episode4-1 サキュバス③
昼食を終えてある程度時間が経った頃、双葉は案の定小学校に行ってみようという話をし始めた。しばらくは送り迎えしてあげるからとか、俺は園児じゃないんだぞ。
毎度のことだが小学校に通うなんてことは選択肢に上がりもしないので適当にはいはいと聞き流していたのだが、そんな時家のチャイムが鳴った。とくに何か宅配を頼んだ記憶もないのだが、これ幸いとばかりに話を打ち切ってインターホンのボタンを押しにかかる。誰だか知らないが、今回ばかりは勧誘やらでも許してやろう。もちろんまともに話を聞く気はないが。
と、そんな気持ちで視線を向けた映像には、エレファントさんが映っていた。
「エ――じゃなくて、」
一瞬エレファントさんと大声で言いそうになったが、ここには双葉もいるんだ。流石に元魔法少女とは言っても名前を聞いたくらいで認識阻害の影響を抜けるとは思えないが、いらないリスクを背負う必要はない。
「ちさきさん、どうしたんですか?」
『えへへ、来ちゃった』
さきほどまで例の件を考えていたせいもあって、少し上擦った声で問いかけた俺に、ちさきさんが照れくさそうにはにかんでそう答えた。可愛い。
って、じゃなくて、今日はとくに遊びに来るという連絡もなかったはずだが、アポなしで来ちゃった、という意味だろうか。別に俺はちさきさんなら全然構わないが、今日は……。
「ちょっと待って下さいね」
『うん』
一旦インターホンを切ってどうしたものかと考える。折角来てくれたちさきさんをそのまま帰すなんて以ての外だが、先客がいるからな。じゃあ双葉を追い返すか? いや、延々と学校の話をしてくるのは少々鬱陶しい部分もあるがそれもこれも俺を想ってのこと。厄介払いするように帰らせるというのは良心が痛む。
「うむむ……」
「どうしたの良ちゃん? お客さん?」
「あ、いえ、友達が来ててですね」
「え、そうだったの? だったら早く上げてあげなきゃ。もう、そういうことなら先に言っておいてくれればお茶菓子とかも買って来たのに」
俺も今日ちさきさんが来ることは知らなかった、と弁明するより早く双葉が玄関に向かってしまった。いや、なんで双葉が出ようとしてるんだ!? 聞かれてつい素直に友達が来てると答えてしまったが、そのまま招き入れるにしてもそれは俺の役目だろ!?
急いで双葉の後を追うと、玄関ではすでに双葉とちさきさんが何やら会話を始めていた。
「いらっしゃい。あれ、たしかこの前の……」
「えっと、良ちゃんのい――叔母さんの、双葉さんですよね? 始めまして、私、良ちゃんの友達の木佐山ちさきです。いきなり遊びに来てしまってすみません」
「全然気にしないで。むしろ良ちゃんのお友達に会えて嬉しいから。さ、上がって上がって」
「失礼します。これ、ささやかですが良かったら良ちゃんと一緒に食べて下さい」
「そんな、気を遣わなくて良いのに。こちらこそおもてなしの用意が出来てなくてごめんね」
何だか滅茶苦茶スムーズかつ和やかに話が進んでいる!?
え、二人ともこの前ちょっと顔を見たことあるくらいの初対面だよな? 家族と友達が鉢合わせるなんて気まずいかなと思って悩んでいた俺は何なんだ。友達が家に遊びに来るときって、普通はこういうものなのか……?
「あ、良ちゃんいきなり来ちゃってごめんね。迷惑じゃなかった?」
「いえ、そんな、迷惑だなんて、全然です……」
普段なら滅相もないです、いつでも来てください、と力強く答えるところなのだが、先日の件以来若干の気まずさがあってちさきさんの目を直視することが出来ない。そのせいか言葉も途切れ途切れで、視線を逸らしながら答えるのが精いっぱいだった。
そうしてちさきさんをリビングまで案内し、双葉がキッチンでお茶とお茶請けの準備をしている間、少しの時間ではあるがちさきさんと二人きりになった。そういえばこうやって二人きりになるのはあの日以来初めてで、余計に意識してしまう。だから普段よりも少し気づくのが遅れてしまったのだが、ふと違和感を覚えてちさきさんの服装をよく見てみると、いつもと雰囲気が違うことに気が付いた。
「……あれ? ちさきさん、何だか今日いつもと違います?」
「あ、気づいてくれたんだ。嬉しいな。プレスに頼んでお化粧とかオシャレとか、ちょっと勉強してるんだ」
白のレースシャツにクリーム色のニットベストを重ねて、チョコレート色でチェックのロングスカートとあわせた清楚コーデ、薄い桃色のリップにホワイトグラデーションのネイルなどと説明をされたが全くわからない。呪文か? でもわからないけど
「あの、とっても似合ってます。可愛いと、思います」
「っ~、ありがとー良ちゃん! 良ちゃんも可愛いよ~! もー好き!」
「く、くっつき過ぎです! 離れて下さい!」
「え~、良ちゃんのケチ~。ちょっとくらい良いじゃん」
感極まったようにガバッと抱き着いて来たちさきさんが、どさくさ紛れに好きとか言いながらさわさわと身体をまさぐって来る。いくらちさきさんでもそういうのは良くないし、気持ちに応えられないと考えたばかりなのだからなあなあで受け入れては駄目だ。
心を鬼にしてなんとか引きはがすと、ちさきさんはわざっとぽく頬膨らませてぶーぶーと抗議の声をあげた。
「二人とも仲良いねー。はい、どうぞ。ちさきちゃんが持ってきてくれたマカロンだから、良ちゃんもありがとうしてね」
「いつもありがとうございます。私の家に来るのにわざわざお土産なんていらないですよ?」
「私が好きで持ってきてるんだから、良ちゃんは気にしなくていーの。双葉さんもありがとうございます。お手伝いもしないですみません」
「お客さんにお手伝いなんてさせられないよ。ちさきちゃんは気遣いの出来る良い子だねー。良ちゃんにちさきちゃんみたいなお友達がいて、お姉さんちょっと安心しちゃった」
本当にやめて欲しい。ちさきさんは双葉が俺の妹であることを知ってるんだぞ。そんな人の前で妹に姉面をされるなんて、これは何ていう羞恥プレイなんだ。それに双葉、なにをナチュラルに会話に入って来てるんだ。ちさきさんを家に上げたということは双葉は帰るのかと思っていたのだが、どういうつもりだ。いや、ちさきさんと二人きりになるとそれはそれで気まずいからありがたくもあるが……、俺はどうすれば……。
というか、慌ただしい展開に流されて聞くのを忘れていたが、今日は何の用事で家に来てくれたのだろうか? 急に遊びに来てくれるのは全然構わないのだが、いつもより少々荷物が多いように思える。
「ああ、そういえば言ってなかったね。今日は良ちゃんにもオシャレを楽しんで貰おうと思って、私のとかプレ――んんっ、友達のいらなくなった小さい頃の服とか、他にもいくつか持って来たんだ」
俺の視線に気が付いたちさきさんが、説明しながらプレスさんの名前を出そうとして、双葉が居ることに思い至り一度咳払いしてから言い直した。って、俺にオシャレ……?
「いえ、私は――」
「ちさきちゃん、ナイスアイデアだよっ。良ちゃんこの前私があげたマニキュアも全然使ってないでしょ? 良い機会だし試してみよ? やってみればきっと楽しいから!」
「双葉さんもこう言ってることだし、私もオシャレして良ちゃんがもっと可愛くなるところ見てみたいな。駄目?」
俺の言葉を遮って謎に語気が強くなっている双葉はともかく、ちさきさんにそんな不安そうな顔でお願いされたら断れるわけがない。まったく乗り気はしないが、ちさきさんが喜んでくれるなら少しくらいは我慢するとしよう。
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最初はちさきさん主導で、ネイビーの肩あき風オフショルトップスに白のショートパンツ、髪の毛は後ろで一括りにし涼し気で清潔感のあるコーデ、らしい。おもちゃみたいなマニキュアじゃ完全には再現出来なかったようだが、一応ちさきさんと御揃いで爪先に向かうにつれて白くグラデーションになるネイルだ。
「可愛いよ良ちゃん! こっち向いてー!」
「これは可愛すぎて危険だしちょっと露出が多すぎるんじゃないかな?」
二番手の双葉は膝丈のホワイトロングニットワンピに淡い桃色のニーハイソックス、髪の毛はふたつ結びのおさげにして前に垂らした甘々コーデ、らしい。爪を痛めてもいけないからとネイルはこれ以上弄らないことになった。
「超キュートだよ良ちゃん! 笑って笑ってー!」
「うーん、でも大人びてる良ちゃんにはちょっと子供っぽすぎるような気もします」
攻守交替のように順番でコーディネートをすることになったのか、今度はまたちさきさんが担当してグレーのフレアロングスカートにパステルグリーンのニットをあわせ、髪の毛は降ろしてシックなコーデ、らしい。
「クールな良ちゃんに似合ってるよ~! 目線向けてー!」
「髪色との統一感はあるけど……、いくら良ちゃんが大人びてても背伸びしすぎだと思うなぁ」
今度は自分の番だと言わんばかりに当たり前のように双葉が選んだのは、フリルのついたチョコレートカラーのトップスにグレーチェックのフレアミニスカートで、可愛らしいガーリーコーデ、らしい。
「良ちゃん、モデルさんみたい! 何着ても似合う!」
「ヘアアイロンとか小物も持って来れば良かったですね。良ちゃんのポテンシャルはまだまだこんなものじゃないですよ」
その後も仏頂面で着せ替え人形と化している俺を置いてきぼりにするような勢いで盛り上がり続ける二人。複雑な気分だが、険悪な空気になるよりは意気投合してくれている方がマシか。そう思ってしばらくは我慢していたのだが、水色のエプロンドレスやメイド服らしきものを着せられた段階で流石に限界が訪れた。
「こんなのオシャレじゃなくてコスプレじゃないですか! 悪ノリするのもいい加減にしてください!」
「あ、ご、ごめん良ちゃん。悪気はなかったんだけど、ほんとに何でも可愛いから、つい」
「そうそう、双葉さんの言う通り! 良ちゃんの可愛さは最早罪だよ」
「……少なくともちさきさんは自分で持って来たんですから最初からコスプレさせる気でしたよね?」
「そそそそ、そんなことないよぉ。たまたま、紛れ込んじゃっただけだよぉ」
「あ、私食器のお片付けしてくるね」
滅茶苦茶目が泳いでるしたまたまでこんなサイズぴったりな服が紛れ込むなんてありえないだろう。あまりにも無理のある言い訳だった。そして双葉が俺の不機嫌さを感じ取ってか逃げた。
「とにかくもう充分でしょう。着せ替え人形にされる側の気持ちにもなってください」
「あ、ちょっと待って良ちゃん。最後にこれだけ試してみてくれない?」
「え、ちょっ――」
俺が何か反論するよりも早く、ずいっと近づいて来たちさきさんの人差し指と親指で顎を優しく掴まれ、クイっと上を向かされた。抵抗しようとすれば出来る程度の、全然力の入ってないものだったが、自分の顔とちさきさんの顔が急接近している事実に思わず固まってしまい、そのまま唇にぬりぬりと何かを塗り込まれた。凄くスース―する。
「……リップクリーム、ですか」
「そうそう、私がしてるのと同じ色付きリップ。ほら、可愛くなったでしょ?」
鏡を渡されて、自分の唇が艶のある薄い桃色になっていることは理解できる。ただ、それに何らかの感想を抱けるような余裕はまったくなかった。
「い、今の、か、か、間接……」
「女の子同士なんだから、そんなの気にしない気にしない」
「っ~! 気にしますよっ、私は、」
「しー」
私は男だからと、衝動的にそう言おうとして、ちさきさんの人差し指を口元にあてられて思い留まる。
「内緒なんでしょ? 二人だけの秘密、だよね?」
ちさきさんは、妖精はノーカウントだからねと悪戯っぽく笑って言った。
気持ちには応えられないはずなのに、断って、いつか離れ離れにならなきゃいけないのに、心臓の鼓動は不思議とあの日のように激しく高鳴って、この日は言い出すことが出来なかった。




