episode3-閑 眠りの魔女
大画面のモニターが部屋一面に備え付けられた薄暗い一室で、一人の少女がつまらなそうに欠伸をしながら安楽椅子に腰かけていた。その視線の先には魔法局のとある一室を映し出したモニターがあり、部屋の中にはぷかぷか浮かぶ地球儀と緑髪の少女がいた。
ギシギシと軋むような音を立て、安楽椅子は規則的に揺れ動く。
「よぉ、待たせたな」
「遅いよアース。今度はこっちが寝ちゃうかと思った」
映像の中で緑髪の少女が部屋を出ていくのと同時に、突然視線を遮るように少女の目の前に地球儀が現れた。しかし少女はそれに特段驚いた様子もなく軽口を返す。
「お前も見てたんだろ? 文句はあの寝坊助に言うんだな」
「あの子は頑張ったから良いの! それよりあれ、渡しちゃって良かったの?」
少女はわざとらしく頬を膨らませてぷんぷんと怒りをアピールしたかと思えば、次の瞬間には何事もなかったようにケロリと表情を変えて疑問を投げかける。
「ああ、あいつにも言った通り歪みの王を討つまでは使えねえ。そして歪みの王を倒した後は――」
「水上良一はいなくなる」
アースの言葉に被せるように少女は感情の籠らない無機質な声で呟いた。
「そういうことだ。まったく哀れなもんだぜ、どうせ元になんざ戻れねえってのによ」
「……」
どの口がそれを言うのかと感じながらも、自分にそれを糾弾する資格はないと少女は口を噤む。
風の魔女タイラントシルフ、その本当の姿は成人済みの男性であり本名は水上良一。男性でありながらたぐいまれな魔法少女の才能を持っており、咲良町のスカウトフェアリーであるジャックに発見され半ば強制的に魔法少女にされてしまった不幸な人物。
少女はそれを知っていた。タイラントシルフの正体も、その身に降りかかった不運も、そして彼がその筋書きをなぞらされ、あたかも偶然のように魔法少女にさせられたことも。
彼が本当に、最初から元の姿に戻ることを願っていたのかは、今となってはもうわからない。
「ま、そんなこたぁどうだっていい。とにかくこれでようやく世界魔術の起動に目途が立った。何とか間に合って安心だぜ」
ウィッチカップの真の目的は彼の眠っている才能を開花させることにあった。ただしその真意はタイラントシルフという魔法少女を強化することではなく、最後の門を開くことそのものだった。そしてその目的は、彼が一時的にとはいえ最後の門を開けた時点で達成されている。少女はそれを目の前で確認しているため間違いない。
勝利への執念が彼に最後の門を開かせた。勝利して性転換の薬を手に入れ、元の姿に戻るという願いが。だが、その願いは彼が心の底から望んだものではなかった。彼に勝利への執念を失わせないために、彼の願いはアースによって捻じ曲げられた。
ならばそれが、初めから歪められた願いではなかったと言い切れるだろうか。
元の姿に戻るために魔法少女になった、それは本当に彼の願いだったのだろうか。
少女にはそれを知る術はないが、仮に知ったところで今更どうすることも出来ない。そんなことは自らの手で最後の門を開くことが出来なくなって、水上良一という予備を使うことが決まった時から覚悟していた。だから少女は、非道に加担している自覚があっても止まらない。もう止まれないのだ。
「本当に選んでくれるのかな。自分を犠牲にしてまで」
「選ぶさ、間違いなくな。俺様の計画にはなかったイレギュラー、やつには随分頭を悩ませられたがな、だからこそタイラントシルフへの楔としてこれ以上ないほどの存在になった」
アースの言葉を受けて少女の視線がまた違うモニターへ移る。そこに映っていたのは、どこかの広い一室でパーティーの準備をする魔法少女たちの姿だった。
心の深い部分では愛されることを求めながら、理性によって魔法少女との交わりを絶ち、タイラントシルフは孤独に蝕まれるはずだった。そうして傷つき、限界ギリギリまで追い詰められた彼に一筋の希望を見せることで目的を達する。それが本来の筋書きだった。
だがその脚本は、たった一人の少女によって覆された。まったく想定していなかった、少しばかり善性が強いだけのどこにでもいるような平凡な少女によって。
その少女こそが、
「……エレファント。本当に、魔法少女になるべくして、って感じの子だよね」
どれだけ優しい人間であろうと、善良な人間であろうと、タイラントシルフが完全に心を開くことなどありえないはずだった。本当は成人をとうに迎えた男性であることを隠しているという負い目、それを抱えている限り水上良一が魔法少女と友人になることなどありえないはずだったのだ。
「マジでノーマークだったぜ。こいつのせいでタイラントシルフは今のままでも良いなんて思い始めてやがったからな。ジャックの野郎も余計な術式を残していきやがるし、やっぱ何もかも全部計画通りってわけにはいかねえな」
スカウトフェアリーのジャックは自覚こそなかったが、アースの掌の上で踊らされているだけの傀儡だった。妖精の中でも独断専行で暴走しやすい個体を彼の住む町の担当として配置し、頃合いを見て水上良一を欺瞞世界に招き入れ発見させたのだ。機械仕掛けの林檎妖精の指摘は概ね真実だった。
ただし、ジャックはアースの目論見を知らなかったからこそ彼を魔法少女として引き止めるために暗躍し、女の子の姿に少しずつ馴染んでいくように思考を誘導していた。さらにエレファントの存在も相まって、彼は徐々に本当に男に戻りたいのかと疑問を覚えるようになっていく。これはアースにとって大きな誤算だった。
「タイラントシルフにはもっと苦しんでもらわねぇといけないからな」
安寧を得ることは許されない。
今を受け入れることは許されない。
少女の代わりに苦しまなければならない。
「……もうあの子のことはいいよ。それより、クロノ先輩はまだ見つからないの?」
「だから何度も言ってんだろ。あいつは多分当日になるまで出て来ねえ。ロウが起きてりゃ多少状況もわかったかもしれねえが、相変わらずだしよ」
部屋中のモニターが一斉に切り替わり、モコモコの寝間着に包まれぬいぐるみを抱きかかえながら瓦礫の上で眠る少女が映し出された。
この奇妙な映像は魔法少女の動画サイトの生放送で24時間常に垂れ流しにされているものであり、いつでもだれでも視聴可能だ。そしていつ誰が見ても映像の中の少女は眠り続けている。
「こいつに比べりゃエレファントなんてイレギュラーっつっても可愛いもんだな。ちっ、幸せそうに眠りやがって」
気持ちよさそうに眠る少女を見て、アースは苛立ったように吐き捨てる。
彼女の名はレイジィレイジ。眠りの魔女の異名で知られトップクラスの戦闘力を誇る魔女のお茶会最高戦力。全ての魔法少女たちの頂点に立つ魔法少女。
一般的にはそういうことになっている、正体不明の特異点。
「この子、何なんだろうね」
「それがわかれば苦労しねえんだがな。少なくとも、魔法少女じゃないのだけは確かだ」
魔法少女システムの黎明期、まだ始まりの魔法少女とそれに続く僅かな少女たちだけが戦っていた頃、彼女はいつの間にか沖縄の欺瞞世界の中で眠りこけており、調査に向かった最高位妖精の一体を未だ目覚めぬ眠りに落とし、欺瞞世界に現れるディストを問答無用で消滅させていた。
放っておけば眠っているだけで、ついでにディストを倒してくれる存在であることがわかってからは魔法局側からちょっかいをかけることもなくなり、沖縄に魔法少女を配置しない方便として彼女も魔法少女であると喧伝しているが、彼女が何者であるのかは何一つわかっていない。
「こいつさえいなけりゃお前も、タイラントシルフも必要なかったんだ。ロウが……、いや、理の亜神が眠らされたのが悪夢の始まりだった。亜神は最上位の魔術師の行き着く先だ。睡眠だの食事だの、そんな人間としての枷からは解き放たれた存在なんだよ。ありえねえんだ。眠らされるなんてことは」
「その愚痴は飽きるくらい聞いたよ」
かつてまだそれほどディストの数が多くなく、発生する地域も限定されていた頃、四系統の最高位妖精に見いだされた四人の魔法少女がいた。彼女たちこそが後に始まりの魔法少女と呼ばれることになる最初の戦士たち。
爆炎を操り瞬く間にディストを消し炭と化す炎の魔女、フレイムフレーム。
止まった時間の中でただ一人動き続ける時間の魔女、クロノキーパー。
強靭な脚力で高位ディストすら一撃消滅させる飛蝗の魔女、グラスホッパー。
魔法少女の脆さを克服したった一人で前線を支える力を持つ騎士の魔女、ラウンドナイト。
それぞれが非常に高い素質を持ち、魔女に至るまでにそう長い時間はかからなかったと言われている。
しかし、そんな彼女たちもディストとの戦いの中で命を落とした。ある時せき止められていた水が溢れるように大量のディストが現れたのだ。その頃には始まりの魔法少女だけではなく、それに続く次世代の魔法少女たちも存在していた。少女もまたその内の一人だった。ただ、当時の少女たちはまだ魔法少女になって間もなく、始まりの魔法少女とはとても比べられないほどに弱かった。少女たちは激しい戦いの中で何もできず、ただ始まりの魔法少女たちが傷ついていき、一人、また一人と倒れていくのを見ていることしか出来なかった。
戦いが終わった後に生き残っていたのはクロノキーパーただ一人であり、そしてその時間の魔女も戦いを終えてしばらくしない内に姿を消した。
魔法少女システムはその時を境に大きな方針の変更を余儀なくされることとなった。
当初は少数精鋭での運用が計画されていたそれは、亜神の一人が機能不全に陥ったことによりあふれ出るディストを止めることが出来なくなったことで、人海戦術による対処を必要としたのだ。
始まりの魔法少女たちが予期せぬ猛攻により命を落としたことも、数えきれないほど多くの少女が戦いの運命に巻き込まれることとなったのも、そして苦しみの果てに世界を救う人柱が必要となったことも、全ては眠りの魔女が原因だった。
諦めや恨み、怒り、憎しみ、様々な負の感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った目で少女は眠りの魔女を見つめるが、彼女をどうにかすることなど出来ない。というよりも、今更彼女を討ち果たしたところで意味などないのだ。死んでしまった魔法少女は帰って来ない。理の亜神が目を覚ましたとしても、一度決壊したダムはそう簡単に直せない。多くの魔法少女が必要なことは変わらない。
少女や魔法局の敵はあくまでも世界の歪みであり、眠りの魔女はたまたま居合わせただけの疫病神に過ぎない。だから出来ることと言えば精々、アースのように恨み言を吐き出し、少女のように睨みつけるくらいだった。




