35 突然の襲撃
(あの方が王妃様)
まさかこんな廊下で宿敵に出会ってしまうとは。
(この人が私を泉に突き落とすように指示した黒幕……そして精霊たちをあんな目にあわせている元凶)
侍女のお仕着せの中で、一人だけが、ひと際目立つ豪華なドレスに身を包み、ふわふわとしたプラチナシルバーの髪をハーフアップにして軽く結い上げている。まるで少女がするような髪型をしているのだが、それに違和感がないような可愛らしい容姿をしており、とても成人を過ぎた子どもがいる女性には見えない。
オーティスが呼び掛けなければ、クララはその人が王妃だと気づかなかっただろう。
(髪は普通の銀髪だけど……)
その髪は、その背後に隠れて黒ウサギの様子をうかがっている精霊喰いのように変色はしていない。
(でも、精霊喰いがくっついているから、宿主で間違いないのよね)
その王妃はオーティスに向かって優しく微笑んでいた。
「母上、この二人は」
「大丈夫、わかっているわ」
オーティスが紹介をしようとしたところ、王妃がそれは必要ないと止める。
クララは王妃の侍女たちから無言のまま品定めするような視線を感じていた。
しかし、その中で王妃だけは、ふわっとした空気を漂わせ、悪意などはまったく感じられなかった。
「黒髪のあなたがハイパー家の、そして茶色の髪のあなたがアンバー家の令嬢だったかしら」
嬉しそうな表情と明るい声で二人に声を掛けた。
数が少ないとされている濃い黒髪と茶色髪の少女を、オーティスが連れている。ゆえにクララとシェリルが七妃であることは明白。
相手が、自身がその命を狙わせた娘と、その罪を着せようとしていた娘だというのに、王妃は両手を胸の前で重ねて、まるで会えたことが嬉しく、感激しているような素振りを見せている。
「ハイパー家の次女クララでございます。王妃陛下にはお初にお目にかかります」
「シェリル・アンバーと申します。以後お見知りおきを」
どんな意図があろうと相手は王妃。シェリルとそろって腰を落としお辞儀をする。
「クララさんはハイパー侯爵が深窓で大事に育てていて、表にはあまり出さないとは聞いておりましたけれど……」
やはり表向きはそういうことになっているらしい。
「なるほど、夫人によく似ていらっしゃるわね。マリアンヌさんはお変わりないかしら? わたくしたち七妃の座を競っていたのであまりお話をしたことはないのだけれど、妹さんのグレイシーさんとは仲が良かったのよ」
(実母と!?)
驚きながらもクララは全神経を顔に集中させて必死に笑顔をつくる。
「おかげさまで母は元気に過ごしております」
「そう、でしたらよかったわ」
(たぶん社交辞令の挨拶だけど、実母とのことが気になる……)
「わたくし、今代の七妃の皆さんは全員娘だと思っているの。あなたたち以外は言葉を交わす機会があったので確認を済ませているのだけれど、クララさん、シェリルさん、あなたたちは精霊宮に入ることになってしまって、本当にそれでよろしかったの?」
七妃に抜擢されたふたりへ、気持ちの確認らしい。まるで心配しているような言い草だ。
「このような栄誉を与えていただき、身に余る思いにございます」
「ご期待にそえるよう励みたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そう。オーティスは幸せね。みんな素晴らしい七妃たちばかりだもの。お二人もこれからオーティスを支えてくださいね」
うふふと楽しそうに笑る王妃。それは何を意味しているのか。
「はい。尽力いたします」
「七妃の名に恥じぬよう精進いたします」
「ところで、どうして七妃の二人がこんなところにいるのかしら?」
精霊宮から避難してくることを知らなかったらしい。
オーティスは王妃にも秘密にしていたようだ。
「私が王宮の中を案内しているところです」
「オーティスが?」
「本日は私の時間が空いたので、王宮に来たことがない二人に、七妃として必要なことを学んでもらっている最中です」
「それはいいことだわ。勉強中にお邪魔をしてしまってごめんなさいね。ですが、オーティス」
「何でしょうか?」
「これからは七妃の予定は私も知っておきたいわ。今日みたいに、ふいに出会ったら驚いてしまうもの」
「すみません。今回は急に決めたことだったので、これからは気をつけます」
「そうしてちょうだい」
それだけ言うと、王妃は侍女たちを連れて、居住地である深層部のほうへ歩いていった。
(何ごともなく終わった)
肩透かしを食った状況に、クララは安堵していた。
(よかった。イルサさんに感謝しなくちゃ)
突然出会ってしまった王妃からの質問に、クララとシェリルが焦らず受け答えできたのは、事前にイルサから返答の仕方を伝授されていたからだ。
(でも、人物像が想像と違いすぎるんだけど……)
人を貶めることを何とも思わない、もっと苛烈で傲慢なイメージをクララは持っていた。
それが、見た目も話した印象も、そのすべてが正反対だった。
王妃の姿が見えなくなるまで見送ってから、オーティスが反対側へと歩き出したので、クララたちはそのあとを追う。
(リオンって精霊喰いを追い払うほど強いのね。きっと銀ネズミさんも同じなんだと思うし、襲われていない七妃の精霊たちはみんなそうなのかもしれない)
そんなことを考えながら歩いていると黒ウサギがふわふわ飛びながらクララの斜め前にやって来た。
『そのまま、返事は声に出さないで我の話を聞いて』
クララは思わず返事をしそうになって、慌てて小さくうなずいた。
『さっきは我がちゃんと言わなかったからいけなかったんだけど、本当はあの時、クララには精霊喰いを捕まえてほしかったんだよ』
泉の女神から精霊喰いを殴れと言われていたので、クララは頑張ってコツンと頭に拳を当てた。それが間違っていたらしい。
『クララは精霊にさわることができるので、羽交い絞めにして女神のところに連れて行けば、消滅させることが可能だったんだ』
(そうだったのね。千載一遇のチャンスを逃しちゃった)
『でも今回の件は、我の手落ちでクララのせいではないからね。だから、今度からはちゃんと指示をするよ』
(うん。わかった。でもごめんなさい)
そんなやり取りをしていると、前方から言い争う男女の声が聞こえてきた。何やら騒ぎが起こっているようなので、オーティスが途中で足を止める。
「そこにいるのはメルティか?」
「まあ、オーティス様! やっとお会いできましたわ」
人混みの中に日の宮へ入る予定のメルティ・ルチルがいた。
メルティはストレートの美しい金髪をなびかせ、オーティスのもとに走り寄ろうとする。
「なりません、ルチル様。それ以上は足を踏み入れないでください」
そこにいた事務官の制服を着たやせ型の男が、なぜか必死の形相でメルティ・ルチルを阻もうとしている。
その周りで職員の制服を着た女性と、侍女のお仕着せを来た女性たちがどうすればいいのかわからず、困惑しながら見守っていた。
「使用人風情が私に命令しないで。それから、七妃に選ばれた私に、オーティス様ではない者がふれたりしたらどうなるかわかっているのでしょうね」
男が、腕を掴もうとしたので、自分の立場を使ってメルティが咎める。
「そうおっしゃるのでしたら、すぐにでも精霊宮にお入りください」
「嫌だって言っているでしょう。オーティス様、この無礼な者を叱ってやってくださいませ」
男をかわして、メルティがオーティスのところまでやってきた。
「おまえたちはこんなところで何を騒いでおるのだ?」
「王太子殿下、ルチル様に精霊宮へ速やかにお入りくださるようご説得ください」
「説得? メルティは精霊宮に入りたくないのか? 受けたと聞いてはいたのだが」
「オーティス様の正妃になってからならよろしいですわ」
「それでは順番が逆です。我が儘もたいがいになさってください。ルチル様の言動にみんな迷惑しているのですよ」
「御覧ください。このところずっと、この男はこんなふうに私を悪し様に言って追い詰めるているのですわ」
「またそんなことを。悪いのは私ではありません。王太子殿下、ルチル様の言葉に耳を貸さないでください」
事務官の男はメルティを精霊宮に入れる役目を担っていて、メルティはそれを承諾するつもりがない。そんな平行線の状態がもう何日も続いていた。
だというのに、オーティスに会うため王宮へやってくるメルティ。
そんな状況を打開すべく、事務官の男は上司から、メルティがオーティスに会える機会は精霊宮に入るしかないと思うように、二人を絶対に会わすなと厳命されていた。
しかし、メルティは嫌だと言いながらも七妃の立場を笠に着て、誰が止めても勝手気ままに王宮内を闊歩していたのである。
そして今、とうとうオーティスと出会ってしまった。
「お願いです、何卒、王太子殿下」
「うむ、そなたの事情はわかった」
「オーティス様は、わたくしが嫌だということをなさるのですか?」
「いや、そんなつもりはない。そこまでメルティが精霊宮に入りたくないと言うのなら無理を言うつもりはない」
「王太子殿下!?」
「すまぬ、私は七妃には幸せであってほしいのだ。嫌がっている者をあそこへ閉じ込めるつもりはない」
だったらメルティは候補から外し、ほかを探すしかない。そう思いながら言った言葉だった。
「そんな」
メルティを言い含められなかった事務官の男は、仕事上このまはまではまずいのだろう。血走った目を見開き、唖然としている。
目の前で始まった、メルティ・ルチルの宮入りの話。クララとシェリルはただ成り行きを見ているだけだったのだが。
(メルティ様の精霊も、たぶんどこも欠けてはいないみたい。よかった)
メルティの精霊は金色の狐の姿をしていて、それがメルティの首に襟巻のように巻き付いていた。
「ねえ、私も嫌だって言ったら聞いてもらえると思う?」
シェリルがこっそりとそんなことを聞いてきたので、クララは返事に困った。
(オーティス様なら、帰ってもいいと言いそうだけど、シェリル様が帰る場所ってあるのかな)
クララ自身がそんなことを言ったとして、もし精霊宮から帰されたとしたら、ハイパー家では役立たずの恥知らずとして、それ以降養ってもらえる気がしない。
シェリルは、アンバー伯爵家に養子として迎え入れられてから、その家の令嬢として精霊宮へきている。したがってアンバー家に泥を塗ることになり、実家の男爵家でも処遇に困るのではないだろうか。
結局、二人とも帰る場所がないのだ。
つぶやいたシェリルの意識はすでにメルティたちへと向かっていて、本気で言っているわけでもなさそうなので、クララはそんな残酷な言葉は口に出さず黙っていた。
『クララ、今すぐ王太子に抱き着いて!』
「え? はい」
メルティたちから目を離していたところ、突然黒ウサギからそんな指示が出る。
精霊喰いの件で失敗しているクララは、今度こそ役に立とうと黒ウサギの声に従い実行に移した。
説明を聞いている余裕がなさそうだと、その切羽詰まった感のある声色から、『やらなければ』そう判断したのだ。
「な!? クララ?」
「何やってんのよクララ!?」
「ちょっとあなた、オーティス様になんて失礼なことを!」
オーティスとシェリル、そしてふメルティの驚いた声がした後、周りで見ていた侍女たちからは、おそろしいものでも見たかのような悲鳴があがった。
それも次々に。
なぜなら、事務官の男が握る折りたたみ式のナイフが、クララの背中に突き刺さっていたからである。




