episode4-4 暴走③
カーペットが敷かれた床の上で死体のように寝転がっていた少女が、突然勢いよく起き上がり何かを確認するように自分の身体をペタペタと触っている。
「わ、私、生きてる……。生きてる……!」
その少女、魔法少女サキュバスは自分の心臓の鼓動を聞いて、自分の頬を抓って、何度も確かめるように掌を開いては閉じ、開いては閉じて、ようやく安堵したように涙声をあげた。
シルフの夢の世界に向かい、そこで正体不明の悍ましい何かに消し飛ばされたことまでは覚えているが、そこから先の記憶はない。
サキュバスの他者の夢に侵入する魔法は、正確には門を潜ろうとした瞬間に自分も眠りに落ちて夢を見始め、その夢の自分が他者の夢に干渉するという魔法だった。つまり簡単に言ってしまえば、先ほどまでサキュバスが見聞きしていた全ては夢に過ぎないのだ。夢の中で死んだからと言って、現実で死ぬはずもなし。サキュバスもそれはわかっていたが、流石は魔法だけあって夢とは思えないほどにリアルな体験であり、殺された時には本気で死ぬかと思ったのだった。
もっとも、夢に過ぎないとは言っても全てがなかったことになるわけではない。現実的な話として、シルフが自分を罰するような悪夢を見ていたことは事実だし、何よりその下にあった深層心理とでも呼ぶような場所にあったものもまた事実だ。
シルフの心に巣くう怪物のことは気になるが、無策で再度突っ込んでもまた一瞬で消し飛ばされるだろうという予想と、何よりも植え付けられた恐怖によって、サキュバスは今すぐもう一度あの門をくぐる気にはなれなかった。
一先ず悪夢は払ったし自分のかけた魔法も解除出来たはずであるため、一度ししょーと相談して今後の方針を決めようとマギホンを手に取ると、タイミング良くシャドウから着信があった。
「もしもし、ししょーですか? こんな夜中にどうしました?」
「どうしたもこうしたもあるか! お前、魔女さんに何しやがった!?」
「え……? 夢の中でなら逃げられないだろうと思って、シルフさんの夢に入ってそこで魔法を解除しようとしたんです。その後変なものも見ちゃったのでちょうど報告しようと思ってたんですけど……」
「クソ、何だってんだよ!? 魔女さんが見境なく暴れ出しやがった!! プーちゃんとか言う妖精が咄嗟に欺瞞世界に転移させたから今のところ被害は出てねえが、このままだと突破されるかもしれねぇ!! 夢の中で何を見た!?」
「なっ!? 夢、というか、よくわかりませんけど、四つの鎖で知らない人が縛られて吊り上げられてたんです。でもその鎖が突然壊れて、私は夢の中? で殺されました」
「ころ!? 大丈夫なのかよ!?」
「夢の中の話ですから、現実ではピンピンしてますよ」
「意味がわかんねぇが、参考にならねえことだけはわかった! こっちはあたしらで何とかする!! その夢の中からなら何とかなんねえのか!?」
「そういうことならもう一度潜るのは構いませんけど、多分何も出来ずに殺されるのは変わらないと思います。正直攻撃が全然見えませんでした」
「じゃあ待機してろ! そうだ、隣町の魔法少女! 純恋町には魔女がいるはずだ! そいつを呼んでくれ!」
「わかりました!」
・
深夜の暗闇に溶け込むような、漆黒の法衣を身に纏った黒髪ツインテールの少女が、宙に浮いたまま生気を感じさせない瞳で虚空を見つめながら杖を掲げた。
「削り散らす竜巻・三連」
少女に相対する三人の魔法少女たち、ブレイド、プレス、シャドウを呑み込もうと、竜巻はそれぞれを追いかけながら進路上の障害物を塵に変えていく。
「どうなってるのよ!? シルフさん、攻撃を止めて!!」
「そんなのこっちが聞きたいんだけど~!? シルちゃーん!! あたしらがわかんないのー!?」
「サキが何か知ってるっぽいっすけど! ここに呼んでも足手まといなんでとりあえず待機させてます!」
その攻撃魔法や持っている杖の形状、衣装のデザインなどなど、要素を抜き出して行けばあの漆黒の少女がタイラントシルフであることはわかるが、なぜ衣装の色と髪色が変わっているのか、そして何より、なぜ仲間であるはずの自分たちを攻撃するのか。話をしようにもシルフの攻撃は激しく、逃げるだけで精いっぱい、とても近づくことなど出来なかった。
そもそも、タイラントシルフは当初何か目的や標的があって魔法を繰り出しているわけではないようだった。深夜、いきなり変身して暴れ出そうとしたタイラントシルフに気が付いたナマケモノの妖精がシルフを強制的に欺瞞世界へ転移させ、一先ず現実への被害は回避させた。しかしシルフはまるでディストのように見境なく欺瞞世界を破壊して回り始めた。このままではいずれ穴を開けられて結局現実に出て行かれてしまうと危惧した妖精は魔法少女たちに召集をかけて、シルフを止めるように依頼しているのだ。集められた魔法少女たちは何がどうしてこうなっているのかさっぱりわかっていない。唯一サキュバスから少しだけ事情を聞いたシャドウも、何が起きているのかさっぱりわからなかった。
「っつーか、エレファントさんはいないんすか!? 魔女さんが一番話聞いてくれそうなのはあの人ですよねぇ!?」
「エレファントは現実の都合で今この町にいないんですよ!!」
「タイミング悪いよー!!」
轟音を響かせながら迫る竜巻越しに会話しているため、全員が嫌でも怒鳴りつけるように大声をあげて意思の疎通をせざるを得ない。
エレファントの現実の都合というのは先日シルフに対して告げていた修学旅行のことであり、もちろんブレイドもプレスもそのことを把握している。シルフを止めるにあたって一番有効な人物がエレファントだということはシャドウに言われるまでもないが、今頃エレファントは沖縄で夢の中のはずだ。連絡したところでこの距離ではどうしようもない。
「削り散らす竜巻・六連」
「大いなる一振り!」
「双掌圧砲連打!」
「無理無理無理、あたしは火力ないんすけどぉ!?」
いつまで経っても自分の周囲を動き回る魔法少女を仕留めきれないことに業を煮やしたのか、タイラントシルフは荒ぶる竜巻の数を二倍に増やしそれぞれの魔法少女を挟撃して摺りつぶそうと襲い掛からせる。
流石にこれは避け切れないと判断してか、ブレイドは大剣の大きく振りぬいて二つの竜巻を同時に切り裂き、プレスは圧縮された空気の砲弾を両腕からいくつも発射して同じく二つの竜巻を蹴散らした。精々減衰させられれば御の字だと考えての行動だったが、何の偶然か、あるいはシルフ自身が魔法の行使に抵抗しているのか、本来ならばただの魔法少女が魔女の魔法を正面から相殺することなど出来ないはずだが、起こり得ないはずの結果を二人は掴み取った。しかしシャドウにはトルネードミキサーに匹敵するほどの火力を出せる魔法がない。影に隠れたところで影ごとえぐり取られるだけだ。逃げるのは一丁前と呼ばれるだけのことはあり、どうにかちょこまかと逃げ続けていたが、四つの竜巻が消えた影響か残りの二つの竜巻の操作精度が上がり、とうとうシャドウは追い詰められてしまった。
「死んでたまるかぁ!! 蠢く影!」
生み出した眷属を足場にして強引に宙を蹴り身を捻ってギリギリのところで竜巻から逃れるシャドウ。しかしその代償に眷属たちは竜巻に呑み込まれ、迫るもう一つの竜巻への対処が追いつかない。ここまでか、という声を上げる暇もない、最早助けも間に合わない、そんなタイミングで、ただ一人だけ間に合う者がいた。
「すまない、遅くなった」
「し、死ぬかと思いましたぜ……。助かりました、拡張の魔女さん」
「流星拳群」
「一桃両断!!」
時間を拡張し、他者からは超高速で動いたように見えるほどの速さでシャドウを助け出したのは、サキュバス経由で救援要請を出しておいた隣町の魔女、エクステンドトラベラーだった。エクステンドの登場に少し遅れて現れた二人の魔法少女が、それぞれ竜巻を一つずつ蹴散らしてほんの一時の静寂が訪れる。
「どういうつもりかな風の魔女殿! いや……、風の魔女殿、なのか……?」
「開放後の姿か? それにしては髪色と衣装の色しか変わっていないように見えるが……」
「違うよ、そもそもシルフちゃんはあの白い法衣が魔女としての姿だったはずだし。ね、シルフちゃん?」
「削り散らす竜巻・六連・極点」
ブレイドたちにしたのと同じように、かつてともに訓練を行った仲間たちにも有無を言わさずシルフは再び魔法を放つ。しかも、今度は竜巻が迎撃されないように一つの巨大な束にして。少し離れていたブレイドとプレスは余裕を持って避けられたが、竜巻の向かう先に固まっていたエクステンドたち四人は普通に避けたのでは間に合わない。
「拡張:対象『時間』!」
再び時間を拡張する魔法を用い、エクステンドはピーチ、ナックル、シャドウを抱えて凄まじい速度で竜巻を回避する。しかし抱える人数が増えれば重量も増え、増えた重量は足を鈍くする。その鈍った足を補うためには更に拡張幅を広げなければならず、エクステンドの魔力は見る見る間に消費されていく。
「このままではもたない! 何か策はないかい!!」
エクステンドは普段見せない、珍しく余裕のない切羽詰まった様子で全員に聞こえるほどの大声をあげる。自分の魔力が切れれば四人まとめてあの世行きであり、そしてその時はそう遠くないことを理解しているのだ。
格好つけて助っ人に現れておいてこの体たらくか、とエクステンドは内心で自分の無力さを悔やむ。もしもこの戦いが一対一で、そしてシルフを殺しても良いのなら勝機はあった。だが複数人を守りながら、しかも命を奪わないように無力化するなど、序列第十位のエクステンドトラベラーをしても困難だった。
「……やるしかないわね。プレス、これを使うと私はしばらく戻れなくなるわ。後のことは頼むわよ」
「はぁ? え、なに? なんの話? 何する気なの?」
「掴みなさい! 武器化魔法『聖剣』!」
「は、はぁ!? え、なに、なにそれ!? えぇ!? あたし剣とか使ったことないんだけど!?」
無量魔法とは異なる、武器を司る魔法少女が行き着くもう一つの奥義。それが武器化魔法。自らの操る魔法全てを内包した聖なる、あるいは魔なる武器へと姿を変え、その武器を手にしたものに自らの魔法と魔力を一時的に譲渡する魔法。それだけならば、結局魔法少女が二人居ることと大差はない。この魔法が奥義と呼ばれる所以は、相性や修練を一切無視して、疑似的な合作魔法を使用できることにある。
本来の合作魔法には遠く及ばない、所詮は模倣に過ぎない出来損ないの魔法だが、それでもそれぞれが個別に魔法を使うよりはずっと強い力を扱うことが出来るのだ。
『前衛として剣を振れなんて言ってるんじゃないわ。わかるでしょう、私の使い方が』
「へぇ、これは知らなかったな」
『……? あなた何か……』
「こりゃーいいや! これならあたしでもシルちゃんに対抗出来そうじゃん☆」
『気のせい、かしら……』
ブレイドの持っていた黄金の大剣が、自ら使用者を選んだかのようにプレスの目の前に浮き上がり、その柄を握りしめるのと同時に、プレスの脳内に直接ブレイドの声が響き、この剣の使い方が流れ込んで来る。
「行くよブレイド!」
『ええ、かましなさいプレス!』
「『疑似合作魔法:圧縮聖剣!』」
聖剣の力によって何倍にも増幅された剣型の圧力が、エクステンドを追い回す巨大な風龍の横っ腹に突き刺さりその身を断ち切った。両断された風龍の上部はまるで苦しんでいるかのようのたうち回りながら空気に溶けていき、下部側も制御を失ったのか荒ぶる風となって散って行った。
「凄いじゃないか二人とも! 続くぞ! 魔法を使わせるな! 拡張:対象『砲撃』!」
「無傷は無理だ! 多少の傷は覚悟して貰おうか! 鬼退治の供:『雉』! 御爺さんの黍団子!」
「シルフちゃん、後でちゃんと事情聞かせてよ? 流星大拳群!!」
ブレイドとプレスの全力全開の一撃に続くようにエクステンドとナックルは魔法による弾幕をはりシルフの行動範囲を大きく制限する。そこへ、強化された魔法の雉に運ばれて空を飛ぶサムライピーチが果敢にシルフへと斬りかかる。
「矢除けの風鎧」
「甘いわ! 桃色退魔斬!」
シメラクレスの一撃すら防ぎ切った風の鎧だが、あれは不意打ちで受け流したという面が大きい。最初から分厚い風の鎧に守られているのだとわかっていれば、それを切り裂くことなど造作もないと言わんばかりに、桃色の光を携えた刀がシルフの身に迫る。シルフはそれを大杖で受け止め、風鎧の範囲をあえて広げることで雉の飛行を妨害し、弾幕の隙間を縫って魔法少女たちから逃れるように天高く空へと飛んでいく。
飛行能力の有無、制空権の確保、それは多少の人数差を簡単にひっくり返すほど、戦場において重要な意味を持つ。ひとたび遥か空高くへ逃れられてしまえば、その力を有しない魔法少女たちに出来ることなどほとんどなくなってしまう。サムライピーチはこの中で唯一飛行能力に類する魔法を持っているが、風を操るというシルフの魔法は空を叩いて飛ぶ生物に対してあまりにも有利すぎた。
そして、シルフの詠唱など全く聞こえないほどの遥か彼方から、再び巨大な風龍が迫りくる。
「マズイ!」
「プレス、さっきのはまだ撃てるのか!?」
「もう魔力すっからかんです~! 無理ですよ~!」
「全力で迎撃してみるしかないかな」
「正面から迎え撃つんですかい!? んな無茶な!?」
絶望を体現する怪物に対して、各々が反撃を加えようと散開しながら魔法を唱え始めるが、それよりも早く、その魔法少女は詠唱を終えていた。
「開門・夢の扉」
直後、これまでに現れた門とは比べ物にならないほど巨大な、それこそシルフの風龍に匹敵するほどの大きさの門が出現し、内側から力強く開け放たれたかのような勢いで開門され、シルフのそれに劣らぬ風龍が飛び出した。
二匹の風龍は空中で激突し、互いの身体を徹底的に破壊しつくし、相打ちとなって消えていく。そうしてそれを待っていたかのように、門の向こう側からそれは現れた。
「お待たせしました、私のプリンセス。例え何が敵であってもこの私、風の魔女タイラントシルフがあなたをお守りしましょう」
「私のことなんて良いんです! それよりシルフさんを止めてください!」
「かしこまりました、姫。全身全霊にかけて、あなたの願いを叶えてみせましょう。……行きますよ、哀れなオリジナル。真実の愛を知らぬ私、安らかに眠らせてあげましょう」
かしづくその姿はタイラントシルフとうり二つ。衣装は白を基調に黄緑のラインが入った法衣で、髪の毛の色はエメラルドグリーン。自身の身の丈よりも大きな杖を持ち、その瞳は宝石のように輝いている。
現在髪も衣装も真っ黒になってしまっているあのタイラントシルフよりも、外見だけならばよっぽど本物に見える、その偽物。
その場にいた全ての魔法少女が、ああ、少なくともこっちのは偽物だな、と即座に理解した。
なにせあまりにも内面が違い過ぎる。タイラントシルフは例えエレファントが相手であっても私のプリンセスなどという意味の分からないことを言ったりしない。そもそも姫とは何なのか。騎士気取りなのか。それとも王子か。少女漫画のヒーローでも今時そんなこてこてのキャラクターはいない、と皆の心が一つになっていた。
夜の暗闇に隠されて分かりづらいが、よく見るとそれを呼び出したはずの少女、師匠に待機を命じられていたはずの魔法少女サキュバスでさえ、恥ずかしそうに頬を赤くしている。
だが、そんなふざけた内面に反して、その実力は漆黒のシルフとほぼ拮抗していた。シルフとほぼ同等の機動力、飛行能力を持ち、そしてシルフと同じ魔法を操る。よく観察すると僅かに白シルフの方が押されており、流石に全く同じ実力というわけではなく僅かに劣っているらしいことはわかるが、白シルフはそれを気合でカバーしていた。大切な姫を守るために。
「おい、サキ。ありゃなんだ?」
「一回こっきりのとっておきです」
「それは何となくわかるけどな、そういう意味じゃなく」
「知りません知りません知りませーん!! 何とかなってるんだから良いじゃないですか!! それよりプーちゃん! いるんでしょ!! 何が起きてるか説明してください!!」
あれはサキュバスの夢や希望だ。クールで素っ気ないフリーズラズリというキャラクターをシルフに重ねて憧れていたサキュバスだったが、そんな人が自分だけは特別扱いしてくれる、お姫様のように扱ってくれるというのが、彼女の無意識の願望だった。夢の塊だった。だから、夢の世界から現れた。それが形をなして現れたことによって、サキュバスはそんな自分の恥ずかしい願いと強制的に向き合わされることになっていた。実際に見てみるとかなり解釈違いであることもなお辛かった。
自分がそれを突き付けられるだけならともかく、他の人にそれを説明するだなんて拷問以外の何物でもない。サキュバスは話題を変えるためにどこかに隠れているであろう妖精へ語り掛けた。
「ナ~、面倒なんだナ~」
「シルフさんがどうなってるのか、妖精ならわかるでしょ! 説明して!」
「詳しくは知らないんだナ~。でも、何かしらの精神汚染を受けてたのが原因なんだナ~。サキがかけた奴とは別なんだナ~」
魔法少女をサポートする存在として、そう言われてしまっては断ることも出来ないのか、ナマケモノ妖精のプーちゃんは面倒くさそうにわかっている範囲で、シルフの重大な秘密を洩らさないことにも気を付けつつ話し始めた。




