episode4-6 眠りの④
「なに、これ……」
「過去の映像ですよ。言っておきますが、夢ではありません。事実として、ヤツが体験した人生の要所要所、ターニングポイントとも呼べる部分を抽出したものです」
エレファントが聞いているのはそんなことではない。これまでのシルフの話を思い出せば、今見せられた映像が実際にあったことであろうことは予想がつく。問題は、なぜそんな映像を見せられるかとか、なぜそれをエレファントに見せたのかではなく、
「なんなのあの人は! なんであんなひどいこと!」
エレファントが我慢ならないというように映像の中の家政婦に対して怒りの声をあげるのも無理はない。なにせ良一には人格を否定するような言葉を言い連ねながら、他の人にはさも良識ある善人のように振舞い、そして成長した良一が過去の所業を覚えていないことを良いことに、まるで味方のように振舞っているのだ。
例えシルフのことを、水上良一のことを知らない人間が見たとしても、胸糞悪くなるような映像だった。だとすれば、シルフを幸せにしてあげたいと願う少女が、シルフのためならばと自分の恋心すら諦められるエレファントが、それを見て怒りを覚えないはずがない。
「あんな、あんなことをずっと言われてたから、シルフちゃんは……!」
「そうですね。ヤツは自分が嫌いなわけですが、その根本はあの刷り込みが原因でしょうね。自分何かがとか、自分なんてとか、そういうくだらない後ろ向きな発想が最初に来るのは精神汚染でもなんでもなく、ヤツの人格形成上自然な思考なわけです。
そして、普通ならば誰もが得られるはずの無償の愛を得られなかった、いえ、得られなかったと勘違いしている。だからこそ、愛を求める。
しかし同時に、自分何かが誰かに愛されるわけがないと、愛される資格はないと自己嫌悪に陥る。ヤツの思考は幸せになれないよう入念に調整されているのです、魔術的な介入を必要とせずに。よくやりますよね」
「そんなのひどいよ……! どうしてあの人はあそこまでして!」
「条件が良かったからでしょうね。黒心炉を持ち、幼く、不幸にしやすい境遇だった。運が悪かったとも言えますね。見つからなければもう少しマシな人生を送れたでしょうに。その点ではあなたはお友達に感謝しなければいけませんね。
まあ、もしも見つかっていなかった場合あなたには出会わなかったかもしれませんが。あなたの存在はあの神モドキ共にとっても予想外だったのでしょうね。だから今更魔術的な介入をしてあなたとの仲を引き裂こうとしているのです」
「……それって、サキちゃんのこと?」
黒心炉とは何なのか、お友達に感謝とはどういうことか、レイジィの言葉はわからないことばかりだが、最後の言葉だけは聞き捨てならなかった。
「いえ、そちらではありません。ヤツには『男性に戻り家族とやり直す』という目的意識が魔術によって植え付けられているのです。実際本心からその結論に至る可能性もありますが、少なくとも今そう考えているのは本人の意思ではないということですね。
ヤツも矛盾したことを言っていたでしょう? 男に戻って家族とやり直したいと思っていたのに、今は女の子の姿のままあなたと離れたくないと思っている、と。それはつまり、見ているこっちが恥ずかしくなるほどのあなたのアプローチで、魔術的に強制されていたヤツの目的意識を変えつつあるということなのです。素直に尊敬しますよ」
「待って、私がシルフちゃんにしたこと全部知ってるの?」
「言ったでしょう、私はあなたのファンだと」
答えになっていない答えを返しながら、レイジィがもう一度指を鳴らすと、周囲の景色が豪奢な玉座の間に戻った。
空間が切り替わる前と同様に、レイジィは相変わらず足を組んでだらしなく玉座に腰掛けながら、僅かに笑みを浮かべた。
「さて、気に入っていただけましたか、私のプレゼントは?」
「……良い気分じゃなかったけど、ぶっ飛ばさなきゃいけない人がいるっていうのはわかった。それを教えてくれたのは、ありがとう」
「それは何よりです。ただ、あの家政婦はもう水上家には勤めていませんよ。素性を追うことも難しいでしょう。今のところは放っておくのが賢明です」
「あなたなら、それもわかるんじゃないの?」
「わかりますが、それを教えるつもりはありません。少なくとも今のあなたでは勝てませんから」
「今の私じゃ、勝てない……?」
比喩でもなんでもなく、一発殴らなければ気が済まないと思っていたエレファントは、レイジィから居場所を聞き出そうとしていが、返ってきた言葉に思わず疑問符を浮かべる。
相手はそれほど鍛えているようにも見えなかった女性だ。成長しきっていない、まだ子供の生身のままなら確かに返り討ちに合うかもしれないが、変身すれば負けるとは思えない。そもそも変身して殴りかかった場合相手は自分に気づけないだろう。年齢から考えて、相手が魔法少女であることも考えにくい。
「いずれ理解できるでしょう。それよりも、今のあなたには他にやらなければいけないことがあります」
「そんなはぐらかそうとしたって」
「これを見なさい」
しつこく追求しようとするエレファントを制してレイジィが虚空に手を掲げると、ホログラムのように空中に投影された映像が映し出され、その映像の中では黒い衣装に身を包んだタイラントシルフが咲良町と純恋町の魔法少女たちと戦っていた。
「ど、どういうこと!? どうなってるの!?」
「ヤツには元々一つ、思考を僅かに誘導する魔術がカボチャ頭の妖精によってかけられていました。魔法少女のシステムに組み込まれた、極めて自然で違和感を見つけにくい、それほど影響の大きくない魔術です。ヤツが常に敬語で喋っていることや、女の子らしい可愛い恰好をするのに大きな拒絶感がないのも主にこれの影響です。魔法少女になる直前も似たようなものは使われていたようですが……、統合して差し替えられたみたいですね」
レイジィが人差し指を立てながらそう話すと、映像とは別で空中に出現した小さなシルフの人形に、細い鎖がグルグルと綺麗に絡みついていく。
「そして次に、幸せになれないはずだったヤツが一人の魔法少女に絆され、現状維持をよしとするようになったことに焦り、後から地球儀の妖精にかけられた目的意識を強制する魔術。これは一つ前のものに比べてかなり強力です。表層的な思考にダイレクトで影響を与えるほどに」
人差し指に続いて中指を立てると、今度は太い鎖が、細い鎖の隙間を埋めるようにシルフ人形に巻き付き、その姿を完全に覆いつくしてしまう。
「最後に、一人の魔法少女が妖精に唆され、魔が差してかけてしまった魔法が二つ。本来なら通じないはずの魅了を、催眠を間に挟むことで強引に成功させた力技ですね。ですが、それがよくなかった」
薬指と小指を同時に立てると、一本目と二本目の鎖の丁度中間くらいの大きさの二本の鎖が、すでに巻き付いていた鎖を巻き込みながら強引に巻き付いて行き、ところどころに隙間が出来始める。二本目までの時点では完全に覆い隠されていたシルフ人形が、乱れた鎖の隙間からところどころ衣装が見えるようになっている。
「当然ですが、精神に作用する魔術や魔法というものはとても繊細なものです。下手に扱えば、ボン」
その言葉と共に親指を立て五指を開くと、シルフ人形が鎖と共に爆発四散してしまった。
「とまあこのように、心は壊れてしまうわけです。もちろん、一度壊れてしまえば二度と元には戻りません。今のところギリギリでそうはなってないみたいですけど、ヤツの精神構造が大きく負に傾いているせいで、今まで押さえつけられていた負の感情が黒心炉に食われて暴走してしまっているわけです。早くその暴走を止めなければ、遅かれ早かれ炉の負担に耐え切れず、ボン、ですね」
「~~~~~!!」
「おや失礼、ご質問をどうぞ」
「私は何をすればいいの!?」
「理解が早いようで結構」
悠長に長々と説明するレイジィの言葉を、エレファントは何も自らの意思で黙って聞いていたわけではない。最初にレイジィが話をし始めた時と同様に、強制的に口を開けないようにさせられていたのだ。
発言権を開放されたエレファントはいくつも言いたいこと、聞きたいことがあったが、とにかく今はシルフを助けるのが先決だと簡潔に疑問を投げかけた。
「物理的にヤツを止めたところで意味はありません。まあ、止めなければ町に被害は出るのですから、彼女たちの戦いは無駄ではありませんが、事態の解決には繋がらないわけですね。ではどうするかと言うと、これからあなたが直接ヤツの精神を止めに行くのです」
「わかった!!」
「そう素直に頷かれると説明し甲斐がありませんね」
「良いから早くしてよ! いつシルフちゃんがボンってなっちゃうかわからないんでしょ!?」
「それは確かに。あなたの悲しむ顔を見るのは本意ではありませんし、では要点だけを伝えましょう。私の力であなたの夢とヤツの夢を繋ぎます。夢に距離は関係ないのです。そしてヤツの夢はとある事情で破壊され精神世界に繋がっているので直通です。夢の先で暴れ回るヤツを見つけたら、あなたの思うようにヤツを止めるのです。それが最も確実です。それでは、健闘を祈ります」
「ありがとう、レイジィちゃん!!」
レイジィが話を締めくくるのと同時にエレファントの目の前に自分の背丈と同程度の大きさの漆黒のゲートが開く。ゲートと言ってもサキュバスの使うもののように門の形をしているわけでもなく、縦長の楕円形が渦を巻いているような形だった。
ちさきはそれが開かれた瞬間に、少しの躊躇いも見せずお礼を述べてその中へ駆け出して行った。
「どこまでも真っすぐで、純粋。やはり推せますね。ヤツが気に入るのも無理はない。白心炉を持つからこそ純粋なのか、あるいは純粋だからこそ授けられたのか。彼女が運命を変えてくれると良いのですが。私も彼女のいるこの世界を壊したくはないですし……。ふわぁ、少し長く起き過ぎましたね。もうひと眠りしま、しょう、か……」
エレファントのいなくなった玉座の間でレイジィはそうしてぶつぶつと独り言を呟き、夢の中でありながら眠りへと落ちていくのだった。




