episode3-閑 塞翁が馬
ウィグスクローソは感情を顔に出すことが得意ではない。本当に心の底から嬉しい時、楽しい時には自然と表情が和らぐことはあるが、基本的には常に無表情であり、よほど付き合いの長い者でなければ彼女が今何を考えているのか、何を感じているのかを読み取ることは難しい。
しかし珍しいことに、その日のクローソは誰がどう見ても落ち込んでいるのがわかるぐらいに悲しげに眉をおとし、普段は凛とのばされている背筋を猫背気味にして俯いていた。
「私は取り返しのつかないことをしてしまいました……」
「気持ちはわかるけど、落ち込むより謝る方が先だと思うわよ」
「ですが、ラビットフットさんに合わせる顔がありません……」
ウィッチカップが終わった翌日、ウィグスクローソにお茶の誘いを受けたドッペルゲンガーは先ほどからもう何度もクローソの弱音を聞かされ続けている。
普段であればもっとしゃんとしなさいと発破をかけるところだが、今回の件はことがことだけにクローソを焚きつければよいと言うものでもない。
ドッペルゲンガーは今日この場所で話を聞くまでまったく把握していなかったのだが、ウィッチカップ本戦の試合中にラビットフットの魅了魔法を食らったクローソは無理矢理唇を奪ってしまったのだ。しかもその時の記憶は忘れるでもなく、柔らかな感触も含めて鮮明に覚えているらしい。
クローソの子供好きは前からわかっていたことだが、まさかそれが魔法少女のプロテクトを貫通するほどだとはドッペルゲンガーも思っていなかった。
もしも欲望を抑えられなくなったクローソが暴走して行為に及んだのであれば、徹底的に折檻してラビットフットの前に引きずり出し許しを得られるまで謝罪させるところではあるが、魔法によって正常な状態でなかったのであれば一方的にクローソを責めるのは間違いだ。
だが、だからと言ってラビットフットが悪いのかと言えばそうでもないようだった。別にクローソに接吻を命じたわけでもなく、意図せず魅了が通ったと思ったら止める暇もなくキスされたのだ。
ドッペルゲンガーとしてはどちらも被害者であり加害者だと言えるような気もするが、お互いの立場にたって考えてみると、やはり強引にキスされたラビットフットの方が実害を被ってると言えるだろう。
「気持ちはわからなくもないけど……。まあ、中継されてなかったのは不幸中の幸いね。あなたにとってもラビットフットちゃんにとっても。発売予定の映像でもカットするように私からアースにかけあっておくわ」
「申し訳ありません……」
さきほどから何を言ってもこのような生返事であり、紅茶を飲む余裕すらないのか、妖精給仕のいれたそれは一度も手を付けられることなくすっかり冷めてしまっていた。
こんなのどうすればいいのよとドッペルゲンガーが内心で頭を抱えていると、いきなり何かを蹴りつけるような大きな音が響き、勢いよく部屋の扉が開かれた。
「っ――」
「あら珍しい。ノルマでもないのに」
オレンジを基調としたエプロンドレスに真っ白なストレートの美しい長髪、頭のてっぺんには可愛らしい兎耳を生やした勝気な表情の少女、兎の魔女ラビットフットだった。
その姿を見た瞬間にクローソは息を呑んで視線を合わせないように顔を俯かせ、ドッペルゲンガーはいつものように話しかけた。無理矢理キスしたことは中継されていない以上当人同士しか知りえない話であり、ひとまず何も知らないという態ですっとぼけてみることにした。
このタイミングでわざわざラビットフットがお茶会の部屋に来たと言うことは、用件は間違いなくあのことだろう。ドッペルゲンガーとしてもどうするべきかと悩んでいたところだが、正直ラビットフットがどんな反応を見せるのかは見当もつかなったことから、後は当人同士で解決してもらおうと匙を投げたのだ。派閥や魔法少女のバランスに関係する話に発展しそうなら勿論口を出すつもりだが、ハッキリ言って今回の件は極めて個人的な話だ。話を聞いてやるくらいは出来るが、ドッペルゲンガーが当人たちの間に割って入って口を出すことではない。
「どうせもうあんたも聞いてんでしょ。黙ってなさい」
パワーゲームの真似事で何かと迷惑をかけられているが、そもそもそんなことが出来るのはラビットフットが聡い証拠でもある。もとより口出しをするつもりなどドッペルゲンガーにはなかったが、相談を受けていることもラビットフットにはお見通しだったらしい。
小さな歩幅でカツカツと乾いた足音を立てながら、ラビットフットはクローソたち座っている席に近づき、自然な動作でドッペルゲンガーの隣にあるディスカースの席に腰掛けた。
「……ラビットフットさん、昨日の件は申し訳ありませんでした」
クローソは平静を装うように温くなった紅茶を嚥下してから、深々と頭を下げた。その視線は謝罪をする前から常に下を向いており、ラビットフットが今どのような表情でこの場所にいるのかを確認できていない。
「あたしを好きになれ」
「縛――」
「ちょっ――」
「止まれ!」
ラビットフットの言葉を待っていたのか、いつまで経っても頭を上げないクローソに対してラビットフットは唐突に魔法を唱えた。直後、弾けれたような勢いで立ちあがったクローソが何かの魔法を唱えようとしたが、それよりも早くラビットフットがその動きを制した。その命令に従うように、クローソは詠唱を中断してその場にただ立ち尽くしている。
「……どういうつもりなの?」
「そのまま直立不動であたしの質問に正直に答えなさい。わかったらはいって言うこと」
「はい」
ドッペルゲンガーの訝し気な視線と言葉を無視してラビットフットがクローソに命令をすると、クローソはいつもの無表情とは少し違う、どこか生気の感じられない虚ろな表情で肯定の答えを返す。
ラビットフットの様子からクローソを害そうとしているわけではなさそうであることを察してか、ドッペルゲンガーは一先ず口を噤んだ。
「今、あたしに何しようとした?」
「魔法で縛り上げようとしました」
「理由は?」
「逃がさない為です」
「何で逃がしちゃいけないのよ」
「私がご主人様を愛しているからです。私の愛を証明するためです。ご主人様の愛をいただくためです。ご主人様に触れたい。触れて欲しい。抱きしめたい。抱きしめられ――」
「もういい! ……初対面の時、あたしを拘束したのは」
「愛していたからです」
「……この前、エクステンドが初参加した時のお茶会の時。あの時はどう思ってた」
「元気なのは良いことですが、進行の妨げになるので少し大人しくして欲しいと思いました」
「その時はあたしのこと好きじゃなかったってことね」
「はい」
「もういいわ、何となくわかった」
ラビットフットはそのやり取りの間、照れたり嬉しそうにしたり、あるいは嫌がったり青ざめたりするでもなく、ずっと真剣な表情をしていた。それは恐らく何かの確認だったのだろう。少なくともドッペルゲンガーの目にはそう映った。ラビットフットのまとう雰囲気は、愛や恋に想いを馳せるような可愛らしい少女のものではなかった。
「ラビットフットさん、今のは一体」
「あんた、最初に会った時パッシブの魅了が通ってたわね?」
魅了の魔法が解除されたのか、命令を受けていないクローソが若干戸惑った様子でラビットフットに語り掛けるが、ラビットフットはそれに答えず逆に質問を投げかけた。
「それは……」
「あんたが正直に話さないからこっちは下らない一人相撲させられたのよ! このポンコツ女!」
チラチラとドッペルゲンガーに視線を向けながら言葉を濁すクローソに業を煮やしたのか、ラビットフットは青筋を浮かべて怒鳴り散らす。
「ちょっと待って、全然話に付いていけてないんだけど、どういうこと? クローソちゃん、あなた何か隠してる?」
ラビットフットとドッペルゲンガーに詰め寄られ、クローソはとうとう口を割ることとなった。補足するようにラビットフットからの説明も受け、ドッペルゲンガーはようやくラビットフットがクローソを目の敵にしていた理由を知る。悲しいすれ違い……、というよりも偏にクローソの間の悪さと壊滅的な対人性能が原因であった。
ラビットフットが魔女になりたてのころ、初めて魔女のお茶会に参加する日、偶然にも魔法局に用事があり、それが終わった後一足先にお茶会の部屋に行くことにした。当時から生意気で傲慢な気質のラビットフットに初参加だから早めに行こうなどという殊勝さはなかったが、会場の見学も兼ねての好奇心だった。
一方のクローソは当時まだ魔女のまとめ役ではなかったが、いずれはモナークスプライトの後を継ぐことはほぼ決定しており準備を行うため、そして先輩を待たせるわけにはいかないとドッペルゲンガーとモナークスプライトよりもかなり早い時間に会場入りしていた。
こうしてウィグスクローソとラビットフットは、二人きりで初の対面を迎えることとなったのだが、これが全ての始まりだった。
ラビットフットはパッシブで常に微弱な魅了と幸運の魔法が発動している。魔法少女のプロテクトの前ではそんなものはほとんど何の意味もなさない程度のものなのだが、驚くべきことにクローソにはこれが通ってしまった。そして悲しいことに、あまりにも微弱すぎるそれは魔法の発動者であるラビットフットに、魔法が通った感覚が伝わらなかった。
クローソは初めてラビットフットと対面した瞬間、先ほどと同じように捕縛の魔法を使ってラビットフットを縛り上げた。とはいえプロテクトを貫通して魅了が通ったとは言っても所詮は弱弱しい効果のパッシブ魔法だ。クローソが油断して気を抜いていたから一時的に通っただけであり、クローソはすぐに正気を取り戻して魔法を解除し、若干パニックに陥りながら、いつもの無表情に抑揚のない声で謝罪し今のは秘密にしてくださいとお願いした。それ以外にも色々と言い訳を並べ立てたのだが、混乱の極致にあったクローソは一つ一つの言葉までは覚えていなかった。
魅了の魔法を受けたなどと知らないクローソにとっては、唐突に目の前の少女を愛おしく思いわけもわからぬうちに縛り上げてしまっていたというとんでもないやらかしだ。先輩方にバレたら怒られるという気持ちもあり、どうか許して欲しい、出来れば内緒にして欲しいという意味での言葉だった。
しかしラビットフットはそうは受け取らなかった。元々ウィグスクローソという魔女のことは知っており、悪い噂の聞かない人物だったが、いざ会ってみればいきなり魔法で縛り上げ、誰にも言うな、余計なことをするな、というような脅しの言葉をかけてきた極悪人だ。その一件でとてつもない猜疑心を抱いたのは当然として、それからも立て続けに証拠を残さない外面の良い悪人というような言動を受けて、ラビットフットは完全にクローソを敵だと認識した。もちろん、ラビットフットの視点からはそう見えただけで実際にはクローソの対人能力が壊滅的なだけだったわけだが。
こうしてラビットフットはクローソに対抗する戦力を得るため、派閥のトップに立つことを目標にこれまで活動してきたのだが、昨日のウィッチカップで違和感に気が付いた。
魔法少女には直接的に作用する魔法に対するプロテクトが存在している。ならばなぜ魅了の魔法が通ったのか。
ラビットフットにも新人だった時期はあるため、プロテクトの穴については妖精から聞いている。つまりクローソは、兎だとか子供、あるいは女性等、ラビットフットを構成する要素の何かがとても好きなのだと言うことだ。
そして同時に、例えば子供好きであったとしても、ラビットフット個人を嫌っている、あるいは敵視しているのであれば、ラビットフットの魅了魔法が通るはずもない。
ああだこうだ考えた末に、ラビットフットはもう一度魅了魔法が通るかの実験を行って確信した。程度まではわからないが、ウィグスクローソはラビットフットを好ましく思っている。
勘違いの発端である初対面の暴挙が魅了魔法によるものだとわかれば、それまでのあれこれが全て勘違いだったのだということはすぐにわかった。
だからラビットフットは一人相撲をさせられたと憤っているのだ。本来ならば、派閥がどうのこうの何てことに拘る必要はなかったのだから。
「アース!」
「はいよ」
ドッペルゲンガーへの説明と、これまでの誤解を解消した後、ラビットフットが唐突にアースの名前を叫ぶと、それに応えるように宙に浮かぶ地球儀が姿を現した。
ドッペルゲンガーはまとめ役でもないのにしょっちゅうアースを呼び出しているために忘れがちだが、本来魔法局の最高権力者であるアースと直接話をする権利を持っているのはウィグスクローソのみだ。にもかかわらず、アースはラビットフットの呼びかけに応えて現れた。
「MVPの景品、方針を変えるわ。派閥はドラゴンコールに任せる。その方向で動くからサポートしなさい」
「おいおい良いのかよ。お前にメリットねぇんじゃねぇか?」
先のウィッチカップにおいて、MVPに輝いたのはラビットフットだった。映像こそ中継されていなかったが、クローソを無傷で倒したことや映像映えのする立体的な戦闘や、エクステンドとのリベンジマッチなど、評価の高い戦いが多かったことが決め手となった。
派閥は魔法少女が勝手に作っているものであり、本来魔法局はそれに関わることはない。ただし、魔法局に力を認められた魔法少女と言うのは当然他の魔法少女にも一目置かれるものだ。ラビットフットの求めていた景品は、アースという最高権力者を自身が派閥を纏めるにあたっての後ろ盾にすることだった。だからラビットフットの呼び出しに応じて現れた。しかしラビットフットはそれを放棄し、あまつさえ潜在的な敵対グループでもあったドラゴンコールに任せると言い出した。
「そもそもこいつが妙なことしなければ派閥なんか最初は入る気なかったのよ。余計な事考えないで実力磨く方が腕は上がるに決まってる。だけど今になって一抜けも出来ないわ。深く関わり過ぎたし、派閥内の繋がりもある。だったら融和して変に遺恨を残さない方がいいでしょ」
「ほ~ん、まあ好きにしろよ。必要な時に呼ばれりゃ多少は力貸してやるよ」
生命派の中でもドラゴンコールを神輿に担いでいる派閥とラビットフットが率いる派閥の二つが存在する。表立ってギスギスと対立しているわけではないが、それぞれの派閥の魔法少女で多少のわだかまりや思うところはある。ここでいきなりラビットフットが一抜けすれば、これまでラビットフットに付いてきていた魔法少女は派閥内での力を大きく落とすことになるだろう。そうさせないために、対等な立場で融和し、それでいて面倒ごとは全部ドラゴンコールに押し付ける方針で動こうとラビットフットは考えた。そこには多少昨日の意趣返しも含まれていることは間違いない。
「ふん、ほんっとにくだらないことで時間無駄にしたわ。ざっけんじゃないわよ、ったく……」
アースが消えたのを見届けてから、ラビットフットはぶつぶつ文句を垂れながら席を立つ。話すべきことは話したと帰ろうとしている。
「待って下さい、ラビットフットさん」
「あん? なによ」
「昨日のこと、怒ってないのですか? 私はあなたに取り返しのつかないことを」
「ちっ、あんなの事故じゃない。ノーカンよノーカン。っていうかあんた何様のつもり? このあたしがあんたにちょっとキスされたくらいで一々思い悩むとでも思ってんの? 自意識過剰なのよ!」
クローソに呼び止められたラビットフットはいつもの調子でキンキンと高い怒鳴声をあげる。その様子は本当にいつも通りで、ラビットフットの言う通り何事もなかったかのようだった。
「ですが、それでは私の気が済みません。もしよろしければ、この後お茶でもご馳走させてくれませんか? 良いお店を知っているんです」
「勘違いすんじゃないわよロリコン女! 確かにあんたが極悪な血も涙もない性悪だってのは勘違いだったかもしれないけど、だからってあんたと仲良くするかどうかは話が別よ!」
「そうですか……」
そもそもクローソはラビットフットに嫌われているなどとは欠片も思っていなかったのだが、どうやら嫌われていたらしいことを今日になって知り、それが解消されたのであれば改めて仲良くしようという思いだったのだが、結局いつもと変わらない態度のラビットフットに切り捨てられたしょんぼりと肩を落とした。相変わらず表情と声音に変化はないのでわかりづらいが。
「……ちっ、行かないとは言ってないわよ! 行くならさっさとしなさい! 当然あんたの奢りよ!」
「そうですか」
返した言葉こそ同じものだったが、その表情は相変わらずのものではなかった。
クローソが立ち上がるのも待たずにずんずんと歩いていくラビットフットに置いていかれないよう、クローソはぺこりとドッペルゲンガーに会釈をしてからそそくさと後を追ってお茶会の部屋を出て行った。
「……塞翁が馬ってやつね」
クローソに呼び出されてわざわざ来てあげたというのに一人ポツンと取り残されたドッペルゲンガーは、どこか満足そうな表情でティーカップを傾けながら呟くのだった。
ラビットフットはシルフちゃんの誤解まで解いてあげる気はさらさらありません。自分でなんとかしろと思ってます。




