episode4-2 催眠③
サキュバスが怪しい二人組に声をかけられているところから時間は少し遡り、日が暮れ始め空が夕焼け模様になったころ、五人の魔法少女が放課後の親睦会を終えて解散しようとしていた。
「みなさん、今日はありがとうございました! また誘ってください!」
「私たちも楽しかったわ。今度はシャドウさんも説得して連れてきてくれてもいいのよ?」
「はい! 頑張ります! それではまた!」
ブレイドの軽い冗談にも本気で返事をして、ゆめかわ系魔法少女サキュバスが大きく手を振りながら走り去っていく。
「じゃ、あたしも帰るねー。バイビー」
「ええ、また。エレファントとシルフさんは?」
「私はシルフちゃんと用事があるからもうちょっと残るよ」
「えっ?」
「そう、ほどほどにしておきなさいよ。それじゃあ私はお先に失礼するわ」
「またねー!」
サキュバスの後姿をほっこりとした気持ちで見送りつつ一足先にプレスが転移で去り、ブレイドも少しだけ小言を述べてから去って行った。
エレファントはシルフと用事があると言ったが、シルフにとってそれは寝耳に水であり、すっかり自分も帰るつもりでいた。ブレイドはシルフの反応からエレファントの目的に察しがついていたようだが、信じると決めたからか必要以上の言葉は述べず、暗に節度を守るようにと忠告したのだ。
「シルフちゃん、これからちょっとだけ付き合ってくれないかな?」
「……わかりました」
エレファントがどういうつもりで、どのような意図をもってわざわざ二人きりになろうとしているのか。それを察することが出来ないほどシルフも馬鹿ではない。普段、ブレイドやプレスが居る時は祝勝会の告白などなかったかのようにいつも通り振舞っているエレファントだが、シルフの自宅で二人きりになった時には前にも増して距離感が近い行動をとっている。あの時のキスと告白は夢幻などではなく、エレファントが本気で自分を夢中にさせる、より俗っぽく言うのであれば自分を攻略しようとしていることはシルフも感じ取っており、用事というのはそれに関することだろうと予想出来た。
直接的に交際を申し込まれたわけではなく、一方的に気持ちを告げられ、これまた一方的に夢中にさせてあげると宣言されただけだが、だからと言って何の答えも返さずに有耶無耶にして良いとはシルフも思っていない。だから大人しくエレファントの誘いに従った。
「どこかゆっくり出来るところが良いんだけど……、そうだ、良い場所があるんだった!」
名案を思い付いたというようにシルフの手を取って歩き出したエレファントが向かったのは、いつだかに二人で乗った観覧車だった。
「ここは、あの時の」
「うん、夕焼けが綺麗だし、良い眺めだと思うんだ」
まだシルフとエレファントが友達になる前、一日だけの仮友達として振り回されたあの日。二人の関係はあの日を境に変わったのだ。本当に友達になれたのはそれよりも少し後のことだったが、あの日の出来事がなければ二人がこうして並んで歩くこともなかっただろう。
相応しい、自然とシルフはそう思っていた。
エレファントに告白をされてから、シルフは何度も何度もそれに対してどう答えるのか、自分はエレファントのことをどう思っているのかを考えた。そして最終的にエレファントに伝えると決めた結論は、シルフ自身我ながら最低だと自嘲するようなものだった、
だから、たとえシルフの正直な気持ちを伝え、それでこの関係が終わってしまったとしても、自分はあの時から長い、長い夢を見ていて、そして今日、その幸せな夢から覚めるのだと、そう思えるのではないかと感じていた。
「いきなりごめんね。この前は双葉さんもいたから、少し話しづらくて」
二人を乗せたゴンドラがゆっくりと動き始めると、エレファントは照れくさそうに頬をかきながら言って、気恥ずかしさを誤魔化す様に関係のない話題を口にする。
「そうそう、私ね、再来週の土日は修学旅行で沖縄に行くんだ。シルフちゃんは修学旅行って、どこに行ったの?」
「修学旅行ですか? 高校の時は京都と奈良に行きました。鹿におせんべいをあげたりして、一人でしたけど、楽しかったです」
「京都か~、お寺とか神社とか、色々観光スポットがあるイメージだよね。私もそっちの方が良かったかも。もう結構涼しくなってきてるのに、ちょっと今更感あるよね」
「たしかにもうちょっと前だったら丁度よかったですね」
シルフが高校の時代の話をしたのは、中学の時は双葉がまだ小さかったため修学旅行にはいかなかったからだ。その頃からシルフの家には家政婦がいたが、そんなことは当時の良一には関係なかった。幼い双葉を家に残して、学校行事とはいえ自分だけ旅行に行くだなんて考えられなかった。学校側も家庭の事情を考慮して、修学旅行に参加しないことは認められていた。
結局その妹とは一度仲違いしてつい最近まで関係を修復出来ていなかったことはエレファントにも知られていることであり、そんな話をしても空気が暗くなるだけであるため、あえて中学の話はしなかった。
「ね、シルフちゃん。前みたいにこっちに来てよ。しばらく会えなくなっちゃうから、今から一杯シルフちゃん成分を補給しておきたいな~」
エレファントが自分の隣の席をポンポンと軽く叩いて、対面に座るシルフに移動を促した。しかしシルフは軽く首を振って動かない。
「ちょっとくらい我慢してください。たった2、3日じゃないですか。今までだってそれくらい会わない時はありましたよ。ていうか、シルフちゃん成分て何ですか。私はそんな変なもの出してませんよ」
「シルフちゃんは気づいてないだけで、マイナスイオン的な滅茶苦茶癒される超自然的エネルギーがシルフちゃんからは出てるんだよ」
「超自然エネルギーって、胡散臭い通販番組ですか……」
肝心な話に触れないまま二人がそんな無駄話をしていると、ゴンドラはいつの間にか一番高いところまで上がって来ていた。
「良い眺めだね」
「はい。とても、綺麗です」
それに気が付いたエレファントが茜色の空に視線を向けて感想を述べると、シルフも沈みゆく夕日に照らされた魔法界の景色を眺めて同意する。
「でも、シルフちゃんの方がずっと綺麗だよ」
「……それ、本当に言う人初めてみました」
「あはは、だよね」
物語の中でさえキザったらしくて、今時使われることのない口説き文句にシルフは思わず苦笑してしまった。エレファントはそんなシルフの言葉に冗談っぽく返して、少しの間黙りこくる。そして意を決したように真剣な表情で口を開こうとして、それを制するようにシルフが話し始めた。
「ありがとうございます、エレファントさん。こんな私を友達にしてくれて、いろんなところに連れ出してくれて、いろんな遊びを教えてくれて。私を好きになってくれる人がいるなんて、エレファントさんと出会う前の私なら考えもしなかったです。きっと今でも、他の人に言われたら信じられないと思います。でもエレファントさんの言葉は、あなたの言葉だけは信じられるんです。だからきっと、私にもほんの少しくらい、誰かに好きになって貰えるところはあったのかもしれません。自分のことをそんな風に思える日がくるなんて思ってなかった。だから、ありがとうございます」
視線を逸らさず、真っ直ぐにエレファントの目を見つめてシルフは語りかけるように、早すぎず、同時に遅すぎない、一言一言に強い感情を込めて、言葉を紡ぐ。
「だけど、ごめんなさい。私はエレファントさんの気持ちに応えられません。私がエレファントさんを想うこの気持ちは、友情だから」
先ほどまでの力強さとは一転して、不安そうに声を震わせて、自信のなさをあらわすように目を伏せながらシルフは続ける。
「エレファントさん、これから私が言うことは最低だと思います。自分でもそれはわかってるんです。でも、それがわかってても諦められないから、だから正直に言います」
「私は、男に戻って家族とやり直したいと思ってました。そのために対抗戦の大会に出て、薬も手に入れました」
「ディストとの戦いはそう遠くない内に終わります。その時がお別れの時だって、そう決めてたんです」
「だけどあの日から、エレファントさんが私にあんなことするから、女の子のままずっと一緒に居たいって、離れたくない、いつまでも友達でいたいって、そう思うようになっちゃったんです」
「ディストとの戦いが終わった時、元の姿に戻るべきなのか、それともこの姿のままでいるべきなのか、答えは今も出せてません。きっと本当にその時が来るまで決断出来ないと思います。だからエレファントさん」
「気持ちに応えられないなんて言っておいて虫の良い話だと思いますけど、その時が来るまで私と友達でいてくれませんか?」
どちらの結末を選ぶのか、今はまだ決められないからその時まで友達でいて欲しい。
それは告白に対する保留ですらなく、告白して振られたエレファントの気持ちを全く考慮していない、あまりにも自分勝手で図々しいお願いだった。
どんな恋物語でも、皆告白することを恐れる。それは、一度踏み出してしまえば、どのような結果になっても二度と同じ場所には戻れないからだ。お友達でいましょうなんて断り方をしたとしても、それまでと同じように交友を続けられる人間がどれほどいるだろうか。仮に表面上は今まで通りに振舞えたとしても、心の奥底まで同じようにとはいかない。シルフの願いは身勝手であるのと同時に、初めから破綻しているも同然だった。
シルフ自身、自分が如何に非常識で自分勝手で傲慢で、そして振られた側にとって酷なことを言っているのかは理解している。こんなことは伝えずに、素直に告白を断ってお別れを繰り上げることも考えなかったわけではない。思い出は綺麗なまま、終わらせてしまえばと良いとも考えた。だが出来なかった。例え誰に詰られようと、エレファントが受け入れてくれるのならそれだけで良かった。受け入れられなかったとしても、自己完結して勝手に諦めるよりもよっぽど納得できる。エレファントさんを傷付けないためになんて恰好をつけて、気持ちに応えられないからもう今まで通りの友達ではいられない、これでお終いにしようだなんて、自分からそんな結末を選ぶことは認められなかった。
「こんな最低で自分勝手な私を許してくれるなら、友達でいてくれるなら、もう一度私の手を握ってくれませんか?」
泣きそうな顔で懇願するシルフの言葉からは、もしも受け入れられずにここで終わってしまっても良いだなんて気持ちは全く感じられなかった。良いわけがないのだ。そんなものは自分を奮い立たせるだけの強がりでしかなかったのだ。本当はその手を取って欲しいに決まっている。こんな自己中心的で相手を顧みないことを言って、エレファントに嫌われたらと思うと、心臓を握り潰されたのではないかと思うほどシルフの胸は痛くなる。それでも、言わずにはいられかった。不自然なほどに自分の思考がエレファントとの別れを選んでも、それでもシルフの中で何かが叫び続けているのだ。エレファントと離れたくないと。いつものように、自分の手を引いてどこかへ連れ出して欲しいと。自分の知らない場所へ、楽しくて幸せで温かい、自分だけでは手の届かなかったはずの場所へ。
「……ごめんシルフちゃん。その時が来るまで友達にっていうのは、ちょっと納得できない」
「そう、ですよね。無理に、決まって――」
エレファントのその答えを聞いて、シルフは視線を下げたまま力なく呟いた。
無理なことを言っているという自覚はあったが、同時にエレファントなら、しょうがないな、なんて言って、許してくれるのではないかと期待していた。そのことに今になって気が付いて、そんな自分の浅ましさに自己嫌悪を感じるのと同時に、終わってしまったのだと、自分とエレファントの関係は終わってしまったのだと一拍遅れて理解して、差し出されたシルフの腕が少しずつ落ちていく。
人生で初めて出来た友達。
誰よりも一番大切な友達。
大好きな、大好きな友達。
エレファントの気持ちに応えなかったのは自分だ。その選択をした時点で、最後はこうなることも予想出来ていた。エレファントは何も悪くない。だから泣かないように、これ以上この場の空気を悪くしないように、シルフは目尻に浮かんだ涙が流れないよう俯かせていた顔をあげた。
「だって私はまだ、諦めてないから」
「――え」
その瞬間、力なく降ろされようとしていたシルフの手を取って、エレファントが立ち上がるのと同時に力任せにシルフを引き寄せる。そしてエレファントの言葉と行動に呆気に取られているシルフの腰を抱き寄せ、その唇を強引に奪った。
「~~~~!?」
以前の軽く触れる程度では済まない熱烈な口づけに、シルフは目を白黒させてエレファントの身体を引きはがそうとするが、以前に膝枕をされた時や水族館に行った時からわかっているように、単純な腕力ではシルフはエレファントに敵わない。使えたとしてもエレファント相手に魔法を使うことはないだろうが、どちらにせよ唇を封じられているため魔法を使うことも出来はしない。エレファントが満足するまで、シルフは大人しくその身を差し出すほかにない。
それがわかったからか、あるいは無意識のうちにか、エレファントを押しのけようとしていたシルフの腕からは少しずつ力が抜けていき、すがりつくようにその衣装を掴んで、身長差ゆえに強引に身体を抱き寄せられていたはずが、いつしか自分からつま先立ちをしてその状態を維持し始めていた。
そうして数十秒以上もの時間をかけてゆっくりとシルフとの口づけを堪能したエレファントは、満足したように唇を離して得意げな顔で言った。
「言ったでしょ、私に夢中にさせてあげるって」
いつの間にか抵抗も忘れて瞳を閉じてエレファントの暴挙を受け入れていたシルフが、その言葉にハッとなって目を白黒させながらエレファントの腕をポカポカと叩き始める。
「――な、ななな、なんてことするんですか!? 私、お断りしましたよね!? こんな、無理矢理なんて犯罪ですよ!?」
「でも嫌じゃなかったでしょ?」
「なぁっ!? そ、そんな、そんなことっ……」
シルフの腰を抱いたまま妖艶に微笑むエレファントに魅了され、シルフは顔を真っ赤にしながらしどろもどろになって反論しようとしたが、結局ハッキリした否定の言葉は出て来ないまま尻すぼみになっていき、ごにょごにょとした明確な意味をなさない声を発していた。
「大体、シルフちゃんがあんなひどいこと言うのが悪いんだからね。私のこと振っておいてあんな風に誘惑するなんて反則だよ。だったら私だってちょっとくらい自分勝手にしたってバチは当たらないよ」
「身勝手なお願いだったのは謝りますけど、誘惑なんて人聞き悪いこと言わないでください!」
「私がシルフちゃんのこと好きだって知ってるのにあんな顔で自分を差し出してたんだから据え膳みたいなものだと思う」
「全然違いますっ。私はただ、これからもエレファントさんと友達でいたかっただけで……」
「大丈夫、心配しなくてもこれからも私たちは友達だよ。まずはお友達からって言葉もあるし」
「……結論がおかしい気がします」
「おかしくないよ。シルフちゃんが恋に落ちるまでは今までどおりずっと友達同士。シルフちゃんがお願いした通りだよね?」
「私がエレファントさんに恋する前提で話してませんか?」
「うん! だって絶対シルフちゃんと両想いになってみせるから! っていうかシルフちゃん、私のこと凄い好きだよね? もう恋しちゃってるんじゃない?」
「なっ――、し、してません! お友達として好きなだけです!!」
「えー、ほんとかなー? シルフちゃん友達いたことないんでしょ? 友情なのか恋なのかわかってないだけなんじゃない?」
「え、た、多分違う、と思いますけど、そう言われると……」
そんな風に嫌よ嫌よと言いつつもシルフはエレファントから離れる素振りを見せず、一見喧嘩しているように見せかけたイチャつきは、サキュバスが妙な輩に声をかけられているのをゴンドラのガラス越しに発見するまで続くのだった。




