで昔よりも上がってるはずです。なんならあたしが実験台になっても良いんです。髪の毛一本でどれだけの対価を得られるか、そこまで細かく制御出来れば何も心配はいりません。それに先天術式を捧げた前例はあります。でもその前に、何か勘違いしてますね。あたしが助けたい友達はシルちゃんじゃないです」
「違うのですか?」
「むしろ何でそう思ったのか聞きたいくらいなんですけど。あたしが助けて欲しいのは、エレちゃん、魔法少女エレファントです」
「……早とちりしてしまったみたいですね。以前、お茶会でタイラントシルフさんと会った時に、彼女が呪いにも似た何かを背負っているのが視えました。あなたの話を聞いて、あの禍々しい何かを引きはがすのに儀式呪術が最適なのだと思ったので。それに、彼女はあなたと同じチームで活動している魔法少女ですから」
儀式呪術の影響か、あるいはディスカースの魔女としての能力なのか、詳細はディスカース自身もわかっていないが、彼女には呪いやそれに類する悪性の概念を視覚で感じ取る力がある。その能力によって、タイラントシルフを取り巻くどす黒い何かを視た。
得体の知れないそれは、しかしディスカースにとって初めて視るものではなかった。むしろ視慣れていると言っても良いだろう。何しろ月に一度顔を合わせる魔女たちの内の一人、パーマフロストが昔から同じようなものを纏っているのだから。
「シルちゃんが? ……まさか、いや、でもあれは確かに呪いと形容されることもあるし、そう考えれば辻褄は合う? だけどそんな、あまりにも出来過ぎてる。惹かれ合ったとでも言うの? 白心炉と黒心炉が同じ場所に揃うなんて。気づかれてる? いや、そんなはずない。だとしたら野放しにしてるわけない。エレちゃんのことはバレてない。…………!」
シルフが呪いに似た何かを背負っていると聞いた途端、プレスは考えを整理するようにぶつぶつ小さく独り言を呟き、そして唐突に目を見開いた。
「世界規模の魔術。あまりにも荒唐無稽で現実的じゃない、動力を確保できないから凍結された計画。術師を使うなんて論外。だけど魔法少女じゃ、魔法少女になれる程度の年齢じゃ、黒心炉の燃料が足りない。だから違う方法を用意してるんだと思ってた。でも、純粋な少女じゃないとしたら? 黒心炉を大規模に動かせるほどの、長年積み上げられた負の感情を持った魔法少女を作り出せたら? 大人の記憶に子供の心を持った女性だったとしたら?」
プレスの頭の中でこれまでの出来事がパズルのピースのように次々と繋がっていく。
歳の割に妙に勉強が出来るのも、やけに大人びているのも、魔法少女と仲良くしようとしないのも、いきなり強力な魔女として台頭したのも、全てに説明が付く。
「ずっと、ずっと疑問だったんです。世界の滅びをどうやって防ぐつもりなのか。だけど今、連中が何をしようとしてるのか何となくはわかりました。あたしの予想通りなら、うまくいけばあたしらの世界は助かるでしょうね。でも、それじゃあ駄目だ」
プレス自身がエレファントの持つ白心炉を秘匿し続けていたから、シルフも同じように黒心炉を持ち、それを隠されているのだと受け入れられた。あり得ないことだと、思考を放棄しなかった。
魔法少女にならなければ、自分が守ろうとしていた少女が魔法少女として活動していることなど知ることも出来なかった。そして術師のしがらみに囚われず、単独で儀式呪術を行使できるほどの規格外の存在に出会うことも出来なかった。
どれだけ勉強しても、練習しても基礎的な術式すら使えない、生まれ持ったたった一つの力しか使えない事実に打ちのめされたこともあったが、恩恵を持って生まれたから、亜神にすら気づかれず情報を集めることが出来た。
それは魔術師であり、魔法少女であり、そして特別な『偽装』の術式を持つプレスだからこそたどり着けた真実。
タイラントシルフの力ならば、この世界を救い、エレファントに平和な生活を取り戻させることは出来るだろう。
エレファントの心ならば、孤独なシルフに寄り添い支えとなることは出来るだろう。
だが、それだけでは駄目だ。
シルフの力だけでは、シルフ自身を救えない。
エレファントの心だけでは、世界を救えない。
二人の力と心を合わせても、まだ足りない。
「あたしたちでこの戦いの結末を変えるんです。全部終わった時、みんなが笑って、良かったねって言えるような、そんな幸せな結末をあたしたちで掴みとるんです。だからお願いします、ディスカースさん。あたしにあなたの力を貸してください」
「……先ほども言いましたが、私は儀式呪術の制御に自信がありません。ですから、術師としては先輩であるプレスさんが、しっかりと付き合ってくださいね?」
気持ちが先行してしまってか、プレスの言葉はまだまだ説明不足であったが、その熱意は、友達を助けたいと言う真剣さは痛いほどに伝わって、なくしてしまった感情を揺れ動かされるような気がして、ディスカースは気づけば苦笑と共にそんな言葉を返していた。




