episode4-1 サキュバス②
トントンと包丁が小気味よくまな板を叩く音や、グツグツと食材を煮込む音をBGMにしながら、一昔前のインディーズアクションゲームのキャラクターを操作する。最初はジャンプや攻撃などの単調なアクションしか出来ないが、マップの探索を進め、各地に配置されたボスを倒すことで装備が忠実し出来ることが増えていく。そうして出来ることが増えていくとマップの探索も更に進み、また新たに出来ることが増え、という繰り返しで遊べば遊ぶほど加速度的に面白さは高まっていく。
発売された当時PVを見た時から気になってはいたのだが、今までは他に遊びたいゲームもあって何となく後回しにしてしまっていた。しかしいざプレイしてみるとさすがに高い評価を得ているゲームなだけはある。気が付けば寝食を忘れて遊び続けてしまう始末で、偶然様子を見に来た双葉にげっそりとやつれた姿を見られてしこたま怒られる羽目になった。
それが昨日の話で、しっかり食事も睡眠もとって元気100倍になった俺は意気揚々とゲームの続きを楽しんでいたのだが、昨日の今日で再び双葉がやって来て手際よく昼食を作り始めた。
そんなことをされなくても今日はちゃんと朝食も食べたし、それに大学の夏休みもとっくに終わって忙しいだろうから無理して来なくて良いと言ったのだが、昨日の俺は自分で思っているよりも大層ひどい姿だったようで、しばらくは毎日様子を見に来ると言われてしまった。そのような経緯で、こうして食事が出来るのをゲームしながら待っているというわけだ。
まあ、昨日は本当に滅茶苦茶心配されたし怒られもしたから双葉の言葉が本心であることは疑っていないが、毎日様子を見に来るというのはそれだけが目的でもないだろう。
以前に深く追求しなかったため完全にやらかしてしまったのだが、この家に忍び込んで俺の変身を盗撮したという双葉の友人魔法少女は、驚くべきことにドッペルゲンガーさんだったらしい。そしてドッペルゲンガーさんにはあの対抗戦の日、通信を切り忘れて「家族を取り戻す」と言ったことを聞かれてしまっている。その場では追及してこなかったので完全に忘れていたのだが、後日双葉からその言葉はどういう意味なのかと問いかけられた。もしかしてお兄ちゃんは何か魔法少女に関係する事件に巻き込まれているんじゃないかと。
対抗戦の前に思わせぶりなことを言ってしまったのもよくなかった。今はまだ言えないけれど、必ず幸福な結末に導いてみせると。恐らく双葉はそれらの内容から、水上良一が重大な何かに巻き込まれていると推測したのだろう。まったくもって大正解なわけだが、いまさら事実を白状するわけにもいかず、結局今は言えませんと繰り返してその場は何とか双葉の追及を逃れることが出来た。それから双葉は一度もその話に触れて来ないが、きっとそのことが気になっているのだと思う。
それからもう一つ。もしかしたらこれが一番の目的かもしれないが、双葉は執拗に学校に行った方が良いと言ってきかないのだ。この話題はさっきのと違って何度も何度も繰り返しされているので、今日も食事が終わったら説得が始まるのだと思う。当初は俺のことを不登校とでも思っていたのか、どうして学校に行きたくないのか、もしもイジメとかがあるなら別の学校に行くのでも良いというような切り口だったが、どのようにしてか俺の戸籍が存在しないことを知ってからはそもそも学校に入学した事実がないことに思い至ったらしく、戸籍がなくても学校に行くことは出来るだとか、小学校には良ちゃんと同じ歳の子が沢山いて、きっと友達もできるとか、そんなようなことを語り掛けてくるようになった。
水上良という存在が双葉の勘違いしている通り、小学校に入学したこともなく、家族を巻き込まれながら命をかけて戦っている悲劇の少女なのであれば完全に同意出来る言い分なのだが、残念なことに水上良というのは架空の存在でしかなく、ここにいる俺はとっくの昔に友達の一人も作れずに小学校を卒業した三十路男性である水上良一なのだ。今更どの面下げて小学校に通うと言うのか。というか別に小学校に通いたいとは思ってない。
食事が終わったらまた説教されるのかと若干憂鬱な気持ちになったせいか、ゲームに集中出来ず手元が狂ってボスにやられてしまった。
「はぁー」
「おっきな溜息。何か悩みでもあるの、良ちゃん?」
完成した料理を運んできた双葉に見られてしまっていたようで、心配そうな声で双葉がそう尋ねてくる。さすがにここで、説教されるのが憂鬱ですとは言い難い。双葉も俺のことを思って言ってくれているのだということはわかるから。
「いえ、大したことじゃありません」
「ほんと? 何か悩みがあるなら何でも相談して良いからね」
「はい、ありがとうございます」
悩み、悩みね。正直、今まで手を出していなかったゲームに今更手を出していることや、それに寝食も忘れて没頭するというのはある種の現実逃避だ。自分でもそれはわかっているが、かと言ってじゃあ他にどうすれば良いのかもわからない。どうしてエレファントさんは、あんなことを。
あの日のことを思い出すと自然に顔が赤くなり、唇に触れた感触を思い出してしまう。
「い、いただきます!」
「もう、良ちゃん。そんなにがっつかなくてもお料理は逃げないよ。いただきます」
一度意識してしまうともう駄目で、あの時のことしか考えられなくなってしまう。それがバレないように、机に運ばれた料理に食い気味に手を付けると、双葉はどこか楽しそうに苦笑しながら自分も食べ始めた。
・
――私、シルフちゃんが好き。大好き。私だけのものにしたい。誰にも渡したくない。それがシルフちゃんの家族でも
ちさきさんにキスをされてから伝えられた言葉。そりゃあ俺だってちさきさんのことは好きだ。大好きだ。ただ、それは当然友達としての感情だった。ちさきさんも同じだと思っていた。ちさきさんは俺にとてもよくしてくれるが、それは俺が特別だからではなく、ちさきさんが優しいだけ。俺なんてちさきさんのたくさんいる友達の中の一人に過ぎないのだと、そう思っていた。
でも多分、あの日ちさきさんが言っていたのはそういうことじゃない。確かに俺は今までちさきさん以外に友達が出来たことがないし、人間関係の機微に疎いところがあるのは自覚しているが、それでも友達同士でキスしたりなんてしないことはわかる。そんなの女の子でも男の子でも変わらないはずだ。
だから、あの時ちさきさんが俺に対して伝えた好きという言葉の意味は、恋愛的な好き、ということだったのだと思う。
わけがわからなかった。ちさきさんの夏休みが終わって忙しかったのだと思うが、あの日まで俺とちさきさんの距離は縮まるどころかむしろ開いてたように思う。全然会えてなかったし、連絡だってとりあってなかった。なのに久しぶりに会った途端に、あれだ。
当日はどういうことなのかわけがわからなくて、家に帰るまでずっと上の空だった。祝勝会の会場に戻ってみればちさきさんは何事もなかったかのようにいつも通りの態度だったし、ここ最近で特に何か変わったことがあるわけでもない。
それに、好きだとは言われたがそのうえでちさきさんが何を求められているのかわからない。ちさきさんは冗談を言うことはあっても、あんな嘘を吐いて揶揄うような最低な人じゃない。だからちさきさんの内心はわからなくても、言われたことは本当なんだと思う。でも交際を申し込まれたわけでもないし、夢中にさせてあげるというのはどういう意味だったのだろうか。
というかそもそも、ちさきさんが好きだと言ってくれたのはどの自分なんだろうか。
魔法少女タイラントシルフ? それとも、水上良という少女? まさか水上良一ということはないだろう。写真を見せたことがあるとは言っても、本当の俺としてちさきさんと会ったことは一度もないんだから。
こんな俺の何を好きになってくれたのだろうか。俺なんて誰かに愛されるような人間じゃないのに。そんなことはずっと昔からわかってるんだ。ずっと、ずっと前から。
けれど、俺には理解できないけれど、それでもやっぱり、ちさきさんの言葉なら信じられる。ちさきさんが好きになってくれたのがどの自分であっても嬉しい。自分のどこを好きになってくれたのだとしても嬉しい。
だからこそ、そんなちさきさんの好意に応えられないだろうことが心苦しい。
俺がちさきさんに抱いている感情は、きっと友愛だから。ちさきさんを特別に思う気持ちは前から変わらないし、ちさきさんのことを想うと胸が温かくなって、ドキドキして、幸せな気持ちになれるのはずっと同じだ。ちさきさんが俺の手をとって、友達になってくれた時から、俺にとっての一番はちさきさんだった。告白されてもそれが変わらないのなら、俺が抱いてるこの気持ちは友情なんだと思う。嘘偽りなく、心から俺に向き合ってくれたちさきさんに対して、俺も嘘をつきたくない。だってちさきさんは、たった一人の、一番大切な友達だから。
俺にとって、一番大切な友達……。
だったら何で、俺は男に戻ろうとしてるんだ……?
家族とやり直したいから、だけど、そのためにちさきさんと離れ離れになって、それで良いのか……?
――■■■■■■?
そうだ、それで良いんだ。俺はいい歳した男なんだから、いつまでもちさきさんに甘えてちゃいけない。
それに、もしも俺のこの気持ちが友情じゃなかったのだとしても、ちさきさんにはもっと良い相手がいるはずだ。自分勝手で、臆病で、ネガティブで、稚拙な俺なんかよりも、もっと相応しい人が……。
だけど、それでも離れたくないと思ってしまう。
せっかく覚悟が出来ていたのに、ちさきさんがあんなことをするから、また迷いが生まれてしまったんだ。
俺がちさきさんを特別に思うのと同じように、ちさきさんも俺のことを特別に思ってくれていたのが嬉しくて。
どうしても戻らなければいけないのだろうか?
人はいずれ家族の元を離れて独り立ちしていくものなのに、とっくに俺だってそうしたのだと思っていたのに、どうしてこれほどまでにやり直すことを望んでいる?
――■■■■■■?
両親に愛されることを望んでいるのか?
向き合わなければ未来に進めないというのか?
自分が本当に愛されていなかったのかを知りたいのか?
わからない、なのに、行き着く先は変わらない。
「はぁー」
結局いつも思考は雁字搦めになって、大して賢くもない頭で考えたつもりになっても、辿り着く結論は同じだった。その答えをちさきさんに伝えなければいけないと思うと、どうしたって溜息が出てしまう。
「もー、そんなに溜息ばっかりついてると幸せが逃げちゃうよ。ほら、何でもお姉さんに相談してみなさい」
食後、後片付けも終わって休憩がてらテレビを見ていた双葉がそういって俺の頬をつんつんと突いた。
妹に恋愛相談など出来るはずもなし。というか下手に話を振るとどこかの切り口から学校の話に繋げて来ようとするからな。こういう時はスルーが最も適切な対処だ。
俺はプイッと顔を背けてゲームを再開するのだった。




