episode4-7 解放②
ナマケモノ妖精の説明によれば、どうやらシルフは以前から恐怖や不安の抑制とは別に思考に影響を与えるような精神汚染を受けており、ただでさえ不安定だった精神がサキュバスの魔法によって暴走し、魔法の制御が出来ていない状態にある、ということらしいとその場にいた魔法少女たちは理解した。
衣装やその他諸々が黒く染まっていることの説明にはなっていないが、精神や魔法の暴走について魔法少女たちが詳しく知るはずもなく、それが原因だと妖精に言われればそういうものかと納得してしまう。唯一プレスだけは何かに気がついた様子だったが、表立って声は上げずに他の魔法少女たちと同じようにシルフを止めるため戦闘を続行することにした。
とは言っても、熾烈を極める白シルフと黒シルフの戦いは他の魔法少女が介入する余地などなかった。
地上に近づくと他の魔法少女の攻撃を受けることを嫌ってか、黒シルフが空中戦に固執しているため欺瞞世界にそれほど大きな被害は出ていないが、相対する白シルフはボロボロになっていた。肉体の欠損こそないものの、身体中に浅い傷といくつかの深い傷がつけられており、白い衣装を赤く染め上げるほどの血を流している。そしてその衣装も大部分が切り裂かれており、元の分厚い法衣のような面影が見えないほどの薄布と化していた。
魔法少女の魔法は感情に比例して強くなったり弱くなったりはしない。元々眠っていた潜在能力を引き出すことはあっても、限界を超えた力を出すことは出来ない。つまり白シルフが気合で黒シルフと渡り合っていたのは、やせ我慢をして食らいついていたということに他ならない。そしてそのやせ我慢もとうとう限界を迎え、迫りくる竜巻から逃げきれず追いつかれかけ、苦し紛れに飛行の魔法を解除して自由落下に身を任せて地に堕ちた。
「大丈夫ですか!?」
「……すみません、姫。私は……ここまでの、ようです。逃げて、ください……。やつは、強すぎます……」
「こんな、一方的な、そんな、はずは……」
落下地点の近くにいたサキュバスが慌てて白シルフに声を掛けると、最早息をすることも苦しいというように途切れ途切れになりながらそう告げて、最後にはさらさらと光の粒子となって消えて行った。
サキュバスはこの魔法の使い手だからこそ、夢の門から現れたシルフが一方的に叩きのめされ、黒シルフが傷一つ負っていないということが信じられなかった。
サキュバスが門で繋ぐ夢は、基本的に一度使えばそれで消えてしまう使い切りだ。悪夢の門も毎度違う怪物が現れるのは、一度出現した怪物は消えてなくなってしまうからだ。そして夢の門は、サキュバスが思い描く理想のシルフを、夢のシルフを、消えてしまうことを覚悟のうえで呼び出したはずであり、本来であればオリジナルに劣ることはないはずだった。
それが意味するところは一つ、あの黒い状態のシルフは、普段のタイラントシルフよりも強いということ。
「ちょっと回復してきましたよー! さっきよりは威力落ちそうだけど、もっかい撃てます!」
「いや、待つんだ。様子がおかしい」
へたり込んで休んでいたプレスが聖剣化したブレイドを掲げて戦えることの意思表示をするが、暫定的にこの戦場のリーダーに収まっているエクステンドがそれを制した。自分と互角に戦える相手の居なくなった黒シルフが再度自分たちに攻撃してくるのではないかと警戒していたが、よく見れば黒シルフもまた降下ではなく落下するようにどんどん近づいてきており、しかもその色が徐々に元のシルフに戻りつつあった。
「よくわからないけど、暴走は止まったようだね!」
時間を拡張した高速移動で落下地点に先回りしたエクステンドがシルフを受け止めると、すでにいつも通りの白い衣装にエメラルドグリーンのツインテール、翡翠色の瞳に戻っていた。そうしてエクステンドにお姫様抱っこされながらごしごしと目を擦り、眠たそうにゆっくりと瞼をあげる。
「……エクステンドさん?」
「ようやく目が覚めたか、風の魔女殿。良かったよ。何があったか覚えているかい?」
「何か身体の調子が悪かったりはしないか?」
「心配したよー。魔法が暴走するなんて初めて聞いたからびっくりしたけど、無事みたいで何よりだね」
「シルちゃん、痛いとこない? ま~、あたしら全然相手になってなかったし、大丈夫だよね?」
『悲しいこと言うんじゃないわよ。まったく、目標は遠いわね』
「あの、ありがとうございました。何となくは、覚えてます。お陰で助かりました」
妖精から説明を受けていたとはいえ、散々暴れ回ったシルフを責めるでもなく、安堵した様子で優しく声をかけてくる魔法少女たちに、申し訳なさで一杯のシルフは咄嗟に謝ろうとしたが、夢の中でエレファントが言っていたことを思い出して感謝を述べる。
夢のはずなのに、あの夢は夢じゃなかったという確信があった。あれは本当にあったことで、エレファントが自分を助けてくれて、エクステンドや他の魔法少女たちは現実で自分を止めてくれていたのだと、不思議とそのことを疑わなかった。
シルフからのお礼を受けて魔法少女たちは様々な反応を返すが、その内二人がいきなり地に伏せて額を地面に擦りつけるほど深く頭を下げた。
「ひとまず何とかなったみたいで良かったっすけど、すいませんでしたー!!」
「ごめんなさい!!」
シャドウとサキュバス、今回の騒動の発端とその師匠にあたる二人だった。
妖精の説明を聞く限りでは、今回の事件の原因の半分くらいはサキュバスにあると言える。シルフの暴走を食い止めるのに大きく尽力したことは確かだが、そもそもサキュバスが余計なことをしなければ発生しなかった事態でもあり、気軽に良いよ良いよと言えることでもない。
エクステンドやブレイドたちには特段怪我もなく実害はなかったため、恨みがあるわけではないが、いくら仲良くなりたいからと言って魔法で相手を好きにさせるのはどうかという気持ちは多かれ少なかれそれぞれの魔法少女たちが抱いていた。
「弟子の不始末はあたしの不始末です。責任を取れって言うなら、この町を出ていくんでも、魔法少女を辞めるんでも、サンドバックでも、何でもします。ただ、こいつも悪気があったわけじゃないんです。確かに魔が差しちまったのは間違いないっすけど、魔法は失敗したと思い込んでたんです! ずっとそのままにしておくつもりなんてなかったんすよ! だからこいつのことは、許してやってくれませんか!?」
「ちがっ、ししょーは何も悪くなんてないです! 全部私がやったことです! 人を魔法で好きにさせるなんて、そんなの悪いことだってわかってて、それでも私が、自分の意思でやったんです! 私のことは好きにしてください! でも、ししょーは関係ありません!」
シャドウが弟子を取ったこと自体も驚きだったが、ここまでその弟子を庇うこともまた意外だったのか、とくに普段はシャドウと交流のない純恋町の魔法少女たちはネット上で見る噂とは随分と違うのだなと見直していた。
そもそも、師匠であるからと言って弟子のしでかしたことの責任を全て負わなければいけないなんてことはない。元からシャドウを責めるつもりなどエクステンドたちにはなかったのだが、しかしサキュバスの処遇をどうしたものかというのは悩みどころだった。これだけの事態を引き起こしておいて、お咎めなしではサキュバスのためにもならない。
かつて咲良町を襲撃したシャドウも、ただ単に許されたのではなく、エレファントにボコボコにされて罰を受けたうえでこの町に迎え入れられているのだ。まさかサキュバスのような小さく、そして根は決して悪人ではないであろう少女に暴力を振るうつもりは誰にもないが、だからこそ落としどころが難しかった。
「その前に一つ聞いておきたいのですけど、あなたは私に何をしたんですか?」
そもそもシルフはなぜ自分があのように暴走する羽目になったのか、その理由を誰からも聞いていない。エレファントもその辺りのことはまだ話していなかったし、他の魔法少女にナマケモノの妖精が説明していた内容は白シルフとの戦闘中で全く聞こえていなかった。つまり魅了の魔法をかけられていたということさえ知らないのだ。
とはいえ、目の前で土下座するサキュバスを見てもドキドキしたりすることもなければ好きだと思うこともなく、二股で悩まされた日々は何だったのかという気持ちがわいてくる時点で、何となくではあるが察してはいるのだが。
「催眠の魔法をかけて、魅了の魔法を使いました」
「なぜ催眠の魔法を間に挟んだんですか? 単に私を魅了しようと思ったのなら、そんなことする必要ないですよね?」
「プーちゃんが、シルフさんには催眠の魔法は通じるから、その後なら魅了も通じるって教えてくれたからです」
「へぇ、なるほど、そういうことですか……。そもそも魅了魔法の話を持ち出したのも妖精なんじゃないですか?」
「そうですけど、知ってたんですか?」
「いいえ、ですが妖精は信用に値しないので。旋風刃」
いつの間にか、こっそりと逃げ出そうとしていたナマケモノの妖精に向かって回転する風の刃が放たれ、瞬く間にその四肢を斬りおとした。ぬいぐるみが素材になっているのか、断面は白い綿がのぞいている。
「い、いきなり何するんだナ~! 危ないんだナ~」
「こういう場合、最も重い罰を受けるのは実行犯ではなく主犯なんですよ。かつてこの町にいた妖精は、自らの死をもって悪事の責任を取りました。ならばあなたも、そうするべきだとは思いませんか?」
「思わないんだナ~! 僕は悪くないんだナ~! 別に僕は命令してないんだナ! 良い方法ないか聞かれたから答えただけで、その子が勝手にやったことなんだナ!」
「ま、待って下さい! たしかに魔法のことはプーちゃんから聞きましたけど、決めたのは私です! 悪いのは全部私なんです! プーちゃんのことは許してあげてください!」
「……その妖精を庇う理由がありますか? あなたの目の前で、責任をあなたに押し付けようとしていましたけど」
「プーちゃんは、ただ面倒くさがってただけで、悪気はなかったんです。それに、プーちゃんは友達だから! だから――」
「そうですか。そこまで言うのなら、良いでしょう。責任はあなたにとってもらうことにします」
「シルちゃん!!」
最大の被害者であるシルフが裁定をくだすのであれば、それが筋だろうとエクステンドたちは黙って見守っていたが、流石に最後の言葉は見過ごせなかったのか咄嗟にプレスが声をあげる。だが、シルフはそんなプレスを手で制して、シャドウのことを指さした。
「あなたには今後もそこの危険人物の監視を命じます」
「え? あたし?」
「ししょーが、危険人物ですか?」
「知っているのか知らないのか、どちらでも良いですけど、その魔法少女は以前にこの町を襲った危険人物です。あなたが現れるまでは私たちのチームから一人監視がついてましたが、その役目を今後もあなたが続けることを命じます」
「……でもししょーってボコボコにされて泣きついたんじゃ――」
「エレファントさんは優しいので迎え入れてあげましたが、いつ反旗を翻すとも限らない危険な魔法少女です。とても危険な仕事ですが、それがあなたへの罰です。いいですね?」
本当にそんなことを思っているのなら、最初からシャドウを町に受け入れなければ良い話であり、エレファントが一時期シャドウとチームを組んでいたのも全く別の理由で、しかもシャドウがとんでもなく弟子を大事にしているらしいことはわかっており、ハッキリ言って誰からもバレバレの嘘だったが、どうやらシルフはそういうことにして押し通すつもりらしく、サキュバスの疑問も反論も封殺するように言葉を並べ立てた。
「わかったら今日はもう帰りなさい。子供が起きてる時間じゃありません」
「っ、わかり、ました。ありがとうございます!」
シルフの意図に気が付いたサキュバスがその優しさに思わず泣きそうになりながら、それでも元気よく言葉を返して、ナマケモノの妖精を抱えながら転移魔法陣に包まれ去っていった。
「……すいません、許してもらったうえに気を遣わせちまったみたいで」
「何の話かわかりませんね。あなたもさっさと帰ったらどうですか? 私はあなたのことを危険人物だと思っていますので」
「ハハッ、そうっすね。そういうことなら、機嫌を損ねない内に退散しますよ。本当に、あたしの弟子がすいませんでした」
心からの感謝と申し訳なさが混じり合った、複雑な声音で最後に小さく、シルフだけに聞こえるように呟いて、シャドウもまた現実世界へ帰っていった。
「も~、シルちゃんハラハラさせないでよ! いきなり魔法使うから何するのかと思ったじゃん!」
『本当にね。てっきりあの子にも魔法を使うつもりなのかと思ったわ』
「風の魔女殿がそれで良いならこれ以上何か言うつもりもないけど、良かったのかい?」
「何がですか? ちゃんと罰は与えました。許したわけじゃありません」
「ふっ、恰好つけるじゃないか。嫌いじゃないぞ、そういうのは」
「シルちゃんも何だかんだで優しいね」
仲間の魔法少女たちに色々と言われているが、実を言うとシルフはサキュバスに対してそれほど怒りを抱いていなかった。もちろん、無理矢理好きになるような魔法を使うのはどうかと思っているし、普通ならシルフももっと怒り狂っていたかもしれない。ただ、今回のサキュバスのしでかした事件は、結果としてシルフに良い影響を与えることになった。エレファントとの関係もそうだが、それよりももっと根本的な部分の話で、先ほど目覚めてから、いや、正確にはあの夢でエレファントと話をしていた時からだが、驚くほどにシルフの思考はクリアになっているのだ。まるで重い枷から解き放たれたかのように。
これまで自分の意思が不自然に捻じ曲げられていたことに、それがなくなったことでようやくシルフは気が付いた。今になって思い返してみればこれまでの自分の考えにはところどころで不自然な部分があり、それが誰の仕業なのかは語るまでもない。
その、自分の意思を捻じ曲げる何らかの力がなくなった。
だからエレファントに対しても素直な気持ちで答えることができた。
今のシルフにとってサキュバスのような小さな子供がしでかしたことなど些事でしかなく、そんなことよりも、自分を都合の良い駒として使おうとしている存在のことや、エレファントとの未来など、これからのことを考える方がよっぽど大切だった。
これにて四章本編完結となります。
明日からは閑話の更新となります。
閑話と言いつつガッツリ本編にも関係のある話ですが……。
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