episode4-2 催眠①
魔法界、食楽通りの一角にひっそりと佇むこじんまりとしたどこか懐かしい中華屋。少し塗装の剥げた壁には色褪せたビールのポスターやどこの地方のものかもわからないペナントが張られており、レジ前に置かれた小さな本棚には日焼けしたコミックと真新しい週刊誌が並べられている。設置されているテレビはブラウン管式で、魔法界のTV局は現実とは全く異なる独自の放送を行っており地デジ化が行われていないため、画質こそ荒いものの何の問題もなく番組が映し出されている。
懐かしさを感じさせると言っても、最早この光景に郷愁を感じるような世代の魔法少女は軒並み引退してしまっており、今となってはただ古臭いだけの中華屋として万年閑古鳥が鳴いていた。かつては人通りの多いメインストリートに面していたが、食楽通りの発展に伴って新たな道路が整備され、人の流れが変わってしまったことも客足が遠のいている原因の一つかもしれない。
休日の昼時ともなれば半分程度の席は埋まるものの、一時間もすれば客はすっかりいなくなり、店内には物静かな人型のマッチョボディに鶏頭をくっつけた妖精店長と、少々騒がしい二人組の魔法少女だけとなっていた。
「ししょー! 漫画があります! 読んでも良いんですか?」
「注文決めてからにしな。あと最新号はあたしが読むからそれ以外な」
騒がしい二人組のうち、パステルピンクの長い髪の少女、魔法少女サキュバスがキラキラと目を輝かせて棚に置かれた漫画を物色し始めると、その背後から目が隠れるほど前髪の長い黒髪ボブカットの少女、シャドウがニュッと手を伸ばし週刊誌を確保する。シャドウはこの寂れた中華屋の常連であり、毎週人気のない時間にやって来ては週刊誌の最新号を読み、中華そばを食べて帰って行く。
かつておこなっていた、こっそりと他所の縄張りに住み着いてディストを狩りバレたら逃げるという小さな悪事の積み重ねによって、シャドウはそこそこの数の魔法少女から目の敵にされている。そのため、魔法界の人目に付く場所には近寄れないのだ。
エレファントたちのチームに誘われた際に加入を断ったのも、集団行動が得意ではないというのは事実だがそれ以上に自分には敵が多いということを自覚してのものだった。
「はい! ……って、漫画なんてどうでもいいんですよ!」
「お前が言い出したんだろうが」
「それよりどうしてシルフさんが友達になってくれなかったか一緒に考えて下さい! ししょー! ししょーってばー!」
定位置のカウンターに偉そうに足を組んで座り、ペラペラとカラーページを飛ばしながら週刊誌を読み始めたシャドウの袖を、サキュバスがぷんすかと怒りながらグイグイ引っ張りつつ声を張り上げる。
「だから先に注文を決めろって。あたしは中華そばだ。お前は?」
「えーっと、あれ? メニューがないですよ?」
「壁に貼ってあるだろ」
「え、あれだけですか!? 少なくないですか!?」
ペナントやポスターと重ならないよう、壁の高い位置に中華そばやチャーハン等、習字で書かれた両手で数えられる程度のメニューが貼られている。昔なら特別に少ないというほどでもないが、今時の個人店やチェーン店と比べれば、確かに少なく見えるだろう。失礼なことを言うサキだが悪気はなく、純粋な驚きで声をあげているらしかった。
「だってよ、オヤジ。今時の若い奴はこう言ってるぜ」
「……ふん、ウチは昔からこれでやってんだッピ。気に入らないんなら帰るんだなッピ」
漫画を読むのに集中するためか、シャドウはサキュバスの言葉を適当に店長に放り投げた。
ねじり鉢巻きを頭につけた鶏頭のムキムキ人型妖精は、調理場の外に置かれた椅子にどっかりと腰を降ろし新聞を広げたままつっけんどんに答える。ヤクザの如き強面と屈強な肉体に似合わない高く可愛らしい声だった。
「……!!」
ずっと新聞を広げていたためサキュバスからは店長の顔が見えていなかったのだが、話しかけられたことに反応したサキュバスがトテテと急ぎ足で店長に近づき新聞に隠された向こう側を覗き込むと、驚きに声も出せず再びシャドウの隣に戻って行った。
「ししょーっ、あの人、顔が鶏ですっ」
「ええい鬱陶しい! 人じゃなくて妖精なんだよ。魔法界の住人はほとんど妖精だからな。つーかお前、妖精はどうした? 魔法少女に勧誘してきた奴がいるはずだろ?」
ひそひそと耳元で話すサキュバスにシャドウは観念したのか、勢いよく週刊誌を閉じて面倒くさそうにカウンターに片肘をつきつつ問いかける。
「プーちゃんのことですか?」
「プーちゃんだかピーちゃんだか知らねえが、普通新人魔法少女には妖精がつくもんなんだよ。で、そいつが魔法少女のイロハを教えてくれるわけ」
「最初は面倒くさそうに色々教えてくれましたけど、ししょーに弟子入りしてからは三日に一回くらいしか出てきません! わからないことはししょーに聞けって言ってました!」
「はぁ~~~~? ったく、プー太郎のプーちゃんとでも言いてえのか? 笑えねえっつーの。オヤジ、中華そば二つ」
「あー! 私まだ決めてないですよー! いたっ! 暴力反対です!」
いい加減待ちかねたのか、シャドウが勝手にサキュバスの料理も決めてかったるそうに注文すると、店長は短くあいよとだけ答えて新聞を雑に折りたたみ調理場へ入って行った。
シャドウの暴挙に対してサキュバスは前のめりになってキャンキャンと吠え立て、鋭いデコピンをお見舞いされて若干涙目になりながら再び抗議の声をあげた。
「ちっ、こんなことならお前と組むんじゃなかったぜ」
「ひどいですししょー! こんなに強くて可愛い弟子なんて中々いませんよ!」
「自己肯定感の塊かオメーは。つーか強くはねえだろ」
暗にサキュバスの可愛らしさを認めるツッコミを入れつつ、シャドウは重い溜息を吐いた。シルフににべもなく振られた直後は多少大人しくなっていたというのに、一時間もしない内に普段の騒がしさを取り戻しているのだ。多少は励ましてやろうという気持ちでシャドウにしては珍しく食事に誘うなどという似合わないことをしているわけだが、これならほっといても問題なかったなと少しばかり後悔していた。
そもそも、本来シャドウは他の魔法少女と組んで活動をするようなタイプではないのだ。サキュバスがこれほど強かであることを知っていれば、チームを組むこともなかっただろう。
新しい魔法少女が現地の他の魔法少女とチームを組む場合、最も多いパターンは妖精に紹介されて一緒に活動するようになるというものだが、シャドウが初めてサキュバスと遭遇した時、彼女の傍に妖精の姿はなく、他の魔法少女も見当たらなかった。
揉め事を避けるためシャドウは普段横入りするような真似はしないが、サキュバスのあまりにも危なっかしい戦いぶりが見ていられず、一言ことわりを入れたうえで助太刀し、その場でサキュバスから弟子入りを志願されて今に至るのだ。
シャドウがサキュバスの弟子入りを認めたのは、何かと恩があり強く出れないエレファントに付きまとわれるよりは、言うことを聞かせられる新人と組んでエレファントを追い返す方がやりやすいと考えたのが理由の一つなのだが、サキュバスが想像以上にお転婆であり全く思い通りにいかないというのは大きな誤算だった。
「で、あの魔女さんと仲良くしたいだったか? やめとけやめとけ。最初にも言ったがあの魔女さんは気難しいっつーか、普通じゃねーんだよ」
「たしかにガードがとってもかたいみたいですね。でも、夢物語だと思ってた魔法少女にだってなれたんですから、諦めません! 諦めなければ夢は叶うんです!」
「ハッ、魔法少女になるのが夢なんて笑わせんなよ。自分でディストと戦ってもまだ目が覚めてねぇのか? 魔法少女はお前が思ってるようなキラキラした世界のヒロインなんかじゃねぇ。あの魔女さんだって歳はお前くらいかもしれねえが、抱えてる事情は比べ物になんねーだろうさ。お前みてぇな覚悟が甘いやつほど早死にすんだ。わかったら魔法少女なんてさっさとやめちまうんだな」
「早速作戦会議です! ししょー、何かいい案はありませんか?」
「無視かよ」
見るからに希望に満ち溢れた輝かしい笑顔で夢は叶うと宣言するサキュバスを、シャドウが鼻で笑って脅しをかける。実際、シャドウの言葉は大きく間違っているわけではなく、魔法少女システムの影響でディストと戦う際には恐怖や不安を大幅に抑制されているせいか、魔法少女に憧れを持っているような夢見がちなタイプは、命がけの戦いであるという緊張感が欠如しているケースが多くみられ、そしてその油断が敗北に繋がることは少なくない。
サキュバスとの付き合いは短いシャドウだが、この新人魔法少女はどう見てもそのタイプにあてはまっており、放っておいたらいつか死ぬのではないかと危惧している。そうした事情と、鬱陶しいという気持ちもあり度々本当は怖い魔法少女を語って引退を促しているわけだが、見ての通り成果は芳しくないようだった。
シャドウと共に活動を始めた当初は、サキュバスも先達のありがたいお言葉をしっかり聞いていたのだが、同じような話が繰り返されれば一々まともに取り合うのも無駄だと思ったのか、すっかり聞き流す様になってしまっていた。
「ったく、しょうがねぇな……。言い出しっぺのお前は何かねえのかよ?」
「んー、今まで友達になりたいと思ってなれなかったことがないので、何とも。やっぱり何度でも自分の気持ちを伝えるのが大事ですかね! またシルフさんに会ったらもう一回お願いしてみるのはどうでしょう?」
「バカか。んなもん迷惑なだけだっつーの」
「むー! じゃあししょーはどうなんですか! そんなこと言うなら凄い作戦があるんですよねっ!」
付き合ってやらなければ満足しないのだろうと諦めたシャドウが再び溜息を吐きつつ、まずはサキュバスの考えを聞いてみると、返ってきたのは作戦と呼ぶのが烏滸がましいレベルの内容だった。断られてもめげずに挑戦しようとする気概は大したものだが、それで落とせるほどあの魔女さんは甘くないだろうとシャドウは思わずストレートな罵倒をしてしまい、ふくれっ面になったサキュバスから対案を要求される。
「そうさなぁ、パッと思いつく方法は三つ」
サキュバスの目の前に指を三本立てたシャドウが、喋りながら薬指を閉じる。
「古今東西、仲良くなりてー相手がいるなら贈り物がセオリーだろ。プレゼント作戦だな」
「でも私、シルフさんの欲しいものなんてわかりませんよ?」
「んなもんよっぽど突飛でもなけりゃ何だっていいのさ。アクセサリーとか、はまだ早いか。お前らくらいの歳だと……、何か美味そうな食いもんとかで良いんじゃね? バレンタインにゃはえーが友チョコとかっつって同性で菓子を交換するような風習もあるしな」
「ふむふむ、チョコレートをプレゼントすると。甘い物が嫌いな女の子はあんまりいないですもんね」
感心したように頷いているサキュバスに、話を続けながら中指をおろす。
「将をなんたらかんたらは馬を射よ。細かくは忘れちまったが、本人を攻めるのが難しいんなら土台から崩してやりゃあいいって話だ。あの魔女さんはお仲間のエレファントって魔法少女に随分とご執心みたいだからな。まずはエレファントさんに取り入って、仲を取り持ってもらうってのはどうだ?」
「うぎぎっ、エレファントさんは強くて優しくてとっても凄い魔法少女だっていうのは知ってますけど、シルフさんと仲良しだなんて妬ましい……! ずるい、ずるいです! 私が先に好きだったのに!」
「いや、知らねぇよ。お前が先に好きだったとかクソどうでもいいわ」
「でも、その作戦はありですね! 流石ししょーです! エレファントさんとも、もちろんブレイドさんやプレスさんとも仲良くなりたいと思ってましたけど、それがシルフさんとお友達になることに繋がるんだったら、一石四鳥です!」
歯ぎしりせんばかりの勢いで妬ましい悔しいと呪詛を垂れ流し始めたサキュバスに若干引きつつ、シャドウは最後に人差し指を折る。
「これが一番確実だと思うが、あっちのチームで一緒に活動する。実際、あっちの四人組がそれなりに仲良くやってんのは知ってるだろ? あえて情報が広がるようにしてるみてーだし、お前みたいなオタクが知らないってことはありえねぇ」
「オタクじゃないです! ちょっと他の女の子より魔法少女が好きなだけです!」
「……あれが縄張り荒らしへの牽制だろうってことはある程度頭の回る魔法少女なら気づくけどな、気づいたところで手を出せないことに変わりはねぇ。本当に仲が良いのか仲良しごっこしてるだけなのかはわかんねぇからな。だからお前もあっちのチームに入りゃぁ少なくとも表面上は仲良く出来る。で、嘘でも仲良くしてたらほんとに仲良くなってるもんだ。よっぽど相性が悪いか、相手に仲良くする気がないんでもなければな」
「何回その話するんですか? 私はししょーと一緒に戦うって言ったじゃないですか!」
サキュバスの抗議を無視して続けるシャドウに、サキュバスは呆れたような顔をしてから力強く答えた。
シャドウはサキュバスの面倒くささに気づいて以来、引退するように忠告するのと同じくらい、辞めないのであれば向こうのチームで戦えという話をしている。タイラントシルフに憧れているというのだから、そっちの方が良いだろうと。シルフは嫌がるかもしれないが、お人好しなエレファントに頼みさえすれば無碍に断られることはないという確信を持っていた。
しかし、その度にこうしてサキュバスはシャドウと共に戦うと言ってきかないのだ。
「おーおー、それだけ聞きゃ何とも感動的なお言葉だこと。なんであたしと一緒に戦うんだ? ん? もっぺん言ってみろ」
「だから、今のままじゃシルフさんに迷惑かけちゃいますから、もっともーっと強くなれるまではししょーに鍛えて貰うんです! まったくししょーは忘れん坊ですね! 何回言わせれば気が済むんですか?」
「これだよ。お前こそ何回も言っててあれ? おかしいな? って思わねーのかよ。あたしに迷惑がかかってんぞ」
「……? ししょーは私のししょーなんですから、迷惑かけられるのは当たり前じゃないですか? その分私もししょーを敬ってししょーの役に立てるよう頑張ります!」
「敬ってる奴の態度じゃねーんだよ。舐めてる部活の先輩に対する態度なんだよ」
「部活とか言われても……、私まだ小学生なので……」
困った人を見るような視線を向けてくるサキュバスに、シャドウは切れそうになりながらもこんな子供相手にマジギレするなんてみっともないというプライドがブレーキをかけてなんとか持ちこたえることが出来た。タイミングよく運ばれてきた中華そばをズルズルと啜ることでどうにか苛立ちを紛らわせる。
「いただきますしないと駄目ですよししょー。いただきます!」
「……いただきます」
サキュバスに促されて、シャドウはいつぶりかも忘れてしまった食前の感謝を述べる。
シャドウがこうして誰かと食事を共にするのは、先日の祝勝パーティを除けば随分と久しぶりであり、以前は自分にもこうやって声を揃えていただきますと言える相手がいたのだということをぼんやりと頭の片隅で考えるのだった。




