episode4-3 師弟④
強靭な獣の下半身に人間の胴体をぐっつけたような、人馬の如きシルエットのディストが自身の身体の一部を弓矢のように飛ばしてサキュバスを狙い撃つ。放たれた矢はサキュバスに届く寸前のところでシャドウの大鎌に撃墜されて消滅してくいくが、一息つく暇もなく二射、三射が放たれ防戦を余儀なくなされていた。
「サキ! 他に使える魔法はねーのか!?」
「戦いに使える魔法なんて悪夢の門くらいしかないですよ~! とっておきならありますけど、一回こっきりの使い切りなのでこんなとこで出せません!!」
「だったらもう帰ってろ! 足手まといだ!」
相対するディストは伯爵級ディストであり、シャドウにとっては単騎で互角の相手だ。サキュバスの悪夢の門がうまくハマれば楽に勝てる相手だが、今回は残念なことにハズレを引いてしまったらしい。開け放たれた門からは眠そうな顔の羊の群れがノロノロと面倒くさそうに行進しており、それらはディストに向かって行くでもなく、門を出たそばから膝を折って眠り始めてしまっている。そうして出口が塞がれてしまっているせいで悪夢の門の向こうの世界は羊の渋滞が出来てしまっていた。
「門を閉じないと他の魔法が使えないんですよー!!」
魔法少女には同時に使える魔法の数に個人差があり、まだ新人であるサキュバスは一度に一つの魔法しか使えない。そんな貴重な一枠を悪夢の門という博打に使い、しかも渋滞によって閉じられなくなってしまったため、サキュバスは帰還のために転移魔法を使うことすら出来ず、完全な足手まといになってしまっていた。
「クソッたれぇ! 蠢く影!」
一対一の戦いや逃走、あるいは雑魚の群れ等々、様々な相手への対応力を持つシャドウだが、足手まといを守るのに最適な魔法は持っていなかった。影鬼が決まれば楽だが、敵のディストは遠距離攻撃の手段を持っておりサキュバスを守りながらでは近寄れない。この防戦一方の状況を打開するためにシャドウが生み出した影の眷属たちは、ディストではなく悪夢の門の前で眠る羊たちの元へ向かい、せっせと門の前から運びだし始めた。
シャドウの攻撃手段で伯爵級ディストに痛打を与えられるのは、専用武器での一撃か将軍級の眷属を生み出すかの二択。前者は近づけない以上選びたくても選べない選択肢であり、後者を使えば余力がなくなってサキュバスを守り切れなくなる。
だからこそ第三の選択肢、足手まといをさっさと退場させるための一手だったのだが、
「なにぃ!? ぐぅっ!?」
信じられない光景に思わずシャドウは驚きの声をあげるのと同時に一瞬の隙を突かれて一撃を受けてしまった。
100メートル以上も離れた場所から動かずにひたすら矢を放っていた人馬のディストが、狙撃の手は止めないままに悪夢の門の前まで移動しシャドウの眷属たちを蹴り潰し始めたのだ。
「いくら学習するっつったって、こんなことあり得んのかよ……」
一度見せた攻撃は通じないだとか、そういうレベルの話ではない。あのディストの行動は、門をせき止めることがこの戦いにおいて有効打になり得ると理解していなければありえない動きだ。今までの無秩序に暴れ回り、経験によって単純な学習をするのみのディストとは知能のレベルが違い過ぎる。そもそもサキュバスを執拗に狙い撃ちしている時点で気がつくべきだった。偶然ではなく、そうすることでシャドウともども封殺することが出来るとわかっていたのだ。
「し、ししょー、大丈夫ですか!? わ、私どうすれば!?」
「かすり傷だっつーの。動き回られると守りづれぇ、物陰に隠れてろ」
とは言ったものの、現状有効な手は見当たらない。影の眷属を生み出してディストを攻撃させることも考えたシャドウだが、さきほどあっさりと蹴散らされたことを考えると魔力の無駄だと判断する。根競べをして他の魔法少女の助けを待つのがベストか、とシャドウが耐久戦の構えを見せ始めたところで、唐突にディストが縦真っ二つに割れた。
他の魔法少女攻撃を受けたのではなく、分裂したのだ。そのくせ、大きさは先ほどまでと変わっっていない。人馬型ディストの大きさは通常の競走馬と同程度であり、伯爵級にしては小さいとシャドウも思っていたが、どうやら高密度に圧縮されていたらしい。
「……冗談だろ?」
ディストの数が二倍になれば、当然攻撃の手数も二倍になる。先ほどまではある程度余裕を持ってさばけていた黒い矢が、ほぼ同時に二発放たれるようになり、シャドウの防御はギリギリになりつつあった。それでも何とか、集中力を欠かなければ何とか叩き落すことが出来る。
「そ、そんな……」
シャドウの背後、電柱の影に隠れたサキュバスが絶望的な声をあげる。サキュバスがいなければシャドウも同じようなことを言っていただろう。ディストは更に分裂し、その数が四体に、放たれる弓矢の数も四本に増えたのだから。
「蠢く影ォォォ!」
大鎌だけでは手が追いつかず、眷属を盾のように使ってそれでも激しい攻撃を防ぎきる。もはや魔力の無駄などと言っている余裕はなかった。
必死の形相で身を守るシャドウを嘲笑うように、更にディストが分裂した。その瞬間、シャドウはこれ以上は無理だと悟る。最初の一波、あるいは二波、三波程度までなら、多少の怪我を負ってもしのぎ切れるかもしれない。だがそれ以上は無理だ。盾である眷属の生産が追い付かない。もし更に分裂されたら、最初の一射すら防ぎきれないだろう。
「早く閉まって、閉まってください! このままじゃししょーが!!」
それがサキュバスにもわかったのか、必死で悪夢の門に閉じろと命じ続ける。こうなったら一回だけの秘密兵器も温存してなどいられない。だが、それすらも悪夢の門を閉じなければ使えないのだ。
「クソッ」
自分一人だけなら逃げられる。影に潜ってしまえば、サキュバスを見捨ててしまえば、自分だけは助かることが出来る。そんなことはシャドウもわかっている。だが、
「あたしは師匠だからな」
大きく鎌を振り回し、眷属を盾にし、時には足を振るい、それでも落としきれない矢は身体で受け止め、その一切を自分の背後に通すことは許さない。
そして――
「削り散らす竜巻」
唐突に、何の脈絡もなく、ことわりの一つもなく割り込んできた荒れ狂う嵐によって、その死闘は終わりを告げる。分裂していたディストも、放たれていた矢も、悪夢の門も、全て等しく竜巻に呑み込まれ塵となって消え失せた。
竜巻が徐々に力を失っていき、世界が完全に静寂を取り戻すと、サキュバスはハッとしたように倒れかけているシャドウの身体を支えて壁にもたれ掛かるように地面に座らせた。
「ししょー、私のせいで、ごめんなさい……」
「あー、死ぬほどいてえけど、死ぬほどの傷じゃねぇよ。それより先に魔女さんに言うことがあんだろ」
ディストが倒されたことにより、シャドウの身体のあちこちに突き刺さっていた矢こそ消滅しているものの、その傷跡は当然消えることはなく、サキュバスは血濡れになっているシャドウを心配するが、当の本人に促されて救援に現れた魔法少女に頭を下げる。
「うぅ、はいっ! シルフさん! ありがとうございます!」
「すいません、助けられちまいましたね」
「……別に、この町の魔法少女が減ったら面倒だからです」
その魔法少女、タイラントシルフは相変わらずクールで素っ気なく、その態度はサキュバスの憧れるキャラクターそのものだったが、流石にこの状況で興奮を覚えるほどサキュバスも非常識ではなかったらしい。
「あの、この前は本当にごめんなさいっ!」
お礼に続けてサキュバスがぐいっと一歩シルフに向かって踏み出し、先日の催眠魔法と魅了魔法の件で再度頭を下げると、顔を真っ赤にしたシルフはシャドウの制止も聞かずに転移魔法陣に包まれて去って行ってしまった。
「あんなに赤くなるなんて、やっぱり怒ってましたね……。でも、ししょーが助かって良かったです」
「いや、あれは怒ってたっつーか……。っと、ちと限界みてぇだ。少し眠る。魔法界に連絡して医療妖精を呼んでくれ」
「わかりました! ゆっくり休んで下さい、ししょー。守ってくれて、ありがとうございました」
「ハッ、勘違いすんなよ、あたしがそうしたかった、だけ、だ……」
多く血を流したせいで正常な判断力を失っていたのか、シャドウは何が勘違いなのかさっぱりわからない言葉を残し、すーすーと規則的な息をたてながら眠り始めた。




