episode4-4 暴走②
サキュバスが新たな魔法に覚醒してから凡そ4時間後、時刻はすでに深夜0時を回っており、サキュバスは眠たそうにこくりこくりと舟をこぎ始めていた。普段21時には眠りにつく健康優良児であるサキュバスは、同年代であるシルフも当然それくらいには眠ってるはずだと予想して、少し余裕を持って21時半ごろに夢に潜ろうとしたのだが、シルフがまだ眠りについていないせいか潜る先が見つからずに一時中断することになった。その後、30分おきに同じことを繰り返していたのだが、いつまで経ってもシルフは眠りにつかず、サキュバスはそろそろ限界を迎えつつあった。
「…………ハッ!? 今、何時!?」
ひと際大きくガクンと首が下がったタイミングでサキュバスは目を覚まし可愛らしい壁掛け時計に視線を向ける。両親に夜更かししているのがバレないよう部屋の電気は消してあるが、変身状態のサキュバスは夜目が効くため問題なく現在時刻を読み取ることが出来た。
短針が12の数字を過ぎているのを確認し、いくら何でも流石にもう起きていないだろうとサキュバスはもう一度新たな魔法を使用する。
「開門・客夢の扉」
呟くように唱えられた鍵言と共に、ちょうどサキュバスの身長と同じくらいの大きさをした薄紅色の門が瞬く間に現れ、両開きの扉が一人でに開いていく。その門の先は渦巻く真っ黒な空間が広がっており、中に入ってみなければ何が待ち受けているのかはわからない。
だが、先ほどまではそもそも門が開かなかったことを考えれば、魔法は成功したのだろう。この禍々しい黒い渦の先には、タイラントシルフの見ている夢が広がっているはずなのだ。
「……行くよ」
サキュバスの目の前に鎮座する門はディストではない。そのため当然だが、恐怖や不安の抑制というシステムは働かない。門の先に広がる黒は普段ディストと相対するよりもよほど恐ろしさをサキュバスに与えるが、しかし自分に言い聞かせるようにそう呟き、意を決して開かれた門へと恐る恐る踏み込んだ。
真っ黒だったのは入口だけではなく、門を潜ってしばらくの間真っ直ぐ歩き続けたサキュバスだったが、辺りは相変わらず何も見えない真っ暗で、というよりも何もないというべきだろうか。夜目が効くはずのサキュバスですら辺り一面を覆う暗闇に何かを見出せないのであれば、そこには何もないのだ。ただひたすらに暗闇だけが続いている。
誰かの夢に入るというのは初めてのことなので、サキュバスにはこれが普通のことなのか異常なのかはわからなかったが、ただ、自分が夢を見る時はもっと様々な物や風景が登場するため、もしもこの真っ暗闇がシルフの見ている夢そのものだと言うのなら、それは恐ろしい悪夢だと思った。何せこれが夢であり現実ではないのだと理解しているサキュバスですら、この終わらない闇に、世界を包み込む黒に恐怖を覚えているのだから。
どれほどの間、そうして歩いていただろうか。時間の感覚もわからなくなってきたサキュバスの耳に、ふと誰かの声が聞こえたきがした。その方向に視線を向けてみても何も見えないが、確かに誰かが話す声が聞こえる。
その声のする方に足を向けてみると、少しずつ聞こえてくる声はハッキリと、何を言っているのかまで聞き取れるようになってくる。
「嘘つき」
「私のこと、好きだって言ってくれたのに、あの子のことも好きだったんだ」
「最低ね、恥ずかしいと思わないの?」
「ちょっとあたしもどうかと思うな~」
「私のことを騙してたんですねこの変態」
「よく魔法少女なんて出来ましたね。厚かましい」
「ごめん、やっぱり無理だよ。それでも良いなんて言ったけど、つらいよ」
「シルフちゃんは悪くないよ」
「私はそんなの気にしませんから、お友達になってください!」
「シルフちゃんなんて大嫌い」
「シルフさんなんて嫌いです」
「あなたみたいな魔法少女私は認めない」
「シルちゃん、なんて呼ぶのも気持ち悪いんだけど」
「あなたなんて魔法少女じゃありません! 今すぐ辞めてください!!」
「二人同時に好きになるなんて、そんなのおかしいよ、シルフちゃん……」
耳を覆いたくなるような失望、軽蔑、嫌悪の声。それらが何度も何度も反響するようにあちこちから聞こえ、自分に向けられたものではないとわかっていてもサキュバスは気分が悪くなってくる。その声はどれも聞いたことがあるもので、咲良町の魔法少女であるサキュバスだからこそわかる。それは自分も含めた、この町の魔法少女たちの声だ。
恐らくシルフに向けて放たれているその言葉は、実際に言われたものでないことはすぐにわかった。何せ自分の声で、自分の言った覚えのない言葉も含まれているのだ。他の魔法少女たちもサキュバスが知る限りシルフのことを嫌っている素振りはなく、この悪夢の声は間違いなく幻聴や虚実、事実に基づかないものだということは明らかだった。
ならばこの言葉は、他でもないシルフ自身が、他の魔法少女たちの声を借りて自分に対して投げかけているのだろう。そしてその内容から察するに、シルフは複数の人間に対して同時に好意を抱いてしまったことに罪の意識を感じ、その罪悪感がこうした自分自身を糾弾する悪夢を見せているのだとサキュバスは見抜いた。
見抜いたというか、魔法の力で無理矢理自分を好きにさせた張本人であるサキュバスにそれがわからないわけがなかった。魅了魔法とは友人的な好意を持たせるものではなく、恋愛的な意味のものだということはすでにシャドウから聞き及んでいる。
つまりサキュバスは、誰かに恋をしているシルフに……、いや、この場で誤魔化す必要もないだろう。どの言葉が誰の声だったのか聞き分けられたサキュバスにはそれすらもわかってしまっているのだから。
サキュバスは、魔法少女エレファントに淡い恋心を抱いているシルフに自分を好きにさせる魔法をかけて、強制的に二股をかける少女を生み出してしまったのだ。そしてその少女は今、自らの罪深さを恥じるあまり、こうして悪夢を見ることで自分自身に罰を与えているのだ。
こんな、親しい友人や、恋をしている相手、更には魔法の力でとはいえ好きになってしまった相手から、一方的に罵声を浴びせられるような悪夢を、サキュバスが見させてしまった。
時折、ほんの少しだけ肯定的な声が聞こえてくるのは、それもまたシルフにとって自分への罰になるからに違いなかった。二股をかけるだなんて、そんな欲深く下劣な自分を、貶めるでもなくありのまま受け入れられることは、シルフにとって耐えがたい苦痛なのだ。タイラントシルフという魔法少女の価値基準において、それは許されざることなのだ。
「こんな夢、見なくて良い!」
聞くに堪えない罵詈雑言の嵐を振り払うように、サキュバスが大きく腕を払うと途端に暗闇の世界は静けさを取り戻す。夢魔の魔法少女であるサキュバスにとって夢の内容を塗り替えることなど容易いことだった。
「ごめんなさいシルフさん。あなたが許してくれなくても、私はきっとこの罪を償います」
本当なら一日だけのつもりだったなんて、何の言い訳にもなりはしない。現実にシルフはサキュバスの魔法によって苦しめられていた。それを目の当たりにして、なおシルフと友達になりたいなんて楽天的なことを言えるほどサキュバスは能天気でも恥知らずでもない。
「今、開放します!」
夢の中でならば本人にも聞こえるだろうと、サキュバスは勢いよく三度手を叩くと、パンッパンッパンッと鋭く乾いた音が静かな世界に響き渡る。
それで終わるはずだと思っていた。終了条件を設けてしまったことで魔法に鍵がかかっているのだと、サキュバスはそう思い込んでいたから。ナマケモノの妖精は、シルフの状態がサキュバスの考えている以上に異常であることを伝えなかったから。
大地が揺れるような、軋むような耳障りな音と共に、暗闇の世界に、夢の空間にヒビが入って行く。足場が徐々に欠けていき、崩落する崖の上から落ちるように、サキュバスの身体が下へ下へと引っ張られる。ここは重力に縛られた地球ではなく、夢の中のはずなのに、より深い場所に、落ちていく。
「飛べる、飛べる、飛べる! 私は夢魔の魔法少女、私は飛べる!」
夢の中でならサキュバスは無敵だ。自由に空を羽ばたくことも、宇宙の果てへ飛び出すことだって出来る。想像力が創造力に、夢想が無双に、出来ないことなんて一つもない。そのはずなのに、どれだけ想像しても、夢想しても、羽ばたくための翼は生み出されない。
「なんで、ですか!?」
――元々、タイラントシルフという魔法少女には思考を誘導する魔術が組み込まれていて、さらに重ね合わせるように強力な暗示がかけられていた。その精神にすでに余裕はなく、それ以上に手を加えようとすればいずれ確実に崩壊を招くことは明らかだった。
緻密に、隙間がないほど入念に巻き付けられていた二つの鎖の上に、さらに二つの鎖が巻き付けられた。それはとても強引で、乱暴で、荒っぽく、既存の鎖と複雑に絡み合い、今にも破裂しそうに歪んで、シルフの心に負荷をかけていた。頭痛や吐き気として身体に影響を及ぼすほどに。
「いった、くない……? ここは、夢じゃない?」
サキュバスは夢を司る魔法少女だからこそ、この場所が夢でないことはすぐにわかった。先ほどの地震にも似た振動は夢の世界が壊れたことを意味していたのだ。だからサキュバスは十全に力を使えなかった。ここは夢の世界よりも更に奥深く、言うなれば魂の在処、心の奥底、精神世界、そういった類いの場所だった。
「誰、ですか……?」
サキュバスの視界の先には、いつの間にか見慣れない小柄な人物の姿があった。
空中から伸びた大小四つの鎖によって、全身を雁字搦めに固められ、足は地に着かず宙づりにされており、その全貌を見ることは出来ない。ただ、鎖の隙間から短い黒髪と少年のようなラフな服装が確認でき、断片的な情報からはタイラントシルフと結びつけることは出来なかった。
「あ゛あ゛ア゛ぁぁぁァァぁぁァーーーーっ!」
少年に絡みつく鎖のうちの一つが、ガチャガチャと大きな音を立てて空中の根元に巻き取られていく。だが、その鎖は他の鎖と複雑に絡み合っており、少年の身体に巻き付いたままであるため、自然と更に締め付けはきつくなり、他の鎖もそれに連動するように少年を締め上げる。
そうして少年は、獣のような、あるいはこの世の終わりのような、苦しみや憎しみ、苦悩、悲しみ、様々な負の感情を混ぜ合わせた、絶望の果てに死にゆく者の断末魔の如き叫びをあげるのだ。
――そして今、絡み合ったコードが無理矢理引き抜かれるかのように、一つの鎖に連鎖して、全ての鎖が弾け飛ぼうとしていた。荒ぶる魂の余波は容易く夢の世界を破壊しつくした。抑圧されていた心が、負荷をかけられていた精神が、シルフの持つ最大の武器に呼応して暴走し始めていた。
「あ、あ……、ぁ……」
悍ましい少年の叫びに応えるように、少しずつ、少しずつ鎖に亀裂が入っていく。その鎖を壊さなければ少年を助けることは出来ない。しかしその鎖を壊してはいけない。そんな矛盾する予感を覚えながらも、サキュバスは恐怖に足が竦んで一歩も動けなかった。
目の前に吊るされた少年はディストではない。だから、恐怖は消えてなくならない。
「ィィア゛あ゛ア゛あ゛ァァあ゛あ゛ア゛ア゛ァァーーーッッ!!」
そうしてとうとう、少年に絡みついてた四つの鎖は跡形もなく弾け飛んだ。
だがサキュバスはその先の光景を見ることが出来なかった。なぜなら解放された少年から放たれた、黒い暴風によって痛みも感じぬ間に消し飛ばされてしまったのだから。




