episode4-1 サキュバス④
雲一つない晴天の下、不気味に蠢く黒い靄が不愉快な叫び声をあげます。その姿は人間に複数のイカか蛸を無理矢理くっつけたような歪なもので、全長5メートル程度の巨人の背中はボコボコと盛り上がり、そこからうねうねとくねる触手が20近く本生えています。土台となっている人型はひたすら叫び声をあげているだけで大きな動きは見せず、背中の触手が伸びてきて攻撃してくるのが基本的な攻撃パターンのようです。
階級は伯爵級、今のエレファントさんたちなら五分五分か少々分が悪いといったところでしょうか。
「旋風刃!」
詠唱と共にいくつもの風の刃が円の軌道を描くように回転しながらディストへ襲い掛かり、今にもエレファントさんたちを絡めとろうとしていた触手を輪切りにしていきます。
「クッ、こいつの触手、早い!」
「再生スピードも鬼ヤバなんだけど~!」
「徐々に動きが……!」
輪切りにされた触手は小さな粒子となって消滅して行きましたけど、それよりも早く凄まじい速度で触手は根元から生え変わったように再生して、再度エレファントさんたちに襲い掛かりました。触手のうち半数近い10本は手数の多いブレイドさんが何とかさばいてますけど、攻勢に転じる余裕はなさそうです。プレスさんとエレファントさんはそれぞれ魔法を使って何とか致命傷は避けてますけど、さっきから完全には避け切れずいくつもの切り傷が出来てます。あの触手、通常は流動性が高いみたいですけど、接触の瞬間だけ硬質な刃に変形しているみたいですね。
三人の練習相手に弱すぎず強すぎない程度の相手だと思ったので、私は危なそうな時のみサポートする形で見守っているのですが、今回はここまでにした方が良いかもしれません。
「開門・悪夢の扉!」
「風の巨人!」
私が加勢に入るため杖を構える直前、ディストの声にほぼかき消されながらも誰かの声がかすかに聞こえ、それと同時に複数の砲門が宙に浮かび上がって一斉にディストへ向けて砲弾が発射されました。ディストの叫びに勝るとも劣らない爆発音が辺りに響き渡ります。
「あ、危なかった~」
「流石に、死ぬかと思ったわ」
「てか、シルちゃんがいなかったら死んでたよね? マジヤバくね?」
風の巨人で包み込むことで間一髪エレファントさんたちは砲弾と爆風から守ることが出来ましたけど、ディストは跡形もなく吹き飛んで再生不能となり消滅したようです。エレファントさんたちが削っていたからあっさりと倒せたのでしょうか。それとも、伯爵級ディストをものともしない魔法少女の仕業ですかね。どちらにせよ、私の目の前でエレファントさんに攻撃するなんて随分とふざけたことをしてくれたものです。
前の一件以来、縄張り荒らしが新たに現れることはなかったので仲良しごっこの効果はあったのかと思いましたけど……。
「環境魔法――」
「このバカッ! 他の魔法少女が戦ってるのにいきなり攻撃するやつがあるか!! 何度も教えただろうが!!」
「ご、ごめんなさい! みなさんがピンチなのかと思ってつい! まさかこんなことになるなんて思ってなくて! あの、みなさん本当にごめんなさい!」
辺り一帯を更地にしてしまえば、敵がどこにいても関係ない。そう考えて環境魔法を使おうとしたのですけど、聞き覚えのある必死な声に気が付いて詠唱を中断しました。声の聞こえた方に視線を向けて見れば、シャドウさんに拳骨でも落とされたのか、痛そうに頭をおさえた見慣れない衣装の少女が涙目になりながら何度も私たちに向けて頭を下げていました。
……頭を抱えたいのはこちらの方です。どうやら今のは縄張り荒らしの攻撃というわけではなかったみたいです。
「随分と派手なご挨拶でしたけど、そちらの方は?」
「いやぁ、ハハ、すみません。横殴りはしないように何度も言い聞かせてたんですが、テンパったみたいでして。悪いのは全部こいつです! あたしは悪くないんです!」
「ひどいですよししょー! こういう時は普通庇ってくれるものじゃないですかぁ!?」
「うるせー! この御方は咲良町の魔法少女を取り仕切る風の魔女タイラントシルフさんだぞ! とんでもないことしでかしやがって!」
「えぇ!? ごめんなさい! 焦ってて全然気づきませんでした! いつも動画見てます! 握手してください」
コントのような二人のやり取りに毒気を抜かれてしまい、構えていた杖をおろしました。
……騒がしすぎます。なんですかこの子は。それにシャドウさんも、あの小さい子相手には敬語を使ってないからか随分と雰囲気が違うように感じます。
というかですね、
「その前にあなたが謝るべき相手は他にいるんじゃないですか?」
「そ、そうでした! あの、エレファントさん、ブレイドさん、プレスさんですよね!? いつも応援してます! いきなり攻撃しちゃってごめんなさい!!」
「あはは、元気な子だね。助けてくれようとしたんでしょ? いいよいいよ」
「応援してますだってさ! なんか感激~。あたしたちも有名になったもんだね」
「次からは気を付けなさい。それよりあなた、新しく咲良町で魔法少女になったサキュバスさん、でいいのよね?」
はぁ、そうですよね。そういう人たちですよね。ここでこの魔法少女を責めるような人がいないのはわかり切ってました。
後でちゃんとお説教するようにという気持ちを込めてシャドウさんに鋭い視線を向けると、私の視線に気が付いたのかしきりにペコペコと頭を下げていました。まったく、妖精は何をやってるんでしょう。そういうこともちゃんと教えるのが妖精の仕事でしょうに。
「はい! でもサキュバスって名前は可愛くないので、魔法少女サキでよろしくお願いします!! 夢魔の魔法少女? らしいです!」
「そう、それじゃあサキちゃん。さっきの魔法は凄い威力だったわね」
「それな☆ いきなりめちゃ強じゃんね」
「あーいえ、こいつの魔法はそう単純なものでもなくてですね」
「説明は私がしますからししょーは黙っててください! さっきはたまたますっごく強いのが出てきましたけど、あの魔法で出てくるのは私が見た悪夢の中から勝手に決められるみたいなんです!」
「いつもはしょぼい攻撃しか出て来ないもんで、戦力としては全くあてに出来てないんですが、まさかこんな時に限ってあんなことになるとは……。こいつも悪気があってやったわけじゃないんです」
「ししょー!」
「うるせぇ……、いちいち大声だすなっていつも言ってるだろ……」
「仲良くやってるみたいで安心しましたよ、シャドウさん」
「いや、まあ、そちらさんも」
エレファントさんたちがシャドウさんたちと談笑してるのを一歩下がって見ていると、会話の輪の中からいつの間に抜け出したのか、サキュバスさんが私の近くに来ていました。
フリルとリボンがふんだんにあしらわれたふわふわの衣装はパステルパープルと白色を基調とてしていて、ゆるやかにパーマのかかった淡い桃色の長髪と合わさってゆめかわ?というような感じです。サキュバスという名前から連想されるような服装とは対極にあるように感じます。一応スカート下から見える尻尾はサキュバス要素と言えなくもないと思いますけど……。まあ、本人がサキと呼んで欲しいと言う通り、年頃の女の子ならサキュバスモチーフの魔法少女なんて普通は嫌ですよね。私でも嫌です。衣装はそんな心情の現れなのかもしれませんね。
エレファントさんたちを攻撃したことは非常に重い罪ですが、わざとではないようですし、本人も反省しているみたいですし、何よりエレファントさんたちが許しているのですからこれ以上私が何か言うのも野暮というものでしょう。シャドウさんには釘を刺しておきましたし、今回は大目に見てあげることにします。
「……何か用ですか?」
「あ、あの……、シルフさん……」
わざわざ会話を抜けて私に近づいて来たということは何か用があるんでしょうけど、モジモジとするばかりで一向に話しかけてくる気配がなかったので仕方なく私の方から用件を聞いてあげます。ふっ、私も丸くなったものです。勿論エレファントさん以外の魔法少女と友達になる気がないというのは変わりませんけど、適切な距離感を保つために自分から話しかけられるほどに成長しているのです。
ですが、折角私の方から話を振ってあげたというのに、先ほどまでの元気の良さはどこへやら、俯きながら小声でごにょごにょと何かを言ってます。
「よく聞こえなかったのでもう一度言って貰えますか?」
「ぅ……あのっ、ですね! その、わ、私と、お友達になってくれませんか!!」
「え、無理です」
「――!!」
漫画やアニメであればガーンという効果音が聞こえそうなくらいサキさんの表情が悲し気に歪みました。うっ、少し罪悪感があります……。でも、しょうがないことです。無理なものは無理なんですから、変に言葉を濁して期待を持たせるわけにもいきませんし……。
「な、何でですか? 私がさっき、みなさんを攻撃しちゃったからですか? 駄目なところがあれば直します!」
え、えぇ……? あれだけきっぱりと断られて、滅茶苦茶ショックを受けてたみたいなのに、まだ食い下がるんですか?
「別にあなたがどうとかではなく、」
極めて個人的な事情なので、と答えようとして、視線に気が付きました。エレファントさんたちが何事だとばかりにこちらを見てます。そりゃあ、あれだけ大きな声を出されれば聞こえますよね。こんな風に見られると、別に私が何か悪いことをしてるわけじゃないのに、悪いことをしているような気持になります。早いところ退散しましょう。
「とにかく、無理なものは無理です。私はこれで失礼します」
一方的に会話を切り上げて、転移で帰還することにしました。さきほどの戦いの反省会は、後程マギホンの通話かメッセージアプリで行うことにしましょう。
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シルフが転移で去った後、残された魔法少女たちの間には何とも言えない空気が広がっていた。
「最近普通に共闘したり遊んだりしてるから忘れてたけどさ~、一応あたしらもシルちゃんに友達認定はされてないんだよね」
「そうね、シルフさんとしてはエレファント以外と友人になったつもりはないと思うわ」
「そういえばシルフちゃんって初めはあんな感じだったね」
「な、なんか思ってたよりも複雑な状況なんすね……。あー、サキよー、飯でも奢ってやるから、とりあえず帰るぞ」
「……はい」
すっかり意気消沈してしまったサキを連れて、シャドウもまた転移光と共に去って行った。
「同年代っぽいサキちゃんでも駄目かー。これはますます謎ですな。どうしてエレちゃんだけがお眼鏡に適ったんだろうね?」
「でも、サキさんには悪いけど真正面から聞いてくれたおかげで一つわかったこともあるわ」
「わかったこと?」
変身を解除したプレスが腕を頭の後ろに組んで軽く伸びをしながら疑問を述べると、同じく変身を解いたブレイドがキラリとメガネを光らせ腕組みをしながら自分の考えを述べる。
「シルフさんはサキさんに対して反射的に無理ですって答えてたのよ。嫌です、じゃなくね。やっぱりシルフさんには何か事情があるんでしょうね。友達を作りたくないんじゃなくて、作れない理由が。そうでしょう、エレファント?」
「シルフちゃんの考え方が変わらない限りは、そうだね」
ブレイドの鋭い考察に、エレファントは詳細は語らずともそれが誤りではないことを認めた。シルフの事情を話すつもりは勿論ないが、シルフにも事情があり、サキに意地悪をしたり傷つけようとしたわけではないことを二人にも知って欲しかったのだ。
「そう。なら、あなたがそれを変えてくれることを祈ってるわ」
「……聞かないんだ?」
「信じることにしたのよ、あなたを。私だって黙って見ているつもりはないけれどね」
ブレイドがニヒルな笑みを浮かべてそう告げると、エレファントはそれに応えるように微笑みを浮かべた。お互いに背中を預けて戦ってきたからこそ、言葉がなくても信じられる。ブレイドは二人の関係に危うさを感じることもあったが、先日の告白を受けてエレファントが本気であることはわかった。ならばエレファントを引き離すような搦め手を使うのではなく、自分自身もまたシルフに近づいて行けば良いのだと考えを改めた。
「二人だけで青春みたいなことしてずるいー! あたしも入れろー! エレちゃん、私にも言って! さっきの言って!」
「そういう風に言われるとちょっと言いづらいけど……、聞かないんだ?」
「あたしは最初からエレちゃんを信じてるもんねー☆」
「ちょっと、その言い方じゃまるで私が信じてなかったみたいじゃない!」
「そう思うんならそうなんじゃねー?」
「あはは、大丈夫だよブレイド。ブレイドは優しいからシルフちゃんを心配してくれてたんでしょ」
「エレちゃん、それだとあたしが優しくないみたいなんですけどっ」
「もー、二人とも優しいし私のこと信じてくれてるってわかってるよ。いつもありがとね」
両手を大きく広げたエレファントが二人を同時に抱き寄せて感謝の言葉を述べると、二人はしょうがないなというように優しい笑みを浮かべてエレファントに抱擁を返すのだった。




